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第2話
「おはよ、お父さん。元気にしてる?」
「ああ、元気だよ。麻由子はどうだ?」
久しぶりの娘の電話の向こうからは、ザワザワと人の話し声と電話の鳴る音が聞こえる。こんな時間からもう職場にいるのだから、相変わらず忙しいのだろう。そんな中でも連絡をくれる娘の優しさに、思わず笑みが零れた。麻由子は今時の娘らしく気の強く頑固なところがあるが、根は優しくて気遣いも出来る。百合子に似てくれて本当に良かったと思う。
「うん、うちは元気‥‥。今週の金曜だけどさ、お彼岸じゃない?半休取ってお墓行こうと思うの。だからそっち帰ろうかと思って」
「別に構わんが‥‥法事の日は大丈夫なのか?」
麻由子の勤める大手編集社は多忙を極めており、気軽に休みは取れない。妻の命日は9月の末で、一周忌の法事を予定しているからその日に来るのだろうと思っていたのだが‥‥‥。
「大丈夫よ、その日も休めるから」
「そうか、なら良い。じゃあ布団干しとくぞ?あと、晩メシはまた出前でも構わんか?」
「うん、なんでも良い。‥‥‥あのさ、お父さん‥‥‥」
おや、と思う。麻由子にしてはなんだかはっきりしない言い方が気にかかった。
「どうした?」
「実は‥‥もう一人、来るんだけど良い?」
「え!‥‥わ、わかった。もしかして、男か?」
「‥‥‥私にとって大事な人なの。意味わかるでしょ?」
「お、おう。じゃあ夜は寿司でいいか?」
「勝手に張り切ったりしないで!夜ご飯は私作るから、キッチンだけ使えるようにしといて。多分6時くらいになるけどよろしくね。それじゃ、忙しいから。またLINEする」
「あ!おい」
ガチャン、ツーツーという電子音を聞きながら、私は呆然と立ち尽くしていた。
ついにこの日がやって来てしまった‥‥‥あの麻由子が男を連れて来るのだ。多分、麻由子の性格からいって真剣に結婚を考えているに違いない。いや、もしかしたらもう娘さんをください!というアレをやられるかもしれない!!
一体、どうする?さっきまで早く麻由子に落ち着いて欲しいと思いつつ、いざとなると喜びより不安が大きかった。こんな時、百合子が居てくれたら‥‥‥!相手は長男だろうか?兄弟は?両親は健在か?出身は?麻由子の年齢からいって年下というのも十分あり得る。
いや、待て。落ち着け。麻由子はもう32だ。麻由子が真剣に結婚を考えているのなら、私がどうこう言う権利など無いではないか‥‥。
ふぅ、と一息ついて、残っていた麦茶を飲み干す。どんな相手であろうと、麻由子にはお前の好きにするといいと伝えてやろう。私達夫婦は親族全員に祝福されて結婚できたわけではなかったから、その分も精一杯祝福してやらなくては。
しかし‥‥、こう言う時はどんな格好をすればいいのか?退職して久しいし、スーツはあるにはあるがさすがにオカシイだろう。向こうがスーツでなければむしろ恥をかかせてしまうだろうし。それか、今着ているような襟付きのポロシャツでいいだろうか。いや、よく見るとこのシャツもだいぶくたびれて来ている。
「うーん、新しいものを買うか‥‥」
今日は久しぶりに、ショッピングモールまで行って服を見てくることとしよう。モールまでは車で15分ほどだ。ついでに昼もモールで食べて、買い物も済ませてしまおう。そうと決まれば、と私は洗濯機を回し、皿洗いに取り掛かった。 ふと、家の前の通学路を急ぐ子供達の足音と笑い声がかすかにした。百合子はきっと毎朝、小さな麻由子を玄関から見送ってこんな風に洗い物をしていたのだろう。
ついに麻由子も結婚か‥‥‥‥。いつまでも15歳くらいの気分でいたが、もうすっかり大人の女性なのだ。淋しい気持ちはもちろんあるが、それよりも晴れやかで誇らしい気持ちだった。百合子が生きていてくれたらどんなにか喜んだことだろう。そう言えば、百合子のウェデイングドレス、取ってあるんだったな‥‥。どこにしまってあったかな?
洗い物を終えて、濡れた手をタオルで拭きながら、私は鼻歌まじりで2階の部屋へと続く階段を上っていた。
つづく
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