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No.6 二日目・秘書「レディと寝支度」
夕食後、マドカさんから電話があり、ミカはうれしそうに今日一日の出来事を報告していた。
「うん。分かった。明日も必ずお電話ちょうだいね。絶対だよ。じゃあね、おやすみママ」
通話が終わったのを見計らい、執事が恭しく声をかける。
「ミカ様。二階のバスルームにお湯を張っておきましたから、どうぞお風呂にお入りください」
彼女はコクリと頷きながらも、驚くことを口にする。
「執事のおじさんも、秘書のおじさんも一緒に入ろ」
「め、滅相もございません!」
眼鏡執事は慌てていたが、俺だって全力で拒む以外ない。
「おじさんたちは、レディとはお風呂に入れないぞ」
「でもミカ、あのお風呂、一人だと怖い……。窓の外が真っ暗でいやよ」
少女にとって風呂が怖いっていうのは、どういう類の感情なのだろうか。
オバケが出そうなのか、溺れてしまいそうなのか、誰かが侵入してきそうなのか、うまく想像してやることはできない。
俺と執事は二人して腕組みをし、思案をする。
「怖いのならば、私たちがバスルームの前で警備をいたしますが、それでどうでしょうか?」
執事も俺と同じで、少女の「怖い」を上手く理解してやれていないのだろう。
ミカはその答えに仏頂面を返す。
しかし彼女なりに、この人たちに言っても無駄だと諦めたのかもしれない。
「じゃあ、ミカが怖くないように、お歌を歌っていてくれる?」
俺たちは顔を見合わせ眉を顰めるが、他にいい案は浮かびそうもなかった。
脱衣所で支度をする彼女に背を向け、二人して警備員のように佇む。
「お歌が途切れたら、ミカ怖くなっちゃうから、ずっとだよ。ずっと歌っていてね」
俺は正直言って、歌があまり得意ではないし、そもそも歌えるほど知っている曲がない。
ここは眼鏡執事に任せようかと思ったが、彼もどう見ても乗り気ではないようだ。
「アナタ、何か歌える曲はありますか?私、クラシックは聴くのですが、ミカ様が喜ぶような歌には疎くて。どうかここは、お任せしたいのですが……」
「俺だって無理に決まってるだろ」
肘で小突き合いながら互いに押し付け合う。
「ねー、早くーーーー。オバケが来ちゃうから!」
ミカが大きな声を出した。
「ミ、ミカ様、私たち知っている曲がないのです」
「何言ってるの?ハリーのお歌を歌えばいいでしょ。もうー。ミカが歌ってあげるから、一緒に歌って。いい?」
彼女はCEOが所属していたアイドルグループが解散前に発表した曲を、歌い始める。
なるほど。
これなら、俺も執事も知っている。
ミカの決して上手ではない歌に合わせ、俺たち二人も声を張り上げて歌い始めた。
執事は「いい加減に歌ったら坊ちゃんに失礼だ」とでも思っているのか、真剣な表情で直立し、アイドルソングを歌っている。
リズム感だけは完璧だ。
俺だって、頭の中に解散コンサートの映像を思い浮かべ、ハリーになりきって身振り手振りで歌う。
その声はシャワーの音にも負けず、ミカの耳に届いているはずだ。
けれど、万が一にもこんな姿をCEOに見られたら、秘書を解雇されるかもしれない……。
いや、俺から自主的に辞めるだろう。
(執事に口止めをしておかなくては。いや、俺だってコイツの弱みを握ったようなものだ。となれば、互いにこのことをCEOへ洩らしたりはしない)
しかし、これが歌の力なのか。
ナゼか三曲目くらいから、少し楽しくなってきた。
ミカが風呂から出て着替えを済ませるまで、俺たちは無事に警備をやり遂げた。
—
「では、おやすみなさいませ」
髪も乾かしたミカが寝室に入るのを見届けると、ほっとして身体の力が抜けていく。
それは執事も同じだったようで、二人して居間のソファへ座り込んだ。
流石の執事も、シャツの一番上のボタンをはずしている。
やはり俺たちは、子どもがいる生活に慣れていないせいで、疲れを感じてしまうのだろう。
サモエドのユニだけがゆったりと構え、すっかり定位置となった絨毯の上で眠っていた。
「オマエはいいなぁ。常にマイペースで」
白い犬にそう話しかけても、微かに瞼を持ち上げただけで、また目を閉じてしまった。
ようやく屋敷にリラックスできる静かな時間が流れ始め、「そうだ。夏季休暇中だった」と思い出す。
この座り心地のよいソファで、何をして今宵を過ごそうか。
「あのね、眠れないの……」
突然、背後から声がして、眼鏡執事と一緒にビクッと慄く。
「な、なんだミカか。びっくりした!」
「ど、どうされましたか?驚いてしまい、し、失礼しました」
彼女が裸足だったせいか、階段を下りてくる足音が耳に入らなかった。
「だからね、ちっとも眠くならないの」
少女に「眠れないの」と言われてもどうすればいいのやら……。
そんな無策な俺と違い、執事はスッと立ち上がり「本を読んで差し上げましょう」とミカに告げた。
意外と頼もしいじゃないか、少し彼を見直す。
執事が自室へ本を取りに行った後、連れだって二階の寝室へ上がって行くのを、手を振って見送った。
何分ほど経過しただろうか。
二人は階段を下りてきた。
眼鏡執事は俯き、しょんぼりとした顔をしている。
「私の本読みは、つまらないそうです……」
一体なんの本を読んでやったのか。
彼の手には、俺だったらタイトルだけで眠くなりそうな分厚い哲学書が握られていた。
(小学三年生への読み聞かせだぞ。もう少し、マシな本はなかったのか?)
「バトンタッチしてください……」
「……仕方がないな」
今度は俺がミカと階段を上がり、寝室へ入った。
「眠くなるストレッチを教えてやろう。全身の緊張をほぐすんだ。そうしたら自然と眠くなる」
彼女はベッドの上で、俺は絨毯の敷かれた床で、身体をほぐすストレッチを始める。
「そう。息を吐いて。太腿の裏を伸ばすような感じで。今度は息をゆっくり吸って……。うん、上手だ」
ミカはバレエを習っているそうで身体が柔らかく、難なく俺の手本についてきた。
彼女が優秀な生徒だったせいで、俺はついつい熱の入った指導をしてしまい、汗ばんでくるほどのストレッチを行ってしまう。
「ねぇ、喉乾いたよ」
ダメだダメだ。
彼女の眠気はますます遠のいてしまった。
俺は階下の執事に向かって大きな声を上げる。
「おい。水を一杯持ってきてくれるか」
執事は盆に水差しとコップを乗せ、運んできてくれた。
そして、ミカの死角をついて、俺に呆れたような表情を向けてくる。
ゴクゴクと水を飲み干したミカの傍には、いつの間にかユニがいた。
白い犬は執事のあとをついて階段を上がり、開けっ放しのドアから中へ入ってきたようだ。
「一緒に寝よう、ユニ!」
その声に反応し、尻尾を振りながらベッドに上がったサモエドは、大きな身体を丸くして眠り始める。
すると、ミカもユニにくっつくようにして横になった。
「ふわぁ」と可愛らしい欠伸をしたかと思うと、彼女は目を閉じてスースーと寝息を立て始める。
執事はもう、犬を寝室に入れないでほしい、という顔は微塵もしていなかった。
(ユニがいてくれて、本当に助かった)
俺がミカにそっとタオルケットを掛けてやり、執事が壁のスイッチで照明を消す。
音を立てぬようドアを閉め、静かに階段を下りて階下へ戻った。
俺は真っ直ぐキッチンの冷蔵庫に向かい缶ビールを取り出し、二つのグラスに半分ずつ注ぐ。
「飲むだろ?」
「いただきます」
俺たちは立ったまま小さな音を鳴らして乾杯をし、ビールを飲み干した。
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