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第41話 でしたら、キスをさせていただいてもよろしいのでしょうか?

「この事実を知っておられたのは、前国王の従者だったミスター・ヴァルターと、後は他に誰がいらっしゃったのでしょう」  部屋に残ったミヒャエルが、エルンストに問いかけた。   「当時おられた従者や使用人のほとんどは、退職なされております。そのため今残っている者の中では女中頭のミズ・リッシェ程度だと存じます。わたしが把握している限りではありますが」  エルンストは俺に目をくれず、躊躇なく答えた。ヨハネスとは違って彼は本当に優秀なやつである。 「……承知いたしました」 「騎士団長様は、ご覧になられないのですか?」  エルンストが言いながら書類を差し出したが、ミヒャエルは受け取ろうとしないばかりか、一顧だにもしなかった。   「お気遣いありがとうございます。ですがお気持ちだけで結構です。孤児なのですから、直面することもあろう話でしかありません。あの二人は事実を知る前に母君と対面していたので、驚く度合いが違っていただけであります」  理にかなった物言いだが、実の父が前国王だったという事実なんてそうあることではないのだから、驚くのは母君云々ではないだろうに。 「その書類ですが、ナウマン神祇官がお手元に保管されるのでしょうか?」 「今のところはでございますが、必要とあらば必要な方にいつでもお渡しいたします」 「承知いたしました。それまでは厳守をお願い申し上げます」 「それは、ええ。おまかせください」 「では、わたしはこれで失礼いたします」  ミヒャエルは立ち上がり、ごく自然に俺の腕を掴んで、何も言わずにドアのほうへ引っ張っていった。 「おい……」 「……それでは失礼いたします。ナウマン神祇官」  ミヒャエルはエルンストに一礼し、そのまま俺を引きずって部屋を出た。ミヒャエルの部屋は翼も違えば階も変わる。長い廊下を歩く間も俺の腕を離さず、人目をはばかりもせずに自室へと連れ込んだ。 「離せって」 「……キセガセもハルシュッフも、やはりあなたの思惑が裏にあったのですね」 「それはヴォーリッツとクッシュの母親のことを言っているのか?」 「あなたがわざと引き合わせたのでしょう?」  偶然と言うには無理がある。エルンストが書類を持っていたのだからネタバラシしたも同然だ。 「……そうだ。機密保管庫であれを見つけた従者が、扱いに困ってエルンストのところへ持ってきたんだ」 「ナウマンを出世させたのはそのためですか?」 「こういった事態を知ればいろいろと利用できるからな」 「なぜわたしにさせないのですか?」 「おまえが? 騎士団長の立場で機密に近づくなんてことができるのか?」 「可能です。……いえ、不可能だったとしても可能にいたします」 「だとしても、騎士団長としての任に余裕はないだろ。他に使える駒があるならそれを使ったほうが早い」 「他の駒、ですか。確かにあなたであれば容易に揃えることができるでしょう。町外れの神官長が数カ月という早さで神祇官になれたのも、あなたのお力ですから」  何やら引っかかる物言いだ。魔王の俺だけでは神官を出世させるような能力はない。エルンストをあの立場にやれたのは、前世の知識があったがゆえなのだから。 「どういう意味だ。何が言いたい」  俺が問い返すと、ミヒャエルはおもむろに近づいてきた。  連れ込んだあと、部屋に入った途端ミヒャエルは俺の腕を離し、ソファに座ったが、俺はドアの近くで立ったままだった。  数メートルほどの距離をあけて向かい合っていた。その距離を、清廉実直な騎士の顔つきで縮めてきている。 「……なんだよ」  縮めてきたが、触れるには遠い距離で立ち止まった。  あの日以来触れていない。さっき腕を引っ張られたときだけだ。二人きりになったというのに、抱きしめようともしないばかりか、触れようともしてくれない。 「……わたしに触れて欲しいと、お考えですか?」  今まさに考えていたことを指摘され、飛び上がりそうになった。 「……別に」 「わたしを愛しているとおっしゃってくださったのは、やはり見せかけの演技だったのですか?」  ああ、やはり試していたのか。そのためにわざわざこんな時間をかけて、俺が目の前にいるのに近づこうともしなかったらしい。 「だからそれは……」  いや、待てよ。  ここまで事が運んだら、もうミヒャエルの助力なんて必要ないんじゃないか?  エルンストが期待以上の働きをしてくれたお陰で、順調どころではない成果を見せている。イジドーアたちの様子を見る限り、王家やそれを秘匿した閣僚連中に対して不信の念を抱いているのは間違いない。血清を渡さなければ身籠ることはないうえに、ハンスがあの事実を知ってしまえば準備は完了だ。  もし、ここで肯定して、ミヒャエルが復讐するべく奔走したとしても、動かしがたい事実があり、すでに覚えてしまった感情はそう簡単に拭い去ることはできない。  エバーアフタークエストのほうもほとんど終えている。国民の不満を解消するにも、やるべきことは残っていないのだから、アグネスが今以上の信任を得ることは難しいはずだ。 「否定なされないということは、わたしの考えているとおり、ということなのでしょうか」 「……そうだと言ったらどうするつもりだ。おまえはわかったうえで俺といたんだろ? 俺から愛されていなくても、振りだけでも構わないって言ってたじゃないか」 「ええ……申し上げました。それに加えて、他の男に目をくれるなとも申し上げましたが、それはお忘れですか?」 「他に男なんていない。誰の気も引いていないし、俺も別に……」 「ええ。目をくれるというのは、つまり二人きりになるということ、それを避けていただきたい。誰もおそばに近寄らせないでいただきたいということなのです」 「…………そんなの、普通に考えて不可能だ」 「魔族であれば構いません。あのレーナルトは許しがたいですが……魔族はあなたの命令を遵守しますから、反抗することはないと断言できるでしょう。ですが、人間は別です。あなたを斬首させようとした過去もありますし、教会の中に引きずり込まれた場合は魔法を使えず、魔封の枷をはめられてしまえば、襲われる可能性があります……あの看守のように」 「いや、あれは襲われたっていうか……」 「あなたを少しの危険にも晒したくないのです。わたしのおそばから離れないでいただきたい」  襲いかかるようなことはしなくなったといえ、あのイカれた独占欲は健在らしい。  本気で欲情を抑えるつもりであれば、ラブドールのごとくは感じていないのかもしれない。  だとしても、ミヒャエルがここまで執着する理由は、己の欲望の結晶として作りあげたから以外にないのだから、愛しているのはフランツの張りぼてでしかないのは同じだ。  俺はそれが嫌でたまらない。  ミヒャエル自身のことは、むしろ……あのとき覚えた感情がいまだに拭いきれていない。一度覚えた感情は云々というのは、事実今直面していることで、身を持って知っているから言える話だった。  会えば顔がほころび、触れられたら安堵し、匂いに包まれれば歓喜に震える。  だから、触れて欲しいどころか、キスもしたいし抱いて欲しい。  渇望と言っていいほどミヒャエルのことを考えてしまっているが、だからこそ嫌だった。愛を感じるほどつらさが増していく。虚しくて悲しくて、切なくてたまらないのである。  それは、愛が向けられている先が俺自身ではないからだ。あいつが愛している俺は、前世の記憶を持つフランツ(おれ)ではなく、ゲームの中にいるフランツ(キャラクター)だからだ。 「……わかった。面倒くさいけど、とにかくそばにいりゃいいんだろ? 別にそれくらいは構わない。ただ、エルンストは利用させてもらう。おまえが助けてくれるのはありがたいが、エルンストがいてくれたほうがより円滑に事が運ぶからな」 「ナウマンの利用価値分程度でしたら、わたし一人で十分です。そう何度も申し上げているはずですが」 「いい加減にしろよ。そばにいるって言ってんだろ? 俺はおまえ以外とやらないし、キス……口づけだってしないって、そう約束したじゃねえか」 「……でしたら、まだ受け入れてくださるのですか?」  ミヒャエルは言いながら手の届かなかった距離を縮めて、俺を抱きしめてきた。  片手を背中に回し、反対の手は俺の顎に触れ、理想よりもやや身長差があるという、その高さを埋めるべく上に持ち上げた。 「でしたら、キスをさせていただいてもよろしいのでしょうか?」  疑問文で言ったくせに、まるで宣言したかのように、俺からの返答を待たずに、キスをしてきた。  一週間まえ、俺からしたっきりの、初めてしてからこんなに空いたのは初めての、その久しぶりの味に酔いしれたかったのに、俺の頭は別のことに気を取られていた。  なんでこいつは、口づけと言わなかったのだろう、と。

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