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第36話 安堵のつもりが荒れ模様
日が落ちれば術が解けてしまうヨハネスに、夜這いのような真似はできない。そのため、まだ馬車で移動しているミヒャエルたちが休憩に入った頃を見計らい、伝達魔法で誘い込んで、森だか草陰だかで襲いかかる計画を立てたようだった。
変化の術は皺の形状からほくろの数まで、術をかけた瞬間の相手に成り切ることができる代物で、見た目には疑いようのないほどそっくりに仕上げることができる。
技術としては完璧だ。だから、問題は中身である。あの大根演技しかできないヨハネスが上手く演じられるか、そこだけが難点だ。
ミヒャエルのほうは問題ないだろう。独占欲が強く、前世から執着し、俺にベタ惚れであったとしても、それは欲望のはけ口であるだけで、見た目が俺でさえあれば構わないはずだ。なんせ、俺の中に別人の記憶があっても愛しているくらいなのだから。
などと、考えてなんになる。
知ったこっちゃない。どうでもいい。勝手にやれ、だ。
脱獄して以来初めて一人になれる、この機会を楽しむべきだ。
悠々と寛いでいればいい、そのはずが、なぜか俺は無自覚にも透過術をかけ、飛翔の術でハルシュッフへと至る馬車道を辿っていた。
エルンストやミヒャエルから頂戴した保存食を大盤振る舞いし、ワインを片手に、どこぞの景色のいい川辺で、釣りなんかをしながら穏やかな時間を楽しむ。そう思い描いていたはずが、何一つ実行しようとせず、なぜかすぐに後を追っていた。
そして、はっと気づいたときには、馬に跨った騎士団と、それに続く馬車の隊列が見えてきたところだった。
せっかくの機会を無駄にしたばかりか、既にハルシュッフに到着していたというのに、後退してまでこんなところへ来るなんて、無意味極まりない。
最初は確かに動揺を覚えた。しかし安堵したはずだった。そのはずが焦燥に変わり、思考と行動が剥離している。
水場に立ち寄った騎士団たちが見える位置に降り立ち、ミヒャエルの姿を探してしまっている。ミヒャエルじゃなくてもヨハネスだけでも、と願っている自分がいる。
なんなんだ俺は。
またもミヒャエルに振り回されている。
気になって仕方がないのは、上手くいくか心配だからだろうか。
だとしたら早いところ見つけ出して、あいつらの痴態でも眺めて、やれやれと呆れながら、悠々とすべく戻ったほうがいい。
そう思いながら、がやがやと賑やかしくしている騎士団員の間を縫うように歩いていた。
さすが一斉摘発するためか、ハルシュッフ付近の騎士団と合流するであろうに、本部の騎士団からも五十人規模の小隊が来ている。
一人一人注意深く顔を見定めつつ、満遍なく見てみるも、ミヒャエルの姿はない。では友人といるかと思えば、ライナーは一人、わざわざお湯を沸かしてお茶を飲みながら岩の上に休憩しているだけだ。
十分ほどきょろきょろとしていたが見つからず、どうしようと悩む……こともせず、トイファーに扮してライナーに話しかけた。
「クッシュ様」
「あれ? トイファー神官? どうなされたのです……いえ、野暮なことでした。ミヒャエルを追ってこられたのですね」
「え、いや……まあ、そう問われれば否定しにくいのですが、実はクッシュ様方が出発されたあとに、この近くのリュクリラ村に使いへ行くよう申し付けられてしまいまして」
「リュクリラ村ですか? それにしてお早いご到着ですね」
「いえ。身軽に行って戻るだけでしたので。それで、騎士団の隊列を見かけたものですから……」
苦し紛れともとれる説明であったが、一度俺に疑念を覚えて面倒なことになったせいか、ライナーは信じようとしてくれたようだった。
「そうでしたか。ですが、ミヒャエルは今おりません。ここへ着く前に付近を見回ると行って先に駆け出して行ってしまったのです。合流する予定で待っているのですが、あいつが来ない限り出発できないというのに、一向に現れずわたしたちも困っているところなのです」
となると、ヨハネスは上手くいったのかもしれない。
野外でやるにしても数十分はかかるであろうことを考えると、ライナーが焦るほど戻ってこないことも頷ける。
「……そんなに心配されることはないと存じますが」
「えっ?」
「お顔が青ざめておられるようですが、あいつは国一番の騎士です。魔王にでも出くわさない限り手間取ることすらありませんよ」
「え、ええ……」
その魔王に出くわして、手間取るようなことをしている、だなんて話せるはずがない。
「トイファー神官は本当に神官の鏡のようなお方ですね」
「はあっ?」
「いえ、一度あなたを魔王だなどと疑ってしまったわたしが申し上げられる立場ではありませんが、神官としてご立派な精神をお持ちでいらっしゃると感心いたしまして」
「……立派、でございますか?」
何をどう見て立派なのか、皆目見当がつかない。
「ええ。ミヒャエルとの仲を隠されていらしたのも、おそらく姦淫を気にされていらっしゃったのだと推測いたしますが、相手が同性であっても、ただ一人を真っすぐに愛し、大切になされるというのは教義に添う、真っ当な御心です。ミヒャエルは騎士団長という立場であるのに、まるで子供を心配するかのように御心を砕いていらっしゃる。驕らず、大切にしようとされるお気持ちが表れております」
そんな御大層なものではない。
愛なんて嘘偽りであり、むしろ姦淫を推奨してその結果を見届けにきたくらいなのだから。
「トイファー神官のような方ばかりでしたら、国民の信仰も篤くなるというのに……あ、批判しているわけではないのですが、仕事柄不正に手を貸す者を多く見ておりまして、人間という弱い生き物の悪い側面ばかりが目に付くものですから」
哀れなるライナー。
虐待されて育ち、最強の魔法使いとなった今も、やるべきことは犯罪者の取り締まりばかりとなると、正義を貫くにも精神的に参ってしまうのかもしれない。
かわいそうなキャラである。
そんなこいつを、世界征服のために最もつらい手段で貶めようとしている俺は、魔王ではなく悪魔かもしれない。
などと胸を痛めていたところ、突然頭の中で苦痛にもがく声が響いてきた。
『フランツ様……助け、助けて……』
「ヨハ……あ、いや」
「いかがされたのですか?」
ヨハネスの声である。助けてとはいったい何事か。ミヒャエルではなく誰ぞに攻撃でもされたのだろうか。
問い返したいところだが、ライナーといる現状、応答するわけにはいかない。
「いえ、ラスベンダー騎士団長はどこまで行かれたのかと」
「ええ。そうですね。心配する必要がないと言っても、われわれのことは心配してもらいたいものです」
常に仏頂面であるはずのライナーが珍しくも苦笑する姿をまえに、いまだヨハネスの声が頭に響いている。
『やめてくれ、俺が悪かったって。フランツ様を呼んでるから怒るなって……いたたたた、やめ、痛すぎ。ほんと無理、シャレになんないって』
誰ぞどころかミヒャエルだこれ。しかも何をされているのやら、聞いているだけでもぞっとするような悲痛の叫びだ。
俺を呼んでいるということは、正体がバレたのは間違いない。だとしても、駆けつけられない現状は、向こうからこちらへ来るよう仕向けなければならない。
「わたしが今クッシュ様たちのおそばへ来ていることをご存知でいらっしゃれば、戻ってきてくださるでしょうか」
『へ? クッシュ? ラス、ラスベンダー、フランツ様は今クッシュといるらしいぞ……っておい! これ外してから行けよ! おい!』
「……それは、大層な惚気をいただきまして」
ヨハネスに居場所を伝えるために口をついたことが、確かにはばかりもない惚気になってしまった。
「ライナーはどこだ?」
恥ずかしさにうつむく間もなくミヒャエルの声が聞こえてきた。
早っ、ていうか、めっちゃ近くじゃん。
「クッシュ様でしたら、あちらの岩場のほうに」
「ミヒャエル! どうした?」
騎士団員とライナーが同時に驚きの声をあげたところで、ミヒャエルが現れた。肩で息をしている様子から全速力で来たことが察せられる。そして、鬼の形相のごとくブチギレている。
「……おい、なんかあったのか?」
「……フランツに出くわした」
「なんだって?」
「拷も……取り逃がしたが、それで時間を食ってしまった。なぜダグラスがいるんだ? ライナーと何をしていた?」
「おい、取り逃がしたって、どこでフランツに会ったんだ?」
「ダグラスに何かしたか?」
くそ怖い。ヨハネスに対しての怒りなのだろうけど、いつも以上にぶち上がっているような気がする。
「何かって、ただ話していただけだ」
「話していた? わたしのところにではなく、ライナーのところへわざわざ来たんだぞ? おまえが無理に呼び寄せたに決まっている」
「そんなはずないだろ。どうやってわたしがトイファー神官を呼び出せるんだ」
何を言っても怒りが収まりそうにないミヒャエルから、俺は目を逸らして後退りをした。
うつむきながら身体を反転させ、不安げに様子を見守っている騎士団員たちのほうへ向かう、以外の選択肢がなかった。
見られるわけにはいかなかった。困惑か驚愕か、なにかそういった表情をしなければならない状況だったのに、顔の筋肉が言うことを聞いてくれなかった。
どんなに頑張っても、上がりっぱなしの口角を下げられなかったのである。
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