23 / 50

第23話

 巨大な造船ドックを照らす無数のアーク溶接の光が、人工の星空のように瞬いていた。 分厚い観測用ガラスの向こうには、完成間近の巨大な戦艦が鎮座している。かつての船を一回り以上もスケールアップし、重厚な装甲と流線型の美しいフォルムを併せ持つ、新生《エブラハム・ロジャー》の姿だ。 「すげぇな……ジェイ。外装と推進器は、もう完璧じゃねぇか」 「ええ。あとは居住区画の内装と、環境システムの調整だけです」  食い入るようにガラスに張り付くマイトの隣で、ジェイスは深く、噛み締めるように頷いた。  マイトが記憶を失い、このブラック・シールドで「偽りの契約」を結んでから、すでに一年半の月日が流れていた。 マイトの記憶は戻る様子はなかった。 「あと半年……たった半年で完成です。そうしたら俺たちはここを出て、またみんなで星の海へ戻れます」  ジェイスの声には、隠しきれない切実な響きが混じっていた。  長かった。 あまりにも長く、残酷な一年半だった。  狂気的な執着を向けるディアスの横で、何も知らない若が心を絡め取られていくのを、血を吐く思いで見つめ続けた日々。だが、それもあと半年で終わる。 ディアスは「本人が望めば返す」と約束した。船が完成すれば、仲間たちと共に若を連れ出し、この狂った箱庭から逃げ出せる。 「おう! そうだな! みんなも新しい船を見たら、腰抜かすぜ!」  マイトはジェイスの肩をバンバンと叩き、いつものように豪快に笑った。  だが――ガラスに映るその蒼い瞳の奥に、一瞬だけ、ひどく暗く寂しげな影が落ちたのを、ジェイスは見逃さなかった。  ――嬉しいはずだ。首領として、仲間たちのために船を取り戻す。  その目的のために、この一年半、誰よりも汗を流して働いてきたのだから。  けれど、マイトの胸の奥には、冷たい鉛を飲み込んだような重苦しさが渦巻いていた。  あと半年。  それはつまり、ディアスと過ごす日々が、あと半年で終わるということだ。 「……ため息なんて、君には似合わないな」  最上層のディアスの私室。  すっかりマイトの特等席となった革張りのソファで、ぼんやりと宇宙空間を眺めていたマイトは、甘い声にハッと我に返った。 「デ、ディアス! わりぃ、仕事の邪魔したか?」 「ううん。君の顔を見ている方が、どんな仕事より癒やされるからね」  ディアスはふわりと微笑みながら、淹れたてのコーヒーが注がれたカップを二つテーブルに置き、マイトのすぐ隣へと腰を下ろした。  一年半の月日は、二人の距離を恐ろしいほどに縮めていた。ディアスの肩が触れそうなほど近くに座られても、マイトは照れて身を竦ませたりはしないほど自然になった。 ただ、顔をほんのりと赤らめ、その体温に心地よさを感じているようだ。 「……ドックに行ってきたんでしょ。君の船、もうすぐ完成だね」 「おう。ディアスが最高の資材を使ってくれたおかげだ。本当に、何から何まで……あんたには感謝しきれねぇよ」  笑ってみせるマイトだったが、その声はどこか元気がなく、視線は手元のカップへ落ちていた。  ディアスは静かに目を細め、白く細い指先を伸ばしてマイトの金髪をそっと撫でた。 「嬉しいはずなのに、とても悲しそうな顔をしているね」 「っ……そんなこと、ねぇよ」 「嘘だ。君のことは、オレが一番よく分かっている」  優しく、けれど逃げ道を塞ぐように囁かれ、マイトは喉の奥がギュッと詰まるのを感じた。  一年半。 共に食事をし、笑い合い、幾度となくその優しい手で傷を癒やされてきた。最初はただの「命の恩人」だった。 だが、いつからだろう。 いつしかディアスの美しい顔を見るだけで胸が苦しくなり、他の船員に冷徹な顔を見せる彼が、自分にだけ極上の甘い笑顔を向けてくれることに、どうしようもない優越感と恋慕を抱くようになっていた。  もう、ごまかしきれないほどに、恋い焦がれている。 「……半年後にはさ」  マイトはぽつりと、絞り出すように呟いた。 「船が完成したら、俺は……仲間たちを連れて、ここを出て行かなきゃならねぇ」 「契約だからね。オレも約束は守る」 「……寂しいって言ったら、笑うか?」  マイトは顔を真っ赤にして、すがるような蒼い瞳でディアスを見つめた。  首領としての責任がある。仲間を食わせていかなければならない。親父から預かった『エブラハム・ロジャー』の看板を下ろすわけにはいかない。  頭では分かっているのに、心がディアスから離れることを強烈に拒絶していた。  その健気で、あまりにも愛おしい告白に。  ディアスは内心で、背筋が痺れるほどの極上の歓喜に打ち震えていた。  ――ああ、完璧だ。  骨の髄まで、オレの与えた恋心という猛毒に浸かりきっている。  ジェイスは半年後に逃げ出せると思っているようだが、滑稽な話だ。この子はもう、自らの意志で、オレという檻から出られなくなっているのだから。 「笑うはずないだろう」  ディアスは切なげな表情を作り、マイトの頬を両手で優しく包み込んだ。  そして、その額に自身の額をそっとすり寄せる。至近距離で見つめ合う形になり、マイトの呼吸が荒くなる。 「オレだって……君がいなくなるなんて、耐えられない。この一年半、君がオレのすべてだったんだから」 「ディアス……」 「でも、君には君の帰る場所がある。君の仲間たちが待っている。オレは、君の重荷にはなりたくないんだ」  なんて、優しくて、綺麗な人なんだろう。  マイトは込み上げる愛おしさに耐えきれず、大きな両手で、自分の頬を包むディアスの手をそっと握り返した。 「重荷なんかじゃねぇよ……! 俺は、あんたのことが……っ」  一番大切な言葉を口にしかけ、マイトはハッと我に返って口をつぐむ。  男同士だ。それに、相手は銀河の覇を唱える大組織の船長。自分のような辺境の海賊が、恩人に対して抱いていい感情ではない。 「……マイト?」 「いや、なんでもねぇ。……あと半年、残りの仕事もきっちりやり遂げるからさ。それまでは、今までみたいに……一緒にメシ、食ってくれるか?」  必死に取り繕って笑うマイトに、ディアスは聖母のように微笑んで頷いた。 「もちろん。残りの半年、一日も無駄にしないように、オレのそばにいて」 「おう……!」  ディアスの腕の中で、安心したように目を閉じるマイト。  その金色の髪を撫でながら、ディアスは冷たく、そしてドロドロとした独占欲に満ちた瞳で虚空を見つめていた。  別れる気など、最初から毛頭ない。  あと半年。  この純粋な恋心を限界まで膨らませ、逃げられないように絡め取り、最後には『エブラハムの首領』としての立場すらも自ら喜んで捨てさせる。  半年後、完成した新しい船に乗り込むのは、絶望に顔を歪めるジェイスたちだけだ。  甘いコーヒーの香りが漂う密室で、ディアスは残酷なまでの執着が、静かに、そして確実に完成の時を待っていた。

ともだちにシェアしよう!