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第十三章 終わりの始まり(2)
それから、俺は毎日望海に話しかけるようになった。
朝や夜の挨拶は勿論のこと、食事のときには美味しいかを尋ねたし、何かをしたときには楽しいかを尋ねもした。その都度、震える心。何を言っているのかはさっぱりだが、望海が返事をしてくれているのは伝わってきた。
望海だって表に出たいのだ。
だから俺は根気よく望海に話しかけ続けた。一成や一臣のこと、相馬のこと、望海にとっては直接的な交流のない眞や真優のことも話した。月曜日の真優、火曜日の一臣、木曜日の眞とは、放課後に一緒に過ごすのを続けていたので、そのデートの最中に、彼らのことをどう感じているかも訊いてみた。彼らが俺を選んだからだろう。初めの内の望海はちょっと怒っている風だったが、だからといって、以前のように陰湿な気分にはならないようだ。少しもすると俺と一緒に彼らとのデートを楽しむようになった。
姉とは週末ごとに出掛けた。
バンジージャンプにスカイダイビングは勿論のこと、調べて行きついた防災体験にも挑戦した。娯楽要素の強いアクティビティとは異なり、防災体験は日常の隣にある危機的状況を疑似的に体験する施設だ。そういった真面目な場所を、幾ら困った状況にあるからとはいえ、個人的な目的の為に利用するのには抵抗があったが、ひとつに戻りたいという目標の為には四の五の言ってもいられない。俺と姉は割り切って震度七の地震体験に挑戦した。
これまでの常識が全て引っ繰り返る強烈な揺れ。身体が地面の上を滑るのが当たり前な状態は俺たちをパニックに陥らせた。自分の身を守らなければならないのに、身体が動かせない。あまりの揺れの激しさに死ぬんじゃないかと俺は本気で思ったのだが、矢張り本当の命の危機ではないからだろうか。終わっても足の震えが止まらない有様だったにも関わらず、何の変化も訪れなかった。
「やっぱり疑似的な体験では駄目なのかしら」
「でも、本当に命を落とすような真似は出来ないよ」
次は何に挑戦すべきなのか。俺と姉が早くも悩み始めた矢先、金曜日の一成が「久しぶりにデートをしてもよろしいですか」と、俺を誘ってきた。
向かったのは羽ケ崎海岸の展望台。俺と一成が初めてデートをした場所だ。
「あまり良くない天気で申し訳ないのですが」
「いいよ。それよりも誘ってくれたことが嬉しい」
十一月に入った海は大分淀んでいた。どんよりと厚く空を覆う雲。海向こうから吹いてくる冷たい風が顔を刺す。
「冬の足音が聞こえてきたね」
「本当に。このままだとあっという間にクリスマスですね」
この三週間の一成は、俺の監視役を務めてくれてはいたものの、あまり会話をしてくれない状態だった。学園の休み時間なども、他のクラスメイトと話をする為に席を外してしまう。家でもそうだ。口数の少ない食卓。当たり前にあった家族のような関係が壊れてしまったことに、俺は正直、かなり打ちのめされていた。
それがこうして普通に話をしてくれている。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。ああ、やっぱり俺は一成も好きなんだ。多情な自分にも呆れはするも、自分の気持ちに嘘は吐けない。だから俺は少しばかり怖かった。何を言われるのだろうかと。
デートと言って誘ってくれた以上、悪い話ではないのだと思ってはいる。それでも不安は拭えなかった。いい話が聞ければいい。俺は三週間もの間、ひとり悩み抜いた一成の結論が聞けるのを待った。
「私は望海様の傲慢なところが好きでした」
ややあって、一成が語り始める。
寒さが勝るようになってきた展望台には俺たちしかいなかった。潮騒が遠く、そして近く鳴り響いている。髪に絡む潮風。磯の香りを運んでくる風に晒されながら、海に面した柵に腕を預けている一成の横顔は、少しばかり寂し気だ。
「リーダーシップを発揮する為には、かなりの我の強さが必要になります。だから私は、将来的に社長の会社を継がれることになる望海様はそれでいいと思っていました。気に入らない人間を仲間外れにしたりするのもそうです。綺麗ごとだけでは会社は守れないと父から聞かされていた私は、浅はかにも、そういった望海様の姿勢に肯定の姿勢を貫いてしまいました」
「そっか。そうだよね。好きな部分がなければ、望海と一緒にはいられなかったよね」
俺は少しだけ安堵した。
ゲーム『エンジェルスフィア』における一成と一臣の存在は、俺にとっては不思議なものだった。最終的に望海を告発するふたりは、けれども、それまで望海が犯す罪を間近にしながらも、強く止めることもせずに傍に居続けたのだ。無論、親同士の会社での力関係もある。一成や一臣が望海を止めようとしても止める切るのは難しかっただろうし、彼に顎で扱き使われるような関係を改善するのも難しかっただろう。
だが、分別が付くようになった高校時代はさておき、彼らの付き合いは小学生にまで端緒を遡るのだ。まだそういった力関係が上手く飲み込めない小学生の内から、何故彼らは望海の我儘を許してきたのだろう。
俺はそこに彼らの好意があったのではないかと思っていた。
悪者に描かれがちな望海だったが、純度100%の悪ではない。物言わぬ生き物に優しい描写は原作からだ。ましてやここは独自解釈が闊歩する同人誌の世界。俺の知らない魅力が『秘密の花園』の望海にはあったに違いない。それを一成と一臣は見てきていたのではないか。そうでなければ、監視役として四六時中一緒にいられもしまい――一成の言葉から、俺はその予想が当たっていたことを覚る。
「そう言っていただけるのですね」
「うん。良かった。一成が望海を好きで」
「ですが、私はあなたも好きなのですよ、瑞樹様」俺を振り返った一成が、俺の髪に手を伸ばしてくる。「望海様が変わられて、私は寂しさを感じる半面、安堵しもしました。望海様の全ての行為を肯定していた私ではありますが、正直なところ、望海様が他人に辛く当たられるのには物思う部分がありましたから」
乱れた俺の前髪を整えながらそう言った一成は、続けて俺の頬を撫でながら言葉を継いだ。
「決して理不尽に弱い者を虐める人ではありませんでした。ただ、我儘放題に育てられたからでしょう。望海様は自分に対する意見や指摘に対して、自分の言葉で反論をするのが苦手な方でした。だから腹を立てると、仲間外れといった意見を言わずに済むやり方に逃げてしまうのです」
「うん、そうだね。そんな気はしていたよ」
「あなたは本当にお優しいのですね、瑞樹様」
まるで俺の中にいる望海を見詰めるような眼差し。彼は俺だけではなく、俺と身体をひとつにしている望海にも話しかけているようだ。
「だから私は選べませんでした」
頬から滑り落ちた一成の手が俺の手を取った。目の前に掲げられた手の甲に、一成がゆっくりと口唇を落とす。
「もっとあなたが怒ってくだされば、私はどちらかを選べました。当たり前です。私があなたの立場に置かれていたら理不尽さに腹を立てて自暴自棄になったことでしょう。だのにあなたは怒りもせず、ただ、望海様とひとつになりたいと仰った」
「一成」
俺は一成の目鼻立ちのはっきりとした顔を見詰めた。
悩み、迷い、眠れぬ夜を過ごしたのではなかろうか。一成の特徴的な瞳はうっすらと赤かった。
「以前、言いましたよね。一生お傍におりますと」一成の腕が俺の身体を包み込む。「改めて言わせてください、瑞樹様。私をあなた方のお傍に置いてください。どちらがではなく、おふたりの傍に」
「頑張るよ、俺」俺は一成の背中を掴んだ。「必ず望海とひとつになってみせる」
「申し訳ありません。どちらかを選べなくて」
「いいんだよ。それが一成の選択なんだから」
ここに至るまで、自問自答を繰り返したことだろう。様々な思い出を振り返ったことだろう。望海の言葉を聞きたいと言った一成は、望海に本心を確かめることが出来なかった。だから彼は辛いのだ。どちらを選ぶことも出来なかった自分が。
「すみません、瑞樹様……」
言葉を詰まらせた一成が、俺の髪に顔を埋めて小刻みに肩を震わせる。
俺は無言で一成の背中を摩った。今はただ、静かに泣かせてやりたい。俺は悩み抜いた一成を労わる気持ちを手のひらに込めた。
「望海様は寂しがりやなのです、瑞樹様」
ややあって、一成が顔を上げた。
「傲慢な振る舞いも、裏切られることが怖いからだと私はわかっています。そういったところが愛おしくて仕方がありません。対してあなたは優しい。私たちの全てを受け止めてくれる優しさに満ちている。そこが私には堪らなく愛おしいのです。どちらがどうではなく、どちらも同じように」
「ありがとう、一成。俺を好きだと言ってくれて。そして、望海のことも」
「いいえ。私の我儘を許してくださり、有難うございます」
鳴り響く潮騒が、静かに、沖へと引いていったような気がした。
俺はそれから一時間ほど展望台で一成と話をした。話題は一か月先に迫ったクリスマスだ。例年、望海はこの日を家族と過ごしてきている。「今年は賑やかなパーティにしたいものですね」全員が顔を揃えるクリスマスを希望する一成に、俺はまだ自らの気持ちを決めかねている相馬を想いながら、「そうだね」と、頷いた。
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