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第十三章 終わりの始まり(5)

 ぐるりと世界が回ったような気がした。左右が入れ替わり、色が変わる。同時に、相馬たちの動きが止まった。  そこに広がるのは写真のネガフィルムのような景色だった。シアンに染まった肌。カメラで一瞬のモーションを切り取られたかのように動きを止めた相馬たちの中央に、ほっそりとした立ち姿の少年が立っている。  顔は同じだが、筋トレを続けた俺とは自分の容姿の認識が異なるのだろう。反転した世界にあっても色鮮やかな姿は、俺よりも一回りは細く、まさしく線の細い美少年といったいでたちだ。  ――やっと、会えたね。  俺を見てにっこりと笑った望海が口を開く。  望海と会話を試みるようになってから俺の中にイメージとして存在するようになったハイトーンボイス。鳥の囀りを思わせる清らかな声が、俺の脳の中に直接響いてきた。  ――望海、だよね。  ――君の中に俺以外が存在していたら、俺こそ教えて欲しいんだけど。  そういってくすくすと笑う望海に、それもそうだと俺は頭を掻いた。  ――ここが、望海の見ている世界?  ――ううん。多分、エンジェルスフィアが見せている世界なんじゃないかな。こんな色のない世界にずっといたら発狂するよ。  ――そっか。良かった。望海がいつもいるのがこの世界じゃなくて……。  そうでなくとも表に出ることが出来ないのだ。その上、景色までこういった味気ないものに変わってしまっていては、望海自身が口にしたように発狂してもおかしくはない。だから俺は安堵した。望海が見ている世界が俺と同じであるらしいということに。  ――お人好しだよねえ、君。そういうところ、ホント、良くないよ。  呆れたように言葉を継いだ望海の顔に浮かぶ苦笑。けれどもそれは苦々しいというよりも、幼児の悪戯を微笑ましく感じる親のような表情だ。  ――ごめん。でも、望海は表に出られないんだし。  ――これからはそれも変わるんだから、もう、俺に負い目を感じるのはなしだよ。  ――俺たち、ひとつになるの?  ――そう望んだのは君たちでしょ。これでなれなかったら、俺、全部滅茶苦茶にするよ?  そう言って、あはは。と、望海が笑う。  けれども俺は望海の言葉に引っ掛かりを感じた。『君たち』という言葉には望海の意志は含まれていない。もしかすると望海は俺とひとつになる気はなかったのではないか。それを俺たちは無理矢理ひとつにしようとしているのではないか――不安が胸を過ぎった俺は望海に尋ねた。  ――望海は俺とひとつになりたくない?  ――最初はね、巫山戯んなって思った。俺を奥に押し込めておいて何を言ってるんだってね。  ――そうだよね、ごめん。  ――ほら、また俺に負い目を感じてる。そういうの良くないって言ったよね。ホント、君はイイ子ちゃんなんだから……。  俺の直ぐ目の前まで歩んできた望海が、俺の顔を覗き込んだ。  ――大丈夫だよ。今の俺は納得してる。  ――本当に?  ――うん。お人好しの君には俺みたいな人間が必要でしょ。ね、イイ子ちゃんの瑞樹クン。  口は悪いが、本当にそう思っているのではなさそうだ。望海の手が俺の頬に触れてくる。  ――本当は、俺、君みたいな人間大嫌いなんだよね。誰にでもいい顔して、誰とでも仲良く出来ちゃう。すんごい八方美人。  ――うん、まあ、そうだね……。  自覚があるだけに言い返せない。俺は望海の指摘に頷いた。  ――しかもお人好しときてるでしょ。貧乏くじを引かされるタイプだよね、君って。俺はそういうの大嫌い。別に今以上に特別な立場に自分を置きたいって訳じゃないけど、人に都合良く使われるのって嫌じゃない? 君は俺に何を返せるの? 的な。  ――そこまでは考えたことないよ。考えていたら人に親切は出来ないでしょ。  ――そういう考えは良くないね。搾取を生むよ。  望海の言うことにも一理はある。  前世の俺は、強く言い返せない性格が災いして、厄介ごとを押し付けられることが多かった。それが嫌になった俺は、厄介ごとを押し付けられないように、そこから距離を取るようになった。それでも巻き込まれることは多々あったが、厄介ごとが日常だった学生時代に比べれば、大分落ち着いたように思う。  社会人になった俺は、少しずつ、会社という小さな社会の中で処世術を学んでいったのだ。  それをこの若さで、望海はきちんと理解出来ている。生まれや性格が違うとこう考えるようになるのだ。俺は素直に感心した。  ――望海は偉いなあ。俺はそこまで考えられなかった。  ――そういうところなんだよね、ホント。イライラする。  ――ごめん。  ――あ、そういう意味じゃないよ。放っておけないって意味。  ゲーム『エンジェルスフィア』の望海はさておき、『秘密の花園』の望海は小悪魔的な魅力のあるキャラクターに描かれていた。毒のある言葉は吐くが、根本的な部分で悪人ではない。そうしたキャラクター造形の影響だろうか。三年もの歳月を俺に奪われた筈の望海は、けれども俺に文句を言うことがない。  ――大体、君、お人好し過ぎるんだよね。困ってるのは君だって一緒でしょ。しかも君にとってのこの世界は、知ってる物語の世界な訳でしょ。なのに俺の人生がどうとかさ……人の心配をする前に自分の心配をしろ、って親に教わらなかった?  ――いや、まあ、うん……。  ――ちょっと! ホントは俺より年上なんでしょ。しっかりしてよ。  そう言ってまた笑う望海に、俺は何だか泣きそうになった。相馬たちは優しい。甘いオブラートで俺を包み込んで、俺のことを守ろうとする。けれども望海は違った。俺を彼なりの言葉で叱咤激励してくれる。  ――はは、本当にそうだね。しっかりしないと。  ――まあ、俺と一緒になれば、そんな心配はしなくていい訳だけど。だって俺は君ほど優しくないからね。足して割れば丁度いい人間になれるよ。  ――頼もしいなあ、望海は。  ――俺は容赦しないからね。相馬たちだって引っ張り回してやるんだから。  爽快な笑顔。俺の頬から滑り落ちた手が、俺の手を掴んだ。  ――覚悟は出来てる?  ――勿論だよ。  そのときがきたのだと感じさせる望海の言葉に俺は力強く頷いた。そして、俺の手に重なっている望海の手を強く握り返した。  ひとつになった後の人格に感じていた不安はもうない。藤村瑞樹と城石望海は、お互いの欠点を補い合う新しいキャラクターに生まれ変わるのだ。それが望海と話をした今の俺にとっては楽しみで、そして待ち遠しい。  ――最後にひとつだけ言わせて。  ――なに、望海。  ――君のお陰で俺は自分の良くない部分がわかったよ。それには本当に感謝してる。だからもう心配しないで。俺たちはちゃんと世の中と上手くやっていける人間になれるから。  望海が俺の額に自分の額を突き合わせてくる。行くよ。そう言って目を閉じた望海に合わせて、俺もまた目を閉じた。触れ合う肌からお互いの熱が溶け出してゆく。  俺の中に望海が入り込んでくる。  同時に、望海の中に俺が入り込んでゆく。  俺は固く瞼を閉じた。  ――じゃあね、瑞樹。そして、これからよろしく!  それが、俺が望海とした最初で最後の会話の、望海の最後の台詞だった。

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