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第5話
「ただいまー」
「お邪魔します」
天城の後に続き、リビングに足を踏み入れる。キーボードの軽やかな音だけが部屋の中に満ちていた。
部屋の隅にある木製のデスクに座り、パソコンの画面とにらめっこしている男性が顔を上げる。スターズの代表取締役。そして天城の父、浩一さんだ。
「お帰り、零夜。そして久しぶりだね、神代くん」
「ご無沙汰してます」
「ふふ、そんな堅苦しい挨拶はいいよ。お茶でも啜って近況を語り合おうじゃないか」
浩一さんはデスクから立ち上がると、シミや埃の一切ない手入れの行き届いたソファーに腰を掛けた。ゆったりとした動きで足を組み、僕を向かい側に座るよう、視線を送ってくる。
「零夜、お前は部屋に行ってなさい」
「俺も、ここにいる」
「お前には関係のない話だ」
その場を動こうとしない天城に、浩一さんは少し呆れたような声で言った。
「また、彗月に何か負担のかかること……」
「行きなさい」
反論を許さぬ、圧倒的な威厳を含む声。声を荒げているわけでも、怒っているわけでもないのに、その静かな声には相手を黙らせる力があった。
天城を見ると、ぷるぷると拳を震わせていた。下唇を噛んで、浩一さんを睨んでいる。
その手にそっと触れた。びくっと体を震わせ、驚いたように僕を見る。
「大丈夫。後で部屋に行くから、先に上で待ってて……ね?」
まだ迷うように瞳を震わせていたが、静かにうなずいてくれた。階段を上がっていくのを見届ける。最後の段を上るとき、天城が振り返った。心配そうに眉をひそめる姿に、小さく顎を引く。
しばらく見つめ合い、先に天城が視線を外す。その背中が見えなくなるのを確認してから、浩一さんの方へ向き直った。
「急に呼び出すなんて、どういう風の吹き回しですか」
「零夜は神代くんの言うことしか聞かないから、困るよ」
僕の言葉が聞こえているのかいないのか、お手伝いさんが運んできてくれた紅茶を優雅に啜っている。カチャッ、っと小さな音を鳴らしてソーサーに戻す。
「神代くんもそうは思わない?」
「何を聞きたいんですか」
「単純な質問だよ」
くすくす笑いながら喋っているのに、腹の底に抱えているのかわからないような、冷え切った瞳を向けてくる。浩一さんはしばらくの間僕を見つめた後、ふっと表情を緩めた。
「……ま、無駄話はこれくらいにしておいて、本題に入らせてもらおうかな。神代くんもよければどうぞ」
横からお手伝いさんの手が伸びてきて、テーブルの上のカップに紅茶が注がれた。よければ、なんて言っているが、この人に断らせる気なんて一切ないんだろう。
ありがとうございますとお礼を言い、カップの縁に口をつけた。
「神代くんも知ってると思うけど、レプリミールの特許を取得してから、すでに長い時間が経っている」
レプリミール。
吸血鬼なら誰もが名前を知る薬だ。
吸血鬼は契約を結んだパートナー以外の血を口にすると、アンコントロール状態に陥る。理性の効かない獰猛な存在と化し、ひたすらに血を求め続ける危険な状態だ。最悪の場合、相手を死に至らしめることもある。
レプリミールは、その暴走を鎮めるために開発された、唯一の特効薬。
「現在、我が社は市場を独占してる訳だが、特許の期限が切れた後、他社はレプリミールの後発医薬品を販売できるようになる。当然、価格競争は避けられない」
「スターズの利益は大きく落ち込む、ということですね」
浩一さんは首を大きく縦に動かした。
「ですが、薬を必要としている吸血鬼にとっては喜ばしいことのはずです」
「だろうな」
浩一さんはカップをくるくると揺らしてから口をつけた。「今日のはアッサムか」なんて勿体ぶった様子で語っている。目をつぶって飲んだ後の余韻に浸っていたが、僕の視線に気づきまた喋り始めた。
「もちろんアンコントロール状態になった吸血鬼を助けたい、という思いでやっている。だが、会社である以上利益が優先。我が社の製品が売れなくなるのは困る」
「なら、どうしろと」
浩一さんは答えなかった。 ただ、笑みを深くして、僕を見つめ続けるだけ。
「神代くんなら、もう分かってるんじゃないのかな」
沈黙が落ちる。
紅茶から立ち上る湯気が、ゆらゆらと視界の端で揺れていた。
浩一さんは優雅な仕草で足を組み替え、紅茶を啜りながら僕が言葉を紡ぐのをただ待っている。まるで、答えの分かりきった問題を解く生徒を見守る教師のように。
その余裕が、何よりも腹立たしかった。
「他社よりも先に、後発医薬品を準備すると?」
浩一さんの口角が、満足げに持ち上がる。
「その通り。特許が切れた瞬間に市場へ投入できるようにね」
「それは……」
「だからこそ、神代くんの頭脳が必要なんだ」
「……っ!」
「君ほど、この薬を理解している人間はいない」
なにも、言えない。
喉まで込み上げてきた拒否の言葉が、寸前のところでせき止められる。
白衣を着た大きな背中。
その姿を一心に見続ける小さな僕。
────彗月、この研究はたくさんの人を救うためのものなんだ。
あの日の声が耳の奥で蘇る。
それなのに、僕は。
握っているカップに注がれた紅茶には、自分の顔が反射して映っていた。その水面は僕の心情を写し鏡のように揺らしていた。
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