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9:召喚獣と海

ルーカスは珍しくウキウキする足取りで学校を歩いていた。 「あれ、ルーカス。今日はテンション高いね」 魔法実技の教室に移動していた時、エミールが背後から声をかけた。 「うん」 「喜んでくれたの?」 「うん」 唇をにやつかせながら頷くと、エミールは「よかったね」と笑った。 流れで一緒に教室まで向かう。中庭に面した廊下は日当たりもよく、爽やかな風が通る。噴水から流れる水の音が心地よかった。 「あんなに喜んでもらえるなら、もっと早くあげればよかった」 「そっかそっか。召喚獣くんもご主人様が大好きなんだね」 「………うん」 ルーカスはうつむきがちに頷く。 ”大好き”の言葉に胸が躍った。 今は後ろめたさも含めすべてを差し置いて、ジークの喜ぶ顔が嬉しかった。 「もっと喜んでもらいたいんだ。けど、どうしたらいいのか分かんない」 「そっかー。んー、プレゼントもあげたしねぇ」 「世の人間はどうやってひとを喜ばせるんだろう」 「小難しいことを……。あ、そうだ、じゃあさ」 エミールがポケットをごそごそと探る。手に教科書を持ったままで動きづらそうだ。「あれ、これだっけ」などとブツブツ言って、少し折れ曲がったチケットを二枚、ルーカスに差し出した。 「何それ」 「リスミアであるイベントのチケット。父さんが運営に絡んでてさ。僕も友達を誘えって三十枚くらいもらった。そんなに捌ききれないからあげる」 「リスミア?」 「知らない? めっちゃ有名なイベントあるじゃん」 「知らない」 ルーカスはそのチケットを受け取り、首を傾げる。薄いイエローの紙には『リスミア港 幻光船クルージング特別招待券』と書いてあった。 リスミアは大きな港町。幻光船は、魔法で装飾された船を指す。どちらも聞いたことがあるけれど、ルーカスには馴染みのない単語だった。 「毎年九月にリスミアで大きなお祭りがあるんだよ。今年はクルージングのイベントやるんだって」 「……クルージング」 「船って乗ったことない? 楽しいよ。海の匂いと吹き抜ける潮風。見てるだけでも綺麗だし」 「これって召喚獣も乗れるヤツか?」 「乗れるんじゃない? ほぼ人間の姿なんでしょ」 エミールはつらつらと説明する。ルーカスはじっとチケットを見下ろした。 昔、図鑑で幻光船について読んだことがある。星が瞬くような幻想的な姿だと書いてあった。一生の思い出になるとも。 その時は興味なかったけど、ジークと見るなら興味が出てきた。ジークも喜んでくれるかもしれない。 「……ありがとう」 「よかった。楽しんできてよ」 うん、と返す声が浮き足立っていた。 胸がそわそわする。チケットを眺めて、ふふっと微笑んで、そのままポケットにしまった。 放課後はエミールとの特訓を断り、図書館に向かった。生徒たちが勉強する横でひとり、本をぱらぱらとめくる。 リスミアに行ったことはない。初めての遠出に怖じ気づく気持ちもあった。 リスミアはルーカスの住む街から馬車で一時間ほどの距離にある港町だ。エンターテインメントでも有名で、イベントも頻繁に行われている。毎月のようにお祭りがあった。 ルーカスたちが招待された九月のイベントは、その中でも最も豪華らしい。屋台の数も千を越えるようだ。 ルーカスはリスミアの地図を眺める。主要イベントがある港以外にも、景色のいい公園やショッピング街があった。どこも港から徒歩で行ける距離。余裕があればこちらに足を伸ばしてもいいかも、と一つ一つメモをした。 そして、うーん、と考える。どうやってリスミアまで行くか。 転移魔法が使えれば一瞬ではあるけど、消費する魔力も大きい。魔力の器が大きくなったとはいえ、ジークを召喚できる時間が減ってしまう。そもそもリスミアに行ったことがないから使えない。かといって、馬車を手配すると親戚がいい顔をしないだろう。値段は高いのだ。居候の学生のくせにと思われるに違いない。 しばらく考え、相乗り馬車で行くことにした。数人が同時に利用する乗り物で、値段も通常の馬車より安い。お小遣いの中身と相談して、うんうんと唸る。旅程を考え、あっちの方がいいかもと考えていると、時は一瞬にして過ぎていった。 数日後、ルーカスはジークを連れてリスミアに来ていた。 初めて訪れる港町は思ったより開けていた。赤レンガの舗道に沿って白亜の建物が並ぶ。狭い相乗り馬車に揺られ一時間。降りると爽やかな風が気持ちよかった。 「きれいな街ですね、主様」 ジークも楽しそうだ。耳は上等なストールで隠し、尻尾は裾の長いジャケットで見えない。ぱっと見は狼獣人だとは気づかれないだろう。これほどに人が多いところを歩くのは初めてだ。念のため目立たないようにさせたのだが、体格がいいからか、無数のひとがいる街でも目を引いた。 「そうだな。思ったより活気がある」 「ですね。こんなにたくさんのひと、初めて見ました。みなさんクルージングに行くんですかね?」 「どうだろう。お祭りに来ただけかも」 ルーカスはジークの様子をちらりと見て、ほっと胸をなで下ろした。 ジークにクルージングのチケットを見せた時、若干複雑そうな顔を浮かべていたのが気になっていた。まあ、船って初めてだし怖じ気づいていたのかもしれない。実際リスミアに来てみると、それまでの憂いなんて何もなかったかのようにキョロキョロしている。尻尾は見えないけれど、ぶんぶんと勢いよく振られているはずだ。 「幻光船は十三時からだな。ちょっと遠いから歩こう」 「はい!」 「そのあとにご飯だ。何か食べたいものはあるか?」 「えー、うーん………。主様は?」 「……か、考えとく」 ルーカスは、うーんと唸った。外食なんてしたことがないからよく分からない。 ジークとふたりで一日中外を歩くことはない。召喚できる時間が短かったから、今までは近所しか行けなかった。 けれど、今日は一日遊べる。ジークと一緒にいろいろなことができる。 そう考えるとあたりのうるさい子供の声も、露店で呼び込む人の声も、全部楽しい気がしてきた。 ふたりは幻光船乗り場まで歩いていった。 初めて見る幻光船は、すごいの一言に尽きた。 サイズはそれほど大きくないが、細かな装飾が施されている。ちかちかと光る明かりは星のようでもあり、蛍のようだとも感じた。昼間なので今は装飾に目が向くが、夜になれば美しい光が心を打つだろう。 乗り場は混んでいたが、列に並ぶ人は少なかった。少し離れた場所で一般客がきゃあきゃあと黄色い声を上げている。クルージングのチケットは購入するとかなりの金額になるらしい。エミールに譲ってもらわなかったら一生乗らなかったに違いない。 クルージングは一周三十分。海に出て、近くをくるりと円を描き、戻ってくる。それだけだが、この豪華な装飾ときらきらした光を見られれば充分満足だった。 ゆっくり列が進む。係員にチケットを見せた。 船と地上を繋ぐ渡り板を踏む。途端に、足元がふわりと沈んだ。地面とは違った感触にルーカスはきゅっと手を握り締める。足元のすぐ下は海。ちらりと半歩後ろを立つジークに目を向けると、輝く瞳で船を見上げていた。 「ジーク、怖くないか」 「はい!」 「怖かったら言えよ」 ルーカスはゆっくりとした足取りで進んだ。船内に着くと、足元のふわふわした感触は大分マシになり、学校の教室にいる時とあまり変わらなくなった。 幻光船は二階建て構造だった。一階は革のソファが並んで、大きな窓から海が見える。二階はオープンデッキとなっていた。 せっかくなのでオープンデッキに足を伸ばした。 扉を開けた途端、視界一面に海が開ける。 「……わぁ」 ルーカスは思わず感嘆の声を漏らした。 いつもは図鑑の挿絵でしか見たことがない景色が、三百六十度に広がっている。水面に虹色の光が瞬く。色鮮やかな景色。新しい世界に来たかのようだ。 「きれいですね」 隣に立つジークは優しい笑顔でルーカスを見つめていた。 ルーカスははっとして、頬を赤らめた。子供みたいにはしゃいでしまい、少し恥ずかしい。今回はジークを喜ばせる旅だというのに、主人が喜んでどうするんだよ。 ふたりでデッキをゆっくり歩く。潮風が強く吹き付け、ジークのストールがぱたぱたと揺れた。 「主様、海は初めてですか?」 「うん。ジークも?」 「はい。川はなじみ深いですが、海はないですね。全然景色が違くて驚きました。一面が水って、壮観ですね」 船は進み、リスミアの街は白い直線になった。そのほかは青。絵画のようだ。 ルーカスは美しさを感じつつも、若干腰が引けていた。もっと近くで海を見たいけれど、自分は泳げない。落ちたらどうしよう。無意識にきゅっとジークのジャケットを握った。 「主様。俺、もうちょっと近くで見たいです」 ジークはにこりと微笑んで、ルーカスの手を引く。柵のそばまで歩いた。 すぐ下は海だった。ごごご、と足元で大量の水が流れている。ルーカスはぎゅうっとジークの手を握り締めた。 「ちょっと怖いですね」 「……うん」 「手すりに掴まった方が安全かもしれません」 ルーカスは恐る恐る両手で柵を掴んだ。少しひんやりした。手すりから船の揺れが伝わる。 ジークは主人の後ろに立つ。身体を寄せ、片手で手すりを掴み、もう片方の手でしっかりとルーカスの腰を抱えた。ふいに近づいた体温に、ルーカスはどくんと心臓が跳ねた。 「大丈夫です。落ちそうになったら俺がキャッチしますよ」 耳元でジークの声が響く。ルーカスは顔を真っ赤にして、こくこくと頷いた。今声を出したら、うわずった声が出てしまうだろう。 水面は太陽の光を乱反射している。綺麗だ。眩しい。 けれど、そんな景色を楽しむ余裕はなかった。 立派な体躯に包まれている安心感と、思い人に抱きしめられている高揚感と。海という非日常。 手すりをぎゅうっと強く握る。 腰に回る体温が温かい。包まれている香りが優しい。 この時間が永遠に続けばいい。けど、このままだと心臓が保たない。 初めての海は、夢みたいだった。

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