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13:孤独な少年

この世の終わりかと思った絶望があっても、日常は続くらしい。 ルーカスはひとり、目を覚ました。薄暗い部屋、太陽の届かない部屋。 ベッドサイドに手を伸ばしそうになって、手を下ろす。代わりにマッチを擦って、オイルランプに火をつけた。小さな明かりが部屋を照らす。吹いたら消えそうな明かりだ。 ジークに魔力を全てあげてから、二週間ほどが経った。魔力は少し回復してきた頃だ。けれど、魔法を使うと疲れるため、マッチで明かりをつけている。 保健室の先生曰く、魔力を空っぽにしてから全て回復するのに、少なくとも一ヶ月はかかるらしい。魔法の実技は見学をし、後日補習を受けることになった。 ジークがいなくても世界は続く。つぎはぎだらけの歪な生活でも、表面上はただの日常だった。メイドは相変わらずいない。 けれど、別にジークにさせていたことだって、自分ひとりでできる。 朝起きてコップに水を注ぐのだって、顔を洗うのだって、掃除だって、着替えだって、できる。 ただ、そこに音がないだけ。熱がなくて、時が止まっているように感じるだけ。それだけだから。 ルーカスはひとり、身支度をして学校へ向かう。 十一月上旬、朝晩の冷え込みが激しくなってきた。厚手のコートを引っ張り出し、ストールを巻く。もこもこして動きづらい。 ストールに顔を埋めて歩いていると、背後からロイがぽんと肩を叩いた。「おはよ」と笑いかけられ、「おはよ」と返した。 「ルーカス、重装備じゃん。今日そんな寒い?」 「寒いだろ。手袋もしようか迷ったくらいだ」 「そうかなぁ。去年と変わらない気がしたけど」 ま、いーけど。と、ロイは軽い口調で会話を続ける。課題おわった?とか、他愛もないことだ。 「そういや、エミールが遊ぼって言ってた。中間テストも近いのにさ。余裕だよな」 「あんな簡単なテストでひいひい言ってるのはあんたくらいだよ」 「ひどくね? あ、じゃあ勉強教えてよ。近くにカフェができたんだって。エミールも誘ってさ、勉強がてら行こうぜ」 「やだよ、めんどくさい」 うつむきがちに歩くも、ロイは「行こーぜ」と何度も問いかける。 エミールとの特訓はなくなった。ルーカスが魔力を使い切っているのもあるが、もう特訓する必要がなくなったからだ。けれど、結果的に特訓をしていてよかったと感じていた。 ジークにあげた魔力は、計算すると召喚獣が一生分暮らしていけるエネルギーになるようだった。 高みを目指して特訓した成果だ。これで、少なくともジークが食いっぱぐれることはない。 今頃、ジークはその好きな相手と一緒にいるのだろうか。叶わない恋は叶えられたのだろうか。 主人という色眼鏡がなくても、かっこよくて優しくて気遣いができて、欠点なんか見当たらないのだから、きっとすぐ両思いになるはずだ。 想像して、まだ胸が痛む。心臓を握りつぶされるように痛いから、あえて考えないようにしていた。ふとした瞬間によぎってしまうから、一生懸命頭を振って、イメージを追い出している。 「なー。カフェ嫌い?」 「嫌いっていうか、ひとが嫌。うるさいとこ嫌い」 「なるほどなー。落ち着きたいってことか。あ、じゃあさ。テイクアウトして公園でどう? 俺さ、季節限定のマロンクリームラテが気になっててさ」 ロイの言葉はつらつらと無限に続く。イエスと言わないとずっと続きそうだ。いい加減疲れてきた。はあ、とため息をついて、「公園ならいい」と返すと、ロイは嬉しそうに「やった!」と叫んだ。 その日の放課後、ルーカスはロイとエミールを連れて近所の公園に来ていた。ロイの提案で新しくできたカフェで飲み物をテイクアウトして。ふたりは季節限定のラテを、ルーカスは普通のティーラテを選んだ。手元のカップからティーラテを飲む。牛乳の味がする。ジークはミルクばかりの紅茶しか飲めなかった。 一口飲んで、自分はミルクがない方が好きだったと思い出す。そして自嘲気味に笑った。 カップを片手に、やや肌寒い公園を歩く。 黄色ばかりだった景色に枯れ葉が混ざり、秋が深まっている。すらりと伸びる木々に葉は少ない。 強い風に揺れて、一枚、また一枚と落ちていく。 澄んだ空だった。すこんと抜ける青空には夕焼けが混じっている。 あの日もこんな空だった、と、ルーカスは思い返していた。 公園の中央に着く。寂れたベンチを視界の端に入れて、きゅっと唇を噛んだ。 「最近、どう?」 一歩先を歩いていたエミールが、にこりと笑って振り返る。 ルーカスは自分に話しかけられたのに気づかず、「え」とたじろいだ。 「元気ないから。特訓も無くなっちゃったし」 「……別に、いつもどおりだよ」 「召喚契約を解除したって聞いたよ」 「…………うん」 エミールの声は静かだった。いつもはイヤミなくらいわざとらしいのに、気遣っているのが伝わってくる。少し前を歩くロイも後ろ向きで器用に歩く。カップに口をつけて、思案しながら。 「実は、リスミアの街で、きみたちを見た」 エミールがぽつりと呟く。ルーカスははっと顔を上げた。 「………見てたの」 「父さんがクルージング事業に絡んでるからね。そのお手伝いでさ。船は乗れなかったんだけど」 「そうなんだ」 「すごく楽しそうで、幸せそうでさ。いいなって思った。単純にさ」 ルーカスはうつむいてしまった。じっと足元を見つめる。長い影が伸びていた。 「ルーカスが考えてること、教えてよ」 エミールが呟く。風がふわりと吹いた。枯れ葉がかさりと音を立てた。 「僕たち、友達でしょ。友達が悩んでるの悲しいよ」 「………でも、」 「言ってよ。わかんないよ。彼に言いたいこと、あったんじゃないの」 唾を飲み込む。うまく言葉にならない。ちゃんと話したいのに、頭がぐちゃぐちゃでどうしていいかわからない。 「そうだよ。聞かせろよ、お前たちの話」 ロイが強い口調で叫んだ。いつもの気軽な明るい口調とは違って、切羽詰まっているようだった。 「俺、お前たちのこと全然知らないで、勝手に決めつけてた。ずっと後悔してる。謝りたい。けど、何も知らないまま謝ってもしょうがないし。だから、聞かせてほしい」 「……横暴だね」 「そうでもしないとお前、話してくれないじゃん」 エミールとロイが真っ直ぐにルーカスを見つめる。 ルーカスはきゅっと唇を噛んだ。ラテはもう、大分ぬるくなっている。力を込めるとカップが少しへこんだ。 「うまく話せないよ」 「いいよ」 「……つまんないかも」 「いいって」 ふたりは真剣だった。ルーカスは、ゆっくりと息を吐いた。 そして、ぽつぽつと、思いつくままに、話した。 ――言いたいこと、無数にあるよ。あったよ。もっとちゃんと、ちゃんと言えばよかったって。体調に気をつけろとか、ちゃんと食べろよとか、ちゃんと寝ろよとか、 ……いや、ちがう。そうじゃなくて、もっと。 ずっと一緒にいてくれてありがとうとか、仕えてくれてありがとうとか、 いや、それだけじゃなくて。もっと。 好きだったとか、ほんとに、ほんとに好きだったとか。 いや、もっと、ちがくて。 ほかのひとと付き合ってほしくないとか、誰も好きにならないでとか、誰のものにもならないでとか。 言いたいことなんか、一生かかっても言い切れないよ。 あ、そうだ。ねえ、聞いて。ジークってさ、ほんとに、ほんとに、可愛くてさ。あんな身体デカくなったけどさ、僕にとっては、ほんとに、……可愛くて、愛おしくて、優しくて、かっこよくて、頼りになる存在だったんだ。 八歳の頃かな。まだ、僕たちの身長差がそんなになかったころ。学校も家も全部イヤになっちゃった時。僕はよく全部が嫌になる時があるんだ。 夏だった。友達もいないし、先生も嫌いだし。魔術書ばっかり読んでる僕をみんな疎んでてさ。 そんな時、ジークと公園に来たんだ。日差しもあってさ、蒸し暑くてさ、木陰で膝を抱えてた。「学校なんか行きたくない」ってぐちぐち言ったら、ジークのやつさ、「主様って、ダンゴムシみたいですもんね」って言ったんだよ。悪口だろ、それ。虫ってひどくない? 僕、つい怒っちゃったんだ。 そしたら、ジークは慌てて叫んだんだ。「そうじゃなくて、魚は川にいればいいし、カブトムシは木にいればいいし、ダンゴムシは土の中にいればいいのに、なんで人間はみんな学校に行かなきゃいけないんでしょうね」って。 僕、もう、なんだか拍子抜けしちゃって。そんなの、人間だからだろ、とか考えたけど、そっか、こいつ召喚獣なんだなって。僕とは違う視点で世界を見てたんだって。 でも、なんかそれが救いになって。僕は、まわりがおんなじ人間ばっかで、息苦しかったんだって気づいた。 ……その時は、うまくお礼も言えなかったけど。ただ耳をわしゃわしゃ撫でて、口をへの字に曲げて、「まあ、ゆるしてやる」って、偉そうに言ったっけ。 そしたらジークはさ、「主様がダンゴムシでも、俺はそばにいますよ」って言ってくれたんだ。 ごめん、脈絡ないね。十年以上も一緒にいるとさ、変な、どうでもいいこともぽつぽつ思い出してさ。止まらないんだ。 ずっと、頭の中で、ジークといた時のことが回ってるんだ。 笑ったり、泣いたり、怒らせたり、八つ当たりしたり、拗ねたりした、ことがさ。永遠に、ぐるぐると、頭の中で回ってるんだ。その記憶の続きが見たくて、寝て、起きて、現実に戻って、その繰り返し。 朝起きて、でも、現実にはもういなくて。 いやで、いやで、でも、……苦しくて、何もできなくなる。何も考えられなくなるんだ。 なんでだろうね、わかんない。 ……ああ、いや、そっか。これが、 ―――これが、 「さみしいってことなのか」 そう、呟いて、ルーカスの瞳から、大粒の涙が零れた。 ぼろぼろ、栓が緩んだ蛇口みたいに、零れる。 鼻が詰まってうまく息ができない。口を大きく開けて、わあっと、子供みたいに泣いた。 右手はカップを持ったまま、左手でごしごしと頬を拭う。擦れて痛い。ストールに涙が染みて、顔を隠すように埋めた。 エミールとロイは、感情を表に出すルーカスを見守っていた。 ひくひくと、やっと嗚咽が落ち着いてきた頃、エミールが優しい声を出す。 「寂しい?」 「さみしい」 「辛い?」 「つらい、くるしい、いやだ、ひとりはいや!」 言葉足らずで、幼い口調だった。けれど、ルーカスは泣きながら叫んでいた。 ずっと後悔している。 何がって、もう、無数にありすぎて分からない。 もっと魔力をあげられたんじゃないかとか、もっとちゃんと説明すればよかったとか、もっと気持ちの整理をつけてからでもよかったんじゃないかとか。 ジークの気持ちを聞いてからでもよかったんじゃないかとか。 一方的に解除してしまったこととか。 ジークを裏切ったのは自分だ。 自分が弱くて、ジークの話を真っ正面から受け止められなかったから。勇気がなかったから。 聞いていたら、もし、ちゃんと、聞いていたら。 ジークは今もそばにいたのかもしれない。 どんなひとを好きになったの。どこを好きになったの。 そのひとは、ちゃんとジークを幸せにしてくれるの。 怖がらないで、そう、ちゃんと、聞けばよかった。 怖い、怖いよ。苦しい。絶対苦しい。でも、そばにいないのは、もっと、もっと苦しかった。 寒くて、暗くて、息ができなくて、さみしくて、悲しくて、辛くて。 もし、もし、もう一度、ワガママを聞いてくれるなら。 「―――会いたい」 ルーカスは声の限り叫んだ。子供みたいに、涙を飛ばして、叫ぶ。 瞬間、強い風が舞って、白銀の影が現れた。 立派な体躯を持った白銀の狼獣人が、空中を割くように現れた。 ルーカスの背後から手を回し、細い腰を両手で掴む。全身が軋むくらいに強く。 エミールとロイは、突然の登場に息を呑んだ。 風が吹く。木の葉が舞う。獣人は真っ赤な瞳で鋭く睨み、威嚇するように毛を逆立てる。 そのまま、ルーカスの身体を隠すように全身で包み込んだ。 ―――。 低く、重い声で、白銀の獣人は呪文を唱えた。 途端に、目の前から彼とルーカスの姿がぱっと消える。 木の葉がぶわっと巻き上がり、エミールとロイは呆然と立ち尽くしてしまった。 「え、い、いまのって」 「……彼は、」 「なあ、エミール! ルーカス連れていかれちゃった! どうしよう、誰かに、」 「……大丈夫。多分、大丈夫だよ」 慌てるロイに、エミールはゆっくりと息を吐く。胸の前でぎゅっと手を握り締めながら。 「彼がルーカスの召喚獣だ。迎えに来たんだろう」 「で、でも、召喚契約は解除したって……」 「さっきの呪文は”転移魔法”だね。彼自身の魔法だ。彼は、ただ……」 ただ、ルーカスに会いに来たんだ。

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