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11:奴隷契約
ずっと、脳を白い塊が圧迫しているような息苦しさがあった。
朝起きて、学校へ行って、帰ってきて、寝る。それだけなのに、全身が重い。何を考えようとしても塊に引っかかって、止まる。
それで「あれ、何をするつもりだったんだっけ」と、思い返して、それでもまたすぐに止まって、動かない。
何も考えられない。
ルーカスはひとり、図書館でうつむいていた。背の高い本棚に囲まれ立ち尽くす。
たしか今は、課題で必要な本を探しているところだった。ノートにとったはずなのに、何を調べるつもりだったのか思い出せない。
放課後の図書館は静かだ。少し遠くではルーカスと同じく本を探す生徒が見える。ぱらりと紙をめくる音や静かに歩く音がする。視線を上げて、ずらりと並ぶ背表紙を見る。
ああ、そうだ。魔法倫理学の授業でレポートを書かなきゃいけないんだった。
『魔術師が犯してはならない禁忌について』。課題図書がいくつか出ていた。
幅五センチにもなる厚い本を手に取る。ずしりと重くて、本棚からとった瞬間に身体が下に引っ張られそうになった。
ゆっくり席に戻る。隅にある、日の当たらない、じめっとした読書スペース。
古い椅子に座って本をめくる。課題図書の一つ、『召喚獣の歴史』だ。
――古来より、召喚士と召喚獣は良きパートナーとして存在してきた。
――しかし近年、両者の関係は歪みつつある。召喚獣の権利を守るためにも、彼らがいかなる困難を抱えているのか、我々は知らなければならない。
厳かな書き出しから始まる本は、ルーカスを真っ正面から殴りかかるようだった。
震える指で読み進める。課題だからとかそんなことはどうでもよくて、ただ、知らなければならないと感じた。
――第一に、召喚魔法とは、召喚士が離れた地にいる召喚獣を呼び出す転移魔法の一種である。召喚契約を結んだ召喚獣は、いかなる理由があろうと召喚士からの転移を拒否することはできない。また、召喚士からの罰を拒否することはできない。
――召喚獣は召喚士に与えられる魔力を糧とし、返礼として使役する。
次の一文を読んで、ルーカスは息を呑んだ。
―――召喚契約は、一種の奴隷契約である。
指が震えた。動悸が激しくなり、うまく呼吸ができなかった。
奴隷契約である。
ちがう。叫びたくて、でも声にならない。気道の奥に大きな塊が詰まっている。吐き出そうとしても飲み込むしかなくて、背を丸めて縮こまった。
ゆっくりと呼吸を整える。手足が冷たく痺れる。
けれど、見ないふりはできない。
ルーカスは震える手でページをめくった。
書いてあったのは、おぞましいほどに利用されてきた、召喚獣の歴史だった。
あるものは幼い頃に何も分からないまま契約を結ばされ、長時間労働の結果、身体を壊して亡くなった。あるものは契約主に性的行為を強いられ、子供が産めない身体になった。
それだけでない。多くの召喚獣は召喚士からのいつ来るか分からない呼び出しに答えるため定職に就くことができず、召喚獣以外のコミュニティに居づらくなった。次第に人からも獣人からも排除され、召喚獣は身内で固まるようになった。
――彼らが最も不幸であることは、人生の選択を全て、契約した召喚士に握られていることだ。
ルーカスは、ゆっくりと、本を閉じた。
しっかり読まないと、知らないと、と、理解しているのだけれど、心が悲鳴を上げていた。
知らなかった。いや、そんなことで片付けていいわけがない。
だって自分が契約を結んだ時、ジークはたったの六歳だった。
今までの行動を振り返る。偉そうに命令していた。
毎日朝晩呼び出していた。拗ねて、八つ当たりして、困らせたことも多い。
本の前で手を握り締める。ぎしぎしと骨が軋むくらいに。指先は白くなり、爪は皮膚に食い込んだ。
自分といない時、ジークがどんな生活をしているのか、ルーカスは知らない。
実際、ジークが誰かに片思いをしていることも、知らなかった。
当然のことだが、ジークにはジークの人生があり、生活があり、自分の知らないところで会っている人だっている。最近は召喚時間が増えたとはいえ、一日の大部分は召喚獣が暮らす居住地で過ごしているのだ。
――人生の選択を召喚士に握られている。
ルーカスは、ジークの片思いをやめさせる権限を持っている。
『片思いって、誰に。いつから。どうして』
ジークに怒鳴って、八つ当たりすることができる。「そいつとはもう会うな」と、命令することだってできる。命令に背いたら、罰を与えることだって、ルーカスにはできる。
けど。
それが、ジークの幸せとは、思えない。
「あれ、どうしたのお前」
ふと背後からぽん、と肩を叩かれた。
ルーカスはびくりと全身を震わせ、勢いよく振り返った。
「……あ、ごめん。驚かせちゃったな」
立っていたのはロイだった。
ルーカスは落ち着かない思考とばくばく脈打つ心臓を抱え、ゆっくりと呼吸する。
けれど、かひゅ、かひゅ、と気道に何かが詰まったような呼吸音になり、ロイは慌ててルーカスの背中を擦った。
「集中してた? ごめん。大丈夫か?」
「、……っ、…………大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ。とりあえず落ち着け」
ぽんぽん、と優しく背中を叩く。ルーカスは手を丸めて、深呼吸した。
しばらくして呼吸が落ち着いた頃、ロイはちらりと机に目をやった。
「魔法倫理学の課題図書じゃん。レポートやってたの?」
「……うん」
「どした? レポート難しかった? 何か詰まってたら俺も相談に乗るし。あ、でも俺の方がバカだからなー。俺に分かるかな」
ロイの声は場違いに明るかった。いや、明るくしてくれているのだろう。
ルーカスは滲む目元を拭った。過呼吸を起こし、涙目になっていたらしい。
「いや……。そうじゃなくて、色々考えちゃった、だけ」
「なに? あ、お前も召喚獣いるもんな。それでダメージ喰らった感じ?」
「まあ、そう……だけど」
だけど、それだけじゃない。
召喚獣の歴史が辛くて泣いているんじゃない。
自分が加害者で、自分がひどく愚かで、惨めだからだ。
それら全てがうまく説明できるはずもないけれど、ルーカスは乾いた唇を開いた。
「失恋したんだ」
「……えっ!? お、お前、あいつに告ったの?」
「告白はしてない。ただ、好きな人がいるって言われた」
「え、そりゃ、誰って聞けよ! お前かもしんないじゃんさ」
ロイの声が興奮気味に大きくなって、あたりで勉強していた生徒たちがじろりと視線を向ける。司書に「おしゃべりは外でね」と威圧感のある声で微笑まれた。
荷物をまとめ、課題図書を借りて、ふたりは図書館を出た。
ロイに「とりあえず中庭行こうぜ」と手を引かれ、ルーカスはおぼつかない足取りで着いていった。
中庭近くの階段に腰掛ける。たまにお昼ご飯を食べているところだ。日陰で肌寒い。
「で? あいつに好きな人がいるって?」
「……うん」
「えー。誰だろ。でも、最近一番仲いいのお前じゃん? そりゃ、宰相の息子って言ったら無限の誘いがあるだろうけどさ」
「………? 宰相ってなに?」
「え?」
ロイがぽかんと口を開けて固まった。
「お前の好きな人って、エミールじゃねえの?」
「ちがうけど……」
今度はルーカスが口を開ける番だった。もう、色々といっぱいいっぱいで頭が働かないのに。
ふたりしてぽかんとして、無言で固まった。
「え? じゃあ、お前の好きな人って誰?」
しばらくして復活したロイが、焦るように問い詰める。
ルーカスはびくりとした。一気に現実に戻ったようだ。
「えっと……。その、う、うちの召喚獣」
「え!? お前、召喚獣に恋してんの!?」
「あ………。うん」
「なんで!? そんなの、やめとけよ!」
咄嗟に投げつけられた言葉が、ルーカスの心にずきりと突き刺さった。
ロイは興奮気味に続ける。
「あー、やっと分かったわ。なるほど。そりゃ悩むわな。確かに。そもそも人間じゃねえもんな」
「……うん」
「そっか。なるほどね。俺、その本読んだんだけどさ」
ロイは課題図書を指さした。「レポートさっさと終わらせたくて」と軽い口調で続ける。
「召喚士が召喚獣に特別な感情を抱くのは、別に変なことじゃないんだって。なんでも言うこと聞いてくれるし。でも、召喚獣の方はもうちょっと複雑らしい」
「………え?」
「生活を握られてるし。逆らえない。だから、”自分は主人が好きだから尽くさなければ”って思い込もうとするんだって。それで恋愛を諦めて、結果的に未婚で終わる召喚獣が増えた……って書いてあった」
ルーカスは手元の本に目を落とした。
ロイの言っていることは、分からないようで、分かる。理解できてしまう。
ジークはいつも自分を大好きだと言ってくれる。多分、それは本当だ。ジークが子供の頃、自分は命を救ってあげた。家族がいなくなった時に、食い扶持を与えてあげた。
でも、だからこそ、主人より大事な人が現れても、主人を優先しようと考えるのだろう。恩義のために。
つまり、自分の存在が、ジークの鎖になっているのではないだろうか。
「ジークには、ずっと、好きな、ひとがいるんだって」
「うん」
「叶わない恋とも言ってた」
「あー……。主人がいる手前、そっちには行けないってことか?」
「……そっか。そうだよね。………やっぱり、僕のせいか」
「お前のせいってか、ただ立場のせいなだけだろ。自分を責めんなよ。悪気があったわけじゃねーんだし」
「…………うん」
頭の中に居座っていた真っ白い塊が、ほろほろとほどける。
触れて、溶けて、しゅんと消えて。空っぽの穴がぽかりと空いた。
ジークに、自分より大切な人が現れてしまった。
そんな時、主人なら、どうすべきか。考えようとしても、全然まとまらなかった。
想像もしていなかった事実に思考が止まっていた。体中の細胞が冷え固まって、動かない。
ロイは眉を下げて、優しい口調で続けた。
「まあ、多分、お前のその感情って、いろんなものが混ざっちゃっただけなんじゃないの?」
「……どういう、こと」
「召喚した時って、お前、六歳だったんだろ?」
「そう、だね」
「友達も少なそうだしさ。まわりの人間を知らないまま召喚獣とばっか遊んでたら、そりゃ特別だと思うよ。ほかに近い存在がいなかった。そこにスポッとその召喚獣がハマっただけ」
「………うん」
ルーカスは乾いた唇を閉じる。
両親がいなくなって、親戚の家でも学校でも孤独を感じて、まわりに誰もいない中、ジークだけがそばにいてくれた。心にすっぽりはまったというのは言い得て妙だった。
「もっと周り見てみろよ。もっといろんな人がいるし、中にはお前をいいって言ってくれる人がいるかもしれない。お前が好きになる人だっているかもしれない」
「そんなひと………」
「いるって。大丈夫。お前はいいやつだし。失恋が辛いのって今だけだからさ。いつか笑い話になるから。お前はその召喚獣の恋を応援してやれ」
ぽん、と背中を叩かれる。空っぽになった外側が揺れる気がした。
けど、中には響かない。ただ空虚な振動だけがじんと続いている。
それからロイは、自分の失恋の話を明るい口調でしてくれた。幼なじみの女の子に振られた話、クラスメートの前で告白して笑われた話。
けれど、ルーカスの耳には、半分も届かなかった。
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