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10:召喚獣とジンクス
永遠とも一瞬とも感じた三十分のクルージングは、つつがなく終わった。
ルーカスはふわふわする足を動かした。地面の感触が固い。地に足が着いた、という慣用句の意味が自然と理解できた。海はやはり非日常だったのだ。
ジークとふたり、並んで歩き出す。
リスミアの街は近くで見ると様々な色で溢れかえっていた。
白亜の建物に挟まれた大通りには、無数の露店が連なっている。
お祭りだからだろう。リンゴ飴やスコーン、ワインのスタンド。仮面舞踏会でつけるようなおもちゃの仮面も売られている。
せっかくなので昼食は露店で買うことにした。
ルーカスはそわそわとする胸を押さえて、ミートパイをふたつ買った。食べ歩きは初めてだ。
パイは手のひらより大きい。焼きたてで熱々だ。包み紙越しでも熱い。
一口かじると、生地がサクッといい音を立てた。
「美味しいですね。バターかな。香りがいいです」
「うん、うまいな。あ、火傷に気をつけろよ」
「あはは。はい、気をつけます。焼きたてが買えてよかったですね」
わいわいと会話しながら、ふたりで並んで食べた。
ルーカスの一口は小さい。一生懸命食べ進めるが、パイ生地だけだったり、肉の塊が噛み切れなくてずっともぐもぐしていたりした。
ちらりとジークに視線を向けると、もう食べ終わっていた。
ルーカスも急いで食べようとすると、「ゆっくりで大丈夫ですよ」とからからと笑った。
「主様」
顔を上げると、ジークが手を伸ばした。しなやかな指が唇に触れる。
ルーカスはぶわっと体温が上がった。以前、口から魔力を注入された時のことが脳裏によぎる。あれは特訓という名のキスだった。まさか。
目が回る勢いでどきどきしていると、「とれましたよ」とジークが言う。
「パイがついてました」
「あ、……ああ、ありがと」
真っ赤になってお礼を言った。
恥ずかしい、何を勘違いしているんだろう。
食べ終えたばかりのパイの包み紙がぐしゃっと潰れる。
平静を装おうとしても、一瞬よぎったキスの記憶は消えてくれなかった。
ジークはルーカスの手からパイの包み紙をとり、自然な流れで手を繋ぐ。「はぐれちゃいますから」と微笑みかけて。
人混みの中を、ふたり並んで歩く。
最初は手汗で濡れていないかとか、手が熱くないかとかぐるぐる考えてしまったけれど、ジークが楽しそうにしているので次第に気にならなくなった。
露店でアイスクリームやサイダーを買った。人混みを避けてふたりで食べる。
ジークが一生懸命かがんで会話をする。それでも身長差は残り、ルーカスも一生懸命首を反らして見上げた。美味しいですね、と微笑まれると、胸の奥がきゅうっとする。
なんだ、なんだろう。
ルーカスはそわそわしていた。口の中はアイスを食べたばかりだからか妙に甘ったるい。サイダーのせいか、胸の奥がシュワシュワしている。
ちらりとジークを見上げる。アイスのカップを手に立っている姿は格好よかった。いや、格好いいのはもともと知っていたのだけれど、いつもよりキラキラ輝いて見える。
心なしかジークの瞳が甘いようにも感じるし、いつもはうまく繋げられる会話にもドキドキしてしまう。
これは恋の症状らしいと、たしか前に文献で読んだ。
なるほど。なんでいま実感しなければならないんだ。
ルーカスは真っ赤になってアイスのカップを握り締めた。
賑やかな時間は緩やかに過ぎて、時刻は夕方に差し掛かった。
ストリートミュージシャンの演奏を聴いたり、大道芸人の魔法マジックを見たりした。どれも子供だましかと思っていたけれど、実際に見ると面白かった。場の雰囲気に呑まれていた。ジークとふたり、瞳を輝かせて顔を見合わせて、すごかったと笑い合った。
大通りの突き当たりで露店の列は終わっている。
その先には広い公園があった。緩やかな丘になっており、坂を登れば海が一望できる観光名所だ。祭りの観光客だろうか、家族連れやカップルも見受けられた。
公園は美しく整備されていた。白い石畳の坂を登る。緩やかに円を描くように頂上まで続いている。左右の生垣には、ピンク色の蕾がちらほらと佇んでいた。
「綺麗ですね。これ、薔薇ですか?」
「多分。薔薇は十月に咲くんだ」
「そっか。咲いたら、また来たいですね」
ジークが蕾を眺め、顔をほころばせる。
「うん」
胸の奥が、ぽかぽかと温かくなった。
次の約束。薔薇が咲いたら、また。
ジークが喜んでくれるなら、何度だって連れてきてやろう、と口角をほころばせていた。
頂上に着いた。視界が開け、海が一望できる。
西日に照らされ、海はオレンジに輝いている。光の当たり具合ではピンクや紫にも見えた。幻想的な景色だった。
潮風がふわりと包む。思ったより静かで、遠くで波の音が聞こえる。
ジークと並んで、丘の中央まで歩く。
レンガ造りの時計台がそびえ立っていた。大きな鐘が鈍く光を反射している。
「あ、なんか書いてますよ」
ジークが近くにある看板を読む。
ルーカスは途端に、冷や汗がぶわっと噴き出した。
――リスミア公園、時計台の願い事。
リスミアの観光名所を調べていた時にちらりと見た。十七時の鐘の音に合わせてキスをしたカップルは、永遠に添い遂げるというジンクス。
まさか、この公園があのリスミア公園だったとは知らなかった。
ちょうど時刻は十七時になる頃。おあつらえ向きに連れてきてしまったようだが、そんなつもりはなかった。
いや、むしろ、ルーカスは恋人向きのデートスポットは外そうと思っていた。
だって、そんな、わざわざデートに連れてきたなんて思われたら、自分の醜い下心が伝わってしまうじゃないか―――。
気づかれたくない。ちがう、ほんとに知らなかった。ほんとに、ほんとに、偶然だけど。
もし気づかれて、勘違いされて、引かれてしまったら。
とにかく、この恋心は隠さなければならない。
焦りがどくどくと込み上げてくる。頭は真っ白になっていた。
「主様。ここ、恋人の聖地なんですね」
「え、あ……、そう、みたいだな」
「確かに、まわりもカップルの方が多いようですし」
ジークは柔らかい瞳を周囲に配る。少し離れたベンチでは、仲の良いカップルたちが座っていた。もうすぐ十七時だからか、永遠を誓うキスをするためにいるのだろう。
秒針がカチカチと動く音が脳内に響く。実際には聞こえないはずだけれど、針が進む度に追い詰められてしまった。
「看板には、十七時の鐘と合わせてキスをすると、永遠に添い遂げられるってありました」
「そ、そう、なんだ」
「素敵ですね。ロマンチックで」
ジークの声は弾んでいる。
ルーカスは胸の前で手をきゅっと握った。
「ここで主様とキスしたら、ずっと一緒にいられるんでしょうか」
ジークが目の前に立つ。
優しい瞳だった。純粋な色をした。
頬に手が添えられる。ジークがかがんだ。顔が近づく。
このまま黙ってれば、―――。
「僕、たちは、恋人じゃないだろ」
ルーカスは震える声を出した。ジークの身体が、ぴたりと止まる。
途端に、鐘の音が響いた。
カーン、カーンと、厳かに鳴る。空気が揺れる。低い鐘の音はそれ以外の音をすべてかき消した。
ジークの瞳が揺れている。そして、そっと視線を下ろし、うつむく。
ルーカスは唇を噛んだ。
鐘の音が止まる。余韻が身体に残る。まだ胃の底で震えている。
現実に戻るように、ゆっくりと息を吐いた。
「キスは、好きな人とすることだろ」
掠れた声を出す。震えないように気をつけて。
ルーカスは拳をきゅっと丸めて、真っ直ぐに立った。
自分は主人だ。間違えちゃいけない。そう、何度も言い聞かせて。
ずっと一緒にいるなら、自分たちはキスしてはいけない。
召喚士と召喚獣の関係に邪な気持ちを入れてはいけないのだ。
ジークは「そうですね」と微笑んで、かがんでいた背をすっと伸ばした。途端に顔が見えなくなった。
「召喚契約があるんだから、僕たちはずっと一緒にいられるだろ」
「はい」
「キスは、お前に好きな人ができたらにとっておけよ」
なんとも言えないぎこちない空気を感じながら、ルーカスは言葉を紡いだ。
正しいことを言っているはずなのに、歯車がかみ合わない。空回っていることだけは分かった。
「いますよ」
ジークがぽつりと零した言葉が、ルーカスの頭にはうまく入ってこなかった。目を見開いて見上げるも、ジークの顔はよく見えなかった。
「好きな人。いますよ、俺は」
「……え」
「ずっと、叶わない恋をしています」
全身を、勢いよく殴られたような衝撃が広がった。
ぜんぜん、ジークの言葉がわからなくて。
それから、どうやって家に帰ったのか、あんまり覚えていない。
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