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第2話

中島先輩には、妹さんがいる。先輩に似て、優しく、温かい性格の女の子だ。 宇佐美が高校生の時には、小学生だったから、今は大学生になっている年齢だろう。面倒見の良い先輩は、妹さんのことをとても可愛がっていた。 先輩の家は、親が母親しかいなかったため、一家の男として、家族を支えたいという想いがあることは、出会った当時から知っていた。その念いは、今でもずっと変わっていないのだろう。 先輩がヤクザに立ち向かうならば、俺も協力したい。男として、1人の人間として、宇佐美が尊敬しているのは中島 京介ただ1人だ。今までも、散々助けられて来た。恩を返す時が来たのだ。 爪を切り、身支度を済ませる。バックは、バーに行く時とは別の、大きめのトートバッグを持った。中にはバイエル、ツェルニー、ソナタ等、生徒たちに教えているピアノの楽譜を持った。夜の仕事時間の方が長いせいか、自分の中での切り替えが難しいし、不思議な気分になる。ピアノを弾いている時と、シェーカーを振っている時の自分は別人のような気がしてならない。それは、向井ピアノ教室にいる人と、bar KARAにいる人が全くの別世界の人間だからなのか。そこを往き来している時は、そんな風に感じてしまう。 春日通り沿いにある向井ピアノ教室はビルの三階から五階を借りている。三階にはフロントがあり、また、三階と四階はグランドピアノが置かれた個室がいくつかある。そして、五階は職員室になっている。 小さい子供が好きそうな、ウサギやネコの人形が置かれている個室や、落ち着いた雰囲気で、音の響きが良くなるよう設計された個室もある。宇佐美が担当しているのは、幼稚園生から小学生までの子供たちだから、教えている部屋には、子供たちの要望に応え、いつも可愛い人形たちをグランドピアノの上に置いている。 宇佐美は、一階からエレベーターで五階に降りると、職員室で出席カードを自分のケース入れた。 「れなちゃん、スピードはそのままで大丈夫だから、次は強弱を付けて練習して来てね」 「はい!」 テオード・エステンの『お人形の夢と目覚め』は人形が眠りにつく場面と夢の場面、そして、目覚め、踊る場面で弾き方が大きく変わる。腕の力を抜いて、指先に神経を集中させる。腕の重さを全て、指先に集める様に。そして、フォルテやフォルティッシモはもっと大きく、ピアノはもっと小さくしなければ… 宇佐美は幼い頃からピアノを習っていた。いつからかは覚えていないが、今はどこにいるかも分からない母親に勧められ、始めたことは、なんとなくだが覚えている。母親の指は長く、白く、美しかった。顔も綺麗で、白いワンピースが似合いそうな、素朴で可愛らしいひとだった。いつもネイルをしていないのは、ピアノを弾くためだと言って、本当はオシャレしたい、と笑う笑顔が好きだった。白い指は軽々と1オクターブある和音を弾きこなしていて、まるで、おとぎ話の世界にある、白い橋のようだった。宇佐美が小さかったから彼女の手が大きく見えたのか、それとも、そもそも手が大きかったのか、今となっては分からない。 この小さな手は、まだ1オクターブ届かないくらいだ。でもこの子は、これからどんどん上達していくだろう。それを見届けていたい。 「先生?」 「ん? どうしたの?」 心配そうな顔をして、宇佐美の顔を覗き込んで来た。 「今日、元気ないね。お熱?」 「あ、いや、大丈夫。先生風邪引いちゃったのかも」 れなは楽譜を自分のバックに入れた後、部屋のドアを少し開けた。 「風邪引いた時は、お家でねんねしなきゃだって、ママが言ってたよ?」 「そうだね、次会うときまでには治しておくよ」 れなはそれを聞いて、満足そうに頷くと、嬉しそうに部屋を出て行った。 小学生の子供に、元気がないと指摘されるなんて思いもしなかったから、少し驚いた。鋭い子なのか、それとも自分がいつもより相当気分が落ちているのか。どちらにせよ、本職に支障が出ないよう立ち振る舞わなければ。 ピアノ教室と宇佐美の自宅は近い。宇佐美が住んでいるのは、ピアノ教室から徒歩で15分の場所にある、ひっそりとした小さなマンションだ。宇佐美の部屋は二階だから、わざわざエレベーターを使わずに階段で登ることの方が多い。 今日は一段と疲れた。レッスンの後は、1人で帰宅する子もいれば、親がお迎えに来る子もいる。親が来た時は結構面倒なのだ。あそこのピアノ教室は、年配の教員が多いから、俺の様な若いのは、ママさんたちの世間話しの相手にされる事が多いのだ。夫のことや、子供のこと、それとは別の話も。いつものことだから、特別嫌なことはないが、食事の誘いなどは本当にやめてほしい。今日だってそうだ、厚化粧のシングルマザーは寂しいのか、そんなことばかり言って来る。世間話をするのはバーの仕事だけで十分だ。 階段を登り、今日のレッスンの事と、夕飯をどうするかを考えながら、一番奥の自分の部屋に向かう途中で、宇佐美に、冷や汗が止まらない出来事が起こった。 「よう、遅かったじゃないか。仕事はもう終わったのか?」 「藤城……さん」 宇佐美の部屋の前には、bar KARAを訪ねて来たヤクザ、藤城が立っていた。こんなマンションに来るのに、藤城の身支度は万全で、場違いだと言いたくなるような高級感を漂わせたスーツと靴を身に着けていた。 「何か御用ですか?」 「ああ、少し話がしたくてな」 話、それは、金の話か、それとも自分を脅しに来たのか、どちらにせよ、部屋で2人きりにはなりたくない。だが、そんな事はこの男には通用しないと分かっていた。 「上げてくれるよな?」 藤城はニヤつきながら、宇佐美の部屋のドアを片手でコンコンと叩いた。 最悪だ。きっと明日は外に出れないほど殴られるかもしれない。覚悟を決め、宇佐美は鍵を開けた。 「お茶でいいですか?」 「ああ、ありがとう」 藤城は出された麦茶を一口飲むと、静かに机の上に置いた。そして、真顔で室内を一周見渡した。嫌な感じだ。どうせ、狭い豚小屋だとでも思っているんだろう。悪かったな。宇佐美は心の中で舌打ちをした。 「自己紹介がまだだったな、俺は藤城組の若頭補佐、藤城 奏太だ」 少し驚いた、若頭補佐がどのくらい偉いのか分からないが、わざわざ自分で言うくらいだから、きっと組の中では地位が上なのだろう。この間も下っ端を連れていた。こんな男が、自分の足を運んで来る程、金が欲しいのか? 「えっと、俺は……」 「宇佐美 響だろ」 宇佐美の声は、藤城の低く、鋭い声に遮られた。 「早速で悪いが、お前が働いているKARAについてだ。」 ごくり、と息を飲む。 「お前は、中島 京介とどういう関係なんだ?」 「中島先輩は、高校の時からの先輩で、いつも良くしてもらってます。bar KARAで働くようになったのも、先輩の誘いがあったからです。」 「ほー、高校時代の先輩なのか」 何か気になる事でも言ったのだろうか?藤城の態度が少し乱暴になった。 「何か?」 「こんなことになっちまっても、あのバーを、辞める気はないのか?」 迷わなかった、と言えば嘘になる。だが、自分はもう、先輩と共にヤクザに立ち向かうと決めたのだ。ここで、弱気になってはいけない。 「……俺は、あの店を辞める気はありません。これからもずっとです。」 「そういう男らしいところもあるんだな、お前。だがな、これはお遊びじゃない。それが偽善なら、早めにやめた方がいいぞ。」 「偽善なんかじゃないです。俺は、中島先輩のために……」 「そんなに、あの男のことが好きなのか?」 「え?」 宇佐美は言葉に詰まった。というか、宇佐美自身が固まった。藤城が宇佐美に対して、何を伝えたいのか、何を考えているのか分からない。 「そんなに、あの男に気に入られたいのか?惚れてるのか?」 「何を言っているんですか?俺はただ、先輩の力になりたくて……」 「いい事教えてやろうか?」 「え?」 突然、宇佐美の身体が宙に浮き上がった。藤城は宇佐美を抱きかかえ、寝室へ運び、ベッドに投げた。 「うっ!な、何を!」 藤城は宇佐美をベッドに仰向けに寝かせ、片手で宇佐美の両腕を掴み、上に伸ばした。宇佐美は両腕の自由を封じられた上、仰向けだから、何の盾もない状態で藤城が宇佐美に密着してくる。 宇佐美は必死に両腕を動かそうとするが、藤城の力は強く、ビクともしない。 怖い。寝室の電気を点けていないから、薄暗く、より恐怖心を煽られる。ナイフでも隠し持たれていたら、簡単に刺されてお終いだ。 藤城は震えている宇佐美の身体を眺めてから、腰から胸、首にゆっくりと手を這わせた。そして、唇を触った後、宇佐美の頰を撫でた。 「何だ、泣いてるのか?ガキじゃねーんだから」 藤城は宇佐美の目尻に触れた。 「くっ!」 宇佐美は覚悟を決めたはずだった、なのに涙が勝手に流れていく。自分の薄情さを思い知った。覚悟を決めた事を後悔して泣いているんじゃない、ただ、この場から逃げ出したかった。 「こんな事で泣いていたら、大好きな先輩は守れないぞ。」 馬鹿にしたように言うなり、藤城は宇佐美のシャツのボタンを外し、ベルトも外した。 宇佐美はこれから一体何をされるのか、分からないままビクビクしていたが、その思考は思わぬ方向へ変わる。 「ここ、ピンクなんだな、子供みたいだ」 そう言うと、藤城は宇佐美の乳首を舐め始めた。宇佐美の身体に一気に鳥肌が立つ。自分が思っていた身の危険とは別の危険を感じたからだ。 「っん……やめ……」 「感じやすいな」 今度は舌と片手で両方の乳首を攻められる。くすぐったいような感覚に思わず声が漏れる。この間、髪を引っ張ってきた男とは別人のように、優しく、女にする様に、ねっとりと愛撫される。 乳首から手を離すと、藤城の手は宇佐美の下着の中に忍び込んできた。 「や、やめて!もう、やめてください!離してください!」 「何言ってんだ?もう濡れてるぞ、期待してるんだろ?」 藤城の大きな手で宇佐美のものをゆっくりしごかれる。こんなにゆっくりされたら、頭がおかしくなる。 「……あ……んん、……っん」 宇佐美が快感に悶えている間に、藤城は器用に宇佐美の下着とズボンを脱がせ、靴下も脱がせた。 露わになった自分のそれを男に触られて感じているところなんて、今まで思い描いた事のない光景だ。宇佐美は恥ずかしさと快感で頭がごちゃごちゃになった。そして、もう、自分のものは弾けそうなほど硬くなっている。しかし、そこで、藤城の手は宇佐美のものから離れた。 「な、なに?」 急に触れられなくなった宇佐美のそれは、悲しげにヒクヒクと動いてしまう。 「いい事教えてやるって、言っただろ」 藤城は宇佐美にディープキスをし、耳元に顔を寄せた。 「お前は、KARAと中島 京介のこと、どこまで分かってるんだ?知っていることがあるなら、全部吐くんだ。そうすれば、何で俺たちがショバ代を取りに行ったのか、教えてやるよ。」 「それは……どういう、事ですか?……」 「そのままの意味だ、あの店には何がある?これ以上言わせるな」 「なんで……それを、俺に……」 もう、早く楽になりたい。宇佐美の望みはそれだけだった。今はバーの事を考える余裕はない。ジンジンと熱を帯びるそれは萎える事なく起ち上がったままだ。 「何か知っているのか?」 「何も知らない、あそこは……普通のバーです……」 「本当に何も知らないのか?中島とは、高校からの仲なんだろ?何か話されていないのか?」 そう言うと、藤城は宇佐美のものの裏筋を指で優しく撫で、大きな手で宇佐美のものを包み込み、また上下し始めた。 「あうっ……な、何も、知らない!俺は、何も……!信じて……ください……」 「あいつと寝た事はないのか?」 「な……い……です……先輩も、俺も……そっちの気は……ない……で、す」 藤城は一瞬驚いたような顔をしたが、その後は、悪ガキがオモチャをいじるような、意地悪な笑顔に戻った。 「本当なのか? 嘘をついている事が分かったら、タダでは済まされないぞ」 本気の顔だった。これが、裏社会で生き延びていく男の顔か、と宇佐美は思った。ぼーっとした頭では上手く考える事は出来なかったが、感じとる事は出来た。嘘はついていないから、不安は感じない。ただ、自分が思っている以上に、厄介な問題に巻き込まれた事だけは確かだと確信した。

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