65 / 70

第2部 第21話

直前、限界を迎えた肉体と精神のまま激しく求め合った代償に、マイトのバイタルは急降下し、心停止寸前のショック状態に陥った。 果たして求められても抱かなければよかったのだろうか――。 いや、そうではない。もしあの飢えを放置すれば、マイトのメンタルは間違いなく完全に崩壊し、自壊していただろう。 だからといって、今のボロボロの肉体にこれ以上の負荷をかければ、文字通り命が危うい。 最前の策が分からず、ただ恐怖に似た焦燥に駆られながら、ディアスはマイトの細く冷え切った身体を必死に抱きしめ続けていた。 「……はぁ、はぁっ……っ!」 懸命な処置と自身の熱を分け与えたことで、マイトの意識と体温はわずかに、本当にわずかにだけ本来の熱を取り戻し始めていた。 だが、心と脳の錯乱は収まるどころか、より一層激しく狂気を帯びて暴走していた。 「っ、いやっ……! いや、奪るな……! それは、俺の、俺のものだろ……っ!」 マイトは虚ろで潤んだ青い瞳を血走らせ、ディアスの胸元を狂ったように掴みかかってきた。 力ない腕を押さえ込み、ディアスは静かに思考を巡らせていた。 この男を自らの手で徹底的に調教し、自分なしでは息もできないほどの依存と快楽の底に叩き込んでから、丸1年。 今や身も心も完璧に自分の手の中に堕ちていた。だからこそ、その「証」をすべて奪われた今のマイトにとって、それは耐えがたいほどの狂気の引き金になってしまっていた。 警察に捕らわれていた間、全身に刻まれていたピアスはすべて引き千切られ、感覚を繋いでいたプラグも、尿道の奥に埋め込まれていたファイバーさえも、すべて奴らに奪い取られてしまっていた。 体中から「主人の痕跡」と「支配の証」が消え去ったという圧倒的な喪失感が、マイトの精神を完全に破壊していた。 「ああ、ディアス、つけて……! はやく、つけてくれよ……っ!」 「マイト、落ち着きなさい。今はまだ……」 「やだっ! 全部奪られた、何もない、ごめん、ごめんなさい、ああ、とられ、て、怖い、ゆるして、ディアスっ!」 マイトは泣き叫びながらディアスの首筋にしがみつき、まるで縋りつく小動物のようにガタガタと震えて許しを乞う。 肉体はまだ生体モニターの警告音が鳴り響くほど衰弱し、まともに立ってすらいられないというのに、その脳裏にあるのは「早く自分を支配し直してほしい」という渇望だけだった。 身体の内部がスッポリと抜け落ちたような耐えがたい飢餓感に、マイトは現実と幻覚の区別もつかぬまま、何度も何度も必死に声を張り上げる。 溢れ出る涙を拭うこともせず、マイトは縋りつくようにディアスの胸元に顔を押し付けた。 「全部……全部とられてごめん、ディアス……。俺がまぬけだったから、やつらに剥ぎ取られちまったんだ……っ」 ガタガタと震える肩を小さく折り曲げ、マイトは熱の上がったうわごとのように、同じ言葉を何度も何度も繰り返した。 「俺を捨てないでくれよ、ディアス……! にせもの、の、俺なんて、いらないなんて言わないでくれ……っ!」 1年という歳月をかけて自分が完璧に調教し、思考すらできなくなった愛しい狂犬が、今や牙を抜かれた子犬のように怯え、泣きじゃくっている。 その痛々しくも愛おしすぎる姿に、ディアスの胸の奥で、猛烈な愛着と独占欲がうねりを上げた。 ――ああ、なんて愛おしい。この男は、本当にオレなしでは一日たりとも生きられない身体と心になってしまったのだ。 怒りでも呆れでもない。 自分以外の何者にも染め上げられたくないという黒々とした歓喜が、ディアスの血管を猛烈な勢いで駆け巡る。 だが、医務官のモニターが示すマイトのバイタル数値は、まだ危険域から抜け出せていない。 こんな極限の衰弱状態で、あのような激しい神経刺激のデバイスや金属を身体に通せば、文字通り心臓が止まってしまう。 ディアスは美貌を歪ませ、壊れ物に触れるような、しかし二度と逃がさないという絶対的な力強さで、マイトの震える身体を力強く抱き寄せた。 「マイト、静かにききなさい」 低く、しかし有無を言わせぬ絶対的な主の声を、ディアスはマイトの耳元に落とした。 「そんな身体の状態で刺激を与えたらお前の命がもたない。今はまだ、それを許すわけにはいかないんだ」 「やだ、そんなの嘘だ……! 捨てないでくれよ、めんどう、みるっていった……っ!」 「捨てやしないさ」 ディアスはマイトの頬を両手でしっかりと包み込み、泣き濡れた瞳を真っ直ぐに見据えた。 そして、怯え切ったその額に優しく口づけを落しながら、途切れることなく甘い言葉を紡ぎ続けた。 「――大丈夫だ、マイト。安心していい」 「……っ、ディアス……」 「お前がそんなに欲しがるなら、元に戻りさえすれば、いくらでもつけてやる。お前の身体が二度とそれを忘れられないように、たっぷりと刻み込んであげるよ」 ディアスはマイトをさらに強く、骨が軋むほどの圧倒的な力で胸元に押し付け、その背中や細い腕を優しく、慈しむように撫でさすった。 「だから、もう怯えるな。私はお前を離さない。絶対に、どこにも行かせやしないから安心しろ」 「っ、ほんとか……?」 「ああ、身体からどんな痕跡が消えようとも、お前が私の犬であるという事実が変わることはないんだよ。だから、もう泣く必要はない」 人工の機械でも、冷たい金属でもない。 ディアスの体温と、背中を這う熱い手のひらの感触。 そして何より、離さないと告げる主人の絶対的な声が、錯乱しきっていたマイトの神経をゆっくりと現実へと引き戻していく。 「あぁ……っ、ディアス……っ……! よかった……おれ、捨てられねぇんだ……っ、にせものじゃない……よな」 マイトは震える腕を回し、ディアスの背中にしがみついた。 まだ内側の渇望は消えないが、冷え切っていた心に、主人の熱と絶対的な「安心感」だけが確かな鎖となって巻き付いていく。 ディアスはマイトの金髪に何度も優しい口付けを落とし、脈拍が落ち着くまで、その震える身体を二度と離さないと言わばかりに強く、深く、抱き締め続けたのだった。

ともだちにシェアしよう!