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第16話
会議室での話し合いを終え、ディアスとジェイスが医務室へと戻ると、ドアが静かな駆動音を立てて開いた。
医療ベッドの上で、マイトはまだ自分の両手を見つめたり、手首の銀色の腕輪を訝しげに触ったりしながら、混乱の渦中にいた。
二人が入ってきた気配を察し、マイトはその鋭い藍色の瞳をジェイスへと向ける。
「若……」
「なぁジェイ、さっきからずっと頭がモヤモヤしてよ……、なんか、頭の中がすっきりしねえんだ」
無邪気に首を傾げるマイトの姿に、ジェイスは胸が引き裂かれるような錯覚を覚えた。
だが、ここで取り乱せば、マイトの壊れた心をさらに追い詰めることになる。
ジェイスは寝台の脇へ歩み寄り、意を決してマイトの正面に腰を下ろした。ディアスはその少し後ろで、白衣のポケットに手を入れ、聖母のような穏やかな笑みを浮かべて静かに見守っている。
「若。……今から俺が言うことを、どうか取り乱さずに、落ち着いて聞いてください」
「なんだよ、改まって……」
ジェイスの悲壮なまでの真剣さに、マイトは思わず居住まいを正した。
「俺たちの船《エブラハム・ロジャー》は、航行中に深刻な宇宙空間での衝突事故に遭いました。船体は完全に全損。俺たちは宇宙の塵になる寸前だったんです。……若は、その事故の衝撃と精神的ショックによって、脳の長期記憶領域に深刻なダメージを受けました。そのせいで……直近二年間の記憶が、丸ごと欠落してしまっているんです」
「事故……? 二年間の記憶がねぇ……?」
マイトは呆然と呟き、己の頭をガシガシと乱暴にかきむしった。
確かに、全身を走るこの内側から壊れたような鈍痛や、身体中に張り巡らされた医療用チューブを思えば、大事故に遭ったと言われれば納得がいく。
だが、どうしても記憶が繋がらない。
「じゃあ……オヤジはどこだ? 事故の時、オヤジは無事だったのか!?」
必死に先代の安否を尋ねるマイトの問いに、ジェイスは一瞬、言葉を詰まらせた。
奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、血の気を失った唇を震わせながら、最も残酷な「事実」を告げる。
「首領は……昨年、長い闘病の末に、静かに息を引き取りました。若がその手を握り、最期を看取ったんです。そして若が、正式に《エブラハム》を継いで首領になった。……それが、若が失ってしまった二年の間に起きた、真実です」
「嘘だろ……ッ!?」
マイトの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「オヤジが死んだ……? 俺が看取ったって……なんでだよ、俺の頭には、オヤジが笑って『しばらく船を預かれ』って言った記憶しかねぇぞ! なあ、嘘だって言えよ、ジェイ!」
ベッドが軋むほど身をよじり、ジェイスの肩を掴んで激しく揺さぶるマイト。
その拒絶反応を予期していたかのように、後ろに控えていたディアスが静かに一歩踏み出した。
左手首の医療端末に指を滑らせると、淡い青白いホログラムが空間に展開され、マイトの脳波と海馬の活動データがビジュアル化される。
「興奮しないで。無理に思い出そうとしてはダメだ、マイト君」
ディアスの、聞く者の警戒心を溶かすような、どこまでも甘く優しい主治医の声が響く。
「君の海馬は、極限のショックによって自らアクセスを遮断している。失われた記憶の扉を力ずくでこじ開けようとすれば、防衛反応が暴走し、君の精神そのものが内側から崩壊してしまう。君を助けるためには、この医療艦で、オレの施す長期的な障害治療が必要なんだ」
「ディアス、さん……」
マイトは頭を抱え、荒い息を吐きながら、ホログラムの数値を一瞥した。
完璧な論理。完璧なデータ。目の前にいる美しい医者の言葉には、一寸の疑いを挟む余地もなかった。
「……じゃあ、俺たちはこれから、どうなるんだ。船もなくして、オヤジもいなくて……」
絶望に声を震わせるマイトに、ジェイスが再び、苦渋に満ちた声を絞り出すように嘘の物語を続けた。
「船を失い、俺たちには行くあても、莫大な治療費を払う資産もありませんでした。だから俺は、俺たちはディアスさんと『ある契約』を交わしたんです。……若がこの船で完璧な障害治療を受け、俺たち船員の生活や医療をすべて保障してもらう。その代わり、俺たちは二年という期限付きで、ディアスさんの生業を手伝う。……そして二年後、その働きに対する報酬として、エブラハム・ロジャーの最新鋭の『新しい船』が新造され、俺たちに引き渡される。そういう約束です」
ジェイスの語る「事故と契約」という説明によって、マイトの頭の中の疑問は、あまりにも綺麗に符号が合ってしまった。
手首の銀色の腕輪は、自分の命を繋ぐための『バイタルモニター』であり、治療に必要なもの。
この船でこれから行う仕事は、自分たちの未来の船を造るための『対価』。
そして目の前にいるディアスは、沈みかけた自分たちを救い上げ、生活を保障し、新しい船まで用意してくれる、正真正銘の『命の恩人』――。
「……そっか。分かったよ、ジェイ」
マイトはぽろぽろと、死んだ養父への、そして自分の無力さへの悔し涙をこぼしながら、下を向いて拳を強く握りしめた。
「俺がオヤジの跡を継いだ《エブラハム》の首領なら、みんなの命と、新しい船のために……その二年、どんな泥水だろうと啜ってやる。ディアスさん、あんたの言う通りにするよ。俺の身体も、仲間たちのことも……よろしくお願いします」
涙に濡れた蒼い瞳で、真っ直ぐに信頼の目を向けて頭をさげるマイトに、ディアスはベッドの脇へ歩み寄ると、汚れるのも気にせず、マイトの涙を自身の白い指先で優しく拭い、その金色の髪を愛おしげに梳いた。
「マイト君。オレを信じて。その手首のモニターが、君の身体をいつでも見守っているからね。二年の間、完璧に君を治療してあげるよ」
「……ありがとな、ディアスさん。あんた、本当に恩人だ。ぜってえに恩返しはする」
マイトは、ディアスの手のひらの吸い付くような温もりに、無意識に安心を覚えて微笑んだ。
その光景を後ろで見つめながら、ジェイスは爪が掌に食い込んで血が滲むほど、両拳を強く強く握りしめていた。
本当は、事故などではない。この悪魔に特攻し、敗北し、陵辱されて若の心は壊れたのだ。それなのに、先代の死という変えられない事実を盾にして、「事故と契約」という偽りの幸福な嘘を、自分の手で彼に受け入れさせてしまった。
これ以上何も失うわけには行かなかった。ジェイスは視線を逸らして、拳だけをきつく握りしめていた。
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