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第40話

ガレージで、吐瀉物まみれで丸まっているマイトを、同僚のリックが慌てて医療室へと担いで運び込んだ。 医療室の無機質な白い光が、マイトの網膜をチカチカと焼き付ける。 エマージェンシーコールの警告音が、脈拍と同期して脳の奥底まで突き刺さる。 同僚たちの必死な声も、ただのノイズとしてかき消され、 マイトの意識の焦点は、ただ一点――扉の向こう側にあった。 医療室の重厚な自動ドアが、シュウ、と無機質な音を立てて開く。 そこに現れたのは、宇宙嵐の真っ只中だというのに、指先一つ汚さず、何一つ乱れていないディアスの姿だった。 彼の優雅な佇まいは、この非常事態において逆に異質さを際立たせる。 その姿を目にした瞬間、マイトの脳内で「空白の二年」が弾けた。 かつての仲間を率いていた誇り高い首領としての自分と、この男の寝室で所有の痕を刻まれ、甘美な地獄を教え込まれた今の自分が、脳内で血みどろの殴り合いを始める。 「……ぐっ、あ、あァァッ!!」 獣のような咆哮が、マイトの喉から漏れた。 思考は停止している。ただ、ディアスという存在そのものが、マイトの殺意のトリガーを引いたのだ。 剥き出しの殺意 マイトは治療台から飛びのいた。点滴の管を引きちぎり、床に転がる同僚を突き飛ばし、白く変色するほど握りしめたスパナを振り上げる。 その動きは、かつて訓練された洗練された格闘技術ではない。 ただ、ディアスを殺害したい。 自分の心と体を支配するこの美しい悪魔を粉砕し、今の自分という悍ましい存在を無に帰したいという、純粋な殺意だけが突き動かす。 無様な、しかし死に物狂いの跳躍だった。 「死ねッ、この……ッ!!」 腕の筋肉が悲鳴を上げる。 重厚なスパナが空を切り、ディアスの頭蓋を正確に狙って叩きつけられる。 ――狙いは完璧だった。迷いも、手加減もない。 この一撃がディアスの頭蓋を割り、美しいその顔ごと脳漿をぶちまける光景が、マイトの網膜にはっきりと焼き付いていた。 静止する時間 しかし、ディアスは動じない。 彼は死の気配を前にしても、冷徹な愉悦をその瞳に浮かべたまま、余裕を持って微かに首を傾けた。 スパナがディアスの頭部に到達する直前、彼の白い指が、まるで蝶を捕らえるかのような優雅さで、マイトの細い手首を空中で掴み取った。 ゴキリ、と手首の骨がくだける鈍い音がする。 ディアスの握力は、マイトの手首の骨を容易く砕いた。衝撃のあまりマイトの身体は空中で止まり、重力に逆らえず、ディアスの足元へと崩れ落ちる。 「随分と荒っぽいお出迎えだね、マイト。ああ、 ……記憶が戻ったの?この熱烈な愛の証明とは」 ディアスは、殺意に満ちて充血したマイトの瞳を、まるで愛しい玩具を観察するように覗き込んだ。 その眼差しには、恐怖など一片もない。あるのは、自分が調教した対象が「初めて牙を剥いた」ことへの、歪んだ喜びだけだった。 「さあ、見せてごらん。そのスパナを振り上げた時の、君の心臓の鼓動を。殺したいのに身体が熱くなる、その矛盾の苦しみを」 医療室に、警告音だけが空虚に鳴り響き続けていた。 逃げ場を失い、ディアスの指先に捕らえられたマイトは、震える身体でその男の瞳を見返すことしかできなかった。  指から外れた重厚な鋼鉄のスパナは、空を切り、ぐるぐると回転して壁に衝突し突き刺さり、重みで床へとゴンッ、と鈍い音が医療室に響く。  骨を砕かれた痛みもアドレナリンで熱しか感じずマイトは必死に歯を食いしばる。  ディアスの視線は嵐の最中とは思えないほど穏やかで、それゆえに酷く冷え切っていた。  ディアスはその空いた手で、今度はマイトの首根っこを容赦なく掴み、壁際まで強引に引きずり回した。  マイトの背中が冷たい医療機器の筐体に叩きつけられる。  ディアスはマイトを壁に押し付けマイトの右腕を、空中で高々とピン止めした。 「殺したいのか? 結構だ。君のその瞳、久しぶりにゾクゾクするほど美しいよ」  ディアスは顔を寄せ、マイトの乱れた呼吸をその吐息で塗り潰すように鼻先を擦り付ける。  マイトは左手でディアスの胸元を突き飛ばそうとするが、彼の身体はまるで鉄の柱のようにびくともしない。むしろ、突き飛ばそうとするマイトの指がディアスの服を掴み、彼にすがりつくような形になっていることに気づき、マイトは絶望的な羞恥に顔を歪めた。 「ッ……離せ、この……クソ、悪魔っ!」 「離さないよ。君が求めてるんだ。……ほら、感じてごらん。君は今、オレを殺そうとしながら、オレの匂いを嗅いで、オレの体温を肌で感じて、どこかでホッとしている。……自分の身体が、このオレに触れられただけで熱くなっていることに、気づいてしまっているんだろう?」  ディアスがスパナを掴んでいた右手を離し、ゆっくりとマイトの首筋をなぞる。  先ほどまでの殺意の熱が、急速に別の種類の熱、ディアスに所有されているという支配の陶酔へと侵食されていく。 「わかっているよ。殺したいのに、オレに触れられたいんだろう? 自分のその淫らな矛盾を、よく味わうといい」 ディアスは周囲の同僚たちへ、冷ややかに命じた。 「……連中は部屋へ戻せ。マイトの治療はオレがする」  同僚たちが恐怖に震えながら退出すると、扉がロックされる。 医療室の無機質な空間に、マイトの喘ぎ声と、ディアスの底知れない笑い声だけが残された。  マイトの視界が歪む。  殺意の炎は消えていないはずなのに、ディアスの指が首元の所有痕をなぞるたび、全身の神経が「もっと」と疼き出す。 右手が、痙攣しながら力なく落ち、ディアスの腰にしがみつくように震えだした。 「ああ……っ、やだ……ッ、この、悪魔、この、サイコパス野郎…っ!」 「殺したいほど愛しているんだろう? 可愛いね……いいよ、マイト。その殺意すらも、オレが君を壊すための甘いスパイスだ」  ディアスはマイトの耳元で甘く囁き、逃げ場を塞ぐように、さらに深くその身を押し付けた。医療室の警告灯が赤く明滅し、影が激しく揺れる中、マイトは殺意と快楽の矛盾に押し潰され、ディアスの腕の中でただ絶望的に震え続けた。

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