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5:子供の召喚士と孤独な召喚獣
その日はエミールとの特訓も断って、とぼとぼと帰路についた。学校から家までは徒歩十五分。
どんな顔をして会えばいいのか、分からなかった。
主人が召喚獣に対して恋愛感情を抱くなんて、むしろ裏切り行為に近いのではないか。ジークの献身を一身に受けながら、それにあぐらをかいて、あまつさえ、好きだなんて。
自分がひどく浅ましい人間に思えて気持ち悪かった。今は真っ直ぐなジークの瞳を見られない。
だから、ルーカスはぐるぐると街を歩き回った。
うつむいて、景色なんか目に入らない。耳障りな人々の声も馬車の音も聞こえない。街ゆくひとと肩がぶつかって、それでも歩いた。
やっと帰宅したのは、もうすっかり空が暗くなったころだった。エミールとの特訓をしてもこんなに遅くなることはない。
ルーカスは深呼吸をしてベッドサイドの魔石を握る。ひんやり冷たい。手に馴染んだ、唯一のジークとの繋がり。
小声で呼び出すと、ジークはすぐに現れた。その瞬間、「主様、大丈夫ですか」と叫んだ。
「な、なにが」
「いつもより遅かったので、何かあったのかと……」
「え、いや、な、なんもないよ」
「あいつとの特訓で遅くなったのですか? いや、違うか。学校で何かありましたか?」
ジークは勢いよくまくし立てる。大きな背をかがめて、ルーカスの瞳をじっと見つめながら。その表情には焦りと心配が滲んでいた。
「……ホントになにもない。ちょっと……街を歩いてた」
「街を? 課題とかですか?」
「あー……。うん。そんな感じ。心配かけてごめん」
ぎこちなく笑うと、ジークはほっと胸をなで下ろした。そして「すみません、取り乱しました」と笑った。
いつも通りのジークだ。その笑顔に、胸の奥が焦げ付くように痛んだ。
ああ、好きってこういう感情なんだなと、冷静に分析する自分がいる。
一方で、純粋に慕ってくれるジークを汚しているようで申し訳なくなった。
「じゃあ、”特訓”、始めますか?」
ジークが何の気なしに問いかける。
最近は毎日のように”特訓”をしている。ジークの提案は自然なものだ。
けれど、手を繋いで、大きな体躯に抱き留められるのは、今のルーカスには刺激が強すぎる。想像して、熱が体中を走って「あ、え…」と、うまく言葉が返せなかった。
「主様?」
「あ……。きょ、今日はいいや。街に出て疲れたからさ。また明日頼む」
「そうですか。分かりました。じゃあ紅茶でも淹れましょうか」
ジークはさっと背を向ける。
ルーカスは、無意識にジークのベストを引っ張った。
「え?」
「………あ」
「どうしました?」
ジークは目を丸くしている。
ルーカスはちょん、とベストをつかんでいる自分の手を見て混乱してしまった。
紅茶を淹れるには暖炉の火を使うのだし、暖炉は少し離れたところにある。そのために自分に背を向けるのは当然のことだ。なのに。
「ご、ごめん。なんでもない。邪魔してごめん」
急いでパッと手を離した。
こんな行動をとった理由をうまく言語化できなかった。いや、感覚的には理解している。
けれど。
(すぐそこなのに、はなれたくないって、意味わかんない)
ルーカスはうつむいて、ぐるぐる考える。うまくいかなくて、熱暴走ばかりしている。
ジークはしばらく主人を見つめた。
そして、ルーカスの身体を優しく抱き上げた。
「え、あ、ジーク!?」
「ちょっとふらついてます。お昼寝しましょう」
膝の下に手を入れて、いわゆる”お姫様抱っこ”された。小柄な身体は軽々と持ち上げられる。咄嗟に首に抱きつくと、顔の位置が近くなる。
ルーカスの心臓はうるさく鳴った。花火が何発も暴発しているみたいに。
ばたばたと手足を動かしてもジークは動じない。すぐそばのベッドにふわりと下ろされる。そして、ふたりして広いベッドにころりと寝転がった。古い木枠がぎしりと軋む。柔らかいシーツが身体の下でよじれた。
ジークはルーカスの身体をしっかりと包み込んだまま、寝転がって離さない。
どう、どうしよう、どうしてこうなった。
ルーカスは頭が真っ白になった。ジークの胸板に顔が埋まっている。心臓の音が聞こえる。とくとく、心地よくて、でも、どきどきして、手が震える。息を吸う度にジークの香りがして、恥ずかしくて、今すぐ逃げ出したくなった。
「主様。今日、何かありましたか」
ジークの声が響いた。低くて凜として、心配の色が滲んでいた。
「元気がないように見えます。誰かに何か言われましたか」
「……え」
「主様にひどいことするヤツは、俺が殺したっていいですよ」
いつも優しいジークからそんな物騒な言葉が聞こえて、ルーカスは驚いた。
「………何もないよ」
「そう、ですか」
「ほんとに、何もない。心配しなくていい」
「………はい」
きゅう、小さな手でジークのベストをつかんだ。生地が厚い。見た目はシンプルながら、いいところから取り寄せた服だ。三年ほど前にルーカスが買ってあげた。それ以来、手入れをして大切に使っているようだ。
ジークの腕の中でルーカスは泣きそうになった。気道の奥底から、愛しさと嬉しさが込み上げてきて、まぜこぜになって、息ができない。
「俺がずっと一緒にいますよ」
ジークの腕の力が強くなる。小柄な身体が軋むほどに抱きしめられる。絶対に離さないと、言葉よりも雄弁に物語っていた。
うん、と小さく呟く。
立派な体躯に顔を埋めて、鼻で息を吸う。
身体の中からも外からも満たされている。
ごめん、好きだ。ほんとに、ごめん。
与えられる優しさに窒息して、このまま死んでしまいたかった。
出会ったばかりの頃、ルーカスはジークに色々と聞いたことがある。
お互い六歳だった。ジークはひょろひょろで頼りなくて、言葉もおぼつかない頃だった。
ルーカスは折檻から解放され、屋敷の一番奥にある部屋に放置された。冷たくて狭くて埃っぽい部屋だ。それが今もルーカスの部屋になっている。
食事だけは屋敷のメイドが用意して、部屋の前に置かれる。朝、昼、晩と決まった時間にひっそりと。部屋に運んで、冷え切った食事をひとりで食べる日々だった。
ぱちぱちと小さな暖炉で火が爆ぜる中、ルーカスは用意された食事をテーブルに置く。ジークが興味深そうにトレーを覗き込んだ。
「それ、主様のご飯ですか? 美味しそうですね」
「まあ………。うん」
「都会だとたくさん種類があるんですね」
にこにこ笑う顔に悪意はない。狼と聞いているけれど、やっぱりルーカスにはジークが犬のように思えた。
「お前も食べる?」
「え、い、いいです! 主様のですから。俺が奪うわけにはいきません!」
ジークは急いでトレーから距離をとる。慌てて手をぶんぶんと振った。その様子が可愛らしくて、ルーカスは久しぶりに笑った。
「多いんだよ、ここのご飯。だからお前も食え」
「え………はい。い、いいんですか?」
「命令。ほら」
メインディッシュのステーキを一口サイズに切り分け、ジークの前に差し出す。
ジークは耳をピンと立たせて、ごくりと唾を飲み込む。ちらりとルーカスの瞳を見る。ぐい、とフォークを前に突き出すと、ジークは意を決してぱくりと食べた。
「おいしいです! こんなごはん、初めて食べました!」
ジークは瞳を輝かせて喜んだ。
もう冷めて、肉も硬くなっている。あんまり美味しくはないはずなのに。
ジークは尻尾をぶんぶん振っている。ルーカスは少しだけ口角を緩めて、その様子を眺めた。
他に犬が食べられるものあるかな、とトレーを見下ろして、いくつか選んで差し出す。ジークはぱくぱくと食べた。
「こ、これ以上は主様のぶんが無くなっちゃいますから!」
ハッと気づいてジークは慌てた。もう半分くらい食べている。今更だ。
ルーカスは自分も食べることにした。改めて冷え切ったトレーを見下ろすと、不思議といつもより美味しそうに見える。ステーキを一口食べる。いつもよりちょっとだけ美味しく感じた。
「お前さ、いつもどんなの食べてんの」
「あ、えー……。召喚契約を結んだあとは、主様の魔力があればそんなにお腹空きません」
「へえ、そうなんだ。魔力をエネルギーにしてんのかな」
「難しいことは分からないですけど、多分、そうです。あ、でもたまに狩りをしてウサギや魚を食べたりもしますね。あと、リンゴとかも」
「意外と何でも食うんだな」
「半分人間ですし」
隣にちょこんと立つ子供は、半分と言いつつほとんどが人間に見えるけれど。自認では狼と人間の半々らしい。
「狼と人間のハーフなのか?」
「いや、”狼獣人”っていう種族です、召喚獣の種類の。俺の一族は俺みたいに、耳と尻尾と、爪とかが狼です」
ふーん、と相槌を打つ。召喚獣についてはあまり知らなかった。本人から詳しく聞けるのは興味深い。
「じゃあ、お前の家族も誰かと召喚契約してんのか?」
何気なく聞いた質問に、ジークの顔が強ばった。
「……どうした」
「あ、いえ」
耳が警戒するように立ち、先ほどまでの柔らかい笑顔が少しだけ歪む。
「気にしないでください」と笑うも、どこか痛々しかった。
「俺の家族は、もう、みんな、死んじゃいました」
ぽつりとした声が響いた。
ルーカスはジークの顔を見る。
ステーキに目を輝かせていた子供なのに、瞳の奥に薄暗い闇が覗いていた。
「……詳しく聞いてもいいか」
「あ、はい。大丈夫です。えっと……、俺の一族はみんな、召喚契約してませんでした。父さんが言うには『時代だから』らしいです。よく分かんなかったんですけど、需要?がなくなって、みんなで森で狩りをして生活してました。けど……」
ジークの幼い表情から零される言葉が、歪に感じられた。固唾を呑んで言葉を待つ。
「それで、召喚獣狩りに遭ったんです。何度かあったんですけど、それまではうまく逃げられてました。でも、……この前、罠がたくさん張られて、みんな、捕まって、逃げようとしたら、殺されました」
ジークは小さな手をきゅうっと丸めて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
たどたどしい口調で零される言葉が、とても現実とは思えなかった。
「俺も、もうすぐ死ぬところでした。でも、でも―――、あの日、光が見えたんです。森の奥で、呼ぶ声がして、必死に飛び込んだんです。そしたら、」
ジークがゆっくりと顔を上げる。涙をこらえるように、けれど嬉しさも滲ませて。
「主様が俺を召喚しました。それで、俺は、生き延びられました」
宝石のような赤い瞳が、柔らかく細められる。
ルーカスは一瞬、息ができなかった。
手にしているフォークとナイフがぶつかって、かちゃりと音を立てる。ハッと意識を取り戻し、咄嗟に、切り分けたステーキに目を落とした。
何も言えなかった。
想像していたより、ずっとずっと、ジークは辛い立場にいた。
あの日、自分は何も知らないで、身勝手な理由で召喚したというのに。
「だから、俺は、主様に一生仕えます」
ジークは忠誠を噛み締めるように微笑む。
真っ直ぐに前を見て、自分の足で立っている。立派で、きれいで、強くて。
脆そうな。
その姿は自分と同い年の、六歳の子供だった。
「……うん、」
「何なりと命令してください!」
ジークは尻尾をぶんぶんと振って笑いかける。健気で一生懸命で、可哀想に思えてしまった。
真正面から見つめる。
……こいつを、幸せにしてやりたい。
召喚した主人だからという責任感もあるけれど、それ以上に。
ただ、幸せになってほしかった。
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