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第13話 イグナスの隣 ーアルフレッドー

 イグナスと出会ったのは、アルフレッドが八歳の頃だった――。  母の病気療養も兼ねて訪れた辺境の地ピューロで、アルフレッドはため息をついていた。  せっかく学校が長期休暇だからのんびりできると思っていたのに、教育係のガルバがやけに張り切っているのだ。 「学校がない時にいかに努力するか! 勉強はそれにかかってます!」  そう鼻息荒く説いては、すぐに休憩をしたがるアルフレッドに「しっかりしなさい!」と喝を入れる。ここに来てから一週間が経つが、毎日勉強漬けの日々だ。  これでは王宮にいるのとなんら変わらない。いや、王宮よりも地獄だ。  これ以上ここにいては頭がおかしくなると、アルフレッドはトイレの小窓から外にでた。  トイレの扉前に置いてきた護衛には悪いが、これも全て、スパルタ人間ガルバのせいだ。恨むならガルバを恨め、と心の中で唱える。  さて、どこにいこうか。  街を歩いていれば、きっとすぐに見つかってしまう。  見つかれば最後、ガルバからのお仕置きが待っている。  とりあえずどこか一人になれるところ、と考えて、アルフレッドはピンときた。  ――『禁じられた森』に行こう。  ここに来るまでの道中で、ガルバに聞いた『禁じられた森』。  なんでも、一度入って戻らなかった人がたくさんいるだとか、人ならざる者がいるだとか、夜になると獣の鳴き声が轟くとかで、村人たちは『禁じられた森』と呼んで立ち入りを禁止しているらしい。  どうせ子供騙しだろうと思っていたが、村人たちが本気で恐れているのを見ると、もしかしたら本当なのかもしれない。  一人になりたいついでに、本当に怖い森なのかどうか調べてやろうと、半ば好奇心に駆られ、アルフレッドは禁じられた森へ足を向けた。  森の入り口には、立て札が掲げてあるが、アルフレッドはそれを特に読もせず、ぐんぐん先に歩き進んだ。  歩き出して、半刻が経っただろうか。  特にこれといって変わったことは起きなかった。  なんだ、やっぱり子供騙しだったのか、と内心わずかに安堵していると、目の前の一際大きな木の根元に人の姿が見えた。  そこには、自分と年齢が同じくらいと思われる少女が、大木に身を委ね、目を閉じていた。  白銀髪の長い髪は、木漏れ日に当たると煌めいて、風に軽やかになびく。  その姿がとても神秘的で、アルフレッドは、もしかしたらこれが村人が言っていた人ならざる者――例えば、大木の妖精なのかもしれない、と思った。  アルフレッドはゆっくりとその少女に近づいた。  近くで見て、アルフレッドは驚いた。その少女はあまりにボロボロなのだ。  妖精なんて見たことないけれど、きっとこんなにボロボロじゃないはずだ。どうやら羽も生えていないらしい。  アルフレッドは恐る恐る、少女に声をかけた。 「おい、お前死んでんのか?」  少女の身体は少しだけぴくりと動いたが、それ以上は話すことも目を開けることもなかった。  どうやら死んではないらしい。なのに返事がない。  アルフレッドは声を掛け続けた。    こうなったら半ば意地だ。  少女が目を開くまで、絶対にここから離れない。そう決意する。  目を閉じていても美少女だということがわかるこの少女は、どんな声で話すのか、どんな仕草をするのか、どんな瞳の色なのか。なぜここで寝ているのか。  それを知るまでは帰れない。  けれど、少女は一向に目を開かなかった。  こうなったら耐久戦だ、とアルフレッドが長期戦を覚悟した、そのときだった。 「……うるさい!」  少女が上体を起こし、そう叫んだ。  開かれた目から覗く、その瞳にアルフレッドは思わず息を呑んだ。  それは、とても綺麗な赤色だった。  まるでゆらりと揺れる穏やかな炎のような彼女の瞳が、アルフレッドをきっと睨む。  彼女に睨まれた瞬間、全ての音が消えた。  木々のざわめきや、虫の鳴き声、かぜの囁きが全て一瞬にして。  世界がアルフレッドと、目の前の銀髪少女だけになる。  今思えば、一目惚れだったのだろう。  可憐な容姿をもつその少女の性別が、実際は男だと知ったのはそのすぐ後だった。  少年は、アルフレッドが王子だということを知らないのか、遠慮のない口調で話を返してくる。  それがとても新鮮だった。  学校でも、王宮でも、アルフレッドにとって人間は二種類だった。  媚びて自分に取り入ろうとする者と、恐れをなして遠巻きに見つめる者。  そのどちらにも、うんざりだった。  けれども少年は、違った。  アルフレッドの事を恐れていない。媚びもしない。それどころか、邪険にしてくるほどだ。  早くどこかに行ってくれと言わんばかりの態度を取られるのは、もちろん初めてで、アルフレッドはなぜか嬉しくなった。  彼になら、自分自身を見てもらえる気がしたのだ。  ふと、少年がアルフレッドに訊ねた。 「……お前、もしかして人間か?」  なんとも間抜けな質問に、アルフレッドは心の底から笑った。 「お前バカだな」 「バカって言うな!」 「いや、お前はバカだ」 「なっ……、俺はバカじゃない!」 「じゃあ、なんて呼べばいい? お前の名前を教えてくれよ」 「ル……」  そこで急に少年は押し黙った。  先ほどまでの軽快な会話が嘘のように、沈黙が漂う。  少年は小さく唇を噛み、つぶやいた。 「……俺に名前はない」  聞けば、少年には、名前もなければ、親もいないのだと言う。  いったいこれまでどうやって生きてきたんだと驚いたが、それと同時に、ラッキーだとも思った。  この少年をもっと知りたい、もっと一緒にいたい。  そう思ったとき、勝手に体が動いていた。 「名前がないのなら俺がつけてやるよ。イグナスなんてどうだ?」  アルフレッドの言葉に、少年は目を瞠っていた。  赤色の瞳の奥が、大きく揺れている。 「俺と一緒に来い、イグナス」  アルフレッドはイグナスに手を伸ばした。  イグナスは躊躇うように、でも縋るようにその手を握り返してくれた。  その出会いからすぐに、イグナスはめでたくアルフレッドの侍従になった。  父であるテオバルト王もなぜか気に入り、二人は常に一緒だった。  イグナスと一緒なら、ガルバのどんな指導という名のしごきにも、耐えることができたし、どんな苦難も乗り越えることができる気がした。  イグナスが隣にいてくれるだけで、無敵になれた。  この時はまだ、その想いをなんと呼ぶのか、アルフレッドは知らなかった。  そして、それを知ることになるのは、出会いから二年後のことだった。

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