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幸せになれ!-1-

 目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。  ここは何処?  俺は白神(しらがみ)(じん)。  うん。頭は正常だな。  自分自身に確認をとり、改めて部屋を見る。  小さなテーブルと三面鏡ドレッサー。女性物の着替えが何点か下げられたハンガー。座布団が繋げられ敷かれただけの簡易布団。そして騒音のような酔っ払いの笑い声。  先程まで飲んでいた飲み屋の休憩室に違いない。  そう結論を出し、これ以上迷惑を掛けてはいけないと慌てて身体を起こした。  座布団を重ね部屋の隅に置き、店に繋がるだろう襖に手を伸ばすとそれは自動的に開いた。 「目ぇ覚ましたんだ。起きて大丈夫ですか?」 「夜王……」  やはり夢や幻ではなく本物だ。  そう思うのに確信が持てず、縋るように腕を掴むと夜王は困惑の目で俺を見た。 「人違いしていますよ。俺はそんな名じゃないです」  ああ。いけない。夜王は俺が勝手に付けたあだ名だった。 「幸汰こうだ圭けいだろ?」 「え? ああ、そうだけど……」 「俺、白神。白神刃。覚えてない?」 「白神?」 「クラスに髪を白く染めたヤンキーいたろ?」  幸汰は視線を左上に向け、記憶を探る。 「ああ、風邪でもないのに年中マスクしていた奴か?」 「そう! それ俺! 懐かしいな」  女みたいだと揶揄される顔を隠す為にあの頃は毎日マスクしていたな。  本当に懐かしい。  そして幸汰が覚えていてくれて本当に嬉しいな。  嬉しさも相まって、卒業すればみんな友達の法則に則り馴れ馴れしく二の腕を叩くなどの接触を試みたが、駄目だった。  幸汰は無表情のまま冷めた目で俺を見ている。  そりゃそうだ。  高校三年間同じクラスだっただけで口をきいた事もないのだから。  卒業しようがしまいが俺達は友達なんかじゃない。  気まずい空気を払拭すべく、当たり障りのない質問をする。 「幸汰はここで働いているの?」 「いや、ここは母さんの店。俺はたまに手伝うだけだ」 「そうなんだ。今日も?」 「今日は買い物を頼まれただけだ」 「そっか……」  うわぁ! 会話が終わる!  何か話題……話題……。 「それにしても意外だな。夜王の事だからクリスマスは女の子と過ごしているって思ったのに、働いているなんて……」 「あのさ、さっきからその夜王って何?」  それはやんちゃだった頃。夜の徘徊中にたまたま女の子五人を侍らせて歩いている幸汰の姿を目撃し、ホストみたいだと勝手に俺が付けたあだ名だった。  しどろもどろにそれを説明すると幸汰は興味なさそうに「ふぅん」と流した。  暫しの沈黙。  重い空気。  会話を再会させなくてはと思うのに、言葉が出てこない。 「もう、帰ったら?」  溜息交じりのに言われ、鳩尾がずんと重くなった。  初恋の相手とクリスマスに劇的再会し、何かあるのではないかと期待するのは勝手だが、その期待に現実が付き合う義理はないのだ。  震える声で「迷惑かけた」と謝り、幸汰が塞いでいる出入り口を擦り抜けようとするが、足を縺もつれさせ転びそうになる。  床に崩れそうになるのを幸汰の力強い腕が支えた。 「まだ酔っているのか?」  酔いやすいがその分アルコールの分解は早い体質だ。  酒など残ってはない。完全な素面だ。  だが、酔っているフリをすればもう少しだけ一緒に居られるかもしれないと淡い期待から、嘘を付く。 「悪い。まだちゃんと歩けないかも」  俺としてはもう少しだけ幸汰と一緒に休憩室で話が出来れば満足だったのだが、期待以上の幸運が舞い込んできた。  なんと幸汰母は俺達が同級生だと知ると「具合悪そうだから車で送ってあげなさい」と言って下さったのだ。  お母様ナイスアシスト有難う御座います!  今度自分の金で食べに来ます!  流石の夜王も母の命令を無視出来ないらしく不承不承送ってくれる事になった。 「気持ち悪くなったら言えよ」 「うん」  大丈夫。酔いはすっかり醒めているから。  俺の体調を気遣ってか、それとも気持ち悪くなった俺が吐き、車が悲惨な目に遭うのを恐れてか、車はゆっくりと走り出した。  対向車のライトに照らし出される硬い横顔。  高校時代に毎日盗み見ていた顔だ。  誰とでもそつなく付き合うものの誰とも馴れ合わない。  誰もが一人になる事を恐れ必死に集団に身を置く中、一人飄々としていた。  十代特有のうわっついた空気の中、一人異質だった男。  何を見て、何を感じ、何を思っているのか知りたかった。  でも、踏み込めばするりとかわされ、逃げられてしまう気がして近寄れなかった。  そんな学校では一切隙を見せる事なかった幸汰が夜に女の子を侍らせ歩いている姿は衝撃的だった。  学校の誰も知らない姿を自分だけが知っているのだと、当時は高揚感で一杯だった。  幸汰と俺だけの秘密だと、誰にも話さず大事に大事に胸にしまっていた思い出。  それもさっき本人に話してしまい失くしてしまったが……。  今日は散々な日だ。  恋人だと思っていた男に捨てられ、初恋の相手には一定の距離を取られやんわり拒絶され、大切な思い出もうっかり手放してしまった。  視線を窓の景色に移し、溜息を吐くと気遣わしげな声がかけられる。 「気分悪いのか?」 「いや、平気」  それ以降会話のないまま、目的地であるマンションに着いてしまった。  重苦しい空気が張り詰めていたが、俺にとっては夢の様なひと時までもが終わった。  再び溜息が漏れた。 「しんどいのか?」  歩けそうにないと嘘を吐いたら抱きかかえて運んでくれるのだろうか?  バカな考えを一蹴し、ドアノブに手を掛ける。  だが、ドアを開ければ本当に終わってしまう。  それでいいのだろうか?  聖なる夜に起こった奇跡だぞ。  もう少しだけ強請ったら何かおまけが付くかもしれない。  もし付かなかったとしても、元々なかったんだから何も変わらないだろう。  当たって砕けろだ! 「幸汰てさモテるよな?」 「さぁ、どうだろうな」  高身長に引き締まった身体。謎めいた雰囲気を纏ったイケメンがモテない訳がない。 「一度だけでいいとか、身体だけの関係とかあったりするんだろ?」 「言われる事はあるけどな」 「軽いノリで結構遊んでたりするんだ」 「……何が言いたいの。お前?」 「十万欲しくない?」  突如突きつけられた金額に幸汰は目を見開いた。 「お、俺の相手してくれたら払う……から」  開かれていた瞳が細められるのを見て、胃が引き攣った。  ヤバイ! 軽蔑された!  嘘だ。冗談だと誤魔化そうにも幸汰の冷たい眼差しを前に言葉が出ない。  視線から逃れるように俯く。 「お前の部屋何号室?」  何を問われたのか分からず、ぼんやりと見返す。 「近くのコインパーキングに車を止めてくるから、お前は先に部屋に戻ってろよ」  それって相手をしてくれるという事だろうか?  自分から提示したものの受け入れられるとは思っていなかった為に頭が上手く付いてこない。 「誘うって事は一人で歩けるんだろ?」  言葉の変わりに頷く事で答える。 「車置いたら行くから部屋番号教えろよ」  部屋番号と部屋の大体の位置を教えると車から追い出された。  車はすぐさま走り出し、どんどん遠退いて行った。

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