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第九章 波乱、それとも結実(2)
午前中は羽ケ崎市の中央にある美術館に行った。
俺とデートの予定にならなくとも見に来るつもりであったようだ。広告や商品パッケージを数多く手掛けている名護晶の美術展。美術に明るくない俺でも名前を知っているポップアート作家の作品は、銅音のお気に入りであるらしい。ひとつひとつ丁寧に観ては、饒舌にその作品の良さについて俺に語って聞かせてきた。
お昼は美術館に併設されているお洒落なレストランでコース料理を食べた。
前菜にスープ、メインディッシュに珈琲とデザートの簡易的なコース料理だったけれども、場所が場所だけに結構な値段だった。それを俺の分まで惜しげもなく払ってみせた銅音。神代学園で中等部からの持ちあがりとあれば、金銭感覚がバグっているのが当たり前だ。とはいえ、はいそうですかと奢られていい額でもない。ましてや俺は銅音の告白を断るつもりでこのデートに臨んでいるのだ。だから、自分の分は自分で払うと言ったのだが、「俺が誘ったんだから」と銅音は引かなかった。
仕方がないので、午後の映画代は俺が持つことにした。
そう、映画である。
好きな美術監督が担当しているアニメが上映中だとかで付き合わされたのだが、俺は自分のペースで物語が楽しめない映画館での映画視聴は苦手だ。これが配信サイトだったりDVDだったりなら、早送りも出来るし、嫌なシーンを飛ばすことも出来る。けれども映画館はそうはいかない。入ったが最後。スクリーンから目を離すことが許されない空気がある。
正直、気が重かったが、デートの定番スポットでもある。嫌だとごねるのも大人げない気がしたので、努めて平静を装いながら映画館に入った。
けれども、ポップコーンを片手に見たアニメは、何故か面白かった。俺が耐え切れなくなるような悲惨なシーンがなかったからだろう。全編こてこてのギャグアニメ。少しだけお涙頂戴要素があったのも良かった。笑って泣いての三時間。暗い館内ということもあり、銅音に手を握られたりもしたが、映画に集中していたこともあって、あまり気にはならなかった。
その次は、駅前のSC に行った。
俺のリクエストを聞いてくれるというので、園崎さんたちへのお礼の品を買いたいと頼んでみたのだ。銅音は怪訝そうな顔をしていたが、俺がひとりで選ぶと失敗しそうだからと言うと納得してくれた。一時間ほどあちこち見て歩く。俺が当初考えていたネックレスやイヤリングといったアクセサリー類は、流石にそれは重いと言われてしまったので、銅音のお勧めに従って、お揃いの髪飾りを色違いで購入した。黒髪の豊かな園崎さんに似合いそうなチタン製のバレッタ。グラデーションを描いて変化する色が美しい一品だ。
ついでに近くのゲームセンターでふたりでプリクラを撮って、SC を後にする。
「デートのフルコースを味わったって感じがするね」
「楽しんだ?」
「こんな風に遊んだのは久しぶりだよ」
最後に向かったのは近くにある羽ケ崎タワーの展望台だった。
市内を一望出来るくらいの高さがある羽ケ崎タワーは、遠方から来た観光客が必ず寄るくらいに有名な観光スポットだ。俺は銅音と並んで、パノラマ展望台の南側の窓前に立った。ここからだと、駅から少し離れたところにあるオフィス街のビルの群れ、東側に広がる高台、南側の住宅街の果てにある海と、羽ケ崎市を象徴する景色を全て視界に収めることが出来る。
「夜だと夜景が綺麗なんだよね、ここ」
「うん。見たことある?」
「高等部に上がって直ぐ来たよ。外出時間延びたしね」
「城石は真面目だな。俺は中等部の頃から何度か来てる。珠算の帰り道とか」
「危ないよ」
「案外、大丈夫。大人もそこまで気にしないし……」
言いながら伸びてくる手が俺の手に重なる。
俺は悩ましい気分でいた。
楽しかったのだ。
誰かとデートをするのが初めてだったからだろうか? それとも中等部からの付き合いという気安さからだろうか? 理由は良くわからないが、銅音と過ごした一日は、他の友人たちと学校帰りに何処かに寄ったりするのとはまた違った楽しさがあった。
デートになると退廃的な雰囲気が一変して物柔らかくなるのもわかったし、道を歩くときに車道側を歩くといった気遣いが出来る奴だというのもわかった。日頃はぶっきらぼうな物言いの銅音が饒舌に何かについて語るのも聞けたし、子どものように無邪気な笑顔を浮かべて見せるのも目に出来た。
それは俺の銅音に対する印象を変えた。そしてだからこそ気持ちを揺らがせた。
友人としての距離感では見られなかった銅音の別の顔を目にしたことで、欲が出てきてしまったのだ。
「銅音はどうして俺が好きなの?」
だから俺は銅音に尋ねた。
どこかに俺が嫌になる要素があればいい。そう願ってのことだった。
そう、俺は銅音の嫌な部分を探していた。一日を一緒に過ごしたことで、好感度が更に上がってしまった銅音を、どうやれば気持ち良く振ることが出来るのか。こんないい奴をスムーズに振るのは難しい……でも、振らないことには人間関係がややこしくなる……恋愛経験値のなさが俺の次にすべき行動を制限する。頭の中は大混乱だ。遠心分離器にかけられたようにぐるぐる回っている。
「城石は俺に対して普通に接してくれるでしょ」
「え? それって当たり前じゃ」
「俺はこういう見た目だから、色々言われることが多いんだよね。チャラいとか、やる気なさそうとか。でも、城石はそういうことを一切言わなかった。俺が俺としてそこに居るのを許してくれてるっていうのかな。当たり前のように俺の存在を受け入れてくれたから」
知らなかった。
退廃的な雰囲気が魅力的な銅音は、てっきり人気があると俺は思い込んでいた。だってそうだろう。あの真優が銅音の人間的に魅力に惹かれて自ら積極的に友人のポジションを確立させにいったぐらいだ。他の生徒にも同じように思われているとばかり思っていた。
「それは真優も一緒だと思うけどなあ」
だから俺は言った。
「真優はあれ、俺を面白がってるから」
けれどもそういった真優の扱いを嫌がっているのではなさそうだ。むしろ、それさえも受け入れられるぐらいに深い部分で繋がっているのだろう。いつも真優と一緒にいるときにしている表情――くだけた笑顔を浮かべて銅音が言う。
「それに、城石は誰にでも優しいでしょ。俺に限ったことじゃなく、誰もがそこにいていいんだって感じに話を持っていくのが上手い」
「そ、そんなことないよ」
俺は慌てて銅音の言葉を打ち消した。
それは前世の社会人生活で身に付いた事なかれ主義の所為だ。
何もせずとも厄介ごとに巻き込まれてしまう俺は、そうした場で自分の立場を悪くしないよう、誰に対しても当たり障りのない態度を貫くようになってしまった。それが『誰にでも優しく』という断罪イベント回避の為の立ち回りには役に立った。回復した信頼は、俺の前世での処世術が間違っていなかったことの証左だ。
でも、俺は時々思ってしまうのだ。他の人間のように好き嫌いをはっきりと口に出来たら、どれだけ楽に生きられるだろうかと。
ただ、そうした社会人生活が板についてしまったからだろう。そもそも嫌だと感じることが少なくなってしまった。何をされてもいい面を探すようになってしまっている。今だってそうだ。銅音を振るつもりでデートに来た筈の俺は、銅音のいいところばかりを見付けてしまってまるで話にならない。
「そういうのって八方美人って言うでしょ」
「そう? いいじゃん、八方美人。誰にでも優しく出来るって、誰にでも出来ることじゃない」
どうしようと思いながらも会話は続く。
赤く筋を引く雲が、西から東に長く伸びている。黄昏時を迎えた羽ケ崎は、タワーの眺望の良さも相俟って、まるで映画のワンシーンのように美しい。それをバックに微笑む銅音の美しさ。退廃的な雰囲気が暮れなずむ景色に溶け込んでいる。
「でも、俺、昔は良くない人間だったから……」
「うん。小学校のときだよね。園崎の件でちょっと噂になってた。だけど小学生ぐらいじゃ良くあるでしょ。俺だって褒められた人間じゃなかったし」
銅音の優しさが胸に痛い。
俺は望海のいいところを全部取ってしまっているのだ。恵まれた環境に、立場。城石望海が本来通過すべきイベントにしてもそうだ。過去に人間関係で傷を負っている望海にとって、彼らの愛情を一身に集めるハーレムエンドは、これ以上とないハッピーエンドだ。
だのに俺はその大事なイベントと結末を彼から奪ってしまっている。
このままでは、俺の中にいる望海にとっての自身の人生のイベントの記憶は、小学校時代の陰気な自分が起こしたあれこれしかなくなってしまう。それで果たしていいのだろうか? もしかすると、この物語内の望海は、俺が自我を取り戻さずとも、こうした人生を送っていたのではないか? そう、そうでなければこの世界は成立しない。だから俺は怖いのだ。俺の存在が俺の中にいる城石望海の魂や人生を削っていっているような気がして。
「だけど、そう思わない人間もいるでしょ。例えば理事長とか……」
だから俺は、どうにかして銅音を諦めさせられないかと、彼の言葉に否定の言葉を重ねることにした。
これで彼が諦めてくればいいと願いながら。
けれども銅音にはそういった俺の気持ちは伝わらないようだ。どんどん俺をいい奴に仕立て上げてゆく。
「でも、わかっている人間も沢山いるよ。今の城石はそうじゃないって」
「うん」
「俺だってそう。城石はそんな人間じゃないってわかってる。だって覚えてる? 中等部の体育の授業で俺が足を捻ったときのこと」
「ああ、俺がボールに吹き飛ばされたとき」
それはサッカーの授業中の出来事だった。
パスを受け損なった俺は近くにいたディフェンスの銅音を巻き込んで、派手に転倒してしまった。中距離からのロングパス。ボールの威力はそこまででもなかったが、軌跡を追うのが望海の身体では難しかったのだ。
俺自身は銅音がクッションになってくれたので擦り傷程度で済んだが、俺の下敷きになった銅音はそうはいかなかった。どうにか踏ん張ろうとしたのだろう。足首を捻って立てなくなってしまった銅音。俺はそれを一成と一臣に頼んで保健室に運んでもらった。
「あのときの城石、生きた心地がしないって顔してた」
「そりゃそうだよ。俺の所為であんな大惨事に」
「ごめんね、ごめんねってずうっと謝っててさ。先生が車持ってくるまで、ずうっと俺の足を摩ってくれてた」
「当たり前だよ。俺の所為なんだよ」
「そういうところなんだよね、城石がいいの」銅音の額が俺の額に重なる。「いつも一生懸命でさ」
「あ、銅音。ここ、外」
「うん、知ってる」
俺は困り果ててしまっていた。銅音に嫌な面がひとつでもあれば、それを原動力に動くことが出来るのに、今日の銅音はそれを全くさせてくれない。それどころか、昔の思い出にまで話を及ばせては、俺との歴史を強調してくる。
俺はこういうのに弱いのだ。
昨日今日の付き合いではない銅音。歴史で言えば一成や一臣、そして相馬には及ぶべくもない。それでも、銅音にとって俺とクラスが一緒だった時間は特別なものだった。それが伝わってくるだけに、彼を振るのに躊躇いが生まれる。
「駄目? 城石、俺じゃ」
「ご、ごめん。俺やっぱり銅音とは――」
友達でいたい。そう言おうとした口が、銅音の口唇で塞がれる。
「じゃあ、もう一回デートしよ」
軽く口唇を啄んだ銅音が悪びれもせずに言う。
これはもう俺がいいって言うまで諦める気がないよな。銅音の無邪気な笑顔を間近に、彼をどうあしらえばいいのかわからない俺は、呆然とその場に佇むしかなかった。
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