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第2部 第5話

荒涼とした惑星クロネの地表。 吹きすさぶ赤茶けた砂塵を避け、二人は落ち合うとその惑星の数少ない寂れた居住区にある、古びた酒場へと足を向けていた。 昼間から煤けた明かりが灯る店内には、宇宙を渡る荒くれ者たちの澱んだ空気が立ち込めている。マイトとジェイスは、ひび割れたプラスチックのテーブルを挟んで向き合うように腰を下ろした。 グラスの底に沈む濁った酒を揺らしながら、ジェイスはどこか探るような、しかし痛ましさを湛えた瞳でマイトを見つめた。 「……若……ハニーエンジェルって、ふざけた名前だから、最初は別人と思いました」 「最高のネーミングなんだけどな」 ちょっと不満げに頬を膨らませる様子は、あの頃と何も変わったところはない。 「…………ヴェルテクスとは、つけなかったのですか」 エブラハムロジャーに乗っていた頃の、マイトの愛機。美しく豪快な旋回を繰り返す操縦に、辺境の海賊は畏敬を込めて無影の旋風(ヴェルテクス)と呼んだ。 「…………ヴェルは死んだからな。アイツの名前はつけねえよ」 マイトはちょっと斜め上を見上げて呟く。すぐに、感傷だなと肩を竦めて笑う。 ヴェルテクスは、旧エブラハムロジャーの母艦とともに宇宙の藻屑になった。 ジェイスは少し目をひらいて、もしかして記憶が戻っているのかと息を飲む。 「……なぁ、若」 「ん? なんだよ、ジェイ」 マイトは不敵な笑みを崩さず、軽くグラスを傾けて酒を口に含む。 「別れてから……、俺たちがブラックシールドを去ってからのことを聞かせてくれ。……若は今、正気なのか」 ジェイスの声音には、切実な心配が滲んでいた。あの冷酷な悪魔のようなディアスのもとで、マイトがどれほど狂わされ、壊されてきたのか。いまは、正気なのか。 マイトはグラスをテーブルに置き、わずかに目を伏せて自嘲気味に笑った。 「別れてから、か……。まあ、正気と言われたらちげえ気がする。まあ、色々あった。ま、それはいい。お前が一番気になってるのはそこじゃねぇだろ」 「……記憶、戻ったのか?」 ジェイスが思わず身を乗り出す。マイトはふっと息を吐き、隠すこともなくうなずいた。 「ああ。すっかり戻っちまったよ。先代の親父のことや、俺が首領としてエブラハム・ロジャーで駆け抜けた日々のことも、全部な」 「――だったら……!」 ジェイスの顔に、一筋の強い光が走った。 あのハニーエンジェルの操縦技能を見ただけで、マイトだと、記憶を無くす前の動きだと気づいた。 ハニーエンジェルなんてふざけた名前だったが、無影の旋風(ヴェルテクス)そのものだった。 記憶が戻ったのなら、あの忌まわしいディアスの洗脳や依存からも目が覚めているはずだ。 ――そう期待したジェイスの言葉を、マイトは静かに、だがはっきりと遮った。 「だけどよ、ジェイ。記憶が戻ったからって、あの人を裏切れるわけじゃねぇんだ」 「どういうことだ、思いだしたんだろ。全部――」 「ああ、そうだな。俺がブラックシールドの船に体当たりしたのも、な」 マイトはグラスを揺らしながら、遠い目を向ける。 「記憶が戻ってすぐ、恋してた自分を騙して弄んでいたディアスを憎いと思って殺そうとした。だけどよ、ものの見事に返り討ちにあった。あの強さは化け物だね、勝てるわけがなかったんだよ」 悔しさよりも、圧倒的な力の差に対する妙な納得を含んだ笑みだった。そしてマイトは、グラスから視線を上げてジェイスをまっすぐに見据えた。 「それにさ……。そもそも、お前があのとき『やめとけ』って止めてくれたのに、俺は恋にかまけて勝手に家族を捨てて、あっちに走ったんだ。お前らの前に戻る顔なんて、最初からありやしねぇよ」 「若……」 「全部、俺自身の意思で選んだ道だ。誰に強制されたわけでもねぇ。今でも……ディアスに惚れてるのも、すべて事実だ。だから、後悔なんて微塵もねぇよ」 マイトのあまりにも清々しい、そして救いようのない告白に、ジェイスは言葉を失い、拳を強く握りしめた。 「惚れてる、ですか」 静まり返ったテーブルの上で、ジェイスは歯を食いしばりながら、絞り出すようにぽつりと呟いた。 「……俺たちが、なんでここまで必死で、若、あなたを取り戻そうとしてたか、分かりますか」 「ん?」 「宇宙のあちこちで噂が流れてた。『エブラハムロジャーの元首領が、あの狂った女神の性奴隷に成り下がって調教されてる』ってな……!」 ジェイスの瞳に、悔し涙に似た激しい感情が揺らめいていた。 「俺は、お前がそんな恥知らずな真似を自ら選んでるなんて思いたくなかった。完全に洗脳されて、記憶を奪われて、無理やりそんな悍ましい扱いを受けてるんだって……そう思い込んでた。取り戻して、若を本当の意味で救えはしないかもしれないと一度は諦めた。でも、稼ぎを増やして医者に見せてやればと思い直した」 その言葉を聞いたマイトは、少しだけ目を丸くし、そしてふっと吹き出したように声を上げて笑った。 「ははっ、性奴隷なあ。まあ、それは、噂どおりで、大体合ってるけどさ」 「どういう!!本当に性奴隷にされてるのか………!」 「悪ぃ悪ぃ。まあ、似たようなものか、な。でもな、ジェイ」 性奴隷と言われても、そこには愛情があり、ただのディアスの性癖だと言っても理解はされないだろう。品評会なるそういう見世物ショーにも連れていかれたし、噂になるのは当然だ。 マイトは笑みを収めると、どこまでも真摯で、そして狂気的なまでに満ち足りた瞳でジェイスを見据えた。 「洗脳されてるわけでも、無理やり嵌められてるわけでもねぇよ。俺はあの男に魂まで犯されて、喜んでその首輪を繋がれてんだ。……お前が心配してくれたのは嬉しいけどよ、俺にとっては今のほうがよっぽど居心地がいいのさ」 ジェイスはもう、それ以上言葉を返すことができなかった。 救い出そうとしている元首領は、自ら望んでその檻のなかに囚われ、まるでそこを世界で一番の楽園だというような顔で笑っている。 「若……アンタは、本当に救いようのない馬鹿だな」 ジェイスは力なくテーブルに額をつけた。 「そうだよな。お前らの期待に応えられなくてごめんな」 マイトはそんなかつての副長の背中を軽く叩く。 「…………あなたの幸せだけを、願ってるんです。俺らは若の家族ですから。そんな、幸せそうに笑われたら、俺は、若を引き戻すことなんて、できないです」 ジェイスの言葉に、マイトは軽く息をついてありがとうと告げる。 立ち上がり飲み銭のコインを置くと、かつての自分の残滓が泣きじゃくっているような気がしたが、振り切るように酒場の扉を開いて出ていった。

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