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第十二章 選択のとき(3)

 朝方、母親と顔を合わせることが出来た俺は、出掛けに少しだけ会話をした。  こちらも父親同様に、和香子さんから最近の俺の様子について聞いていたようだ。「あなたは家に籠りがちになるタイプだから心配だったのよ」嬉しそうに俺の頭を撫でた母親は、俺の年齢を小学生ぐらいだと思ってるんじゃなかろうか。「これからもどんどん人付き合いをしなさい。若い内しか出来ないことなのだから」と、支度で忙しい中、俺を玄関まで見送ってくれた。 「大分、秋めいてきたよね」 「残暑が長引かなくて良かったですよ」 「今年は秋が長くなる予報ですしね」  いよいよ涼しさが増した風に吹かれながら、一成と一臣を伴って、姉と待ち合わせをしている学園に向かう。  低気圧が近付いているらしく、晴れているものの雲が多い。明後日からは雨の予報だ。鱗雲が連なる空から降り注ぐ薄い陽射しに身を晒しながら、俺は歩き慣れた道を歩んで行った。 「どちらに向かわれるのですか、望海様」 「相馬様のマンションはそこですが」  一成と一臣が途惑いをみせたのは、俺が相馬のマンションを通り過ぎた瞬間だった。  ここから直ぐ先にある信号を折れて渡り、道なりに真っ直ぐ行くと神代学園の校門前に出る。姉は校門前で待っている筈だ。俺は「直ぐに終わるよ」と、ふたりに告げて、相馬のマンションから更に先に向かった。  オフィス街を近くする神代学園前は、日曜日だけあって、人通りが少なかった。部活動にそこまで積極的な学園でもないからか、生徒の姿もまばらだ。彼らが校門を潜り抜けてゆく中、一成と一臣を連れて、俺は校門脇に立つ私服姿の姉の許へと歩んで行った。 「待たせた?」 「五分くらいね」  うっすらとピンクががったレイヤード風のワンピースにオフホワイトのカーディガン。手にはワンピースの色に近いチャーム付きのミニバックを持っている。足元にファーのボンボンが付いたパンプスを履いた姉は、愛嬌が裾まで零れ出るような微笑みを浮かべて俺を振り返った。 「そういう格好するんだね」 「憧れはあったのよ。ただ若くないと似合わないでしょ。だから今の内に着ておこうと思って」  かっちりとした格好を好んでしていた姉のフェミニンな姿は、外見(ガワ)が園崎有栖とはいえ違和感がある。見慣れない姿に何故か覚える気恥ずかしさ。俺が目のやり場に困っていると、俺の格好を上から下までしげしげと眺めた姉が、しみじみと呟いた。 「っていうか、あなた着るものの好み変わってないわねえ。ブランドが変わったぐらい? 可愛い容姿が台無しじゃないの」 「まあ、そこは、中身が俺なので……」  俺は気まずさに頭を掻いた。  襟と袖が色違いの水色のシャツ。その上から羽織っているのはベージュの袖が緩いカーディガンだ。カーキー色のチノパンと茶色いローファーを履いた俺のファッションは、休日の会社員ルックと言った方がしっくりきていて、可愛らしい望海の顔が完全に浮いてしまっている。 「でもこの顔のファッションって難しくない? カジュアル過ぎても浮くし、かといってかっちりさせても浮くし」 「シルエットがわかり難い服の方がいいかも知れないわね。あなた身体が細過ぎるのよ。普通の格好だとなよっとして見えちゃう」 「うーん。今度服選んでよ。俺この体型でこの顔だから、本当に着るものに困ってるんだよね」 「あの……」  俺と姉が顔を合わせるなり親し気に話し始めたことで、不安に駆られたようだ。「相馬様のマンションに向かわれるのですよね」一成が確認するように尋ねてくる。俺は背後のふたりを振り返った。困惑しきった表情で並んで立つ一成と一臣に、「大丈夫だよ」と笑いかける。 「園崎さんは話が終わったら直ぐに帰るから」 「相馬様のマンションにも連れて行かれるのですか?」 「うん」俺は一臣の言葉に頷いた。「そうしないと話が出来ないからね」  俺は姉と話をしながら相馬のマンションに向かった。  マンションのエントランスで後方にある神代学園を振り返る。  三年半通ったこの学園とも、今日でお別れになるかも知れない。俺が自我を取り戻してから三年とちょっと。相馬たちとは勿論のこと、同級生たちとも楽しく過ごした学び舎。思い出が詰まった建物を暫し眺めた俺は、隣に立つ姉に顔を向けて行った。 「行こうか、姉さん」 「ええ、瑞樹」  インターフォンで相馬と話し、エントランスのロックを開錠してもらう。  いよいよだ。そこはかとない緊張感が俺の足元から立ち上ってくる。俺は無言でエレベーターに乗り込んだ。最上階までの上がれば相馬の部屋は直ぐそこだ。チャイムを鳴らして到着したことを伝えると、少しして、相馬が玄関ドアを開いてきた。 「まさかこういった展開になるとはね」  話があることしか聞いていなかった相馬は園崎有栖の登場に驚いたようだったが、「誤解を解く為にはいた方がいいと思って」と俺が言うと納得してくれたようだ。俺たち全員を部屋に上げるとティーセットの用意を始めた。  俺の手のひらはしっとりと汗ばんでいた。  会話の少ない待ち時間が、相馬や一成、一臣の緊張感を伝えてくる。いつものように気楽な態度でいて欲しいと願うも、彼らにとっては脅威である園崎有栖の登場だ。そこは矢張り、意識せずにいられないのだろう。笑顔を浮かべてはいるものの、どこかぎこちない。 「遅くなってごめんね。出掛けに父さんに呼び止められちゃって」 「俺だけ先に来ても良かったんだけど、開錠、面倒でしょ。だから一緒に来た」  ややあって、リビングのテーブルにお茶の準備が整う頃、眞と真優が到着した。賑やかなふたりの声が、リビングに届くと同時にぱたりと止まる。「園崎、いるの?」微かに目を見開いた眞とは同じクラスだからだろう。見知った人間の登場に、姉の表情が和らぐ。 「話が終わったらお暇するから、大丈夫よ」  液晶テレビを正面にコの字型に配置されたソファ。リビングの奥、窓際のソファに座っているのが俺と姉。隣にあるテレビの正面席には一成と一臣、そして相馬。俺の正面席に眞と真優が並んで座る。  普段であれば相馬の隣は俺の席と相場が決まっているのだが、流石に姉を加えた席ではきちんとした客人扱いをする必要性を感じたのだろう。ビジネスに関わっている相馬らしい上座と下座を意識した席順に、「なんだか落ち着かないね」真優が周囲を見渡した。 「それで、どういった話をするつもりなのかな、望海は」  一同に紅茶を行き渡らせた相馬が、おもむろに口を開く。 「ああ、うん。俺と園崎さんの件について知りたそうだったから、話そうと思って」  腹を括ってこの場に赴いた俺だったが、いざその瞬間がくると、気弱さが顔を覗かせてきた。しっかりしろ。俺は自分を叱咤しつつ、ポケットからハンドタオルを出した。手のひらに掻いた汗を拭って姉の横顔を窺う。相馬に向けられている意志の漲る強い眼差しは、姉の覚悟の表れだ。  俺もしゃんとしなければ。首を相馬に戻した俺は、続きを口にすべく口を開こうとした。 「私と城石くん――いえ、私と『藤村瑞樹』の関係を知りたいのですよね」  瞬間、リビングに透明感のある澄んだ声が凛と響き渡った。  始まった。  俺は居ずまいを正した。久しく耳にすることのなかった自分の姓名(フルネーム)に動悸が逸る。直後、「藤村瑞樹?」と、眉を顰めた相馬が俺の名前を口に乗せた。同時に湧き上がってくる奇妙な感情。俺の名前である筈なのに、俺の名前ではないような感覚がある。姉に呼ばれるのとは異なる響きに、今更ながら、俺は自分が物語世界に転生してしまったのだと思い知った。 「そうだよ、相馬。それが俺の名前。城石望海の身体の中に在るふたつの魂の内のひとつの名前なんだ」 「どういう、意味?」真優が声を上げた。「だって、それじゃあまるで君たちは――」  博覧強記な真優は直ぐに俺たちの転生の可能性に思い当たったようだ。そこまで口にして、現実離れしたその可能性を認め難く感じたのだろう。口を横に引き絞って出掛かった言葉を飲み込むと、手にしたティーカップの中身を煽った。 「私は『藤村瑞穂』」真優に視線を動かした姉が言う。「園崎有栖の中に在るもうひとつの魂です」 「俺たちは真優の知恵を借りたいんだ」 「僕の知恵?」  疑わしそうな瞳が真優の眼鏡の奥から覗いている。そう。と、頷いた姉が俺の言葉を引き取った。 「私たちは元の世界では姉弟でした。私が姉、瑞樹は弟。ふたりで事故に合ったことで、下位世界に転生してしまったようです」 「下位世界――とは」相馬が尋ねてくる。 「二次元と言えば伝わりますか」  姉はどうすれば正しく話が伝わるのかを模索しているようだ。言葉を選びながら、慎重に話を進めてゆく。 「それはわかるけれども」真優が眼鏡の縁を押し上げる。「僕たちにはこの通り身体がある。紙に描かれた存在なんかじゃなく、きちんと動かせて物を考えることが出来る厚みのある身体だ。この世界だって書き割りじゃない。羽ケ崎市を出ても世界が続いている以上、その話を信じろっていうのは難しいよ」  どうやら真優は『二次元世界=物語世界=平面世界』と受け止めたようだ。彼らしくも様々な意識と知見が詰まった言葉を吐く。  どちらかというとお堅い書籍を好む真優だが、物語を楽しまない訳ではない。推理小説を読むのと同じ気安さで、稀にはライトノベルに手を出すこともある。「流行っている物には一応触れておかないとね。そうじゃないと視野が狭くなっちゃうでしょ」真優の言葉は、彼が読書をする理由が、ただの知識の収集では終わっていないことを表していた。そう、真優は読書を通じて世界を()りたいのだ。だからジャンルに関係なく、それらの知識が混ざった意見が飛び出してくる。 「その辺りを聞かれても、正直、俺たちには答えられないんだよね。気付いたらこの世界に生まれ変わってたんだし」  俺は頭を掻いた。むしろその理由があるのだとしたら、知りたいのは俺たちの方である。 「うん、うん。そうだよね。転生もののお約束だよね。気付いたら何かのキャラクターだった、ってヤツ。でも、困ったなあ。僕、望海が巫山戯てこんなこと言い出すとは思ってないんだけど、あまりにも突拍子がなさ過ぎて、どう向き合ったらいいのかわからないよ」  真優も段々と俺たちが言いたいことがわかってきたのだろう。緊張感を解くといつも通り、困った時の真優らしく、やや早口になって言葉を継ぐ。 「俺たちだってそうだよ。自我を取り戻したときは本当に混乱した。こんな展開、本当にある話じゃないだろうって思ってたもの」 「だよねえ」ティーカップを置いた真優が溜息を洩らす。「そりゃ僕の知識だって借りたいよね」  腕を組んで宙を睨み始めた真優に()ぎる沈黙。そこに割り込んできたのが相馬だった。「すまないが、私たちにもわかるように説明してくれないか」と、ティーカップを傾けながら有無を言わさぬ口調で言い放つ。  お堅い経営書や格調高い文学作品を好む相馬は、ライトノベルといった少年少女小説には縁がない。だからだろう。真優ほどには話が飲み込めていないようだ。眉根に皺を刻んで難しい表情をしている。それは料理本ばかり読んでいる一成や、読書をあまりしない一臣も同様だ。訳がわからないといった表情。眞だけはどうやら面白いと感じているようだ。五人の中で、唯一口元に笑みを浮かべている。 「あのね、相馬。それに他の四人も驚かないで聞いて欲しいんだけど、この世界は俺たちが元居た世界からすると、ある物語の中の世界になるんだよね……」  俺は相馬たちに言葉を尽くしてこの世界が俺たちからどういった位置にあるのかを説明した。  乙女ゲーム『エンジェルスフィア』のこと……BL同人誌『秘密の花園』のこと……俺と姉が事故に合ってから、この世界で自我を取り戻すまでの話もしたし、勘違いで明後日な努力を続けていたことも話をした。勿論、物語の筋書きに沿って予定調和的に話が進んでいることも話した。その上で、キャラクターである相馬たちが、物語の意に沿った考え方や行動をさせられているのではないかという疑念も口にした。  黙って俺と姉の話を聞いている相馬の顔が次第に渋面と化してゆく。それに微かな不安を覚えながら、俺は「――ということなんだけど、これで理解出来る?」と話を終えた。 「面白いな」  しんと静まり返ったリビング。その静寂を破ったのは眞だった。 「面白い?」俺は問い返した。 「面白いでしょ、こんなの。ラノベで転生ものって何作か貸してもらって読んだけど、転生した側が登場人物に助けを求める展開って読んだことない。何より望海が転生してきた人間だっていうのが面白い。俺、上位世界の人間と付き合ってるんだ。こんな刺激的な経験、死んだってそうそう出来るもんじゃない」 「でも、俺、本物の城石望海じゃないし」 「だから何?」眞が笑った。「俺が望海と知り合ったときはもう中身は瑞樹だったんでしょ。なら、俺が好きになったのは瑞樹の方だよね。これは予定調和じゃないよ」 「で、でも身体は望海」 「外見がどうこうって言うなら、男って時点で選択肢から外してるって。抱き心地の良さそうな女子、他にいっぱいいるし」  俺の外見を関係ないことと一蹴する眞に、俺は驚くとともに心を慰められた気がした。物語の筋書き通りに話が進んでいる現実は変わらなかったけれども、眞は眞なりの恋愛哲学で俺を選んでくれたのだ。それがわかって安堵する。 「確かに。僕も出会ったときにはもう瑞樹だったんだもんね。眞の言う通りだ。この恋心は予定調和じゃない」  眞の言葉で力が抜けたようだ。腕を解いた真優が、お茶請けのクッキーに手を伸ばす。  駅前にある洋菓子店『harvest』のハーブクッキー。セットは一日の販売数が決まっていて、大抵午前中で売り切れになってしまう。そのクッキーを食べながら、「ここのクッキー美味しいよね」と、のんびりとした口調で口にする真優は、すっかり余裕を取り戻したようだ。 「だけど俺が『城石望海』であることに変わりはないし」 「立場はね。でも中身は違うでしょ。それとも瑞樹は全てを望海に合わせてたの?」  真優に尋ねられた俺は首を振った。  断罪イベントを避ける為という大義名分はあったが、俺は俺なりにやりたいことをやって生きてきた。人に優しく、そして仲良く。それまで一部の生徒から酷評を受けていて、近寄り難くも感じられていた俺の評価が好転したのは、そうした振る舞いが評価されたからでもある。  真優との付き合いにしてもそうだ。本来だったら、望海の好きな詩や純文学を通じて親交を深めてゆくふたり。それがやれ推理小説だ、やれビジネス書だになってしまったのは、俺が推理小説ほど詩や純文学を面白いと感じられなかったからだ。  俺はそういった趣味まで無理に望海に合わせようとは思っていない。合わせてでも城石望海として生きようと思っていたら、ピアノやフィギュアスケートにしても続けていただろう。服装だってそうだ。もっと望海が好みそうなブラウスなどを身に着けている。  同級生との付き合いにしてもそうだ。  望海は俺と違って好き嫌いが明瞭(はっき)りしている人間だ。面白くない状況に陥れば拗ねたり腹を立てたりするし、気に入らない相手に対しては陰湿な気分になることもある。時折、襲い掛かる暴力的な衝動は、彼が鬱屈した感情をイジメで発散していたからでもある。そういった性格の望海に苦しめられながらも、俺は俺として生きるべく足掻いてきた。そこに望海に対する遠慮や忖度はない。 「なら、僕たちについては問題ないね。偶々筋書き通りになっちゃっただけだよ」 「いや、でも、そうやってどっちがどっちみたいに選ばれると、俺や姉さんは困っちゃうんだよね」 「困るの?」真優が瞳を見開く。 「私たちは出来ればひとつになりたいのよ。その為に知恵を貸して欲しいの」  姉が真優に説明を始める。俺の自意識が薄くなると望海が表に出てくること。姉が有栖の意に反する行動を取ろうとすると有栖が表に出てくること。特に、テストで間違えた答えを書こうとすると意識を飛ばされるという情報は、真優を驚かせたようだ。「成程。ふたつの身体にふたつの魂がある状態は健全じゃないものね」口に手を当てた真優が考え込む。 「思い付く方法はあるにはあるけど……でも、『ひとつになる』かあ。それは難しいかも知れないね」 「あるの?」 「うん。ただ、瑞樹たちが望んでいる結果にはならないと思う」  身を乗り出した俺に対して、真優はどこか憂鬱そうだ。「どちらかというと、この状況を僕たちが受け入れて、その上で各々瑞樹との付き合い方を考えた方が早いように思うよ」と、渋い表情を晒している相馬に視線を投げた。隣にいる一成も難しい表情をしている辺り、このふたりは俺に対して思うところがありそうだ。  ただ、一臣は違う。どこか納得した表情でいる彼は、俺を向くと犬のように無邪気に笑ってみせた。 「私は大丈夫ですよ、望海――いえ、瑞樹様」 「いいよ。様は取って。俺は望海じゃないんだから」 「ですが、瑞樹様が望海様として生きてこられたのに違いはありません。むしろ私が監視役となるきっかけになったあの出来事は、瑞樹様の意志であったのでしょう。でしたら、私が主人として仕えているのは、ずうっと瑞樹様の方であったということになります」 「あれ? 一成と一臣って、誘拐事件から一緒なんじゃないの?」  真優の問いに俺は本当の理由を答えた。  どうにかして断罪イベントを避けられないかと、ひとりで生活出来る道を探して家を飛び出したあの日。今思えば中学生を雇ってくれるところなどないに等しいことがわかるのだが、当時の俺は記憶が戻ったばかりだということもあり、成人男性としての意識が強かった。家を出さえすれば絶対に何とかなると思っていもした。それが結果、一成と一臣と俺の結び付きを強くしてしまったのだから不思議なものである。 「あはは。何だか瑞樹らしいねえ」 「すっごいわかる。瑞樹、そういうところ一直線だし」  笑う真優と眞に「果報者ねえ、あなた」隣にいる姉がしみじみと呟いた。「もっと話が拗れると思っていたわ」  恐れていた世界の崩壊も起こらなければ、彼らがそこまで激しく混乱することもない。拍子抜けしたと言ってしまうと身も蓋もないが、俺はそういった気分でいた。俺としては、もっと話が紛糾することを覚悟していたのだ。だってそうだろう? 俺は城石望海の皮を被った藤村瑞樹だ。城石望海に愛情を捧げる彼らが、どうしてその現実に物を思わないなんてことがあるだろうか。 「そう言われてしまうと、自分の意見が言い難くなるのですが」  その直後、一成の言葉が響いた。  目の前のティーカップに一度も手を付けずにいたようだ。たっぷりと紅茶が満たすカップからは、話を始めた当初に立ち上っていた湯気が消えてしまっている。 「どうぞ、一成。言いたいことは言って」 「何か証明出来る話はありませんか? 例えば私たちが知らないこの世界の事実といった……その、疑うつもりはないのですが、あまりにも話が常識の範囲を超えてしまっていて……」 「そうね。全くその通りだわ。なら、この話をしましょう。理事長の正体について」  神妙な面持ちで頷いた姉の言葉に、座の一同の表情が動く。  俺に語って聞かせたように、姉は理事長が神代学園の理事長に収まるまでの経緯を語った。文部省時代の激しい恋とその顛末は、井之頭恒造が絡んでいるだけに信憑性が高いと受け止められたようだ。「成程……それで……」と、一成が納得した様子をみせる。 「ただ、この話は知らない態でいて欲しいの。私もそのつもりで生きているし、理事長も私が知っているとは思っていないから……」  姉なりに理事長には思うところがあるのだろう。伏せた睫毛が微かに震える。  それに心を動かされたのだろう。「勿論」と、眞が口にした。しんみりとした空気が辺りに満ちる。「いつかは親子の名乗りを上げられるといいな」眞の言葉に姉が目元を軽く拭いながら頷いた。 「とはいえ、だよ」湿った空気を吹き飛ばしたのは相馬だった。「それは君が両親などから聞ける話でもある」  ようやく口を開いた相馬に、俺は心臓を鷲掴みされたような息苦しさを味わった。  俺たちの話が信じられないのか、それとも俺が城石望海ではなかったことが引っ掛かっているのか。いずれにせよ、蒼井相馬は俺たちの存在に納得がいっていないようだ。長い付き合いの中でも初めて見ただろう厳しい視線が、俺と姉とに向けられている。 「それはそうだね」 「それに私は望海との付き合いも長い。それが中身を変えていたと知って、直ぐに気持ちを切り替えられるほど薄情でもない」 「全くその通りだわ」  自分の感情を抑え込んでいるのだろう。相馬の声が厳に響く。  座が再び静まり返った。  当たり前だ。俺は相馬の胸中を思った。彼は望海が男でもいいと考えるほど、幼い頃から望海に惹かれていたのだ。それが中身を違えていると知って、どうして冷静でいられたものか。確かに、彼が望海に対する恋心を自覚したのは、自身の誕生日パーティにおける俺の行動であった。けれども、それは最後のひと押し――コップの中に収まっていた水が溢れ出る役割を果たしたに過ぎなかったのではなかろうか。  だから彼は怒っている。  俺に。或いは、自分自身に。 「中にいる望海様を表に出すことは出来ないのですか。望海様に話が聞ければ、少しは……」  相馬が発している剣呑な雰囲気(オーラ)をとりなそうとしているのだろう。一成が妥協案らしきものを口にする。  だが、それは無理な相談だ。俺は静かに首を振った。 「俺の自我が弱まらないと出て来られないんだよ」 「そうですか……」  残念そうに俯く一成の隣で、硬い表情を崩すことなく相馬が口を開く。 「一成もまだ混乱しているようだ。ここはゆっくり考える時間を取ろう。少なくとも私にとっては、今日の今日でどうこう決められる話でもない。考えが決まったら話をさせてくれ」  異を唱えられる筈がない。俺は相馬の言葉に頷いた。 「ごめんなさい、相馬。ずっと、嘘を吐いていて」  胸の中に渦巻く望海の感情は、恐らく俺に対する怒りであるのだ。相馬の愛情を受け入れておきながら、ここに至るまで相馬に真実を話すことなく、遣り過ごしてきてしまったことに対する。  それが結果、相馬を苦しめることになってしまったのだ。相馬に依存し、傾倒している望海がこの状況に怒りを覚えない筈がない。  ……それとも、自分が表に出られないことに対する怒りであるのだろうか。  だとしたら、本当に申し訳ないと言うより他ない。望海にだって、自分の口で話をしたいことが多々あることだろう。相馬や一成だってそうだ。俺がこうして表に出てくる前の望海を知っている彼らは、望海自身と話が出来たらと思っているに違いない。けれども、それは俺の意志では出来ないことなのだ。  罪悪感が胸を縛り付ける。  いずれにせよ、悪いのは俺自身だ。藤村瑞樹であることを誰にも打ち明けずにきてしまった俺。だから俺は相馬に対して謝罪をした。「ごめんなさい。そして申し訳ありませんでした」それをどう受け止めたのかわからない。いや――と、首を振った相馬が、幾分和らいだ表情で俺に顔を向けてくる。 「突拍子もない話だ。君が口に出来なかった気持ちは理解しているよ。ただ……すまない。私は自分の気持ちが誰にどう向いているのかが、わからなくなってしまったんだ」

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