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第15話 高級娼婦 ーアルフレッドー

 年月が経つにつれて、イグナスはますます綺麗になっていった。    少女のように可憐だった容姿は、いつしか大人の色気をまとい、ただそこにいるだけで周りの目をさらっていく。  それはアルフレッドが彼に恋をしているからといった欲目ではない。  廊下をすれ違う学友が、王宮を守る兵士が、社交界でご令嬢が――。  皆が性別を超えて、彼を目で追い、頬を赤く染めた。その光景を見るたびに、アルフレッドはひどく心がざわついて仕方がなかった。  ――俺の、イグナスだ。  そう言いたいのに、言えないのは、彼にとって自分はただの主人で、それ以上でも、以下でもないから。  誰にも触らせたくない。誰にも渡したくない。  このままの関係じゃだめだ。もっと深く、もっと近く――。  そう思った時、アルフレッドははっきりと気づいてしまった。  もう隣にいるだけでは、満足できないのだと。  愛していると伝えたい。そしてあわよくば、彼からも愛してもらいたい。  けれど、主人がそんな想いを伝えていいのだろうか。  侍従にとって、主人からの言葉は命令も同然だ。  もし、アルフレッドがイグナスに思いを伝えたとして、イグナスのことだ。同じ気持ちではなくとも、無理にその想いに応えようとしてしまうかもしれない。  だが、そんな偽りの愛が欲しいわけではないのだ。  このままでは、一生、イグナスに想いを伝えることができない。  困ったアルフレッドは三日三晩考えて、ある答えを導き出した。  イグナスに好きになってもらえればよいのだと。  つまり、イグナスに自分をアピールし、好きになってもらい、イグナスからその想いを伝えてもらうことができれば、晴れて二人は結ばれるというわけだ。  それからは、どうすればイグナスが自分を愛してくれるか、そればかり考えるようになった。  手始めに、まず自分を意識してもらいたくて、ちょっかいを出してみた。  同じベッドで寝てみたり、手に触れてみたり、軽口を叩いてみたり。  もちろん、どれも本気だと思われたら、「主人からの好意を無下にしてはいけない」と無理やり想いに応える可能性があるかもしれない。  だから、あえて余裕を演じ、冗談めかしてみたりしたが、内心は毎度、心臓が口から出そうなほど緊張していた。  しかし、イグナスは、アルフレッドのちょっかいに、多少ドギマギはするものの、まるで意識はしてくれなかった。  それどころか、「そういう言動は、お気に入りの娼婦にでもどうぞ」と言ってくる始末だ。  そもそも高級娼婦(コルティジャーナ)を呼ぶようになったのも、イグナスを振り向かせるための〝作戦〟が関係している。  その日、アルフレッドは、密かに計画を立てていた。  題して、『一緒に性処理作戦』だ。名前は下卑であるが、アルフレッドはいたって真剣だ。  内容は単純明快。 『性処理がうまくできないんだ』とイグナスに相談し、『どうしているか教えてほしい』とその流れで頼み込み、『じゃあ一緒に抜かないか?』とイグナスに言わせる。  もちろん自分から提案しては、それこそ主人としての立場を利用したものになってしまうので、あくまで相手の口から言うように仕向けるのが、この作戦の肝だ。  一緒に抜き合えば、嫌でもアルフレッドを男として意識するだろう。まずは意識してもらうところからでも、と思っていたが、現実はそんなに甘くはなかった。 「さ、最近性処理がうまくできないんだ」  真剣な表情を装うアルフレッドに、イグナスはわずかに目を丸くした後、少しだけ考えて静かに答えた。 「……娼婦でも手配するか?」 「え? 娼婦?」  イグナスの口から出た想像を超えた提案にアルフレッドは目を瞬かせた。  娼婦なんて言葉を、イグナスが知っていたことにも併せて驚く。 「以前、貴族を相手にする高級娼婦がいるとサリスに聞いた。プロだから、きっと口も堅いはずだ。手配しておこう」 「……そうだな、頼む」  まさかそんな返答が来るとは思ってもおらず、けれどもその場で訂正することもできず、そのまま娼婦を呼ぶこととなってしまった。  余計な入れ知恵をしやがって、と心の中でサリスを恨む。  もちろん作戦は、見事に失敗だ。  だが、完全な失敗というわけでもなかった。  その夜、イグナスが手配した娼婦が部屋を訪れた。  事前に、どういったタイプがいいかと聞かれたので、「長い銀髪の、釣り目な子が良い」と伝えたが、もちろんイグナスは、それが自分のことだとは露も思ってはいないようだった。  イグナスの手前、やってきた娼婦を仕方なく部屋に通したものの、もちろん何かをするつもりはない。ただ軽く世間話をして時間を潰した。  娼婦はこの状況を不思議そうにしていたが、アルフレッドとしては、イグナス以外とはしたくないので、仕方ない。  時間が来て、やってきたイグナスにアルフレッドは告げた。 「イグナス、彼女を表まで送っていってくれ」  そのときだった。 「……かしこまりました」  イグナスの声が、わずかに震えていた。  見ると、わずかに目元が赤く腫れている。  イグナスはすこし泣きそうな顔で下唇をキュッと噛み、娼婦と一緒にアルフレッドの部屋を去っていった。  ――もしかして、意識してくれたのだろうか。  思いもよらぬ反応に、アルフレッドの鼓動は勢いよく脈を打つ。  先ほど胸の開いた服を着た娼婦を前にしても、まったく高鳴らなかった胸が今はすごい勢いで動いている。  それからというもの、アルフレッドはイグナスの反応を確かめるように、娼婦を呼ぶようになった。  そのたびに顔を曇らせるイグナスを見て、アルフレッドは、もしかしてイグナスも自分と同じ気持ちなのでは、と淡い期待を抱かずにいられなかった。  本当はこんな無駄なこと、早くやめてしまいたい。  イグナスに似た髪を持つ娼婦を呼んでいることも、あえて綺麗なままのベッドにしておくことも、着衣の乱れがないことをさりげなく見せることも、全部、イグナスに気づいてもらいたいからだ。  自分でもこれが正攻法でないことくらい、わかっている。  だけれど、これ以上どうアピールすればいいのか、まったくわからないのだ。なんせ、恋愛初心者だ。教育係のガルバだって、恋愛のことは教えてくれなかった。    こんな風にしか、イグナスの気持ちを確かめることができない自分をひどく情けなく思う。  だから、罰が当たったのだろう。  その日、いつものように銀髪の娼婦を呼んだアルフレッドは、娼婦を部屋に招き入れた後で、お決まりの言葉を告げた。 「来てもらったところ悪いんだが、俺は君に手を出すつもりはない。時間が来るまでここでのんびり過ごしてくれるだけでいい。そうすれば、金はちゃんと支払う」  そう言うと、娼婦の反応はたいてい二つに分かれる。  金さえもらえばよいと納得してくれる者と、馬鹿にするなと怒りをにじませるもの。  けれど、今夜の彼女はそのどちらでもなかった。 「せっかくだから楽しみましょう、殿下」  彼女は、服をするりと脱ぐと、全てを露わにしてアルフレッドの前にたった。  よほど自分の腕に自信があるのだろう。紅く縁取られた唇がにこりと微笑む。  アルフレッドにとっては、初めて見る女性の裸体だった。けれど、驚くほどに興奮しない。心も体も、どこまでも凪いでいる。  その後も彼女は、胸の膨らみを押し当てたり、アルフレッドの下部を可愛がったり、あの手この手で誘ってきた。  しかし、アルフレッドのそれは少しも反応しなかった。  いつも一人でする時は、想像の中のイグナスの裸で、何度も果てることができるのに、生身の女性を前にしても、全くもって何も感じない。  かえってそれが、自分がいかにイグナスのことを愛しているのかを、浮き彫りにするようだった。 「やめろ。俺は君じゃ勃たたない」  アルフレッドは娼婦にそう言い放つと、椅子に腰を下ろし、裸の女を置いて読書を始めた。 「……じゃぁなぜ娼婦なんてお呼びに?」  女の顔が歪む。先ほどまでの猫なで声とはまるで違う、苛立ちの滲んだ声だった。  せっかく協力してもらうのだから、彼女には知る義務があるだろう。それにどうせ二度と会うことのない女だ。  アルフレッドは手元の本に視線を落としたまま、さらりと言ってのけた。 「あいつに似た長い銀髪の女性を呼ぶと、心なしか嫉妬してくれるんだよ。それを見ると、きっとあいつも同じ気持ちだったって思えるんだ。そのために、君を呼んだ」  娼婦がどんな顔だったかはアルフレッドにはわからない。  けれども、次に聞こえた声には嘲りが滲んでいた。 「そんなまどろっこしいことなさらずに、自分の口でお伝えしたらいいのでは」  わかってないなとアルフレッドは笑う。 「俺から告げたら命令になってしまうだろ。それに……」 「それに?」  聞き返す娼婦に、アルフレッドは恥ずかしげもなく告げた。 「もし嫉妬しているってのが俺の勘違いで、振られてしまったらどうする。自慢じゃないが、俺はあいつなしじゃ生きていけない」 「……なるほど。殿下ともある人が、こんなに腰抜けとは」 「ふっ、なんとでも言え」  アルフレッドは持っていた本を閉じて顔を上げた。  娼婦の蔑むような瞳でこちらを見ていたが、そんなものは全く気にならない。  彼女にどう思われたところで、痛くも痒くもないから。アルフレッドにとって大切なのは、イグナスからの評価だけだ。  程なくしてアルフレッドの扉をノックする音が聞こえた。イグナスだ。 「王子、お時間です。お帰りの準備をお願いします」  声と同時に、娼婦はすぐに扉を開けた。プロとしての矜持を傷つけられたからか、彼女は明らかに不機嫌な態度だった。  今回もいつも通り、イグナスが嫉妬しているような様子を見ることができたと満足していたのも束の間。問題が起きた。  彼女を送り、戻ってきたイグナスが、女から言付けを頼まれた、と言うのだ。  たいそう不機嫌だったし、何か暴言でも吐かれたかと思っていたが、彼女の言付けは、アルフレッドの予想とは異なっていた。 「『今日はとても気持ちよかったわ。次はもっと深くまで愛し合いましょうね』だそうだ」  イグナスの口からさらりと告げられた、娼婦からの反撃にアルフレッドは動きを止めた。 「あの女……」思わず声が漏れる。  きっと彼女は自分と似たような髪色のイグナスを見て、ピンときたのだろう。自分の想い人がイグナスであることを。  だから、あえてイグナスに、言付けを残したのだ。それが自分への攻撃として、一番効果的だと思ったから。  アルフレッドは、イグナスに弁明をしたくて、顔を上げた。  けれど、『自分はあの女と本当は何もしていない』なんて、言ったところで、まるで信じてもらえないだろう。  そもそも、娼婦を呼んでる時点で、イグナスはアルフレッドが彼女たちとそういうことをしたと思っているわけで、この作戦自体、最初から破綻していたのだ。  その事実に今更ながら気づいたアルフレッドは、もう黙るよりほかなかった。  沈黙を破ったのはイグナスだった。 「よかったな、相性のいい相手が見つかって」  その言葉は、綿毛のようにふわっとイグナスの口から放たれて、アルフレッドの胸にぐさりと突き刺さる。 「案外お似合いだったぞ」 「いっそのこと娶ったらどうだ?」  平坦な声で次々に投げかけられる言葉は、どれも本気でそう思っているような響きがあり、だからこそ余計苦しかった。  イグナスは自分と同じ気持ちだと思っていたが、どうやらそれは自分の勘違いだったらしい。イグナスへの想いはどこまでも一方通行だと言うことを、改めて思い知らされているようだった。 「俺もお前が早く結婚してくれると嬉しいよ」  その言葉を聞き終える前に、アルフレッドは勝手に体が動いていた。  ――お願いだから、もう黙れ。  その言葉の代わりに、アルフレッドはイグナスの口がこれ以上動くのを、自身の唇で塞いだ。  最初こそ、イグナスは拒むようにアルフレッドを押し返そうとしたが、次第にその力は弱まっていく。  それがまるで、自分を受け入れてくれた合図のようにも思えて、アルフレッドは、イグナスを一層強く抱き寄せた。  柔らかく熱を持った唇。  そのすべてを食らいつくそうとしたそのとき、アルフレッドの頬に冷たい何かが触れた。  イグナスの涙だ。彼は泣いていた。  その涙に触れた瞬間、アルフレッドの理性が駆け足で戻ってきた。  はっとして、イグナスの肩を突き放す。  赤い瞳からは、ポロポロと涙が溢れていて、その奥には混乱と怯えが滲んでいる。  アルフレッドは息を詰まらせた。 「これはその、深い意味はなくて……。お前が話すのをやめないから……」  うまい言い訳も思いつかないまま吐き出した言葉は、そのキスをイグナスのせいにした。自分が最低すぎて、嫌になる。  けれど、動揺を隠せないアルフレッドとは違い、イグナスは落ち着いていた。 「わかってますよ。これくらい」  キスをなんとも思っていないような彼の言葉に、アルフレッドの胸がギュッと痛む。  キスだけじゃない。きっとイグナスは自分のことも、主人としか思っていないのだろう。  どこまでも募っていくやるせなさで、心臓が押しつぶされそうだった。 「私も少しふざけすぎました。すみません」  イグナスは自嘲するようにそう小さく呟くと、頭を下げて、すぐに部屋を後にした。  一人残された部屋で、アルフレッドは自身の唇にそっと触れた。  そこにはまだイグナスの熱が残っていて、それが全身をほてらせた。

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