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4:主従と恋

”特訓”を始めてから二ヶ月ほど経った。 六月、からっとした天気は気持ちが良い。 ジークと特訓をしていたからか、ジークの魔力の器も大きくなった。 ジークは魔法があんまり得意ではなかったから、これを機にルーカスは魔法を教えることにした。 近所の公園に向かう。 夕方、子どもたちが帰ったあと。人気のない広場にはふたりだけだった。 「主様、今日は何をするんですか」 ジークは薄いストールで耳を隠しながら、きょとんと首を傾げた。 獣人は目立つので、外に出る時は耳を隠すようにしている。 「ああ、お前に“転移魔法”を教えてやる」   ルーカスは棒で地面に線を引いた。数メートル間隔で数本。 「お前もそれなりに魔力が増えただろ。使える魔法も増えたはずだ。“転移魔法”を知ってれば移動も楽だし、覚えておいた方がいい」 こんなもんか、とルーカスは顔を上げる。地面の線は五本になった。 “転移魔法”は、魔力が高い人間の移動手段のひとつだ。移動距離に比例して消費する魔力が増える。 近所のスーパーに行くくらいならそれほどでもないが、海の外ともなれば全身の力が抜けるほどの魔力を消費するらしい。目的地にある魔力を目標にして飛ぶ。よく行く場所をブックマークしておくのがよくある使い方だ。 ルーカスは基本的には使わない。だが便利な移動手段なので、ジークには覚えさせておいた方が良いだろうと考えていた。 「……主様といるなら不要では。転移魔法って、消費魔力が多いんでしょう?」 「ん、まあ、そうだけど。ジークも使えた方が楽だろ。みんな使ってるしさ」 ジークは口をつぐんでいる。 いつもなら、魔法の話をすればニコニコ楽しそうに尻尾を振っているのに。 ルーカスは呪文を教え、短い距離で実践してみせた。三メートル。これくらいなら消費魔力も少ない。 やや無口だったジークも、ルーカスの魔法を目にすると興味深そうに見つめていた。「すごいですね」と瞳を輝かせる。 ジークにもやってもらうことにした。 まずは三メートル、目的地にルーカスが立ってジークを待つ。 ジークは赤い瞳を伏せ、そっと呪文を唱える。ふわりと風が舞い、白銀の髪が揺れた。ジークの姿がぱっと消える。 そしてすぐ、空を飛んできたように、とん、とルーカスの目の前に着地した。 「うまくできましたか?」 ジークは子供のように嬉しそうに笑った。頬を赤らめ、背を丸めて、ルーカスの顔を覗き込む。 ルーカスは、なぜかドキドキと心臓がうるさく鳴っていた。 端正な顔は見慣れているはずなのに、なんだか落ち着かない。外だからだろうか、近いからだろうか。分からない。 そわそわする心臓を無視して、ルーカスはジークの頭を撫でた。よしよし、わしゃわしゃと髪を撫で、「偉いぞ」と繰り返した。ジークの赤い瞳が、とろんと幸せにとろけた。 そして、五メートル、十メートルと距離を伸ばす。 けれど、二十メートルほどになったあたりで、転移魔法は失敗した。 「……二十メートルですか。走った方が早いかもしれないですね」 「ああ、うん。でも魔力の特訓を続けてればお前ももっと飛べるよ」 ふたりで近くのベンチに座った。赤い空に群青が交じる。二十分程度の特訓だったが、魔力の消費が激しく、やや疲れていた。 ジークはうつむきがちに「はい」と答える。さっきまであんなに喜んでいたのに、なぜだかしょんぼりしているように見えた。どうした、と聞く前に、ジークがぽつりと呟く。 「転移魔法、使えなくてもいいです。俺は主様とどこまでも歩いていきますから」 ルーカスはジークの顔を見遣る。立ち上がり、ジークの耳をよしよしと撫でた。ジークはきゅう、と唇を噛む。 魔力を消費してしまったから、そろそろジークは帰る時間だ。 いつもよりずっと短い召喚時間だった。 季節は巡り、夏になった。 七月、ルーカスたちの住む国は夏でもそれほど暑くない。数少ない過ごしやすい季節だった。 ルーカスはいつもと変わらない日々を過ごしていた。学校に行き、エミールと魔力の特訓をする。帰ったらジークと魔力の特訓をする。たまにロイが話しかけてくる。ルーカスの人間関係はそれだけだ。 毎日コツコツと魔力の特訓をしているからか、今では中級魔法を数回使ってもジークを召喚する余力が残る。魔法実技の授業も少しずつ参加するようになり、先生たちの態度は柔らかくなった。当初は問題児扱いされていたようだ。ルーカスは先生から安堵の言葉を受け取り、気恥ずかしくなった。 エミールも魔力量が多くなったようで、先日、先生に褒められていた。 「ルーカスのおかげだね」とお礼を言われ、特訓後のお菓子が豪華だったこともある。食えないヤツだが悪いヤツじゃないだろうと、ルーカスは肩肘張っていた態度を少しだけ和らげるようになった。 ジークとの特訓は、というと。 うまく言葉にできない、不思議な感覚に陥っていた。 家に帰るなり、ジークと手を繋いで、魔力を注ぎ合う。数分だったのが数十分になり、一時間近く特訓をする時もあった。 特訓が終わると、ふらつくルーカスを抱き留めて、ジークは「お疲れ様でした」と微笑む。すぐ近くで見つめられ、汗ばんだ髪を撫でられると、ルーカスは特訓を始める前の距離が思い出せなくなった。 そのせいだろうか。 エミールとの特訓では感じない奇妙な高揚感を、ジークへ感じるようになっていた。 胸の鼓動は勢いを増し、頬が熱くなって、全身がムズムズする。 ジークが帰った後はベッドにぼふりと倒れ込んで、残り香とともに毛布をぎゅうと抱きしめた。 ……おかしい。最近の自分は、おかしい。 ルーカスはひとり、学校で考え事をしながら昼食をとっていた。 昼休み、中庭近くの階段に腰掛ける。日陰の石畳は座るとひんやり冷たい。日向に行けば暖かいのだが、クラスメートがちらほら見えて、うるさいから行きたくない。 購買で買ったサンドイッチを頬張る。 小さい口はすぐいっぱいになり、小動物みたいにもそもそと食べていた。噛むほどに水分が奪われる。 もぐもぐと咀嚼しながら、ジークのことを考える。 魔力の器が増えて、会える時間が伸びたのは嬉しい。でもそれ以上にちょっと恥ずかしい。ずっと小さい頃から一緒にいたのに、こんなのは初めてだった。 距離も近くなった気がする。これは主人として適切な距離なのだろうか。エミールに言われたが、自分は人と距離をとるのが下手らしい。もしかしたら今までが遠かっただけなのかもしれないけど―――。 「お。お前、こんなとこいたんだ」 ぐるぐると考え事をしていたら、頭上から声が響いた。ロイだ。いつものように馴れ馴れしい。 ルーカスはじろりと見上げ、口の中に詰まっていたサンドイッチを飲み込む。 その間にロイは隣に腰掛け、自分のサンドイッチを広げた。一緒に食べるつもりのようだ。 「なにか用?」 「飯くらい一緒に食ったっていいだろ。あ、うまそーだなソレ」 「あげないよ」 「いいよ別に」 ロイは自分のサンドイッチを、大きな口を開けて食べ始める。人間ってヤツはどいつもこいつも距離が近いな、とルーカスは半ば諦めた気持ちで眺めた。 「深刻な顔してたけど。どしたん?」 「考え事してただけ」 「マジ? お前が? なんか悩んでんの」 ロイのまっすぐな瞳に、う、と一瞬たじろいだ。 自分の話をするのは苦手だ。けれど、このままひとりで考えているのも時間の無駄に思える。 「最近変なんだよ」 「なにが?」 「たまに動悸がする」 「保健室いく? そういう系の話?」 「保健室で診てもらっても問題はなかった」 そう、もう保健室の先生には相談したのだ。けれど「そういう年頃だものね」と優しい瞳で微笑まれるだけで、なんの解決にもならなかった。 「どういう時に感じんの?」 「魔力を注いでもらうだろ。それで、ぽーっとして、どきどきして、むずむずして……」 「……ん?」 「いなくなると急に寒くなる。きゅうって毛布にくるまるしかないし。でも、会うと熱くなる」 「え、そ、それって……」 ルーカスのぽつぽつした吐露に、ロイは目を丸くする。信じられない、とばかりに固まった。 「距離感も分からないんだ。今まで、こんなの、なったことない。近いのか、これが適切な距離なのかも分からない。でも近いと恥ずかしくなる。魔力を行き来させてる副作用かもしれないんだけど……」 「いや、それ、恋だろ」 ロイの放った言葉に、一瞬頭の回転が止まった。 ……こい? 来い、故意、濃い。 同音異義語が多すぎて特定できない。 ちらりとロイの顔を見遣ると、興奮したように瞳を輝かせていた。 「ああ、そうなんだ。そっかそっか、へえ、あいつと」 「なんの話……?」 「いや、うん。大丈夫。気にすんな。俺は応援する。素晴らしいことだと思う」 「どういうこと。勝手に納得しないでよ」 ロイは、うんうんと何度も頷き、そうかーと呟いて、楽しそうに噛み締めた。自分は全然意味が掴めていないのに、勝手に頷かれるのは気味が悪い。 眉根を寄せると、ロイは口元を緩めて説明した。 「恋。恋愛の恋。好きなんだろ、あいつのこと」 ―――は? ルーカスはぽかんと口を開けて、固まってしまった。 ロイは勢いよくまくし立てる。 「会うと熱くなって、帰ると寒くなる。そりゃ恋だ。好きなんだよ、お前は。胸がどきどきしてってのはトキメキってやつだな。魔力を注いでもらって身体的接触にキュン、だ。いやぁ、まさかお前みたいな真面目で無愛想なヤツも恋するんだな。あ、ごめん。馬鹿にしたいんじゃなくて。その、感慨深いんだよ。そうか、そうか。いや、俺は応援する」 ぺらぺらと回る舌は大道芸人もびっくりなくらい淀みない。 だが、話している言葉のほとんどがルーカスの頭には入ってこなかった。 ……こい、こい、恋。 …………恋? ルーカスは食べかけのサンドイッチを、ぽろりと落としてしまった。 放課後、ルーカスは急いで図書館に向かう。こんなに全速力で走ったのは初めてだ。先生に注意をされても耳に入らないくらい。 到着するなり辞書をバラバラとめくった。 【恋】特定の相手に惹かれ、思い焦がれること。 ………は。 ルーカスは呆然とした。震える指で「好き」の欄も確認する。 『気に入ること、特定の相手に対して特別な感情を抱くこと』 …………。 薄い紙に書かれた濃いグレーの文字列を、じっと眺めた。 特定の相手に対して特別な感情を抱くこと。思い焦がれること。 うまく働かない頭でジークを思い浮かべる。 特別な感情は、もちろん抱いている。子供の時から身の回りの世話をしてもらっているし、身上書に記載されている身内よりも近い距離にいる。誰よりも特別な存在だ。好きと聞かれれば、好きだと答える。 けれど。 けれど、きっと、これは、多分、召喚獣に向ける“好き”とは、ちょっと違う。 そばにいると安心する。お喋りをすると楽しい。 そんな柔らかい子供じみた“好き”だけじゃない。もっと、ずっと、自分だけを特別にしてほしいような、誰のものにもならないでほしいような、たくさん触れてほしいような――― 途端に、かちりとピースがはまった。 自分はジークに、恋愛感情を抱いている。 今まで気づかなかったのが不自然なくらい、自明の理のように身体に馴染んだ。 同時に、ピースがはまった瞬間、足元がぐらぐら揺れる感覚に陥った。 この“好き”は、言葉にしてはいけないものだ。 直感的に悟った。 だって、自分たちは召喚士と召喚獣だ。 ジークがルーカスの側にいるのは契約のためで、それ以上でもそれ以下でもない。 もし、この気持ちに気づかれて、嫌われたら。 ジークを失ったら、自分は本当にひとりになってしまう。 想像して、目の前が真っ暗になった。寒くなって、落ちそうになって、泣きたくて、叫びたくなった。 ルーカスはその場にうずくまる。目眩に近い感覚に、ひたすら、耐えた。

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