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第26話 ハーヴェイの企み

ピューロが一望できる別荘のバルコニーで、アルフレッドは目を瞠った。 「お前、本当に人狼だったんだな……」  目の前には人狼に変身したサリスの姿。  夕暮れ前の太陽に照らされ、栗色の柔らかな毛並みがきらきらと反射する。 「そんな見つめられると照れちゃうんだけどなぁ」  見た目は明らかに獣の恐ろしさを含んでいるのに、口調はサリスそのもので、強張った空気が一瞬にしてほどけた。 「王都まで、俺たち人狼の足なら二刻もかからず行けるんだけど……。流石に三人一気に運ぶのは疲れちゃうから、他の人狼にもお願いすることにしたよ」    サリスの声と同時に、別荘の使用人が二人近寄って来る。 「庭師のヴァンと、料理人のアダムじゃないか」  そこにいたのはイグナスも見覚えのある別荘の使用人だった。  気まずそうな二人を前に、アルフレッドが口を開く。 「まさか、お前たちも……」   その言葉を言い終わる前に、二人は骨を軋ませながら、人狼へと変身していった。  それを見て、アルフレッドは再び目を瞠った。 「黙っていてすみません王子」 「王子に何かあったときのために、ここにも人狼が在中しているんです」  申し訳なさそうに謝る二人は、アルフレッドよりも大きな体をしているのに、なぜかアルフレッドよりも小さく見えた。  それぞれが王都に向かう準備を終えたのを確認して、サリスが「じゃぁ」とイグナスの方を見た。 「イグナスは俺の背中に乗って――」 「待て」  サリスが言葉を言い終える前に、アルフレッドが二人の間に割って入る。 「……俺が乗る。サリスの背中には俺が」  なぜか苦悶の表情を浮かべるアルフレッドを見て、サリスは何かを察したように微笑む。 「ふぅん。もしご所望であらば、お姫様抱っこでお運びすることもできますけど、王子」  いつもとは違うサリスの恭しい言葉遣いに、アルフレッドは目を眇めた。  ――なんだ。そんなにサリスの背中に乗りたかったのか。    喧嘩しながらも、なんだかんだ仲良しな二人を見て、イグナスは笑みを深める。 「イグナス様は俺の背中にどうぞ」 「ありがとう」  イグナスは庭師のヴァンの背中に乗ると、振り落とされないようにと、その首に抱きつくように手を回した。  その様子をみていたサリスが背中のアルフレッドに声をかける。 「なるほどね。俺が後ろからハグされるのがそんなに嫌だったんだ」 「……なんのことだか、よくわからんな」 「もしくは、俺のことをハグしたかったとか?」 「寝言は寝て言え」  呆れたようにため息をつくアルフレッドを背中に乗せ、サリスは愉快に笑った。    三人がそれぞれの人狼の背中に乗ったのを確認したとき、アルフレッドは短くでもはっきりと声を上げた。 「行くぞ」  次の瞬間、イグナスの体は空中を飛んでいた。  ピューロの街がすごい勢いで過ぎていく。  風を切り、大地を踏み返し、森を駆け抜ける。  人狼たちは風よりも早く、王都へ向かって走った。 * * *  その頃、王宮前の広場は怒号と熱に包まれていた。 「本当のことを言え!」 「王はずっと俺らを騙していたのか!」 「早く人狼を皆殺しにしろ!」  民衆の叫び声は時間と共に熱を増していく。  松明《たいまつ》が掲げられ、赤い炎が夕暮れの広場を染めた。  兵士たちは盾を構えて民を押しとどめているが、それも時間の問題と思えた。  広場の中央には、獣の首らしきものを持ったハーヴェイ卿と、その隣に冷たい笑みを浮かべるエドモンドの姿。 「王よ! なぜ王は王子が人狼に襲われたことを隠すのだ! 本当のことを言え!」 「何か言えないことがあるのだろう!」  二人の叫び声は、まるでそれが真実であるかのように、民の鼓膜を揺らして恐怖を煽る。 「やっぱり王は人狼と繋がっていたんだ」 「人狼と交渉決裂して、王子が襲われたらしいぞ」 「人狼の存在を隠してきたなんて」 「王子が襲われたのも、自業自得だわ」  小さな火種が瞬く間に大きく燃え上がるように、噂は勢いよく広がり、もはや手のほどこしようがないほどだった。  それも全部、ハーヴェイの計算通りだった。  王がアルフレッドの襲撃を知り、ピューロへと向かったその夜、ハーヴェイ卿は「王子が人狼に襲われた」という噂を、王都中に流した。  民は恐怖に震えた。  本当にそれは人狼だったのか。もし人狼が本当にいるとするのなら、なぜ王子が襲われたのか。人狼はまた人間を襲うのか。アルタリオンの悲劇の再来となるのか――。  真実が知りたくて、王宮に人が押し寄せるも、王が不在の王宮は「現在確認中」と、沈黙を貫くことしかできない。  その隙を、ハーヴェイ卿は逃さなかった。  彼は王都の広場に姿を現すと、不安を抱えた群衆の前に立ち、声を張り上げた。 「王が何も動かないのは、なぜか! それは、人狼と繋がっているからだ! 王は長い間、我々を欺いていたのだ! 王子が襲われたのも、人狼との取引が決裂したから。すべて王が招いたのだ! だから何も言えず、動かないのだ! 王を――信じるな!」  その声に、人々がざわめきだす。  国民の王への不信をかきたてたハーヴェイは、今だと言わんばかりに、手にしていた“獣の頭部”を高く掲げる。  人間のそれも一回りも二回りも大きく、すべてが灰色がかった毛並みで覆われているそれは、鋭い牙とぎらつく目を持っていて、死んでもなお、人々に恐怖を抱かせた。  風に吹かれて、血の生臭い匂いが群衆の鼻腔を刺す。 「見よ! これが王子を襲った人狼だ! 王がやらぬのなら、私がやった! 我が剣が、王子の仇を討ったのだ!」  歓声と悲鳴が入り混じる。  泣き叫ぶ者、興奮する者、怒り狂う者。誰一人正常ではなかった。  理性は消え、恐怖と怒りだけが渦巻いていく。  そうしてるうちに、民のざわめきはいつしか怒号に変わっていた。  その怒号に拍車をかけるように、ハーヴェイは言葉を続ける。 「このままだと、アルタリオンの悲劇の再来となるぞ! それでいいのか? エルヴェラナの民よ。国を守れ! 王を弾糾せよ!」  その言葉に呼応するように、民は一斉に高く拳を掲げた。  テオバルト王が王都へ戻ったのは、その数刻後だった。  報告を聞くや否や、王はすぐさま広場に姿を現した。  王が広場に姿を現した瞬間、さきほどまでの怒号が嘘のように静まった。  堂々たる佇まいは、まさしく王の風格を帯びていて、その姿に人々は顔を見上げ、息を呑んだ。  群衆の前で、王は声を張る。 「王子が襲われたのは事実だ。しかし、犯人はいまだ特定されていない。だからこそ、軽々しく人狼と決めつけることはできなかった。皆に伝えるのが遅くなってしまって申し訳ない」  王の声は、闇を裂く一筋の光のように、まっすぐ民の心に届いた。  その言葉に誰もが納得しかけたその時だった。 「騙されるな!」  ハーヴェイ卿の声が、広場に木霊する。 「ではなぜ王はすぐに出てこなかった? 民に一言伝えれば良いだけだったのに、なぜそれをしなかった? 何かを隠していたからではないのか!」 「人狼を目撃した人間もいたと聞いたぞ! それはどう説明するんだ!」  ハーヴェイ卿の声に続くようにエドモンドの声が重なる。  二人の声に煽られるように、静まり返っていた群衆が息を吹き返す。 「つい先ほどまでピューロに行っており、皆の前に出ることが叶わなかった。決して謀ろうとしていたわけでは――」  王の弁明は、もう誰の耳にも届くことはなく、怒号の中へ消えていった。 「陛下はまだ人狼を庇うおつもりだ!」 「こっちには、人狼の首という証拠があるんだ!」  彼らの目が冷たく、鋭く、王の身に突き刺さる。  それでも王は諦めなかった。  何度でも、何度だって彼らに向かって言葉を投げかけた。  中には、王の言葉に耳を傾けるようとし始める者もいた。  けれど、群衆の勢いはすでに大きくなりすぎていて、それさえも飲み込んでしまう。  一度渦の中に入ってしまえば、最後。その動きを止めることなどできない。  目の前の光景に、ハーヴェイ卿はほくそ笑んだ。  なぜなら、自分の思い描いた通りに、事が進んでいっているのだ。  人狼などいるわけがない。けれど、民衆はそんな伝説をいまだに信じ、恐れを抱いている。  その恐怖心を利用しない手はなかった。  王への信頼が揺らいだ今こそ、彼にとって最大の好機だった。  そんな時、一人の民が声を上げた。 「王よ! 人狼は本当にいないのか? 俺たちはそれが……それだけが知りたいんだ!」  その問いは、ハーヴェイ卿にとって、想定内のものだった。  いくら王が『人狼はいない』と言ったところで、その疑惑は拭えない。  『王は隠している! 嘘をついているのだ!』と民を煽ればいいだけのこと。  存在するものの証明は簡単だ。けれど存在しないものの証明ほど難しいものはない。  しかもハーヴェイの手には、人狼の首がある。  もちろん偽物で狼の首ではあるが、それが偽物か本物なのかなど、誰も見分けることなどできない。   しかし。  テオバルト王の答えは彼の想定とは違っていた。  王は一瞬、苦悶の表情を浮かべた。 「もう、隠すことはできないだろう」  そう小さく呟くと、何かを覚悟したように唇を噛んでから王ははっきりと告げた。 「人狼はいる。彼らと契約をしているのは事実だ」  広場に飛び交っていた怒号が、一瞬にして消えた。  王の言葉に、群衆は息を呑んだ。彼らの表情に絶望の色が広がっていく。  そして、その王の言葉に一番驚いたのは、ハーヴェイ卿だった。  彼は思わず笑いをこぼした。胸の奥から湧き出てくるような声が、広場に轟く。 「あははははっ! あーははははっ!」  人狼が実在していて、王自らがその存在を認めたのだ。  これほどハーヴェイに都合の良い真実はない。  国民の不安が最高潮に膨れ上がったそのとき。  ハーヴェイ卿はゆっくりと微笑み、口を開こうとした、まさにそのときだった。

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