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第23話 お前だけを愛してる

 目が覚めて、少しの間、ここがどこだかわからなかった。  ぼんやりとした頭で虚空を見つめる。  サリスと夜ご飯を食べていて。  裏のおばあちゃんにもらったひよこ豆とじゃがいもでスープを作って。  結構美味しくできたんだっけな。  そうしたら急に狼の遠吠えが聞こえて――。  そこまで思い出した時、イグナスはハッと目を開いた。  そうだ、アルフレッドが瀕死だと聞いてサリスと二人、ピューロまで跳んできたのだ。    ――アルフレッドはどうなったんだ。  いてもたってもいられず、体を起こそうと左腕に力を入れた時、鋭い痛みが走った。  ふと腕に目を向けてイグナスは驚いた。  それは、左腕に仰々しく巻かれた包帯に、ではない。イグナスの腕のそばで突っ伏して眠るアルフレッドの姿にだ。その手はイグナスの手をぎゅっと握りしめている。  幸せそうに眠るその横顔を見ながら、指先で彼の髪を撫でた。  アルフレッドが今、ここにいる。生きている。  それだけで、胸の奥からじんわりと熱が広がり、泣きたくなる。  あの夜、もう二度と会わないと決めた日から、ずっとこうして触れたかった。 「……エッチ」  感傷的な空気にそぐわない言葉が、一瞬にして雰囲気を破る。  それが彼らしくて、イグナスは小さく笑った。 「おはよう、アルフ」 「おはようって、もう少しで夕方だぞ」  そう言いながらアルフレッドは目を擦ると、カーテンの外を指差した。  太陽が傾きかけ、空の端でじんわりと紫紺が滲み出している。 「もしかして俺、丸一日寝てた?」  頭がぼんやりとしているのは、そのせいかと思っていたら、アルフレッドは首を横に振った。 「三日だ。丸三日寝てた」 「……三日も?」  そんなに眠っていたのか。言われてみれば、腹が空っぽで、喉もからからだ。  そう言葉にしようとした時、アルフレッドが立ち上がった。 「何か飲むものと食べる物を持ってくる。お前はそこで待ってろ」  主人からの命令にしては、どこまでも甘い声色に、イグナスは静かに頷いた。  * * * 「三日も目を覚さないから死んだかと思ったぞ」 「勝手に人を殺すな。お前のほうこそ瀕死だったじゃないか」  ベッドの上に座り、アルフレッドが持ってきてくれた夕食を食べる。  半年以上ぶりの再会のはずだが、昨日まで会っていたかのようにも感じるのは、ずっと彼のことを考えていたからだろうか。  アルフレッドに血を与えた後、イグナスは倒れてしまった。どうやら貧血だったらしい。  だからだろう。アルフレッドが持ってきた夕食は三日絶食だった病人用とは思えないほどに肉々しかった。  こういう時はスープとかの胃に優しい物が定番なんじゃないのかとも思ったが、ペッコペコに空いていた腹は、案外肉を求めていたようで、イグナスはもぐもぐとそれらを平らげた。  最後のデザートを口にしているとき、アルフレッドがじっとこちらを見ていることに気がついた。  どうしたのだろうかと目で尋ねると、アルフレッドはイグナスの左手を両手でギュッと握った。 「……無事でよかった」  安堵が混ざった声だった。 「血を分けてくれたんだろう? サリスから全部聞いた。痛かったよな」  心配そうに腕を見つめるその瞳が本当に優しくて、触れられていないのに、腕がじんわりと温かくなる。    アルフレッドの体は、イグナスの血を注いだ途端に毒が消えただけでなく、刺された傷まで癒えていったという。そこまでに至るには相当量の血が必要だったとアルフレッドは教えてくれた。 「人間だったらとっくに死んでただろうって先生も言ってた。生命力が高かったから貧血で済んだけど、もうすこしでイグナスの命も危険だったって……」    その言葉に、イグナスの指先がぴたりと止まる。  『人間だったら』ということは、アルフレッドはもう、自分が半人狼だということを聞いたのだろう。    それを聞いたとき、どう思っただろうか。  軽蔑しただろうか。恐れただろうか。気味悪がっただろうか。  想像するのはどれもマイナスな感情ばかりで、胸が軋む。  もう一緒にいられないかもしれない。  それでも、自分の口から伝えたい。  イグナスはごくりと喉を鳴らすと、重い口を開けた。 「今までずっと隠していたけど、実は俺、人間じゃないんだ……。人間と人狼から生まれた半人狼なんだ」  アルフレッドの顔が見れなかった。  その瞳に、もし軽蔑の色があったら、きっともう立ち直れない。  イグナスは俯いたまま「ずっと騙していて、ごめん」と小さく頭を下げた。  少しの間が永遠の沈黙にも感じられたその時、アルフレッドの穏やかな声が沈黙を破った。 「前から知ってたぞ」 「……え?」  全く想像していなかった答えにイグナスは咄嗟に顔を上げる。  アルフレッドは驚くほどにあっけらかんとしていた。 「耳と尾が出ている姿は、何度も見たしな」 「えっ……えええ!?」  思いがけず、大きな声が漏れた。  これまで母以外の誰にだって見せたことがないのだ。イグナスにとって、自分の素の姿を見られるのは、裸を見られる以上に恥ずかしい。 「……い、いったい、いつ見たんだよ」 「最初に見たのは、もう十年以上前かな。満月の夜にお前の部屋で」  アルフレッドは、何を今更とでも言うようにあっさりと告げた。  あわあわとしているこちらがおかしいのかと思ってしまうほどだ。 「まさか、覗いたのか?!」  満月の夜は、部屋から出ないと決めている。その姿を見るには、部屋を覗き見られるしか方法はない。 「人聞きが悪いな。熱だって聞いたから、看病しようと思ったんだよ」  看病しようとしてくれていたのかと、その優しさに少し嬉しくなり、覗き見したことを流してしまいそうになったけれど、それはそれ、これはこれ、だ。  混乱するイグナスをよそに、アルフレッドは淡々と話す。 「二番目以降は全部寝てる時だな。添い寝してるとよく耳だすんだよな」 「嘘だろ……」  そうだきっと嘘に決まっている。アルフレッドはこうやってよくイグナスを揶揄うのだ。  けれど、アルフレッドの表情はいつものそれと違っていた。 「嘘じゃない。お前、自分じゃ知らないだろうけど、寝ているとき、よく耳を出してるぞ。もっと安心するとしっぽまで」 「そ、そんな……」    これまでずっと、細心の注意を払ってきたのだ。  バレないように、隠して潜めて生きてきた。  なのに寝ている時に耳を出してしまっていたなんて、あまりにも馬鹿すぎる。  これが嘘じゃないなら、今までの自分の努力はなんだったと言うのだ。  がっくしと肩を落とすイグナスに、アルフレッドは少し首を傾げた。 「それってそんなに大事なことか?」  まるで取るに足らないことだとでも言うような口ぶりだった。 「俺は、お前が人間だとか人間じゃないとか、正直どうでもいい。人狼でも、半人狼でもしったこっちゃない。お前がお前なら……イグナスなら、それで」  アルフレッドの言葉はまるで陽だまりのように温かく、イグナスの心の奥にあるガチガチに固められた何かを溶かして、じんわりと胸に広がっていく。  ずっと、自分は何者なのだろうと考えてきた。  人狼でもなく、人間でもない自分の、居場所が欲しかった。名前が欲しかった。  でも――。  イグナスはイグナスなのだと、アルフレッドは言ってくれた。  それは、何者にもならなくていい、自分のままでいいと言われているようで。  初めて居場所をもらえた気がした。  それがどれだけ嬉しいか。きっとアルフレッドは知らない。  イグナスは泣きたくなる衝動をグッと堪えて、小さく笑った。 「そういえば、髪切ったんだな」  アルフレッドの指が、イグナスの髪に優しく触れる。  少し切なげに言われたその言葉に、そんなに長い髪が好きなのかとイグナスは思った。 「長い髪の女がタイプだもんな」  特に深い意味はなくそう告げると、アルフレッドは少し怪訝に眉をひそめた。 「別に、長い髪の女なんてタイプじゃない」 「いや、好きだろ。長い銀髪の女が」 「なっ、違う!」 「いいよ、別に今さら隠さなくても。だからーー」  ーーだから俺を抱いてくれたんだろ。  そう言いかけて、イグナスは口を噤んだ。  アルフレッドもなにか考えるように、押し黙る。  アルフレッドが銀髪で性格がきつそうな女が好きなことはよく知っている。  娼婦だっていつもそうだったし、婚約者もそうだった。  だからこそ、これまで髪を伸ばしてきたのだ。  アルフレッドは何かを覚悟するように姿勢をただす。 「もうこれ以上、変に空回りしたくないから言っておくがーー」  アルフレッドの蒼黒の瞳にイグナスが映る。 「俺が好きなのはイグナス、お前だ。今までも、これからも。ずっとお前だけを愛してる」  唐突に告げられたまっすぐな愛の告白に、時間が止まったかと思った。  吸い込んだ息が喉奥で止まったまま、吐き出すことも忘れてアルフレッドを見つめた。  耳元で鳴っているかと錯覚するほどに大きな鼓動は、徐々に速度を上げる。  冗談かと思ったが、そう片付けてしまうには、あまりにアルフレッドの瞳は真剣だった。 「俺が好きなのはイグナスであって、長い銀髪じゃない。強いて言えば、今は肩にかかるくらいの白銀髪が好きだ」  アルフレッドの指が、イグナスの髪をなぞって耳にかけられた。  こんなに恥ずかしい言葉を吐いているのに、なぜか本人は全くもって恥ずかしがっておらず、余裕の笑みを見せてくる。  経験の差なのだろうか。こちらはさっきから心臓がおかしいというのに。 「イグナスは?」 「へ?」  急に訊ねられ、何のことかわからずにいると、アルフレッドの顔がグイッと近くに寄ってきた。 「俺のこと、どう思ってるんだ」  逃げ場を塞ぐようにアルフレッドが近づいてくる。  それ以上近づけば心臓の音が聞かれてしまいそうで、イグナスは、両の手でアルフレッドを押さえた。 「待って。ちゃんと言うから。……待って」  その言葉に、アルフレッドの体が止まる。 「……わかった。十年も待ったんだ。あと数秒くらいなら待てる」  そういうとアルフレッドは浮かせていた腰を椅子に下ろした。  ――十年も思ってくれていたのか。  そう思うと、嬉しくて、早く自分も思いを告げたくなる。  けれど。  本来イグナスは、言葉で思いを伝えることが苦手だ。  特段人と話をするタイプではないし、思いを殺したり、言葉を隠したりしてきた人生だった。  だからだろうか、今、アルフレッドに思いを告げるのが、猛烈に恥ずかしい。  恥ずかしすぎて、顔がさっきから熱い。熱すぎる。  それでも、思いは伝えないと伝わらないということを、イグナスは先ほど身をもって感じた。  アルフレッドが、そこまで自分を好きでいてくれているとは思っても見なかったのだ。  だから、自分も伝えたい。この思いを届けたい。 「俺は……、あの、俺は……」  ――アルフレッドが好き、  そう言葉にしようと覚悟を決め、息を大きく吸ったとき、部屋の扉が勢いよく開いた。

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