66 / 70
第2部 第22話
首筋を貫くような鋭い痛みと、鼻をつく酷い異臭によって、レディル・マースの意識は強制的に浮上した。
「……う、ぐ……っ」
視界が歪む。冷たい鉄のベッドの上。
身体を起こそうとしたレディルは、己の四肢が完全に固定され、一ミリたりとも動かせないことに気づ愕然とした。
身体を包み込んでいるのは、分厚く重い特級の拘束衣。
先ほどまで、あの海賊――自分の双子の弟であるマイトが着せられていたものだ。
布地には、離脱症状で彼が流した大量の脂汗と、血の匂い、そしてディアスに刻み込まれたであろう媚薬のような甘く淫らな体臭が色濃く染み付いていた。
「な、に……ッ!? 貴様、私になんという真似を……ッ!」
自分が気絶させられ、身ぐるみ剥がされた挙句、この屈辱的な拘束衣を着せられて放置されたのだと理解した瞬間、レディルの全身の血が怒りで沸騰した。
その時、重厚な鉄扉が開き、数人の宇宙警察の看守たちが警棒を片手に踏み込んできた。
「おい、海賊。いつまで寝ている!」
「待て、貴様ら! 私だ、エリア長のレディルだ! 今すぐこの拘束を解け!!」
レディルは血走った目で怒鳴りつけた。
しかし、看守たちは一瞬顔を見合わせた後、鼻で笑って警棒を構え直した。
「寝言をほざくな。お前と同じ顔をしたエリア長なら、先ほど自分の足でここを出て行かれたぞ。……狂った海賊め、ついに幻覚でも見始めたか」
「違うと言っているだろうが!! 私の網膜をスキャンしろ! あの男は私の制服とIDを奪って逃げたんだ!!」
顔が完全に一致する双子であるという事実が、最悪の形でレディルに牙を剥いた。
看守たちからすれば、目の前で拘束衣を着て喚いている男こそが「海賊マイト」にしか見えないのだ。
結局、レディルの必死の形相と異常なまでの威圧感に気圧された看守長が、念のため携帯型の生体スキャナーを持ち込むまで、レディルはこの不浄な拘束衣の中で小一時間も屈辱に耐え続ける羽目になった。
「……申し訳ありません!! まさか、エリア長ご本人であったとは……っ!」
独房から出され、ようやく自分の予備の制服を身に纏ったレディルは、冷え切った尋問室の椅子でギリッと奥歯を噛み鳴らした。
目の前では、基地の幹部たちが青ざめた顔で平伏している。
DNA鑑定では、海賊マイトとレディルは「同一人物」という結果が出てしまう。
最終的に彼をレディル本人だと証明したのは、直前までマイトにあった焼印やピアスの穴がないこと、加えて深層大脳皮質の記憶パターンスキャンと、警察幹部しか知り得ない極秘パスワードの認証だった。
「謝罪などどうでもいい。……あの男は、どこへ行った」
レディルが地を這うような声で問うと、基地のシステム管理官が震える声で報告書を差し出した。
「そ、それが……。奴はエリア長のマスターIDを使用し、第4ドックのセキュリティをすべて無言で通過。……配備されたばかりの最新鋭特務戦闘機を強奪し、基地を脱走しました。さらに……」
「さらに、なんだ。言え」
「機体の追跡用ブラックボックスのデータが、内部から完全に破壊されています。そればかりか、奴が使用したエリア長の権限によって、当基地の防衛システムのログと、一部の機密データが書き換えられ、完全に消去されております……っ」
「――――ッ」
レディルの端正な顔が、怒りでどす黒く歪んだ。
あの狂犬は、ただ逃げただけではない。エリア長の権限(マスターID)を悪用し、宇宙警察のセキュリティに致命的な大穴を開けたのだ。
『――レディル。一体どういうことだ。これは』
ホログラム通信が開き、総監――ディアスの実父である男の威圧的な姿が浮かび上がる。
その顔には、隠しきれない怒りが満ちていた。
『海賊の副官をまんまと逃がしたばかりか、我が方の最新鋭機を献上し、セキュリティデータまで破壊されただと? すべて、お前のIDが使われている。……この前代未聞の大失態、どう責任を取るつもりだ』
「……申し訳ありません、総監。奴が、私と瓜二つの顔を持つ死んだ筈の『双子の弟』であったというイレギュラーが招いた隙です。すべては、私の不徳の致すところ……」
レディルは屈辱に唇を噛み破りながら、深く頭を下げた。
双子の弟が存在したこと、そして顔が同じであることを利用されたという事実は、言い訳にはならない。
警察組織の上層部にとって、この失態の責任はすべて「現場の最高責任者であるレディル」が背負うほかなかった。
『ディアスを秘密裏に連れ戻すというお前の策に乗ってやったが……これ以上、我が宇宙警察の顔に泥を塗るような真似は許さん。次はないぞ、レディル』
通信が一方的に切断される。
暗くなった部屋の中で、レディルは拳を白くなるほど強く握りしめ、テーブルを激しく殴りつけた。
幹部たちを退出させ、静寂だけが残る無機質な洗面室。
センサー式の蛇口から流れ出る冷水を両手で掬い、レディルはひどく歪んだ自らの顔を乱暴に洗い流した。
滴る水滴を拭うこともせず、ゆっくりと顔を上げ、鏡に映る自分自身をじっと見つめる。
マイト·エブラハム、いや、あいつの本当の名は――グラム・マース……!
氷のように冷たく透き通ったアイスブルーの瞳。
気品を漂わせる整った鼻筋。
鏡の向こうで荒い息を吐くその顔は、紛れもなくレディル自身のものでありながら、同時にあの薄汚れた拘束衣の中で自分を嘲笑った「双子の弟」の顔でもあった。
レディルの胸の奥底で、ドス黒いヘドロのような炎がとぐろを巻く。
愛する親友・ディアスを守るために瀕死の重傷を負い、すべてを捨てて宇宙警察に入り影から彼を連れ戻すことを決意した。
だが、ディアスはどうだ。
レディルが死んだと思い込んだあの美しい男は、この果てしなく広い宇宙の片隅で、あろうことか「死別したはずの親友と全く同じ顔をした双子の弟」を見つけ出したのだ。
自分への喪失感を埋めるためだったのか、あるいは歪んだ愛の代償行為だったのか……。
憶測の域は出ないが、結果は残酷だった。ディアスは弟をあの手この手で嬲り、薬と快楽で骨の髄まで依存させ、「完璧な性奴隷(身代わり)」へと作り変えた。
『俺はディアスの唯一のおもちゃ』
独房でマイトが誇らしげに放ったあの自認の言葉が、レディルの脳髄で呪いのようにリフレインし、ギリッと奥歯が鳴る。
身代わりから始まったであろうはずの弟。
自分が命を懸けて守りたかった唯一の親友は、自分と同じ顔を持つ男の奥深くに熱を注ぎ、今この瞬間も狂おしく愛し合っているのだ。
「……ふざけるな。ディアス。お前は私のものだ。私だけのものだ」
レディルは鏡の中の自分の顔――いや、愛しい男に蹂躙され、歓喜の声を上げる双子の弟と同じ顔に向かって、ひび割れた声で呟いた。
「あんな代用品のおもちゃ風情に、お前を渡してたまるか。……必ずあの海賊ごとブラック・シールドを叩き潰し、あの薄汚れた偽物を跡形もなく排除してやる」
洗面台の縁を掴むレディルの指先が、限界を超えた怒りと嫉妬で白く軋み、人工大理石に微かなひび割れを生じさせた。
だが、激しい憎悪の波が引いた後、レディルのアイスブルーの瞳に浮かび上がったのは、さらに底知れぬ氷のような「企み」の色だった。
自分に大失態の責任となるべくデータを書き換え、すべて押し付け、愛しい親友の腕の中へと逃げ帰った双子の弟。
宇宙警察という巨大な権力、傑家と呼ばれるマース家の底知れぬ財力、そして自身のこの「容姿」。
手持ちのカードはすべて、奴らを地獄へ引きずり下ろし、ディアスを奪い返すための武器となるはずだ。
もはやレディルの瞳には、警察としての正義や秩序への執着など微塵も残っていなかった。
ともだちにシェアしよう!

