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第7話 高級娼婦
アルフレッドは自分のことを好いてくれていると思う。
でもそれはイグナスの「好き」とは、形も重さも違う、全くの別物だ。
アルフレッドのそれは、責任感からくるものであることを、イグナスは知っている。
幼い頃に自分が拾った子供の面倒を見なければいけない、その庇護欲から自分を大切にしてくれているだけだ。さしずめ、イグナスはアルフレッドにとって弟のような存在だろう。
けれど、イグナスの「好き」は違う。
手を握りたいし、抱きしめられたいし、キスしたいし、その先もーー。
アルフレッドの全てが欲しい。
アルフレッドの善意の「好き」と、イグナスのドロドロとした欲まみれの「好き」では大きな隔たりがある。
別にそんなことわかっていたつもりなのに、わかってて側にいようと決めたはずなのに――。
「今夜〝あれ〟を呼んおいてくれ」
「……かしこまりました」
隠語のように伏された〝あれ〟は、コルティジャーナ、いわゆる貴族専門の高級娼婦のことだ。
教育係のガルバに見つかれば説教されるに違いないからと、アルフレッドはその手配をイグナスに命じた。
アルフレッドも男だ。そういう気分になることもあるだろう。
自分だけで発散できない日があるのも、同じ男として理解している。
王子という立場上、簡単に恋愛もできないわけで、そういった処理は、口の固いプロにお願いするのが一番建設的だと、頭ではわかっている。
それでも、いざ今からアルフレッドに抱かれるであろう女を前にすると、イグナスは嫉妬で狂いそうになった。
胸の中を巡る濁流は、抑えようにも次から次に溢れ出る。それはひどく醜く、自分でもどうしようもない。
それでもこれが自分の仕事だとイグナスは歯を食いしばる。
「王子、お目見えになられました」
アルフレッドの部屋の扉をノックするイグナスの後ろには、長い銀髪の女が、華やかなドレスに身を包み、立っている。
女をチラリと見て、イグナスは思った。
――またいつものタイプだ。
アルフレッドは、同じ娼婦を二度は呼ばない。
けれども、どの女も似た系統だ。
性格のきつさが顔に表れている、銀色長髪美人。
それが彼の好みなのだろう。今回の女もまさしくそうだった。
紅い口紅が、女を一層艶かしく見せ、甘い香油が有無を言わさず、鼻腔に広がる。
わざと胸元のあいた服を着ているのだろう、歩くたびに揺れるそれにイグナスは反吐が出そうだった。
娼婦にとって、王子の相手ができるなんて、まさに玉の輿のチャンスである。
うまく取り入れば、将来の王妃、もしくは妾くらいになれるかも、という下心もあるのだろう。それが透けて見えた。
ガチャとドアが開き、中からアルフレッドが出てくる。
どうやらシャワーを浴びたあとらしい彼は、ゆったりとしたリネンのガウンだけを着ていた。
まだ濡れている髪から滴る水が、アルフレッドの魅力を引き立たせている。
その姿にイグナスは思わず、ゴクリと唾を飲んだ。
「ああ。待っていたぞ。」
アルフレッドはそう言うと、娼婦の肩に手を回し、後目でチラリとイグナスを見た。
何かを語りたそうなその瞳とは裏腹に、アルフレッドはイグナスに命じる。
「……お前はもう下がっていい」
「かしこまりました」
目の前の扉がバタンと閉まった。
イグナスは一秒でも早くその場を去りたくて、踵を返す。
自室へ帰る背中に、アルフレッドと娼婦の艶かしい声が扉越しに聞こえてきそうで、いつもより大股で早々と歩く。
ここにガルバがいれば、「廊下はもっとゆっくり歩くこと!」と叫び散らすところだろう。
けれど、今はそんなことも構わない。
その扉の向こうでアルフレッドがどんな言葉をかけ、どんなふうにキスをし、どんなふうに女の体を愛すのか。
それを知るのが怖かった。
イグナスは自室につくと、扉を勢いよく閉めた。
その瞬間、その場に崩れ落ちた。
今夜、アルフレッドはあの女を抱く。自分ではない、誰かに愛を囁くのだ。
長い銀髪が目に浮かぶ。
あの女と自分との間に何の差があるのだと言うのだ。
――長い銀髪でいいなら、僕だっていいじゃないか。
そう言ってしまいたいけれど、本当はわかっている。
自分では変わりにはなれないことを。
本当は全てわかってる。わかっていて、それでも願わずにはいられない。
――アルフレッドに抱かれたい。
日に日に大きくなっていく欲望は、少し触れれば割れてしまう風船のように今にも破裂しそうなほど大きく膨らみ、もはやイグナスの内に抑えることが難しくなっていた。
* * *
「王子、お時間です」
決められていた迎えの時刻に、イグナスは努めて無表情に、アルフレッドの寝室の扉を叩いた。
扉が開き、中から娼婦が出てくる。
娼婦は来た時のまま、服はおろか髪の一筋も乱れてはおらず、化粧も崩れていない。
イグナスには肌を重ね合った経験などないけれど、こんなに事後も乱れないなんてさすがプロだな、と感心する。
だが一つ、最初と違うのは、娼婦が不機嫌な面持ちだと言うことだ。
部屋の中に目を向けるとアルフレッドは、奥の椅子に腰掛けて読書をしており、特に娼婦を気がける素ぶりもない。
先ほどまで愛し合っていた二人にしては、名残り惜しさのかけらもないが、恋人でないならそういうものなのかもしれない。
「外までお送りいたします」
そう告げたイグナスの顔を見て、娼婦は一瞬動きを止めた。
それから小さな声を漏らした。
「……なるほど」
あまりに小さな声に聞き漏らしそうになるが、確かに聞こえた。
そして娼婦はチッ舌打ちをして、不機嫌そうに腕を組んで歩き出した。
――まただ。
娼婦の機嫌が帰る時に悪くなっているのは、何も今日だけのことではない。
なかには、「娼婦のことなんだと思ってるの?!」とイグナスに暴言を吐く女や、「屈辱的だわ」と唇を噛む女もいる。
きっとアルフレッドには、王子という立場上言えないため、代わりにイグナスに不満を爆発させるのだろう。
その度にイグナスは、アルフレッドは一体どんな特殊なプレイをしているのかと、思考を巡らせた。
そして、自分ならそんな悪態をつくことなく、アルフレッドの思うままのことをなんでもしてあげられるのに、と卑しくも思ってしまうのだった。
王城のいくつかある裏口の一つまで娼婦を送り届けると、イグナスは、それでは、と頭を下げる。扉を閉めようとしたところで、娼婦の声がそれを妨げた。
「銀髪のあなた、王子の御付きよね? よければ言付けをお願いしたいの」
先ほどまでの不機嫌が嘘のように、娼婦はにっこりと微笑む。
今回もとんだ罵声を浴びせられるのだろうかと、覚悟を決めたイグナスの耳に入ってきたのは、穏やかな声だった。
「今日はとても気持ちよかったわ。次はもっと深くまで愛し合いましょうね」
艶かしい口調で発せられた言葉は、粘度を持ってイグナスの耳に張り付く。
イグナスは口だけで微笑むと、伝えておきます、とだけ言ってその場を後にした。
背後で娼婦が、小さく吐き捨てる。
「あの王子、困るといいわ。私をコケにした罰よ」
けれどその声は、イグナスには届かずに、夜に溶けていった。
* * *
「イグナス、遅かったな」
部屋に戻ると、アルフレッドは変わらず、読書をしていた。視線は本に向けられたままだ。
ふと視界に入った寝台のシーツは、皺のひとつもないほどにまっすぐ綺麗に敷かれていた。
イグナスが見送りに言っている間に、メイドに綺麗にするようにでも頼んだのだろうか。
――ここで二人は、さっきまで互いを求め合っていたのだな。
そうと思だけで、胃から酸っぱい何かが逆流してしまいそうになる。
「そういえば、さっきの女から言付けを頼まれたぞ」
イグナスはせり上がったそれを静かに飲み込み、いつもの声で言葉を発した。
「ふっ、何か暴言でも吐いてたか?」
いつものことだろうとアルフレッドは目を細める。
「いや、違う。『今日はとても気持ちよかったわ。次はもっと深くまで愛し合いましょうね』……だそうだ」
冷静に、かつ、一文字も間違えることなく、言葉を告げる。一文字だって忘れることができなかった。
その言葉と同時に、アルフレッドの口に残っていた笑みがすぅっと消え、小さく声が漏れた。
「あの女……」
アルフレッドは持っていた本を閉じて、イグナスを見た。
何かを言おうとして息を吸って、唇を噛み、息を漏らしながら目線を逸らす。
アルフレッドが何かを告げようとしていることはすぐにわかった。
けれども、その言葉を聞く勇気がでず、イグナスはアルフレッドより先に口を開いた。
「よかったな、相性のいい相手が見つかって」
――あんな女やめろ。どうせお前の肩書きしか見てない。
「案外お似合いだったぞ」
――全くもって釣り合ってない。
「いっそのこと娶ったらどうだ?」
―――嘘だ。そんなこと思っていない。
沈黙を埋めるように、言葉が勝手に口から洩れ出る。
二人の時は敬語を使わないからか、ついお喋りになってしまうことはよくあるが、今日のはそう言うレベルじゃない。
まるで誰かに操られているかのように、思ってもない言葉ばかりがすらすらと出てきてしまう。その様子に、イグナス自身が一番驚いている。
イグナスはアルフレッド視線を伏せたまま小さく笑った。
「俺もお前が早く結婚してくれると嬉しいよ」
そのとき。言葉を言い終えた直後、イグナスの口に何かが押しつけられた。
物理的に抑えられた口は、やっと動くのをやめる。
イグナスは最初何が起きたかがわからなかった。
だって、自分の口に当てられたそれは――アルフレッドの、唇だったから。
アルフレッドはイグナスの後頭部に手を回し、自身の唇を押し当てると、もう片方の手でイグナスを背中を強く引き寄せた。
思いがけないファーストキスに、頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。
ただ、触れた唇だけが熱をもって、存在感を示す。
目を閉じて良いのか、開けてればいいのかもわからなければ、なぜキスをされたのかもわからない。
何もかもがわからないことばかりだったけれど、彼が自分にキスをしてくれた――その事実に、涙が出るほど幸せを感じた。
その涙が、イグナスの目から溢れ頬を伝ったと同時に、ばっと半ば月駑馬されるようにアルフレッドの体が離れた。
こぼれ落ちる涙を見て、アルフレッドの顔が青ざめていく。
「ごめん」
アルフレッドはそう言うと、イグナスから視線を逸らす。声はひどく焦っているようだ。
「これはその、深い意味はなくて……。お前が話すのをやめないから……」
徐々に小さくなっていく声を聞いて、イグナスは理解した。
――そうか。別に好きだからキスしたわけではないんだ。
さっきまでふわふわと浮いていた心が、急に重力を思い出したかのように、イグナスに重くのしかかる。
「わかってますよ。これくらい」
イグナスは自嘲するように笑った。
「私も少しふざけすぎました。すみません」
イグナスは決してアルフレッドを見ないように努めて、それではおやすみなさい、と頭を下げて部屋をでた。
一秒でも早く、この場から離れたくて仕方がなかった。
扉を閉めて、アルフレッドの部屋の扉に外側からもたれる。
手でそっと触れた唇は、まだ熱を持っている。彼の感触を覚えている。
たとえ、あれがアルフレッドにとって事故だとしても、間違えだったとしても。
――それでも、嬉しかった。
愛のないキスだとしても、どうしようもなく嬉しくて、イグナスはその日、そのキスの熱を思い出してひとり慰めた。
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