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第20話 幼馴染の思い違い

 有給は残り二日。  母に結婚することを言い出せず、バスで15分ほどの距離にもかかわらず、この一ヶ月一度も顔を出さなかった。  しかし、もう隠し立てすることはない。  後ろめたいこともないのだからと、意気揚々と実家へ帰った。    仕事から帰ったばかりだと言う母に出迎えられ、夕食作りの途中だったと聞いて交代し、まだ下ごしらえだったらしいそれを使って肉じゃがと酢の物、それと飛び魚のすり身の味噌汁を調理した。  帰郷の楽しみはおふくろの味と聞くが、生田家の場合それは雅紀の味になる。  母は同じ調味料なのに雅紀は加減が違うと言って大喜びし、積もり話に花を咲かせ、久しぶりとなる親子の会話を楽しんだ。    そして仕事で朝の早い母が就寝したあと、生田は一人ベランダへと出て、煙草を吸いながら兄に報告の電話をかけた。 『どうした? 母さんに話した?』    3コールほどして電話に出た兄は、用件がわかっていたらしく先回りで問いかけられた。   「話したのはそっちだろ?」 『俺は言ってないぞ』 「俊介にだよ」  わざと怒りを滲ませた声で兄を咎めたあと、丸く収まったことを話した。 『なんだ。せっかく落ち着くと思ったのに』 「落ち着くのは兄さん一人で十分だよ。それより、この話俊介に伝えてもいいけど、誰にも言わないよう口に戸を立てといて」 『は? なんで? あいつが誰かに話すことなんてないだろ』 「わざわざ頼んでることから察してくれよ」 『なんだ? 狙ってた子に漏らされでもしたのか? 人を責める前に遊ぶこと自体大概にしておけよ』 「そんなんじゃない」  そう。狙っていたとか遊び相手だったわけじゃない。  願わくばというだけだ。  それに、他の誰にも触れさせたくない独占欲と、嫉妬を覚えただけ。  そんな感情を抱いたのは彼以外にいない。  彼以外に、すげなくあしらわれたあとも友人としての関係を続けられたらと願った相手は、今までにいない。    だからこそ、婚約解消したことを知られたくない。  以前とは違って、今の彼には相手がいるのだから。  身勝手なことだけど、そんな状況で友情を続けるなんて、考えるだけで嫉妬に苦しんでしまいそうだ。  空港へ行く前に、友情を続けるのは難しいと伝えたら、彼は受け入れてくれたようだったから、このまま知らせなければ、おそらく連絡してこないだろう。   だから、彼にはこのまま結婚する予定だと思ってもらっていたほうがいい。  翌日の午後、飛行機で自宅へと帰り、以前通りの日々に戻った。  彼に会う以前の日々に。  いや、彼に出会って以来、友人や同僚からの誘いは断るようになったから、その点だけは変化している。    以前の、その瞬間さえ楽しければいいと考えていた享楽的な自分が知ったら驚くことだろう。  過去のことなんて思い出すこともなく、未来の想像すらしない。目の前の快楽だけを味わう日々。  久世と出会って初めて知ったものと比較したら、そんなもののために生きているなんて馬鹿らしいとしか思えなくなった。  愉悦だけの快楽は、つらくもないけど楽しさも一瞬だ。重ねなければ麻痺していく。無為なうえに際限がない。    彼と会えなくても、たとえ孤独でも、そんな日々に戻りたいとは思わなかった。  その日もいつものように、仕事を終えて夕食を済ませ、スマホを見ながら煙草を吸っていた。  読書かスマホか。今や仕事以外の余暇はそればかりだ。  すると、吸い終えて煙草をもみ消したとき、手に持っていたスマホが振動した。  画面を見ると『桐谷俊介』の文字。  一瞬久世だと勘違いした自分に呆れつつ、受話ボタンを押す。 「はい」 『あ、雅紀?』  そういや、こいつが彼にバラしたことから始まったんだった。  関わらなかったとして結果に変わりはないものの、不必要に事を荒立てられたとは言える。 「……どうした?」 『あ……機嫌悪いな』  声に苛立ちが滲んでしまったらしい。   「別に。それで、どうしたの?」 『やっぱ、透に言ったのまずかった?』  いきなり彼の名が出てきて動揺してしまう。 「……なにが? なんのこと?」 『いや、みどりちゃんとのこと……』 「ああ」  その通りだが、なぜ俊介がやはりと言うのだろう。  仲が良すぎるという不満はあるものの、友人の友人なのだから、話したとして不思議ではない。 『もしかしたらって思ってたけど、おまえらその……いい感じだった?』 「えっ?」 『みどりちゃんと結婚するって聞く前は、付き合ってんのかと思ってたから』  何を言ってるんだろう。  俊介を交えて会ったのは一度きりだ。  その夜のことを仔細に思い返しても、そう思わせるような素振りはなかったはずだ。  久世が俊介にそう言ったのだろうか。まさか。事実でもないのに。 『……だから驚いて透に連絡したんだけど、さっき宏紀から律が本命だったことを聞いて、もしかして俺がかき回したかもって……わるかったよ』  かき回されたのは事実だが、だととして結婚は無理やりだったわけではないし、彼と付き合っていたわけでもない。  俊介が謝る必要はないはずだ。   「……何言ってんだよ。透とはただの友達だ。俊介が言わなかったら僕のほうから言おうとしてたくらいなんだから」  言うと、スマホの向こうから安堵のため息が聞こえた。 『じゃ、俺の勘違いだったわけか』 「そうだよ。そんなはずないじゃないか」 『でも透のほうは……そういや、透が修士取ったら西園寺議員の秘書官になるって話聞いた?』  彼のほうは、って何だよ。  そっちの続きが気になる。 「なに? 秘書官って? 透は院生だろ?」 『いや噂なんだけどさ。久世議員……あいつのお祖父さんが総裁選で勝っただろ? ゆくゆくは首相秘書官にしたいんじゃないかな。同僚が西園寺家に行った時、透が親父さんと来ている姿を見て、あの噂はマジかも、って言ってたからさ』 「……知らないよ」  彼は映画の話以外しない。プライベートなことなんて、最初に自己紹介をしあったとき以来話題に出されたことはない。そう。西園寺のことも話してくれないのだから。   『あ、そう。雅紀も知らないのか。いや、同僚が秘書官を目指してるからさ。コネつくれないかって言ってて、透がこっちに入るなら今のうちに親しくなっておきたいって言うから。でも俺には決まるまで隠すだろうと思ってさ』 「……僕にもそんな話はしないと思うけど」 『え? 俺より親しいだろうから聞いていてもおかしくないと思ったんだけど』 「なんで。俊介のほうが親しいだろ」 『あ……機嫌が悪い理由は喧嘩したからだった?』  それも事実……いや、あんなもの喧嘩だなんて呼べないだろう。 「喧嘩なんてしてないよ」 『その声はしてるな?』 「だから、してないって」 『……ああ、雅紀にその自覚がないってことは、透の八つ当たりだ。仕方がないことなんだから、気にしないほうがいい』 「八つ当たりってなんで?」 『いや、付き合ってないみたいだけど、あいつは雅紀のこと好きだろ?』  だからなぜそうなる? 意味がわからない。 『みどりちゃんのこと話したらめちゃくちゃショック受けて不貞腐れてたし、振られたと思って八つ当たりしたんだよ』 「それは……友達が先に結婚することがショックだっただけだろ」 『あいつそんなに繊細か?』 「知らないよ。でも好きとかはあり得ないと思う」 『まあ、そこまで言うなら俺の思い違いかもな。じゃ、もし透から秘書官の話聞いたら教えてくれ』 「……ただの噂なんだろ」 『いや、もしだよ。もし聞いたら……はい、わかりました。……ごめん! 行かなきゃならなくなった。まだ仕事中なんだわ。また連絡するよ。じゃ』  慌てた様子の言葉を最後に、返答する間もなく通話が切れてしまった。  まさか。  彼が好きでいてくれているなんて、あり得ない。  俊介はなかなかに勘の鋭いところがあるが、こちらが好きというのは事実としても彼からは拒否されているのだし、なにより西園寺がいる。  自分よりも以前から親しくしている俊介の目からそう見えたとしても、あり得ない。  それも、あり得ないことのはずだ。

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