51 / 70
第2部 第7話
惑星クロネの寂れた酒場を後にし、マイトは再び自分の愛機『ハニーエンジェル』へと向かっていた。
下腹部の奥では、今朝ディアスに仕込まれた特殊なプラグが微細な振動と熱を刻み続けている。かつての仲間との別れに浸る暇すら与えないほど濃密な熱が、絶えず脳髄を刺激していた。
「ふぅ……さてと、長居は無用だな。ジェイには悪いけど、俺は俺の居場所に帰るだけだ」
愛機に飛び乗り、手際よくコックピットのハッチを閉めると、マイトはスロットルを押し込んで一気に大気圏外へと突き抜けた。
不快な重力を振り切り、機体が宇宙空間へと突入する――まさにその一瞬だった。
大気圏を離脱し、重力と慣性の狭間で推進力を得るため、機体の姿勢制御がコンマ数秒だけ「最も鈍くなる」絶対の隙。
「――しまっ……!?」
直感的な危機感にマイトが目を見開いたのと同時に、漆黒の宇宙から複数の特殊電磁捕獲弾がハニーエンジェルを正確に穿った。
激しい放電が機体を包み込み、メインコンソールが甲高い警告音を上げた後、次々と全システムが沈黙していく。推進力は死に、慣性のまま漂う愛機を包囲するように、宇宙警察の特務巡洋艦が暗闇から姿を現した。
『――そこまでだ、ハニーエンジェル』
全周波数割り込み通信から流れてきたのは、冷徹なまでに静かで上品な……マイト自身の声を鏡で跳ね返したかのような、あの不快な声音だった。
『貴機の全機能は物理的に停止した。無駄な抵抗をやめ、我が方の拘束に従いなさい』
「くそっ……! ワンコども、最初からここで待ち伏せてやがったのか……!」
マイトは悪態をつきながら手動で予備システムを再起動させようとしたが、手動操縦系すら電磁ロックがかかり、びくともしない。
物理法則の隙を突かれた完璧な急襲。手動運転すら拒絶されたコックピットで、マイトの額を冷や汗が伝う。
ガシャ、と重く乾いた金属音が響き、動けないハニーエンジェルの外部ハッチに、宇宙警察のドッキングチューブが強制結合された。
――よりによって、大気圏を抜けた瞬間の隙を狙われるなんて。
ジェイスとの別れの余韻など完全に吹き飛び、マイトの脳裏をよぎったのは、直前に通信で「必ずベッドに帰る」と約束した美しくも冷酷な主人の顔だった。
「……やべぇ。これ、マジで怒られるんじゃねぇのか……?」
ブラック・シールドの母艦に戻ると威勢よく誓っておきながら、途中で宇宙警察にハッキングすらさせてもらえず生け捕りにされるという大失態。
このまま捕まれば、ディアスの待つベッドに戻るどころの騒ぎではない。
その時――死んだはずのサブモニターの片隅で、プライベート暗号回線が怪しく点滅した。
ドッキングの衝撃による回路の歪みか、あるいは母艦側からの強力な割り込みか。
スピーカーから、まるでマイトの焦りを見透かしているかのように、ディアスの低く甘い声が滑り込んできた。
『おや、マイト。急に機体のレスポンスが途絶えたようだが……ずいぶんと面白い状況になっているようだね』
その優雅でありながらも、底冷えするような静けさを孕んだ声に、マイトの背筋が一気に凍りつく。
「あー、その……ディアス? えーと、ディアスさま? ちょっと誤解なんだけどさ……」
『誤解、ね。君はオレに、絶対に自ら戻ると誓ったはずだが?』
「誓った! 誓ったけどよ、大気圏を抜けた瞬間に警察の野郎どもに電磁弾を撃ち込まれて、操縦系統を全部殺されちまったんだよ……!」
マイトが冷や汗を流しながら必死に説明すると、通信の向こうのディアスは、小さくフッと息を漏らして笑った。その笑い声には怒り以上に、己の所有物を奪われかけた狂おしい独占欲と、底知れぬ冷酷な殺気が満ちていた。
『なるほど。可愛い犬が、大気圏の隙を突かれて警察に保健所に連れてかれそう、というわけだ』
「あ、待てよディアス、俺が内部からハッチを——」
『いいや、大人しくしていなさい、マイト。……オレの大切なものに愚かな手を伸ばした虫ケラどもがどうなるか、母艦からたっぷり教えてあげなければならないようだね』
ガチャン、と通信が一方的に切れる。
直後、ハニーエンジェルの外部エアロックが無理やりこじ開けられ、重厚なブーツの足音がコックピットの手前まで響いてきた。
マイトは下腹部の熱に体を震わせながら、開いていくハッチを呆然と見上げるのだった。
ともだちにシェアしよう!

