56 / 70
第2部 第12話
宇宙警察本部、特級医療ルーム。
冷え切った無機質なライトが照らし出す個室の中で、マイトの身体データをリアルタイムで映し出す複数のホログラムモニターが青白く明滅していた。その周囲を囲むように、白衣を着た二人の専属医師が腕を組み、険しい表情で画面を見つめている。
「……信じられんな。身体の隅々まで強制管理されているというのに、自らそれを拒絶し、あんな狂乱状態に陥るとは」
一人の医師がやれやれといった調子で首を振ると、隣でカルテの解析データをフリックしていた医師が、冷ややかな視線を防音ガラス越しのベッドへ向けた。
「意識を失えば、苦痛も何もかも消えるというのに、必死で意識を保つとか常人じゃありえないな」
「考えられるのは、相当な被虐思考か、相当の洗脳か」
そこには、拘束衣に身を包み、耐えがたい離脱症状に身をよじるマイトの姿があった。
「まあ、保護している我々を完全に『敵』とみなしている。……極めて深刻なレベルの洗脳を受けていると見て間違いないでしょう」
「これだけの依存症状と、管理された快楽に対する異常な執着……。単なる洗脳の枠を超えて、重度の依存症、いや、強迫性障害的な精神異常の領域に片足を突っ込んでいるな。薬液と物理的な刺激を断たれた途端にあそこまで崩壊するのは、脳の報酬系そのものが主たるモノに依存し尽くしている証拠だ」
医師たちは、目の前で苦悶するマイトを、まるで珍しい症例でも見るかのような冷徹な目で分析し続ける。
「この状態の彼を元の正常な精神に戻すのは、並大抵のカウンセリングやリハビリでは不可能でしょうね。下手に主たるモノと隔離を続ければ、自ら舌を噛み切ってでも命を絶つか廃人になりかねない。犯罪者の命など軽いものだが」
吐き捨てるような医師たちの冷ややかな声が、禁断症状に狂うマイトの耳に届くことはない。
彼はただ、頭の中で響く主の声だけを頼りに、震える肉体を必死に歪め続けていた。
「これだけの重度な脳の報酬系が破壊し尽くされた酩酊状態で、あの戦闘機操縦できるものか」
ホログラムに映し出されたマイトの脳波データと、拿捕直前のフライトレコーダーの軌跡を並べた主任医師が、険しい顔で眉間を押さえた。
「見ろ、この精密な機動を。我が方の包囲網の隙間を縫い、センチ単位の誤差も許されない超高難度の回避航行をやり遂げている。……常に快感物質で脳内が焼き切れ、酩酊しきっているような奴に、これほど繊細な操縦など本来あり得ない」
隣の医師も、データとマイトの痙攣する肉体を交互に見比べながら息を呑んだ。
「おっしゃる通りです。通常、このレベルの精神崩壊と依存を引き起こしていれば、自分の手足すらまともに動かせないはず。神経が焼き切れるか、ショックで昏睡状態に陥るのが関の山です。……だが、映像の彼は、まるで機体を自分の身体の一部のように、完璧に制御していた」
医療ルームの静寂の中に、電子機器の稼働音だけが冷たく響く。
二人の医師は、目の前の矛盾点に気づき、言い知れない恐怖を覚えていた。
「……どういうことだ? 彼の肉体と精神は、我々の想像を遥かに超えた『何か』で強制的に同期させられていたとでも言うのか? あるいは、あのディアという男が、彼の神経系を遠隔で完全にハッキングし、傀儡として操っていたのか……」
医師たちはさらなる深層データを引き出すため、マイトの神経回路の生体反応と、過去のフライトログの同期テスト検証を急ピッチで開始した。
『――機密データベースより該当データを抽出』
突如として、モニターに一つの警告映像とファイルが重畳表示された。
ファイル名――『無影の旋風(ヴェルテクス)』。
「……これは……!」
医師の一人が息を呑んでホログラムを凝視する。
そこに映し出されていたのは、かつて宇宙警察を震撼させた悪名高き事件の記録だった。
宇宙警察の精鋭戦艦群が、たった一機の小型機による奇襲を受け、わずか数分で文字通り「全滅」に追い込まれた凄惨な記録。
レーダーにも捉えられぬ超高速機動、迎撃システムを完全に無効化する神業的なハッキング、そして防御の隙間を寸分の狂いもなく貫く圧倒的な殺人航法。
艦隊を灰燼に帰したその天才パイロットの正体。
――当時、その狂気的な神業をやってのけたのは、老舗海賊団《エブラハム・ロジャー》の戦闘機パイロット、わずか15歳の少年だったという。
「15歳で、宇宙警察の戦艦をたった一人で……ふざけた怪物だな。いや、待て……。この操縦軌跡のクセ、神経同期のパターン……今、目の前で狂っているこの男のデータと【完全に一致】しているぞ……っ!」
医師の背筋に冷たいものが走る。
目の前で禁断症状に苦しみ、ただの廃人のように震えているこの男こそが、かつて宇宙警察を恐怖のどん底に突き落とした伝説の天才パイロット――マイト・エブラハム本人だろう。
医療ルームの青白い光の中で突き止められた戦慄の過去。そのデータは、即座に宇宙警察の主席調査班へと転送された。
調査班のホログラム会議室に、過去の事件ファイルと現在のマイトの身体データが並べられる。主任調査官は険しい表情で腕を組み、未解決事件のパズルピースを組み立てていった。
「――数年前、マイト·エブラハム率いる海賊団は、新興勢力であった『ブラック・シールド』の猛攻の前に敗北し、壊滅したはずだ」
会議室に映し出されたのは、かつて宇宙の闇に消えたはずの戦闘の記録映像だ。当時、無敵を誇った「無影の旋風」は機体ごと宇宙の塵と消えたと、警察側は認識していた。
しかし、調査班が導き出した結論は、その共通認識を根底から覆すものだった。
「機体ごと死亡したのではなく……彼はブラック・シールドに捕虜として生け捕りにされていたとしたら、どうだ」
別の調査員が、マイトの医療カルテに視線を落とす。ブラック·シールドの手によって神経の髄まで植え付けられ、徹底的に調教された肉体のデータだ。
「ああ……すべてが合点がいくだろう。死んだと思われていた天才パイロットは敵の手中に落ち、凄惨な拷問と執拗な性的暴行の果てに、心身を完全に破壊された。プライドも、人格も、意志すらも根こそぎ奪われ、ただ快楽と恐怖によって主へと服従するだけの『兵器』へと創り替えられたのだ」
自らの意志でブラック・シールドに加担しているのではなく、極限の調教によって脳の報酬系を書き換えられ、逆らうことすら許されない兵器に成り果てていた。
だからこそ、この重度の禁断症状と、神業的な操縦技術という矛盾のすべてが綺麗に説明がつく。
「彼は自ら望んだ反逆者などではない。あの抗争の生き残りでありながら、それ以上に残酷な生き地獄を味わってきた被害者だ。……いや、もはや人間としての形を保っただけの『狂った兵器』か」
調査班の冷徹な結論が下されたその場所から遠く離れた特級独房で、マイトは今日もなお、自ら望んで全てを捧げた「奪われた主」の幻影を追い求めながら、狂気と疼きのなかでもがいていた。
ともだちにシェアしよう!

