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第19話 物言わぬ彼
旅館の母屋へ行ってタクシーを頼むと、すぐに来るからそこに居てほしいと言われて、ラウンジのような場所で待つことになった。
「本当にいいのか?」
自分で誘っておきながらだが、三年ぶり云々と聞いて旧友たちの元から連れ出してしまったことに今さら気が咎めてきた。
「ああ。用事は済んだ」
「用事?」
「テニスだ」
「そっか。でも三年ぶりなのにいいのかな?」
「それ以外に付き合う理由はない」
「そうなの? 西園寺さんは王子だのなんだの言って引き留めようとしていたみたいだけど」
「……もう終わってるから」
「終わってるって……」
言いかけてようやく気がついた。
なんて自分は鈍感なんだろう。
三年前までとはつまり、それまで関係を持っていたという意味だ。
王だの姫などとふざけていたから、彼らの中だけのジョークだと思い込んでいた。
「それって、元彼ってこと?」
そうに違いないと思いつつも、確かめるべく聞いた。
しかし久世は答えてくれないばかりか、表情を曇らせたうえにうつむいてしまう。
「生田くんは思ったよりもロマンチストらしいな」
生田と久世の二人きりだったはずのラウンジに、西園寺の声が響いた。
「忘れ物ですか?」
久世のほうへ真っ直ぐ向かってくるので、立ちふさがるように前に出る。
元彼かと聞いても彼は答えなかったが、つまり否定しなかったそれが答えだ。
その相手が追いかけて来たわけだ。
だとしても、彼はついてきてくれたのだし、元というからには、今は違うということでもある。
西園寺は口をすぼめて立ち止まり、次ににやりとした。
「……そう。異国の王子に渡すわけにはいかない。これでも俺は釣った獲物を可愛がるタイプでな」
西園寺の言葉を聞いて久世のほうを見やるも、うつむいていたままで表情はわからない。
「透、仲直りしただろ? なぜ離れようとする? 生田くんは俺たちと同じじゃない。彼は王子じゃなく騎士でしかないぞ」
この西園寺という男が放つ、人を威圧するような態度と近寄りがたい雰囲気は、立場の違いを感じさせるだけでなく男としても圧倒されてしまう。
貧乏育ちの平凡なサラリーマンでしかない自分は、男女問わず声をかけられる程度には人好きのするタイプかもしれないが、西園寺のスタイルや顔立ち、気品漂う所作を前にしては気が引けるどころか敵うべくもない。
が、だとしてそれがなんだ?
どんなに魅力で負けていようとも、選ぶのは彼だ。
やつを置いてついてきてくれたのだから、その彼のした選択を信じないでどうする?
「そんなことありません」
生田は西園寺のほうへ一歩踏み出した。この距離だと見上げながらガンをつけているかのようになる。
「ほう。何か言い分があるとでも?」
当然ながらそんな態度を取ったところで利く相手ではない。平然とした様子で見下されている。
「西園寺さんは透を置いて去ったわけですよね? それは釣ったあとに餌をやらずに放置したのと同じじゃないですか?」
言うと、西園寺のほうからさらに顔を近づけてきた。口元はにやにやとしながら、しかし目は笑っていない。
「さすが騎士だけあって威勢がいいな。だが生田くんは結婚するんだろう? こどもまで生まれるんだ」
そんなことを話しているとは。
まさかのことに、対抗するべく奮起した意気が削がれてしまう。
「その立場で人のものに手を出そうとするなよ」
くそ。その通りだ。
西園寺のものなのかどうかは別として、そんな立場で手を出すなという言い分は正しい。
今日まで久世は自分と同じく異性愛者だと思っていたから、あのとき拒否されたのも、思いも寄らなかったせいかもしれないと一縷の望みを抱いていた。
だが、どうやら彼は同性愛者らしいのだから、そのうえで拒否された自分では、元彼に噛みついたところで勝負にすらならない。
「……そうです。その彼女のもとに帰らなければなりません」
静かに言うと、西園寺はおかしげに笑い声をあげた。
「生田くんは自分の国に帰るんだ。だからラプンツェルも俺と塔に帰るってわけだ。だろ? 透」
呼びかけられても久世はぴくりとも反応しない。
それどころか、生田と西園寺がやりあっている間も、微動だにせずいっさいの反応を見せなかった。
直後にタクシーが到着したという報せが届いても、立ち上がろうとはせず、生田は一人でタクシーに乗り込むしかなかった。
空港へと到着したタクシーを降りて、駐車場に停車してあったN-BOXに乗り込み、みどりのマンションへと向かった。
西園寺に言われ、自らも宣言したように、未来の妻子の元へと。
彼は同行してくれなかったばかりか、挨拶もせず、顔すらあげなかった。
一緒に来てくれると言ってくれたのは糠喜びに終わってしまった。
糠喜びというのは、端から拒否される以上につらい。
つらいが、それよりもショックだったのは、彼がやつに自分のプライベートなことを話していたことだ。
自分には西園寺のことをろくに話してくれないのに、やつにはぺらぺらと話すほどの仲らしい。しかも、二人きりなったのはわずかな時間しかなかったはずなのにだ。
元彼だと言いながら今もそんなに親しいのなら、元でいるのも時間の問題なんじゃないだろうか。
そうだ。三年前までというあの言葉も、彼に対して不満をぶつけた台詞だったのかもしれない。
自分についてくると言ったのも、追いかけてきてもらう前提で煽った、痴話喧嘩だったのかもしれない。
くそ。だとしたら自分はただのピエロだ。二人の仲を再燃させるために、憐れな道化を演じていたに過ぎないのかもしれない。
ちくしょう。
生田は悔しさと嫉妬を抱えながら、マンションのエレベーターを降りて部屋へと向かっていた。
久世を求めても仕方がない。どちらにせよこの部屋の家主との結婚が決まっている。
彼女と生まれてくる我が子……かもしれない子を愛して大切にするべきだ。
彼が西園寺とどうなろうと、結局は忘れなければならないのだから。
そう気持ちを切り替えるべく深呼吸をして、ドアに鍵を差して回そうとした。
しかし、手応えがなく、既に開いていることに気づく。
今は6時過ぎだから、仕事を終えたみどりが、友人と会う前に着替えでもしに帰っているのだろうか。
考えながらドアを開けたとき、彼女ではない声が耳に飛び込んだ。
「だから嘘じゃないって言っただろ? これからいつでも好きなときに見てもいいし、GPSで監視してくれてもいい」
耳をすませる必要がないほどわめき聞こえるあの声は、律に間違いない。
「もう一台持ってるかも」
当然ながらみどりもいるらしい。
「そこまで言うなら家計も全部預けるよ。通帳とカードも」
「それなら考えてあげてもいいかな」
「いいかな、じゃないよ。みどりも謝れよ」
「なんで私が」
「仲直りも中途半端な状態で雅紀くんと暮らしてるなんてアリかよ?」
「それはだって、雅紀はプロポーズしてくれたし」
「俺もしたじゃん」
「本気かどうかわかんないよ。あれじゃ」
「雅紀くんのほうこそ本気なはずないって。ヤリチンレベルは俺以上じゃん」
何やら聞き捨てならない話になってきたので、帰宅したことを知らせることにした。
「ただいま」
わざとらしく大声で言って、ゆっくりとした歩幅でリビングへと向かい、ドアを開けた。
「おかえり」
「お邪魔してます」
目を伏せたみどりの隣に、こちらを睨みつけている律。
仲直りは済んだようなのだから、苛立ちを向ける必要はないだろうに。
「久しぶりだな。えっと、聞く必要ないかもしれないけど、念の為に聞いておくことにする。……みどりはどっちのプロポーズを受ける?」
「えっ?」
結局思った通りの展開になりそうだが、白黒ははっきりさせて欲しい。
父親がわからない子どもを身ごもっているのはさそがし不安であろう。だとしても、二人からプロポーズを受けているのだから、どちらを父親とするかは決めなければならない。
しかし、みどりは答える素振りがなく、律のほうには視線をくれずに、こちらをちらちらと見ている。
その様子を見るに、当然というか、聞くまでもなく答えはわかった。
律のほうはみどりに不安げな目を向けながら、はらはらとした様子を見せているから、気づいてはいないようだ。
となると、ここは自分が背中を押したほうが早いかもしれない。
「律、言っておくけど僕はあの日以来手を出していないよ。プロポーズはしたけど、みどりは律への想いを未だ抱えていた様子だったから、ここで暮らしていてもまだ婚約者らしい関係ではなかった」
「そうなの?」
律の目が大きく見開く。
「……それは本当」
心を決めたらしいみどりがぽつりと答えた。
「本当ってどっちが? 何もしてないってことか、俺への想いを──」
「どっちもだよ」
みどりが答えると、律はいきなり彼女を抱きしめてキスの雨を降らせ始めた。
「早くそう言えよ」
「……だって」
互いに抱き合い、見つめ合って相手を甘く攻めながらキスするのを繰り返している。
なんだこの茶番。
脱力しつつも肩の荷が下りた気分になった生田は、これでようやく大手を振って母親に会えると思い立ち、濃厚なキスへと変わった二人に声をかけるのを控えてマンションを後にした。
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