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第21話
食事に呼ばれた夜を境に、マイトがディアスの私室へ赴く頻度は目に見えて増えていた。
作業が終わると、マイトは誰に言われるでもなくオイルに汚れた顔を入念に洗い、ジェイスが用意した綺麗な私服へ着替えるようになった。
鼻歌交じりに金色の髪を整えるその横顔は、完全に恋に浮かれる青年のそれだ。
「……また行くんですか、若」
「ん? ああ!」
居住区の共有スペースで、鏡に向かっていたマイトが振り返る。その顔には、一点の曇りもない無邪気な笑みが浮かんでいた。
「ディアスがさ、希少なコーヒー豆が手に入ったから、一緒に飲もうって誘ってくれたんだよ。アイツの淹れるコーヒー、めちゃくちゃ香りが良くて美味いんだぜ」
その言葉の端に引っかかった「違和感」に、ジェイスの心臓がドクンと嫌な音を立てた。
以前まで、マイトは必ず『ディアスさん』と呼んでいたはずだった。命の恩人に対する敬意と、少しの距離感を保ったその敬称が、いつの間にか抜け落ちている。
「ディアス?」
「おう。なんかさ、『 呼び捨てでいい』って言われてよ。最初は抵抗あったんだけど、ディアスのヤツ、俺がさん付けで呼ぶたびに寂しそうな顔するからさ……。最近はもう、普通にディアスって呼んでる」
照れくさそうに頬を掻くマイトの姿は、ジェイスにとって、どんな凄惨な拷問映像よりも残酷な光景だった。
――アイツ。
――ディアスのヤツ。
親しい友人にしか向けないような、親愛の情がたっぷりと込められた響き。
ふざけるな。
ジェイスの腹の底で、ドロドロとした黒い炎が渦を巻いた。
あいつは悪魔だ。マイトの誇りを踏みにじり、身体を徹底的に蹂躙し、心まで壊した外道だ。
若をこんな風に手懐けて、あの化け物は裏でどれほど嘲笑っていることか。手首に嵌められた銀色の腕輪を見るたび、
それが奴隷の首輪であることを知っているジェイスは、狂いそうなほどの怒りと絶望に苛まれる。
「……若」
気づけば、ジェイスの口から低く震える声が漏れていた。
本当のことを言え。
目を覚ませと叫べ。
あの男はお前を救った恩人なんかじゃない。お前のすべてを奪った張本人だと。
『――君は感情でしか話していない。それで彼が救われる保証はどこにもない』
だが、真実を告げようとした瞬間、冷徹なディアスの声が脳裏に蘇り、ジェイスの喉を強烈に締め付けた。
今ここで真実を突きつければ、この屈託のない笑顔は一瞬で消え失せ、マイトの心は今度こそ完全に、二度と修復できないほどに砕け散ってしまうだろう?
「……ジェイ? どうした、怖い顔して。どっか具合でも悪いのか?」
「……いえ」
心配そうに覗き込んでくる屈託のない蒼い瞳。
ジェイスは奥歯が砕けるほど強く噛み締め、血の滲むような思いで口角を上げ、歪な笑みを作った。
「なんでもないです。ただ……若が、楽しそうだから」
「そりゃあ楽しいぜ! 最近は船の連中とも上手くやれてるし、何より……」
マイトは言葉を濁し、顔を赤くして視線を泳がせた。
その続きを、ジェイスは聞きたくなかった。
「……行ってこいよ。あんまり待たせたら悪いだろ」
「おう! わりぃな、いつも気ぃ遣わせちまって! じゃ、行ってくる!」
パタパタと足音を立てて、弾むような足取りで部屋を出ていくマイトの背中。
バタン、とドアが閉まる。
部屋に一人残されたジェイスは、力なく壁に背を預け、ズルズルと床へ崩れ落ちた。
「……ああ……クソッ……クソッ……!」
誰にも聞こえない声で呪詛を吐き、両手で顔を覆う。
指の隙間から血がだらだらとこぼれ落ちた。
若が幸せそうに笑えば笑うほど、あの悪魔の差し出す猛毒が、若の骨の髄まで浸透していく気がしている。
そして自分は、若の命と心を守るために、その地獄のような光景をただ黙って見守り続けることしかできない。
ジェイスは憤りをぶつけるよくに床を強く殴りつけ続けた。
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