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第25話 偽りの英雄

「エドモンドが……?」  その名を口にした瞬間、イグナスは自分の内側から怒りが湧き上がってくるのを感じた。 『そのうちそんな口が叩けなくなる』  彼が言っていた言葉を思い出す。  もしかするとあのときから彼はこれを計画していたのかもしれない。  怒りでイグナスの瞳が揺れる。   その一方で、アルフレッドは実に冷静だった。 「犯人がエドモンドだということは確実なのか? 違う人の可能性は?」 「いや、絶対にあいつで間違いない」  サリスは言い切った。 「あいつの 父親が三年前左遷されたのは覚えているか?」 「ああ。ハーヴェイ卿だろ。麻薬とかいう人体に害をなす薬を製造し、貴族にばらまいていた罪でさばかれた」  アルフレッドは目を眇める。  貴族の中には中毒になっているものも多数いて、王宮中が後処理に追われた、大変な事件だった。    「エドモンドからは、いつもかすかに麻薬のにおいがするんだ。本人は使ってないだろうが、きっと父親は今も麻薬を使っているのだろう。その麻薬の匂いがあいつのつけているバラの香水と混じって、実に鼻につく匂いなんだ。だから絶対に間違えるはずがない」  サリスの断言にアルフレッドは、なるほど、と頷いた。 「それで、エドモンドを捕まえることはできるのか?」  ライネルが首を振る。 「証拠がないんです」 「でも、匂いがエドモンドのものだったって言えば……」  イグナスの考えを、サリスは「無駄だ」と一蹴する。 「匂いなんて、僕たち人狼にしかわからないものだ。人間の社会では証拠になりえない。外套か鉤爪のどちらかだけでも、エドモンドのものだと証明できない限り、きっと捕まえるのは難しいだろうな」  サリスはぎゅっとこぶしを握った。   人間の目には見えない真実がそこにはある。  けれども、証明する手段がない。  それがもどかしくて、イグナスも唇をぐっと噛み締めた。  話はまだ終わりではなかった。ライネルは口を開く。 「そうしている間に、王都では『人狼が王子を襲った』という噂が広まりました」  誰も姿を見ていないはずの人狼。  けれども噂が行き渡る頃には、まるで誰もが人狼に襲われたのを、実際に見たような気になっていた。 「国民は不安に支配されてしまった。人狼がまた人間を襲ってくるのではないかと。そして、王宮にまで押しかけて、『王子を襲った人狼を捕まえてくれ』『人間をたちを守ってくれ』と直訴したのです。一人じゃない、大勢の国民が押し寄せたようです。けど、王子を襲った人狼を捕まえることなんて、無理に決まってます。だってそんな人狼、存在しないのだから」  ライネルは時折苦しい表情を見せながらも、言葉をつづける。 「国民は何もしてくれない王に不安を抱き始めました。そしてその不安が頂点に達した今朝方。エドモンドの父、ハーヴェイ卿が王宮前に現れたのです」  嫌な予感が胸をよぎる。 「ハーヴェイ卿は過激な純血主義者で、王が平民だった王妃を迎えたときから、ずっと不満を抱いていた。加えて三年前の左遷だ。完全に王を恨んでいる」  そう告げたサリスの目はいつもの穏やかなものではなくなっていた。  エルヴェラナの民にとって、人狼は特別な存在だ。  人々は人狼を『伝説の生き物』と思っている一方で、『アルタリオンの悲劇』の恐怖は決して忘れていない。それは親から子へ、子からそのまた子へ、忌まわしい過去として、ずっと語り継がれてきたのだ。  ハーヴェイ卿はそれを利用したのだ。 「彼は王宮前に集まった国民たちに向けて言った。『王子を襲った人狼の首をとった』と」 「人狼の首……?」    サリスが頷く。  ハーヴェイ卿の手には、確かに狼の首が握られていたという。  もちろん、それは人狼のものなんかではない。  本物の人狼なら、殺された瞬間に人の姿に戻るはずだからだ。 「でも、国民はそんなこと知らない。そして切られた首を見て安心し、ハーヴェイ卿を英雄だと崇めた」  国民を扇動するハーヴェイ卿を思い浮かべ、反吐が出る。  何が英雄だ。本当は反乱者のくせに。 「そしてハーヴェイ卿は、『王が人狼討伐に行かなかったのは、人狼と繋がっていたからだ』と言って、国民の恐怖を煽った。恐らく王がピューロにいることも全て計算済みだったのだろう。むしろ王がいない時を狙い、クーデターを起こしたのかもしれない」  サリスの言葉に、アルフレッドが低く唸るように呟いた。 「最初から、国の転覆が狙いだったってわけか」 「そうだ」  イグナスの頭に、一つの疑問が浮かんだ。 「ハーヴェイ卿は、人狼の存在を知っているってこと?」  人狼の存在はもはや伝説として語られるにとどまり、今やその存在を知るものは本来はいない。それなのに、どうして彼はそれを知っているのだろうか。 「そこは僕も思いました。でも、もし知っていたら、もっと直接的に動いていたと思うんです。王が人狼と繋がっている事実を突きつければ、それでいい。王子を人狼に襲われたように偽装するなんてリスクが高すぎますからね。けれどそうしなかったということは、きっと彼が人狼の存在は知らないから。つまり、ただ人狼という『恐怖の象徴』を使って、国民を煽動したかっただけなのだと思います」  ライネルは、あくまで僕の見立てですが、と言葉を添える。  イグナスは拳を握りしめた。  自分の欲望のために、人を陥れ、その命までもを奪おうとした。  そんな人間がこの国の王になれば、エルヴェラナはもう終わりだ。 「……王都に戻ろう」  静寂の中、アルフレッドが呟いた。 「父上を……王を一人にしておけない。俺たちが行くしかない」  その横顔には、迷いはなかった。 「ここで二人の治療に専念するように王から命を受けているんだけど……、まぁ、王子がどうしても行くと仰られるのであれば仕方ない。ついていくしかないよな」  サリスはあえてわざとらしい口調で笑う。  普段は決して使わない『王子』なんて敬称も使ってみせる。 「じゃあ僕も。生徒を引率するのが教師の務めですからね」  ライネルも静かに微笑んだ。 「行くぞ、王都へ」  アルフレッドが立ち上がる。その姿にイグナスは未来の王を見た。  王都へ――彼らの戦いの舞台へ。

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