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第10話 えもいえぬ恐怖

 クエストのほうは順調に進んでいた。  教会の修繕は外側をペンキで塗れば完了するところまでたどり着き、あとは礼拝堂の椅子や神事の棚などを残すのみだ。  ただ、せっかく滞在するなら居心地をよくしたいと考えて、先に居室を整えることにした。既製の金具やファブリックなどをヨハネスに頼み、俺は椅子や寝台などをつくり始めている。  村のほうはというと、水害の次は竜巻が起きて災難続きの様子だったが、騎士団たちは熱心に家屋の修繕や収穫の手伝いをこなし、病気に罹った家畜の世話をしながら、住民同士のいさかいを取り持ったりと、本来なら主人公たちがすべきことを人海戦術を駆使して短時間で処理してくれていた。    ということで、最後の仕上げに取り掛からなければならないわけだが、こちらは逆に難航してしまっている。  ミヒャエルはユリアーネに気がある様子なのに、ユリアーネはオイゲンとなにやらいい感じで、どうしようにも上手くいかない。  騎士団たちは多忙の極みで色恋沙汰どころではないし、もういっそのこと俺とヨハネスが、と考えるほど煮詰まっていた。  しかし、前世を含めてのファーストキスを部下(アホ)と交わす羽目だけは絶対に避けたい。それと比べたら、自分の血を利用するほうがマシだと考えて、『魔王の血清』をつくることに決めたのである。  人の恋路を邪魔するのはよくないかもしれないが、俺は魔王だ。悪の親玉が、過疎村のカップルの破滅を気にして不快な思いをする必要などないだろう。 「うげえ」 「魔族のくせにグロ耐性がないのか?」 「グロタイセイ?」  ヨハネスに頼んで、すぐさま必要な道具を用意してもらった。受け取ってさっそくナイフで腕に傷をつけ、溢れ出る血を漏斗から小瓶へと滴り落としていた。  採血したものを高度な魔法で精製する予定だったのだが、呆れるほど時間がかかる。  血の匂いと色さえ誤魔化すことができれば、最悪そのまま飲ませればいいわけだから、ともかく用意はしておくべきだと考えた。 「あと、この布団はどうすればいいですか?」 「ああ、二階に部屋が二つあるから、それぞれの寝台に敷いておいてくれ」 「それって、ラスベンダーとフランツ様の部屋ですか?」 「そうだ。数日中には神官が来るってんならそこまでする必要なんてなかったが、つくってしまったからには完成させたいだろ」 「まさか敵と隣り合わせで寝ることになるとは思いませんでしたね」 「まったくだ」  教会が完成してきたというのに、外でテントを張り続けて欲しいと言えず、ミヒャエルの部屋も設えることにしたのである。鍵をつければ、むしろ安全だと思ったのだが、壁を隔てた向こうに仇敵がいては熟睡などできるはずがなく、実際のところ毎日寝不足でつらさに変化はなかった。   「あ、そろそろ時間ですね」 「ああ。ごくろうさん」  空が赤く染まりだしたため、ヨハネスは王都へと去っていった。  それを見送りながら、治癒の術をかけて傷を治し、採血用の道具を片付けた。 「お疲れ様です」  十分と経たずに、爽やかな笑みを見せながらミヒャエルが帰ってきた。  このミヒャエルに好意を寄せられて、なぜ村長の息子のほうを選ぶんだ? 確かにオイゲンもいい青年ではあるが、ミヒャエルの魅力はレベルが違う。  美貌だけでなく、騎士としても国一番の腕を持ち、それを傘にせず誰からも慕われ、優しく気遣いができて、実直なうえに利他的な精神を持つ、攻略対象者の中でも人気ナンバーワンの男だぞ。しかも最近は貴重とも言える笑みを惜しげもなくふりまいているのだから、彼になびかない理由などないと思う。 「今夜はワインももらってまいりました」    ミヒャエルは籠を持ち上げ、笑みをたたえたまま教会の中へと入っていく。 「ワインとは豪勢ですね」 「ええ。トイファー神官が二度と村へ下りないよう説得するために、上等な酒の力を借りようと考えまして」  なんとも答えづらいことを言われながら、二階へとあがるミヒャエルを追う。  魔法で書き物机と椅子、そしてベッドをこしらえて、ヨハネスから布団を持ってきてもらったそこは、ちょっとした居室になっている。  ミヒャエルはベッドのシーツをなでながら「いったいどこで?」と首をひねった。 「あ、えーっと、古くなったものをいただいたので、洗濯をして繕ってみたのです」 「……それは、どなたから?」 「あー、……ベルツ様です」  適当に村はずれのじじいの名前を出すと、ミヒャエルは小さく唇をすぼめた。  ユリアーネやオイゲンの名を出したらいけない、と本能的に感じ取ったのだが、正解だったようだ。   「その腕の傷はどうされたんですか?」  ミヒャエルの目は、腕まくりをしたままの俺の左腕に向けられている。そこには、採血をするべく腕を切り、治癒したばかりの傷跡が残っていた。 「あ、えっと……以前の古傷です」 「古傷?」    ミヒャエルはくすっと笑い声を漏らした。  いつも彼のする微笑は惚れ惚れとさせられるのに、なぜか今は薄気味悪く感じて、ぞっとしてしまった。 「半日の間についた傷を古傷と呼ぶなんて、おかしいですね」  半日って、その間についた傷であるとなぜ知っている?  ミヒャエルのまえで腕まくりをして見せているのは、今が初めてである。これまでは長袖のまま素肌をさらしたことなどなかったというのに。 「わたしのために使うのであれば、そんな必要はありませんよ」  理解の難しいことを言いながら、ミヒャエルは俺の腕をとり、傷口を撫ではじめた。 「もう、治っている傷ですから……」  行動も言動も意味がわからなくて怖過ぎる。なんなんだよ、いったい。   「ええ」 「あの、夕食を取りましょう」 「夕食……のほうがいいですか?」 「……もちろんです。空腹ですから」 「空腹なんですか?」  なぜ、いちいち問い返してくるんだ?  苛つきながら、ミヒャエルが床に置いた籠をとり、中身をテーブルのうえに並べることにした。  最近は豪勢な食事ばかりで、今日はさらにワインもあると聞いて楽しみにしていたのに、日が沈み始めている。妙な会話に気を取られて時間を食っていては、ゆっくり味わえない。 「そんなに急いで口に詰め込むと、むせてしまいますよ?」 「ええ、ですが……空腹ですし、疲れていて眠いのです」  味わうどころではなくがっついている俺を嬉しげに眺めながら、ミヒャエルはゆったりと食事を進めていやがる。 「告解の件ですが、それも教会が完成してからということで説得しておきました」 「え、ということは、わたしは神官としてやるべきことはないと?」 「いえ。教会の修繕という立派な仕事があります」 「そうですけど……」 「ですから、トイファー神官は村へ下りてくる必要はいっさいありません」 「いっさい、ですか?」 「ええ。人恋しいようでしたら、わたしがおそばにおりますので」  おまえは多忙の極みだろうが。なんで俺が村へ下りるのを頑なに止めようとするのか。恋敵は俺じゃなくてオイゲンなんだから、そっちに注意を払ってろよ。  脱力する会話をしている間にも、日はどんどんと陰っていく。俺は仕方なしに急いで食事を詰め込み、眠くてたまらないという演技をして自室へと逃げこんだ。  ドアを閉める寸前に術が解け、ギリギリセーフどころか、見ようによっては完全にアウトだった。  こんな心臓に悪いことを続けていては精神が持たない。  明日にでもユリアーネに『魔王の血清』を使って、ミヒャエルと二人で呼び出し、教会の中でキスをしてもらおう。  さすれば神が宿ってクエストは完了し、あとはエルンストを待つばかりである。  エルンストは神事の道具だけでなく、ノーフに駐在する神官も連れてきてくれるため、来たらいつでもおさらばできる。  いつでもと言わずに、すぐにでもおさらばしたい。俺は疲れ果て、早いところ元の姿に戻って、ゆっくり休みたくてたまらなかった。 「トイファー神官」  ドアにもたれて脱力していたところ、ミヒャエルの声とともに、背中にノックの振動があった。 「……はい」 「ワインが残ってしまいましたが、おやすみ前にもう少しいかがですか?」 「い、いえ、もうかなり酔っておりますので」  声がトイファーのそれではないため、近づけようとして震えてしまう。 「酔っていらっしゃるのは大変ですね。着替えなどのお手伝いは必要ですか?」 「結構です。おやすみなさい」 「いつでもお声掛けください。なんでしたら、壁を叩いてくださるだけでも駆けつけますから」  いやいや、鍵はどうするんだ?  嘘ではないにしても、それほど心配しているというのを誇張に表現しただけだと思ったが、施錠されていても関係ないということかもしれない。  騎士の腕をそんなこそ泥まがいの行為に使うなよと呆れつつも、やつならやりかねないと思えて、笑えない。    最近ミヒャエルに対して、えもいえぬ恐怖を感じている。  それは、戦闘になる場合を恐れているわけではなく、前世の記憶から逸脱した態度を取られているからだ。  一度負けた身であるものの、今この地でミヒャエルと戦うなら善戦する自信はある。前回は、聖女アグネスを筆頭に、五人のパーティで俺と対峙していたのだから、一対一なら話は変わってくるはずだ。ミヒャエルの寝首をかいて魔法で焼き殺すなり、爆殺することもできると思う。  しかし、俺の目的は殺戮ではなく世界征服である。  クエストを進めているのも、その目的のために、アグネスが得るはずの信頼を得て、逆に彼女の信用を落とすためだ。  今やその山場であるというのに、重要な役割を担っているミヒャエルが理解不能な態度を取っていては、攻略に影響が出かねない。  というか、自分のつくりあげたキャラが別人のように感じられるというのは不可解極まりなく、俺の知らぬところで未知の力が働いているのではないかと考えてしまって、恐ろしいのである。

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