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第28話 月の光に照らされて

 二人がいなくなった広場は静けさで覆われていた。  松明の火がぱちぱちと爆ぜる音だけが鼓膜を揺らす。  その静寂を破ったのは、王だった。 「――民よ。まずは謝らせてほしい」  テオバルト王の言葉に、民たちが顔を上げる。 「三百年もの間長きにわたって、我ら王族が嘘をついてきたこと、本当に申し訳なかった。人狼が滅んだというのは、嘘だ。しかし、わかってほしい。それは全てこの国を守るためだったのだ」  そう言うと、テオバルト王は民衆に向かって本当の事実を語り始めた。  三百年前――。  アルタリオンの悲劇は、人狼が人間を殺したことから始まったと言い伝えられているが、事実は違う。  ことの発端はある一人の青年の嘘だった。  彼は自身の殺人を隠すために、『人狼が人を殺したところを目撃した』と嘘をついたのだ。  けれど、人々は彼の嘘を信じた。  そして恐怖に支配されるまま、多くの罪なき人狼を殺していった。    初代王グレゴイル=ヴァルフィリアが、その真実を知ったときにはもう、戦争は取り返しのつかないところまで来ていた。すでに人間の人狼に対する恐怖と怒りは大きく膨れ上がりすぎていて、事実を受け入れることはできないと、グレゴイルはそう判断した。  だから、人狼に提案したのだ。人狼を殲滅したことにして、この戦いを終わらせたいと。人狼たちはそれを受け入れた。多くの仲間を殺されたにも関わらず、『もう罪なき友人ーー人間を殺したくない』と。  そしてグレゴイルは人狼は殲滅したと人間に嘘をつき、戦いを終結させた。  それから三百年。  人狼たちは正体を隠し、国境付近で人間に紛れて生活しながら、外敵からこの国を守り続けてくれている。  エルヴェラナの国が三百年もの間、他国から侵略されないのは、軍の力が強いからではない。 「――彼らがずっと、この国を影で守ってきてくれているからだ」  王の言葉に、広場がどよめく。 「そんな……」 「本当のことなのか?」 「人狼が俺たちを……?」  人々の顔には混乱の色が見える。簡単には受け入れられないだろう。  これまで敵だと思っていた存在が、実は自分たちを陰で守ってくれていたのだ。信じられないのも無理はない。  民の視線がサリスに集まる。  大きな口、鋭い牙。鋭い爪に、瞳はギョロリと大きく、全身が毛で覆われている。   「でも……、やっぱり、怖いわ」 「いつ襲ってくるかわからないし」  恐怖は簡単に消えるものではない。  人狼になったサリスを前に、民の本音が漏れたとき、アルフレッドが一歩前に歩みを進めた。  蒼黒の瞳はまっすぐに、民衆を見つめている。 「急に人狼がいると言われて混乱している者も多いだろう。その姿に恐れる者がいるのも当然だ。だけど一度、考えてみてほしい。三百年前から、今まで、一番恐ろしいのは誰なのか。……俺は人間だと思った。人間は嘘をつき、人を騙し、自分たちの欲のためだけに命を奪う。心は目に見えないが、もし見えるのであれば、人間のそれが、一番恐ろしくて、汚い形をしているんじゃないだろうか」    アルフレッドは真っ白な雪の道を一歩一歩しっかり踏みならすように、丁寧に言葉を続けた。 「我ら人間は、人ならざる者のその見た目ばかりを気にして、恐れて、慄いて。彼らのことを何一つを知ろうともせずに、遠ざける。けれど、昔から今まで彼らはずっと俺たちを守ってきてくれていた」  そう言うとアルフレッドはイグナスに視線を向けた。 「俺は今回、ハーヴェイ卿の策略にはまり、死を彷徨った。けれど、そのとき助けてくれたのも、人ならざる者だった」  民衆は静かにアルフレッドの声に耳を貸す。  アルフレッドは再び、広場一面を見渡した。 「彼は同じ種族でもない俺を助けてくれた。同じ種族でも殺しあうこの世界で、違う種族の彼が助けてくれたのだ。皆に問いたい。大切なのは、種族なのか? 見た目か? ……いや、違うだろう。大切なのは、心だ。心の形が同じなら、共に歩んでいけるんじゃないのだろうか」  広場の空気がゆっくりと、けれど確実に変わっていっていた。  民の瞳に宿っていた絶望が薄まり、希望の色が滲んだのを、イグナスは肌で感じた。 「知らないことは、確かに怖い。だったらまず知っていこう。いきなり受け入れてほしいなんて言わない。けれど、恐れる前に、まずは彼らを知ることから始めないか」  アルフレッドの横顔は、この国の王子そのものだった。  その声に、瞳に、心に、人々は確実に胸を惹かれていた。 「俺は、いつの日かエルヴェラナを、人狼と人間が幸せに暮らせる国にしたいんだ!」  アルフレッドは力強く声を張り上げる。  民は何も言わなかった。  けれどそれは反発ではなかった。ただ、まだ賛同もできない。  これからの未来を想像するための沈黙だとイグナスには思えた。 ――人狼と人間が幸せに暮らせる国。 その言葉に背中を押されるように、イグナスは一歩前に、アルフレッドの隣に立った。  なぜそうしたかは分からない。けれど、気づけば身体が勝手に動いていた。  イグナスは、静かに目を閉じると、月夜の光のもと、隠していた自身の姿を露呈してみせた。  頭からは耳が顔を覗かせ、ズボンの裾からは尾がはみ出している。  それは、人狼でもなければ、人間でもない。  二つの種族の境界線に立つものの姿だった。    民たちがざわつく。  なんでこの姿を見せたのか。それはイグナスにもわからなかった。  恐れてほしいわけではない。誇っているわけでもない。むしろ隠せるのなら隠しておきたい。  ただ、ありのままに見て欲しかった。  自分の中に、この国の未来があるのかもしれないとそう思ったから。  それでもこれまでひた隠しにしてきた自分を曝け出すのは、少し勇気がいる。  石でも投げられたら。拒否されたら。そう思うと足がすくみ、手が震えた。  そのとき、イグナスの手に温かな何かが触れた。アルフレッドの手だ。  その手に触れた瞬間、イグナスの胸に大きな壁のようにそびえていた不安と孤独が、春の雪のように静かに溶けていった。  はじめて出会ったときに比べたら格段と大きくなった彼の手は、あの頃と同じように暖かかった。  懐かしい陽だまりのような手にイグナスは何度も救われた。  その手に温められて、喉元で凍って出てこなかった言葉が自然と口からこぼれた。 「私は、半人狼です。人間と、人狼の間に生まれた、禁忌の子供。それが私です。この赤い目は、その証拠。禁忌の証だと言われてきました」  イグナスの赤い瞳が静かに揺れる。  その言葉に、民衆はただ黙って耳を傾けた。 「これまで私は、中途半端な自分を恥じていた」  人間でもなければ、人狼でもない。どちらにも属せない自分は、何者なのだろうかと。  何のために生まれてきたのだろうか、と。 「けれど、今日、初めて自分の意味を知りました。私は、境界にいる者として、人と人狼を繋ぐ、橋になりたい」  大きな声なんて出し慣れてないからか、裏返って掠れてしまう。それでも、伝えたい。  イグナスはアルフレッドと繋がれた手をぎゅっと握った。 「そして、いつかこの瞳の色が、平和の象徴だと言われる日がくるのを、愛する人と一緒に……一緒に、この目で見たい」  泣きたくて仕方ない感情をぐっとこらえて、イグナスは横にいるアルフレッドを目を向けた。  そこには穏やかに笑うアルフレッドの姿。  ーー愛してる。だれよりも。あなたと共に、生きていきたい。    人狼だとか、人間だとか、男だとか、王子だとか。  そんなものすべてもうどうでもいい。ただ、アルフレッドの傍にいたい。  月光がイグナスの銀の耳と尾を照らす。  その姿に誰かが涙を流し、誰かが息を呑んだ。ひとりまたひとりと、まるで波のように広がっていく。  その心にはもう恐怖なんてなかった。  ただ、あるのは未来への希望。  それは闇夜に浮かぶ月のように、静かに、けれど確かに人々の心を照らした。

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