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第6話 期待しちゃいけない

 声がした方に目を向けると、そこにはサリスがいた。  いつも通りのニコニコとした人懐っこい笑みを浮かべたサリスは、イグナスの肩に自然と手を置く。  ふんわりとした栗色の髪が動くたびに揺れて、思わず触ってみたくなる。  高身長なのにまるで威圧感がないのは、彼の柔和な性格が滲み出ているからだろう。 「今度はぜひ俺の部屋にも来てほしいな。寝坊が多くて困ってるんだ」  サリスは穏やかな口調でそういうと、にこりと笑顔を添えた。  サリスは、アルフレッドの幼馴染であり、イグナスの唯一の友人である。  基本的にアルフレッド以外の人間とは話さないイグナスであったが、サリスとは中等部に編入してすぐに仲良くなった。  リュシアン家は軍事を担う有力貴族で、その跡取りであるサリスは武力に長けている。大きな体躯に、筋肉のついた四肢でありながら、柔らかな印象で、人の懐にはいるのがうまい。学校では男女問わず、彼を慕う者が多く人格者である。 「サリス。また冗談ばっかり言って……」  なぜこんなに自分の周りは変な奴が多いのだと、イグナスは呆れた。  一方、アルフレッドはサリスの言葉に一瞬表情を固めると、イグナスの肩に置かれた彼の手を掴んだ。 「……サリス」  アルフレッドの声が重く震える。 「ん?」  いつも通りの微笑を添えて、サリスが首を傾げた。  アルフレッドは、サリスに一歩近づく。口端は少し上がっているが、その目は全くもって笑ってはいない。 「俺の侍従を誘うとは、いい度胸だな」 「ああ、ごめんごめん。じゃあ代わりに僕の侍従を貸し出すよ」  サリスは軽く笑いながら、掴まれた手をさらりと外す。  二人の視線が交わる瞬間、わずかに空気が張り詰めた。  イグナスは、また始まった、とため息をつく。  サリスはいつもそうなのだ。アルフレッドを揶揄いたいのだ。喧嘩するほど仲が良いというが、まさしくそうだ。  けれど、そんな二人がイグナスは羨ましくもある。  イグナスとアルフレッドでは、喧嘩にもならない。侍従と主人の関係は、それ以上でも、それ以下でもない。  主人からの言葉を受け入れるしか、自分には選択肢がないのだから。  それが嬉しくもあり、同時にどこか、悲しくもあった。  しばらく睨めっこをしていた二人だったが、アルフレッドの諦めが混じったため息で、それは終わった。 「……もう、いい。お前と話しても時間の無駄だからな」  こいつに何を言っても無駄だ、と言外に真意を込めて、皮肉たっぷりにアルフレッドが告げる。 「えー、そんなこと言っちゃう? 悲しいなぁ」  サリスは軽やかにニコニコと笑う。もちろんその言葉には悲しみなんて少しも滲んでない。  その時、廊下に無駄に明るい声が響いた。 「王太子殿下、ご機嫌麗しゅうございます」  三人の視線が、同時に声に向かった。  錆びたブロンドの髪。微笑みを貼り付けたような表情。頬には存在感のあるそばかす。  エドモンド=ハーヴェイだ。  高等部でも名の知れた名家の出であり、元は公爵家だ。  血筋を辿れば王族の末裔にまで行き着くが、その父ハーヴェイ卿は三年前に麻薬の製造の罪で辺境に追放された。けれど、辺境で三年の務めを終え、この度中央へ戻ってきたらしい。  エドモンドはアルフレッドだけを視界にいれて、大袈裟なほどに恭しく頭を下げた。 「エドモンド、久しぶりだね」  横からひょこりとサリスが割り込んで声をかける。  その瞬間、エドモンドから笑顔が消えた。 「相変わらず馴れ馴れしい。リュシアン家程度が僕に気安く話しかけるな」  途端に、声色が変わった。  エドモンドはサリスを見下すように、顎を突き出す。  けれど、長身のサリスを物理的に見下すなんて、エドモンドにはもちろん無理で、どうしても滑稽に見える。そのことに、きっと本人は気づいてないのだろう。 「そんな言い方するなよ。辺境地はどうだった? 空気が澄んで、ラリったお父上の養生にはぴったりだったんじゃない?」  サリスにしては、珍しく棘が潜んでいた。  イグナスは心の中でほくそ笑んだ。なんせエドモンドが大嫌いなのだ。  彼には昔から『ネズミ』呼ばわりされてきた。『薄汚いネズミのくせに』と何度言われたことか。  純血至上主義の彼にとって、出自もわからないイグナスは、下等生物でしかないのだ。  サリスの言葉にエドモンドの顔が歪む。 「……僕にそんな口のきき方をしていいと思ってるのか?」 「なんで? 今は“同じ爵位”だろ?」  さらりと返すサリスに、エドモンドの眉間がぴくりと動いた。 「……下賤な血の分際で調子に乗るな」  そう冷たく言い放った後、エドモンドはすぐに、「ああ」と付け加える。 「殿下のことを言っているわけではありませんよ」  挑発的な、それでいて人を見下した笑みに、イグナスが一歩前に出る。  アルフレッドの母セレイナは平民の出だ。  奴はそのことを「下賤な血」と言ったのだ。  反射的に殴ってやろうかと思ったが、アルフレッドがそれを腕で制する。 「大変申し訳ないのだが……」  そこで初めてアルフレッドが口を開いた。その声色は静かだが、相手を圧する気迫がある。 「貴殿、名前は? 前にお会いしたことがありましたか?」  嘲るようなアルフレッドの表情に、エドモンドの顔が怯む。  自身が全く相手にされてないことを悟ったエドモンドは頬を赤らめて、ひくつかせた。 「……あは、ははは。殿下はご冗談がお上手で。あ、私、用を思い出しましたので、この辺で、えっと……、失礼させていただきます」  そう言うと、エドモンドは足早に去っていった。  去り際に、イグナスを一瞥して、「この野良猫が」と吐き捨てられたが、少しの感情も荒立たなかった。 「野良猫だってよ、イグナス」  サリスは肩を軽く叩きながら笑う。 「前まではネズミだったからな、少し昇格した」  イグナスはそう言いながら、アルフレッドに目を向けた。  見た目には出していなかったが、内心腹立たしかっただろう。  チラリと目を見たその表情は、怒りの色が滲んでいた。 「行くぞ、イグナス」  アルフレッドはそう言って、イグナスの腕を乱暴に引いた。 「うおっ」  急に腕を引っ張られたので、思わず体勢が崩れる。その体勢のままイグナスはサリスに手を振ると、早々と歩くアルフレッドに必死でついていくしかなかった。  歩いている間、アルフレッドは何も言わなかった。ただ、後ろから垣間見えた彼の横顔は、泣きそうな、それでいて、思い詰めているような、そんな切ない顔に見えた。  それほどまでにエドモンドの言葉に腹が立ったのだろうか。  裏庭に差し掛かったあたりで、アルフレッドの歩幅が緩まり、徐々にスピードが落ち、ついには立ち止まった。  ずいぶん遠いところまで歩いたものだ。  裏庭は、ここだけ時間が止まっているかのように静かで、周囲には人の姿も見えない。 「どうしたんですか?」そうイグナスが言うよりも前に、アルフレッドの口が開いた。 「前から思っていたが、お前、なんでサリスにはタメ口なんだ」 「へ?」  エドモンドのことで傷ついているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしく、イグナスは思ってもいなかった言葉に目を瞬かせる。 「サリスにだけタメ口なのは、どうしてかって聞いてるんだ」  聞こえてないと思ったのか、アルフレッドは同じ質問を繰り返す。  イグナスは、えっと、と少し考えてから答えた。 「友達だから……ですかね?」 「じゃぁ俺は? ……俺にはなぜタメ口を使わない?」  続けざまの問いに、イグナスは躊躇った。アルフレッドの意図がわからない。 「それは、アルフレッド様が主人で、私が侍従だからですよ」 「でも、二人の時は敬語は使わない約束だろう?」  食い下がるアルフレッドに、イグナスはキッパリと言い切った。 「それでもここは、学校です。誰が聞いているかわかりませんから」  もし学校で、イグナスが「おい、アルフ!」なんて呼んでいるのを見られたもんなら、大問題だ。  侍従が王子に無礼を働いたと言われるだけでなく、使用人の躾もできないのかと、アルフレッド自身が次期王様としての素質を疑われかねないだろう。  だから、イグナスは細心の注意を払って、屋敷で二人の時以外は、敬語で話をするようにしているのだ。 「……わかった。お前にとっては、友達の方が近い距離にいるんだな」  自虐的に笑うアルフレッドは、小さくため息をつくと、イグナスに背を向けて歩みを進めた。  距離がどんどん遠くなっていく。  ――嫉妬? サリスに嫉妬をしているのか?  イグナスの胸を淡い期待が横切る。  期待なんてしてはいけない、そう思うけど、アルフレッドの言動は明らかにそれとしか思えず、イグナスは胸を高鳴らせる。  期待しちゃだめだ。浮いた心はどうせ落とされる。  高く浮つけばそれだけ落ちる時の落差に苦しくなるとイグナスは知っている。  そうわかっているのに、期待を隠せない自分がいる。  呼び止めようとしたその時、アルフレッドが立ち止まる。 「……そうだ。今夜、“あれ”を呼んでおいてくれ」  アルフレッドは後ろを振り返ることもせず、そのまま立ち去っていった。 「あれ……か」  イグナスの胸に沸いた淡い期待は、瞬く間に霧散した。  ――だから期待しちゃダメなんだって。  イグナスは鼻がツンと痛むのを堪えるように、ギュッと唇を噛んだ。

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