12 / 15
12:召喚契約
しばらく、ルーカスはジークを召喚しなかった。「課題に集中したいから」と言い訳をして、数日間呼び出さなかった。
その間、ずっと考え事をしていた。
自分がジークにできることはなんだろう。
主人として、友として。ずっと近くで見てきた幼馴染として。
屋敷の奥の自室は、いつだって薄暗い。日当たりが悪くじめっとしている。狭い。窓を開けても息苦しい。毎日、机に向かって考えた。課題図書を読んで、そのほかにも召喚獣についての本を読んだ。先生にも尋ねた。
『僕の召喚獣に大切な人ができたんです。僕は主人として何ができるでしょうか』
先生たちは、優しいのね、と微笑みかけて、いくつかアドバイスをくれた。
ルーカスはアドバイスをまとめたノートに目を落とす。書き殴った紙はインクの滲みがひどかった。
――召喚獣は主人の魔力をエネルギー源としているから、たくさん魔力をあげるといいわ。そうしたらこちらに呼ばれていない間も、良好な健康状態を維持できる。契約の首輪についている石に魔力を込めればいい。
なるほど、確かに。その相手と会っている間に倒れられては心配だ。
ルーカスはしっかりと最後に呼び出した日に、へろへろになるまで魔力を込めた。
――召喚獣くんがその相手と結婚したいって思ってるなら、呼び出すペースは考えたほうがいいかもね。呼び出す時間を事前に伝えて、あまり長くならないように。
はい、とうなずいて、メモにとる。読み返して心が重くなった。
なんで。自分の方がずっと一緒にいたのに。なんであとから来たヤツに譲らなきゃいけないんだよ。自分は一緒にいる時間を増やすため、特訓だってしたのに。
そんな黒い感情が込み上げてくるのを、必死に飲み込んだ。ヘドロのようにまずかった。
――その召喚獣くんに希望を聞いてみるのがいいと思うわ。これまでとは違った生活になるだろうから。子供ができたら特にね。ご家族とどう過ごしていきたいのか、相談にのってあげて。
嫌だ、と、叫びそうになるのを、必死でこらえた。
その日は一日中泣いていた。ベッドの中で毛布にくるまって、ぐすぐすと泣いた。
自分からジークを奪うやつらのことなんか大事にできない。奥さんも子供も嫌いだ。それを優先するジークの姿なんか見たくもない。想像して、吐き気が込み上げてきた。何も食べてなかったから、酸っぱい胃液しか出てこなかった。
僕には家族がいないのに、僕にはジークしかいないのに、なんでお前は僕じゃないひとと家族を作るんだよ。洗面台に顔を突っ込んで、言えない感情を吐き出していた。
ここ数日はずっと、自分の醜さに向き合う日々だった。
泣き疲れて、目が腫れて、食欲もなくて、やつれていく。鏡を見る度に自分の愚かさが身に染みる。
こんな状態でジークの恋愛を応援してやるなんてできない。
でも、好きなひとには幸せになってほしい。
子供の頃から自分を支えてくれたジーク。頼りになって、かっこよくて、優しくて、大好きだから。
ジークには、誰よりも幸せになってほしい。
―――どうしても条件が合わなくなったら。
そのあと先生が言った言葉が、ずっと胃の奥に残っていた。消化できずに、冷たい金属の塊みたいに。
鏡に触れる。冷たいガラスは薄暗い部屋を映す。ひとり、空っぽの部屋。
クマができて、肌が乾燥して、唇に血が滲んで、目が腫れている。
ただ、弱い自分が映っていた。
数日後、ルーカスはジークを召喚した。久しぶりの召喚にジークは嬉しそうにしていた。
「課題、お疲れ様でした。大分やつれましたね。大変でしたか」
「……うん。思ったより大変だった」
「そっか。じゃあ、今日はゆっくりしましょうか」
「……あのさ」
ルーカスはすっと顔を上げて、ジークを見つめた。
「公園行かない? 気晴らしに出掛けたくて」
手をキュッと丸めて、微笑む。
ジークは驚きながらも、「はい」と顔をほころばせた。
近所の公園に歩いて向かった。時刻はもう夕刻で、空は紫がかったオレンジだった。リスミア公園の美しい空がどうしても脳裏によぎる。
秋が近づいている。近所の公園はそれなりに広い。緑の葉は黄色く色づきつつ、歩道を美しく彩る。短く整備された芝生は踏むと乾燥した感触がした。
ふたりで並んで歩いた。昔からたまに来ている公園だ。といっても遊具で遊ぶことはなくて、家や学校が嫌になったときに散歩するくらいだった。
「ジークは僕がいない間大丈夫だった? 魔力、足りた?」
「おかげさまで。まだ有り余ってるくらいですよ」
「よかった」
「むしろ主様の方が心配です。こんなにお疲れな姿は初めてですし。ちゃんと食べれてますか」
「大丈夫だよ」
うそ。ほんとは全然食べれてない。寝れてもないし、大丈夫じゃない。
けれど、ルーカスは表に出さないように必死に笑顔を取り繕っていた。
表面的な会話を続けていた。もう秋だね、とか、寒くなってきたね、とか。
もっと大事なことを話さなければならないのに、触れられないまま、周辺をなぞった会話だけを続ける。
心地が良い。穏やかで優しい時間。だけど、心臓がチクチクと痛む。そんな時間。
しばらくして、公園の中心に着いた。中途半場な時刻だからかあたりには誰もいなかった。
開けた場所に遊具はなく、ベンチと噴水があるだけ。噴水の水は止まっていた。
びゅう、と冷たい風が吹く。木々の葉がかさりと音を立てる。ジークの耳を隠しているストールが揺れた。
「主様、冷えますから」
ジークは耳を隠しているストールを、ルーカスの肩にかけた。ふわりと優しい温度に包まれ、ルーカスは目頭に涙が込み上げてくるのを感じた。
「この時間、誰もいませんし。耳がバレそうになったら手で隠しますよ」
「……うん」
「ふふ。前にもこんなことがありましたね。あの日も秋でした。十月下旬でしたっけ」
「………十月二十七日だよ」
ルーカスはストールをつかむ。首に巻くふりをして、顔を埋めた。
あったかい。ジークの匂いがする。
あれはルーカスたちが十二歳の時。いまから六年前。
クラスメートに無実の罪を着せられ、先生がルーカスを注意した。その日は悔しくて誰とも口をきけなかった。何があったかはジークにも言えなかった。けど、モヤモヤが晴れなくてジークを連れて公園に出た。六年前の十月二十七日。
今日より寒くて、けれどルーカスは薄着で、見かねたジークが耳を隠していたストールでルーカスをぐるぐる巻きにした。「主様が風邪引いたらいやです」と、ストール越しにぎゅっと抱きしめてくれた。ルーカスは、その中で、唇を噛み締めて、泣いた。
きっとジークは気づいていた。自分に嫌なことがあったと。だけど、人前で泣けもしないから、気づかないふりしてそばにいてくれた。
そんな優しいジークが、好きだ。
恋愛感情もあるし、友愛もあるし、家族愛もあるし、この世の全ての感情を合わせても足りないくらい、好きだ。
だから。
「ジーク、そこに座れ」
ルーカスはベンチを指さした。ジークは素直に聞いた。隣に一人分のスペースを開けて、腰掛ける。
ルーカスは座らなかった。背筋を真っ直ぐ伸ばして、ジークの前に立った。
「主様?」
「ジーク、お前さ。前に、叶わない恋をしてるって言ってたよな」
ジークは一瞬息を呑む。
けれど、震える声で「はい」と呟いた。
「叶えたいと思うか。そのひとと、一緒にいたいと思うか」
「……はい」
「ずっと、なによりも、大事にしたいと思ってるのか」
「はい」
そっか。と、ルーカスは力なく笑った。
ジークの返事を聞く度に、心臓が切り裂かれていく。
もう、一瞬でも気を抜いたら、脆く崩れてしまう。
ルーカスはジークの首輪に手を伸ばした。宝石を握り締める。真っ赤な宝石だ。
いつも、暗闇でぱっと灯ると、ジークが現れる。安心する、希望の光。包み込んでくれる、暖かい光だ。
魔力を込める。ぱあ、と熱くなる。全身の力を込める。
もう、全部なくなってもいい。全部あげる。
自分にあげられるものは、これしかないから。
「主様、何をしてるんですか」
「黙ってろ」
足元がふらつく。汗ばんで、苦しくて、辛い。
けど。
「お前の幸せを願ってる。これまでも、これからも、ずっと。僕は、ずっとお前が大事だ。誰よりも大切だ。大好きだ。だから、」
だけど、僕は。
お前が誰かと幸せになるのを見ていられるほど、強い人間じゃなかった。
――どうしても条件が合わなくなったら”契約解除”をするのもひとつの手よ。
先生の声が脳裏によぎる。
ルーカスは、真っ直ぐにジークの瞳を見つめた。
「ルーカス・ハーランドは召喚獣・ジークとの契約を解除する」
ぱちん、と手元の首輪が爆ぜる。宝石は砕け、魔力はジークの身体に染みていく。
契約は、なくなった。
ジークの瞳が見開かれ、手を伸ばされる。
あ、と、声を上げる間もなく、ぱっと、目の前からジークの姿が消える。
契約解除に伴い、転移魔法が切れ、もといた場所に帰った。
途端に、ルーカスは膝から崩れ落ちた。息ができなかった。
魔力を全部あげた。
貧血か、頭がぐらぐらして、吐き気がして、何も考えられなかった。
誰も座ってないベンチにもたれて、声を殺して、泣いた。
ともだちにシェアしよう!

