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第21話 人狼の血

「ライネル先生……。人狼の血は、血を洗う効果があると言われているんですよね」  イグナスは、以前人狼の授業で学んだことを思い出しながら訊ねた。 「そうですね。人狼の血は生命力が高く、その血を動物に使えば、ケガや病気が治ったともいわれています。だからアルタリオンの悲劇の際、人々は人狼の血を人間に使おうとしました」  でも、とライネルは声を低く落とした。 「授業でも伝えたとおり、人狼の血は人間には強すぎた。あまりの強さに、傷を治すどころか細胞を変えてしまったんです」  人狼の血は、動物には薬となっても、人間には毒となる。  人間と人狼の血は混ざり合ってはいけないのだと、ライネルは授業と同じように告げた。 「だからもし、王子を助けるのに、人狼の血を使おうと思っているのなら、それはやめた方が良い」  残念だけど、と肩を落とすライネルに、イグナスは首を横に振った。 「人狼の血ではなくて……。俺の血ならどうですか?」 「え?」  ライネルは目を瞬かせる。  イグナスはまっすぐにライネルを見据えた。 「俺の……半人狼の血なら、アルフを助けることができますか?」  イグナスはこれまで、自分は人でも人狼でもないと、そう思っていた。  人間の仲間にも、人狼の仲間にもなれない中途半端な存在だと。  でも、そうじゃなくて。  自分の半分は人間で、半分は人狼なのかもしれない。  だって、この体を巡る血には、人間と人狼、二つの種族の血が流れているのだから。 「なるほど……」  ライネルは小さく呟くと、近くにあったペンを手にして、ノートに何かを書き始めた。  よくわからない数式やら難しい言葉がひとしきり書かれたあと、ライネルはぴたりと動きを止める。 「……それは理論上、可能かもしれません」  イグナスは嬉しさのあまり破顔する。 「じゃあ、早く――」  「ただし」  イグナスが全てを言い切る前に、ライネルが声を張り上げた。  穏やかなライネルにしては珍しい姿に、誰もが息を呑んだ。部屋に静寂が漂う。 「……成功する保証はありません。王子の命を危険に晒す可能性はもちろん、どの程度の血を要するかわからない。もしかしたら、あなたの命が危険に及ぶやもしれません。その覚悟はできているのですか?」  重々しい空気の中、イグナスは即答した。 「もちろんできてます」  もしかしたらアルフレッドは助からないかもしれない。それどころかイグナスだって死んでしまうかもしれない。  それでも、もし助かる可能性が少しでもあるのなら、その僅かな希望に賭ける以外の選択肢はない。     けれどライネルは依然として眉をひそめたままだった。 「本当にわかっていますか? 最悪、どちらも死ぬことになるかもしれないのですよ?」 「わかってます。それでも、やらせて下さい」  イグナスは小さく頭を下げた。 「今のままじゃアルフはもう助からない。このまま何もしないで後悔するくらいなら、やれることは全部やりたいんです。たとえそれで自分が死ぬことになっても……構わない」  もとよりこの命、アルフレッドと出会った八歳のころに一度死んだも同然だ。アルフレッドのために死ねるのならば、これ以上の望みはない。  イグナスは頭を上げてもう一度、ライネルをまっすぐに見つめた。 「先生、お願いします。この血をアルフレッドに……王子のために使ってください」  さっきよりも深く、長く、頭を下げる。  こうしている間にも、アルフレッドの体を毒がむしばんでいく。手遅れになる前に、一秒でも早く、この血を彼のために使いたい。  ライネルは黙っていた。  唇を強く噛み、視線を落としたまま動かない。    理論上は可能かもしれない。でもそれだけで動くにはあまりにも失敗したときの危険が大きすぎる。  王子だけでなく、イグナスの命さえ落としかねない策に、この場にいる誰もが口をつぐんだ。  そのときだった。  入口の扉が開き、低く重い声が響いた。 「イグナス。やってくれないか」  全員がその声のする方へ目を向け、息を呑んだ。  そこにいたのは、エルヴェラナ王国の国王、テオバルト王そのひとだった。  瞬間、部屋にいた四人全員が一斉に跪き、頭を垂れる。  アルフレッドの侍従と言えど、テオバルト王と会うのはそう多いことではない。  緊張が足のつま先から頭の先まで走り、背筋にじわりと汗がにじんだ。   「頭を上げてくれ」  静かな、けれど揺るぎない命令が鼓膜を揺らしイグナスたちはゆっくりと顔を上げた。    王は重いマントで床を撫でるように歩みを進めると、ベッドに横たわるアルフレッドを見つめた。その目は、大国の王ではなく、一人の息子を見守る目だった。  王が小さく唇を噛んだのを、イグナスは見逃さなかった。 「イグナス」 「はっ!」  名前を呼ばれ、イグナスは背筋を伸ばし王の目を見た。  アルフレッドによく似た蒼黒の瞳がイグナスを捉える。 「わしはお前に、謝らなければならないことがある」 「王が私に、謝らなければいけないこと……?」  そんなものが一体あるのだろうかと首を傾げると、テオバルト王は静かに目を閉じた。 「わしはお前を初めて見たその日から……、その瞳の色を一目見たときから、お前が人間と人狼の子であると知っていた。知っていて……、いや、知っていたからこそ、お前を侍従として認めた。人間にも、人狼にも良い感情を持ってないお前は、いつか将来、この国を揺るがす存在……反乱分子になると思ったのだ。だから近くに置いて監視すべきだと……そう、考えた」  王は、声を絞るように言葉を紡いだ。 「お前を信じず、監視し続けたこと、本当に……本当にすまない。この通りだ」  そう言うと、テオバルト王は深く頭を下げた。  その言葉は、嘘偽りない、とても正直なものだったと思う。  イグナスにはその時の王の気持ちが理解できるし、もし自分がその立場だったとしても、そうしただろう。王として正しい判断だったと思う。  それでも王は謝罪してくれた。  この真実を隠し通すこともできたはずなのに、それでもあえてみんながいる前で頭を下げてくれたのは、王が誰よりも誠実な人だからだ。  それこそが、彼が王として国民から慕われる所以なのだろう。 「陛下、頭を上げてください。私は、謝られるようなことは何もされてはいません。」  けれど、テオバルト王は頭を下げ続けた。 「イグナス、こんなことをお前にお願いするのは、都合の良いことだとわかっている。それでもわしにとってアルフレッドはたった一人の子供なのだ。頼む……どうか、アルフレッドを助けてくれ」  それは王としての命令ではなかった。  一人の父親として、息子を救ってもらいたいという祈りにも近い願いだった。  イグナスは静かに口を開く。 「私は、あの日王子の侍従になれたことを、心の底から感謝しています」  だって、そうじゃなきゃ、アルフレッドと共に時を過ごすこともできなかった。  誰かを愛することも知らないまま、きっとこのピューロの森の一部に還っていたはずだ。  アルフレッドとの侍従として生きたこの十年間は、イグナスにとって本当に楽しくて、毎日充実していて、とても幸せだった。  それだけでもう十分だった。 「アルフレッド様を救ってみせます。この命に変えても、必ず」  イグナスの赤眼が炎のように揺れたのを、その部屋の誰もが見ていた。

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