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No.17 七日目・執事「熱中症にご注意を」

スマホのアラームが鳴る少し前に、目が覚めた。 横で眠っているミカ様を見ると、まだお健やかに眠っており、その向こうに横たわる秘書もどうやら夢の中だ。 私は一人先に起き、階段を降りて一階へ行く。 気配がして振り向くと、ユニだけが後ろをついてきていた。 「おはようございます、ユニ。いよいよ夏祭りですよ」 勢いよく居間のカーテンを開けると、眩しい朝日が室内に降り注ぐ。 今日も暑い一日になりそうだ。 ガラス越しに見えたテラスの朝顔は、コバルトブルーの花を5つ咲かせていた。 ほどなくして、秘書が寝起きのボサボサ頭をかきながら階段を下りてきた。 陽射しの強さに目を細めながら、彼は言う。 「いよいよ夏祭りだな」 私はその言葉を聞き流しながら、食堂のテーブルクロスを洗濯済みのものと取り替える。 秘書も、手早く身支度を整え、タンクトップにエプロンをつけて、ハムエッグを焼き始めた。 今度は、タタタッと軽やかに階段を駆け降りる音が聞こえる。 「おはよう!いよいよ夏祭りだね!」 皆が朝一番に同じようなことを口にするこの状況が堪らなく愛おしく、私はコッソリと微笑んだ。 — 夏祭りの開始時刻は正午だったが、役員さんはそれよりも早くお越しになり、準備が始まる。 皆、約束通り左手首にオレンジのバンダナを巻いており、ノウゼンカズラが咲き乱れる門扉にも、出入りをチェックする係の人が立ってくれた。 秘書の担当する焼きそばの食材も運び込まれ、彼はキッチンでキャベツを切るなどの下ごしらえを始める。 先日のBBQでも使用した鉄板を使うらしい。 思わずその手際のいい後ろ姿をボーッと眺めてしまうが、私自身も支度を始めなければならない。 (本当にやるのだろうか?どうして私は承諾してしまったのだろう……。正直憂鬱で仕方がない) 「執事のおじさん、パン屋のおばさんが呼んでるよ」 ミカ様が声を掛けてくださり、私は慌てて玄関ロビーへ向かった。 「こちら、役員さんからご注文いただいたクロワッサン60個です」 「うわぁ、美味しそう。バターのいい匂い!」 一緒についてきたミカ様が、鼻をクンクンとさせている。 パン屋さんも今日は午前中で営業を終わりにし、お子さんたちと夏祭りに参加するそうだ。 「聞きましたよ!タキシード姿で、紅茶とうちのクロワッサンを給仕してくださる『執事カフェ』をやるんですって?ママ友の間で『絶対に行きたい!』って話題になってますよ。クロワッサン60個で足りるかしら?」 その言葉にミカ様が驚いた顔をする。 「そうなの?ミカ知らなかった!えー、執事カフェってどんなだろう?すごい楽しみ!」 私はパン屋さんにも、ミカ様にもろくに返事ができず、ただ頭を下げてクロワッサンを受け取った。 — 自室に戻り、私はスマホを開く。 昨晩坊ちゃんが送ってくださった夕陽の画像を眺めながら、大きく深呼吸をした。 やるからには、ビシッとやらねばなるまい。 坊ちゃんの執事たるもの、主人の名誉のため、私は立派にやり切らねばならないのだ。 マンションから持ってきた一式を、ベッドの上に並べた。 まずは、側章の入った黒いスラックスを履き、白いプリーツの入ったシャツを羽織って、カマーバンドをする。 カフスボタンを留め、蝶ネクタイを結び、ショールカラーの黒いジャケットを身に付ければ、自然と背筋が伸びた。 鏡の前で髪を撫でつけて、ご婦人たちがイメージしているであろう『執事像』を、一ミリの隙もなく作り上げる。 おそらく、彼女たちが言う『執事カフェ』のウエイターはこの姿で間違っていないはずだ。 コンコン。 ノックの音がして、返事をしないうちからドアが開く。 「おい、花屋が来て……。え?なんだその格好……」 一番見られたくない相手に、最初にこの姿を晒すことになってしまった。 「いくらなんでもアンタ、そんな格好で……。大丈夫なのか?」 やはり、このようなコスプレめいたことをするのは、坊ちゃんの執事として、相応しくないだろうか。 いやしかし、筋肉オバケも、いきなりそんな否定的なことを浴びせてこなくたって。 私だって、やりたくてやるわけではないのに……。 良かれと思って、少しでも夏祭りを盛り上げたくて、協力しようと……。 負の感情が渦巻き、思わず手に持っていた白い手袋をきつく握りしめてしまう。 「やっぱり無理がある。俺から山本さんに言ってやるよ」 「ア、アナタにそのようなことを、して、いただく、必要は、あ、ありません!」 怒りで声量が調整できず、大きく上ずった声を上げてしまった。 「だけどさ……」 「ねぇ、どうかしたの?」 私の声に驚いたミカ様まで、心配そうな顔をして、部屋へやってきた。 咄嗟に姿見の後ろに隠れようとしたが、タキシード姿を見られてしまう。 「うわぁー、執事のおじさん。格好いいーーーー!」 「ホント、様になってるぜ」 秘書は、ミカ様の前だからなのかおべっかを口にする。 「ミカ、どう思う?こんな姿で、百日紅の下でオープンカフェなんて無理だよな?」 「あー、それは無理だってミカも思う。執事のおじさん熱中症になっちゃうよ」 「だろ?だから俺が、場所を移すように山本さんに言ってやろうか、って言うのにコイツ、意地を張って。俺なんて、タンクトップに短パンに、ビーサンでもめちゃくちゃ暑いなって思ってるのにさ」 「へ?」 今度は、とぼけた声を出してしまう。 「ママも言ってたよ。黒い服は暑いって。おじさん、お帽子もないんでしょ?」 「カフェの場所、テラスにしてもらったらどうだ?掃き出し窓を開け放って、室内の冷気を外へ流れ出るようにすれば、客も快適だろ」 (どうやら私は何か大きな勘違いをしていたようです。彼は私を心配し、この服装では暑いのではないか?熱中症への危険度が上がるのではないか?と、心配してくれていたということでしょうか?) 「よし、ミカ。山本さん探しに行こう。タキシード執事が倒れたら大事だからな」 「うん、行こう!格好いい執事のおじさんが倒れたら大変だからね」 二人は私の部屋から、駆けていった。 自分の被害妄想じみた考えを恥ずかしく思いながら、私も玄関ロビー横の納戸へと足を運ぶ。 「確かここにあったはずです……」 使用人用のレインコートや長靴が仕舞われている場所を覗くと、庭師が使っている麦わら帽子を発見することができた。 これで、秘書も少しは快適に焼きそばを焼けるはずだ。 — 「アップルティーとクロワッサンでございます」 ノリタケのカップ&ソーサーを銀のお盆に乗せ、白い手袋をした手でサーブしていく。 真っ白なクロスをかけたテーブルには、花屋さんが持ってきてくださった薔薇が飾られている。 テラスは日陰になっており、居間から流れてくる冷気で心地よかった。 お客様も、ちょっとした休憩場所として快適そうだし、居間にいるユニも留守番ではなく、祭りに参加できているように見える。 「あ、あの。ハリーの執事さんなんですよね?お写真を一緒に撮ってもらっても、いいですか?」 ご婦人からの意味不明な申し出にも「もちろんでございます」と返事をし、スッと背筋を正す。 (もう、やれるだけのことはやりましょう) 私の視界の先には、タンクトップに短パン、さらに庭師の麦わら帽子をかぶった少年のような姿の秘書が見えている。 彼も、炎天下の焼きそばを焼きながら、どこぞのご婦人に写真をせがまれ、一緒に写っているのが見えた。 ご婦人方にとって、服装はタキシードでもタンクトップでも大差ないのかもしれない。 そう思うと、笑ってしまいそうだった。

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