61 / 70
第2部 第17話
ディアスが奪還のための艦隊を出撃させたのと、まさに同時刻。
特級隠蔽施設の独房内では、マイトが鏡のように瓜二つの顔を持つ双子の兄・レディルと対峙していた。
「そうだな。今からブラック・シールドの母艦への回線を開いてもらおうか。お前は通信の誘導役に徹しろ」
レディルが暗号回線の設定を始めようと無防備に端末を操作し始めた、その瞬間だった。
――今だっ……!
従順なふりをして猫を被っていたマイトの瞳から気怠さが消え失せ、飢えた獣の凶光が宿った。
密かに右腕の脱臼と引き換えに広げ続けていた拘束衣とベルトの隙間。
激しい痛みを無視して両腕の拘束を完全に外し、マイトは弾かれたように椅子から跳ね起きた。
「なっ……!?」
レディルが驚愕に目を見張り、銃に手を伸ばすよりも早く、マイトの手刀がレディルの喉元に深く突き刺さる。
掴んだ頭を床に叩きつけ、崩れ落ちるレディルの意識を完全に刈り取ると、マイトは手早くその制服、階級章、IDカード、レーザー銃、そしてマスター端末を奪い取る。
そして、自らの血と汗に塗れた拘束衣を脱ぎ、脱がした制服に着替えていった。
「おやすみ、おにいちゃん。アンタのおかげで助かったわ」
双子の兄を特級拘束衣で縛り上げて拘束椅子に放置し、マイトは「エリア長」の仮面を被って堂々と独房を解錠して後にした。
歩く度に脳が引き裂かれるような神経の痛みと、激しい離脱症状を気力だけでねじ伏せる。
すれ違う警備員たちからの敬礼を自然な表情で固定し、堅苦しく見える態度でやり過ごす。
IDカードの権限と網膜チェックでの部屋の移動はなんなく通り抜けられた。
…………へえ、なるほど。双子ってのは、あながち嘘じゃなかったみたいだな。
整備ドックへと漸くたどり着いたマイトは、出撃準備の整った最新鋭の特務戦闘機へと滑り込んだ。
操縦桿に触れた瞬間、かつて「無影の旋風」と呼ばれた天才的かつ狂気的な感覚が、マイトの神経回路をスパークさせる。
ボロボロの肉体など関係ない。
頭の中に焼きついた絶対の主――女神のように美しいディアスの姿だけが、今のマイトを動かす唯一の燃料だった。
エンジンが爆音を響かせ、ドックの巨大なシャッターがゆっくりと左右に開く。
外に広がるのは、漆黒の宇宙の海。
「っ……く、ハハ、ハッ……!やったぜ、やってやった、ははは!」
乾いた笑い声を漏らしながら、マイトは戦闘機を急発進させた。
凄まじいGが全身の傷口と筋肉を抉るが、構うものか。
機体は重力の縛りから一気に解放され、光の尾を引きながら大気圏を突き破る。
重力圏を完全に脱し、目の前に果てしない星々の海が広がった瞬間、マイトの胸に圧倒的な解放感が満ち足りた。
出た……! 宇宙に出ちまえこっちのもんだ……っ!
追跡の恐怖など微塵もない。
漆黒の宇宙空間へ飛び出したマイトは、荒い息を整えながらすかさずコックピットのホログラムコンソールを叩いた。
「……まずは、尾の虫を振り払うとする、か……」
ディスプレイに映し出されたレーダーと航法軌跡を確認する。
背後からの追尾反応はない。しかし、宇宙警察の最新鋭機をそのまま乗っ取っている以上、機体そのものが一種の「動く監視カメラ」である可能性をマイトの直感は嗅ぎ取っていた。
震える指先でメインシステムにアクセスし、内部構造の深層へとダイブする。
脳を焦がすような離脱症状の眩暈と戦いながら、マイトの指は慣れた手つきで流れるようにコードを紡ぎ、機体の隅々までを完全にハックしていった。
あったな、これだから警察の犬の道具は……。
診断プログラムの奥底に仕込まれていたブラックボックス、位置追跡および強制遠隔ロック用のデータを見つけ出すと、マイトは不敵な笑みを浮かべ、即座に自作の破壊ウイルスをその中枢へと流し込んだ。
内部から焼き切れるようにブラックボックスのデータが次々と粉砕され、完全に沈黙していく。これで、この機体はどこまでも「自分だけの自由な翼」になった。
しかし、慎重を期すマイトは、完全にオートパイロットに切り替えることはせず、あえて自らの手で操縦桿を握りしめ、手動運転を継続する。
……さて、ここからだ。
次に打ち込んだのは、ブラック・シールドの母艦、そして呼び慣れたディアスのいる艦隊へと繋がる機密通信のパスだった。
こんな警察のパトロール機からいきなり連絡しちまったら、向こうの自動防衛システムに蜂の巣にされるか、警戒されて一発で撃ち落とされるな……。
朦朧とする意識の中、視界がチカチカと明滅する。
体力の限界はとうに超えていた。
だが、それでも指先を止めず、暗号化された通信プロトコルを開く。
警察機体からのアクセスであることを偽装しつつ、あえて「自分とディアス」にしかわからない特別な合言葉を打ち込んだ。
『――帰還したい。通信求む。我が愛しのハニーエンジェルスイートラバーに告ぐ』
ふざけた、しかし狂おしいほどに切実なそのメッセージが、宇宙の闇へと放たれた。
通信の送信を終え、マイトがふと外部センサーのディスプレイに目を向けた瞬間、息が止まりそうになった。
「は……? うそだろ……」
レーダーの拡大画面に映し出されたのは、つい今しがた暗号を飛ばしたばかりの相手の座標だった。
そこには、自らも施設を襲撃すべく跳躍してきたはずのブラック・シールドの旗艦と艦隊が――なんと、目と鼻の先の至近距離に堂々と陣取っていたのだ。
あまりのタイミングの良さと近さに、マイトは思わず乾いた笑いをこぼす。
「あは、どんだけ俺の迎えに本気なんだよ、あの船長……っ。これじゃあ、狙ってましたって言ってるようなもんだろ……!」
驚きと呆れ、そして胸の奥から込み上げる熱い高揚感に突き動かされながら、マイトは戦闘機をさらに前進させた。
一方その頃。
ジェイスの情報を元に、宇宙警察の特級施設を火の海にするべく暗礁宙域へとワープアウトしてきたブラック・シールドの旗艦。
その司令室のメインモニターに、突如として接近してくる一機の警察機体と、先の暗号メッセージが浮かび上がった。
管制官たちは突如現れた機体に慌てふためき、司令室のあちこちで緊迫した声が飛び交う。
「ディア様! 警備区域の真っただ中に警察の特務戦闘機が跳躍してきました! 通信回線が開かれていますが、どうやら敵の機体が我々のコードをハックして侵入してきた模様……!」
「宇宙警察の陽動作戦か、あるいは我々の位置を暴くための自爆テロの可能性が高い! 直ちに迎撃ミサイルを全弾発射し、スクラップに変えましょう!」
管制士官たちが血相を変えて進言する中、モニターに映し出されたメッセージの文面が不気味に輝いていた。
『帰還したい。通信求む。我が愛しのハニーエンジェルスイートラバーに告ぐ』
一読すれば敵の挑発にも見える、ふざけた文面。
しかし、そのメッセージの根底に流れる特有のプロトコルを見た瞬間、出撃の殺気に満ちていたディアスの手がピタリと止まった。
『愛機にアンタの名前をつけた、ハニーエンジェルディアス号』とか、以前威張って言っていた。名前の代わりに選んだスイートラバーという、わけのわからん単語もあの馬鹿らしい。
ここ2週間、マイトを失った喪失感から病的なまでに蒼白になっていたその美貌に、驚愕の色が走り、やがて艶やかで狂気じみた笑みが浮かぶ。
あの狂犬のおばかな癖が、その通信の端々にこれでもかと滲み出している。
「ディアス様、やはり罠と見て破壊を……!」
「待て」
低く、絶対的な響きを持つディアスの声に、司令室の空気が一瞬で凍りついた。部下たちは戸惑いの色を隠せない。
彼はゆっくりと立ち上がり、モニターに映し出された警察機体の軌道を見据える。
その表情には、愛しいペットを思い出すかのような、歪んだ愉悦の色が漂っていた。
「罠なものか。……あのバカ犬が、自分の鎖を引きちぎってようやく戻ってきたらしい」
自らが施設を破壊して助け出すより先に、愛犬は己の牙で檻を壊し、主人の元へ駆けてきたのだ。
ディアスはふっと艶やかに微笑むと、動揺する部下たちに絶対の命令を下した。
「全艦、防衛システムを解除しろ。あの機体はオレが直接迎える。……虫の息で這い戻ってきた我が副官を、盛大に出迎えてやるとしよう」
ともだちにシェアしよう!

