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7:召喚獣と契約

店を出る頃には、空はもう夕焼けになっていた。レンガの建物の隙間から鋭いオレンジが覗く。 こんな時間まで外にいるのはめったにない。エミールとともに「やば、帰らないと」と焦り、大通りまで走った。 ルーカスは帰宅するなり、急いでジークを呼び出した。 「……主様、おかえりなさい」 ジークは固い笑みを浮かべながら現れた。 ルーカスはテーブルにカバンを置く。心配させてしまったかと内心申し訳なく感じていた。「特訓のあと、ちょっと買い物してきたんだ」といつものように話しかけ、ブレザーを椅子にかけた。 「お買い物ですか」 「うん。ちょっと奥まったとこにある魔道具のお店。あれ、あの、偉そうなヤツと一緒に行ってきた」 「………へえ」 ジークは静かに立っていた。いつもならうるさいくらいに尻尾を振って世話を焼くのに。今日のジークは大人しい。心なしか表情が強ばっているように見える。 違和感を抱きながらも、ルーカスはいつものように話を続けた。 「魔力の器がある程度大きくなってさ。お祝いしようってなって」 「よかったですね」 うん、と小さく返事をする。 ぎこちない沈黙が落ちた。ジークの表情は変わらない。 口角は上がっているのに、固い。何を考えているのか分からない。 「魔力の器が大きくなったなら、もう特訓は終わりですか」 やっと投げられた会話がそれで、胸の奥がざわついた。いつもなら「どんなお店だったんですか」と興味深そうに聞いてくるのに。どうして機嫌が悪いのだろう。 スラックスのポケットに入れた包みを撫でる。小さなガラスの球体があった。早くジークにあげたかったのに、タイミングを逸してしまった。なんだか今日はうまくいかない。 「……魔力の特訓は続けるよ。もう少しレベルを上げたい」 「そうですか」 「上級魔法を二、三発撃っても魔力が残るくらいにしたいんだ。そしたら召喚魔法だって――」 「じゃあ、俺とも特訓しましょうか」 ルーカスの言葉を遮って、ジークは手を取った。手つきは乱暴で、小さなルーカスの手が少し痛む。驚きと痛みで顔をしかめるも、それらを無視してジークはベッドに腰掛けた。有無を言わせない雰囲気を纏っている。赤い瞳が黒く滲んでいる。 ルーカスは意味が分からず胸の奥がちりちりと痛む。焦りと悲しみと、若干の後ろめたさがあった。 恋心を自覚してから、ジークとの特訓は短くなっていた。手を繋いで見つめ合うのに照れてしまい、すぐ切り上げていたのだ。 今日はどうしてこんなに強引なのだろう。 無言で両手を合わせて繋ぎあう。魔力が注がれる。 途端に手のひらから全身にかけて、ぶわっと勢いよく熱が走った。衝撃波のように広がる。倒れそうになり、必死に耐えた。 どうした、ジーク。何怒ってんだよ。 聞こうとしても注がれる魔力は止まらない。「んんっ」と小さな声が零れる。 いつもより強い。熱い。ちょっと苦しい。 「……手じゃ、もう限界かな」 ジークは注ぐ魔力をスッと緩める。ルーカスはほっと息を吐いた。 その瞬間、 くい、と顎を上げられて、唇が触れた。 声を上げる間もなく、キスをされた。 ルーカスの小さな口を開けて、舌を絡ませる。 触れるところから魔力を注がれ、どくどくと、熱いものが直接身体に入ってくる。 明かりもついていない暗い部屋に水音が響く。うわずった吐息が漏れる。ベッドの木枠が軋む。 細い腕でジークの身体を押しても、全然止まらない。顔を背けることはできず、やや尖った牙が触れた。唾液が零れる。 魔力のせいか頭がぽーっとして、視界が霞んだ。 しばらくして、ジークは唇を離した。 「すみません」 それだけぽつりと呟いて、大きな指で唾液を拭った。 「え、あ、な、なにが」 「特訓。強すぎましたね」 「あ、……うん。びっくりした」 「口から注ぐ方が、魔力をたくさんあげられるって聞いたことがあって」 すみません、と笑うジークの声は、どちらかというと傷ついているように聞こえた。 ルーカスは特訓が終わったことに安堵を抱くも、先ほどの“特訓”の感触が消えてくれず、無意識に唇に手を当てた。 薄い唇、ちょっと尖った牙。ざらついた舌。 頬が熱い。魔力を注がれたからとか、そんな言い訳ができないくらいに、熱い。 ジークの顔が見られなかった。 ジークは特訓のつもりだったようだけれど、自分たちはキスをしてしまったのだ。 嬉しいと恥ずかしいと困惑が、混ざり合って溶けている。 「紅茶でも淹れましょうか」 ジークはそれだけ言って、さっとベッドから立ち上がった。慣れた手つきで紅茶を淹れる。 湯が沸騰する音が静かな部屋に響く。陶器のカップがかちゃりとテーブルにぶつかった。 ルーカスはジークの後ろ姿を呆然と眺める。 遠くに立つ立派な背中に、今すぐ抱きつきたいとも思った。 けれど、同じくらい、心臓の音が聞こえない距離で良かったとも思った。 特訓。これは、あくまで特訓。だから大丈夫。 ルーカスは呪文のように頭で繰り返し、ぱちぱちと爆ぜる恋心を収める。 まだ自分のこの邪な気持ちは表に出ていないだろう。 まだ、主人としてちゃんとしていられているはずだ。 恋心を自覚してから、より自分の立ち位置を意識するようになっていた。 そわそわする胸元をキュッと握って、気づかれないように息を吐く。 「早く、魔力の器が大きくなるといいですね」 「え?」 次にジークが零した言葉は、ルーカスの胸に深く突き刺さった。 「特訓しなくてよくなるんですから」 学校で、ルーカスは授業を受けていた。 けれど全然内容が頭に入ってこない。 黒板の前で先生が何か説明をしている。時折白いチョークで書き殴るように年号を書く。今は魔法歴史学の授業だ。日当たりのいい教室はうっすらと眠くなる。周りの生徒はうつらうつらしていた。 ルーカスは、ずっとジークのことを考えていた。 キスを交えた特訓があってから、ジークは少し元気がない。表面上はいつも通りに振る舞っているのだけれど、表情や声のトーンがわずかに違っていた。 ーー特訓しなくてよくなるんですから。 ジークは、ルーカスとの特訓が嫌なのだろうか。早く終わらせたくて口から魔力を入れたのだろうか。 さっさと役目から解放されたいのだろうか。 そればかりがぐるぐると回る。手を繋ぐ特訓では嫌がっているようには見えなかったけれど、心の奥底では嫌がっていたとしたら。一度疑えばそうとしか思えず、坂道を転がるように思考は暗く沈んでいく。 面と向かって聞くのは怖かった。 もし「ほんとは嫌でした」って言われたら、ルーカスはジークに触れるのが怖くなってしまう。 どうして? どこから嫌? 普通に手を繋ぐのは、嫌か? そう、縋るように聞いてしまいそうだった。 そんなみっともない自分が簡単に想像ついて、ルーカスは寒気がした。 「召喚士と召喚獣の関係は、対等とは言えません」 ふと、先生の声がそこだけクリアに聞こえた。 顔を上げて黒板を見る。二百年前の隣国との戦争の話をしているようだ。ルーカスは急いで教科書を読み、概要をつかんだ。当時、多くの召喚獣が戦争に起用され、亡くなったとある。 「召喚士は召喚獣に罰として攻撃を与えることができます。召喚獣は長いこと、不利な条件で使役させられてきました」 ルーカスは息を呑んだ。 召喚獣が命令に背いた時、召喚士は雷を落として罰を与えることができる。そう、召喚契約に含まれている。今まで実行したことはないけれど、互いに理解している事実だった。 召喚士と召喚獣は対等ではない。 改めて突きつけられると、胸がきりりと痛んだ。 「近年、召喚獣の権利は見直されつつあります。不当な扱いをする召喚士を罰する法律が制定され、裁判の結果、召喚契約を解除させる事例も出てきました」 彼らを良きパートナーだと認識するのが召喚魔法の第一歩ですね――と、先生は明るい声で説明した。ルーカスは手が震える。 ジークのことは良きパートナーだと認識している。はずだ。 自分は、ずっとジークを大切にしてきた。 ーーけれど、ジークはこの契約をどう思っているのだろう。 ルーカスに面と向かって文句を言う様子はない。いや、言えないに決まっている。 前述の通り、逆らえば罰を与えられるかもしれないのだから。 と、いうことは。 ジークは自分に対しての不満を、いつも飲み込んでいたのだろうか。 それ以降の授業は、全く耳に入らなかった。 世界中の声が自分を責めているように聞こえる。 座っているのに、奈落の底に落ちていく感覚だけが、ずっと残っていた。

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