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5話 うらら春うらら
十一年ぶりの春なんだ。宿屋の主は、喜びに満ちた顔で言った。
春。一斉に咲いた花の、のびのびうかれた歓びがにおいたつ。
かつて魔王は、しばしば「季節」を奪った。ある町からは「夏」を、ある村からは「秋」を。この町は「春」を奪われたようだった。いちど取り上げられた季節は巡って来ない。魔王のもとに囚われているからだ。
季節の欠落は、人々の精神を少しずつ蝕むことでもあった。故郷を捨てた者もいる。衰退し、朽ちて滅んだ都市もある。
魔王が季節を奪った理由は分からない。――世界の支配の一環? 見せしめ? 責め苦? 力の誇示? 興味もない。魔王がもういない以上、答えるものはこの世にいない。
魔王が倒れたことで、「季節」はそれぞれの場所に返還された。いまは各地に戻り、めいめいに刻む。
この町の店主は、ずっとここで宿を営んでいたらしい。生きているうちにこの活気が戻るとは思わなかった、そう言って、目をしばたたきながらはにかんだ。
もともと花の観光名所だという町は賑わっている。
「なんといっても十一年ぶりの春だから」
ひとびとはみな浮かれている。あちこちで乾杯があがる。出店の看板。立ち上る湯気と匂い。笑い声がひしめく。揺れるいろとりどりの飾り。窓辺に連なる花。人いきれ。それらが、ぼんやりとした霞にけぶっている。ぬくい気温。いかにも春という、白んで濁った日差し。
なんというか、うはうはだ。どこもかしこも。
「いいな」と、俺の隣でヴァルが言った。表情筋の乏しい頬がゆるんでいる。翠の瞳が静かに町を見回す。賑わいも人混みも嫌いだろ、と俺が聞くと、「苦手だけど、こういうのは悪くないみたいだ」と微笑のまま呟いた。
「歓びの春という感じで」
「そうかよ」と言った口元が、緩んだ。つられたからだ。機嫌の良いこいつに、町に、ひとに、花に、春に。
「忘れるなよ、それ」
「何が?」
ちっとも分かっていないヴァルに、俺は教える。薬莢を拾うように。
「歓びの春という感じの賑わいを、お前が嫌いでないということ」
うはうはだった。歓びを、うはうはと謳歌している。
連なる屋台で、たらふく食った。
「兄ちゃんたち、あれだろう、勇者の!」
「なんと、あの!?」
「まあ! 大変! さ、これをどうぞ、焼きたてよ!」
「こっちも持ってけ!」
「おうおう! こっちもだ! 蒸かしたてだぞ!」
買うより先に、皿が差し出されてくる。逃げ場のない勧誘に、俺たちはさしずめ花を渡る蜜蜂だった。肉も魚も麺麭も、麺、米、果物、甘味……もちろん、酒も。ヴァルは呑まなかった。いつかの暴飲で、ほとほと懲りたらしかった。
「とんだもてなしだった」
「すごいもてなしだった」
観光もほどほどに、俺たちはいま、十二分に重くなった腹で、宿のベッドに横たわっている。
耳を澄まさなくとも聞こえてくる。窓の外は、わはわはと浮かれている。黄色い日差しを透かす窓辺、鉢植えに咲く花。そこに、黄色い蝶が泳いでいる。その向こうの空は、雲が溶けて淡く青い。春の午後の匂いがしている。
ねむたい。身体が緩んで怠い。一服くらいしたかったが、上着の煙草を漁ることすら億劫だ。ぬるんでぼやけたこの陽気に、全身がまるでぶよぶよとふやけている。
「なんていうか」
隣のベッドに仰向けに寝そべる男が、覇気のない声で呟いた。
「実に、平和だ」
そして洩れ出た、はああ、という長い息が、じじくさく、どこもかしこも、なにもかも、ふやけて緩みきっているから、俺は思わず吹き出した。あは。ふふ。吐きだした本人も、太い喉をくつくつ鳴らした。ふ、ふふ。
「ああもう、まったくもって平和だ」
俺の応えに、ヴァルはくすぐったそうに笑う。うれしそうに笑う。そうして、「平和とねむたいは似ているのかもしれない」などと、うわごとの発音で言った。「うれしいか」と俺は聞いた。ヴァルは首を動かし、上目にして俺を見ると、「当然、うれしい」と、笑った。
「――世界を、救って良かった」
天井をみあげた。古びた木目を、黄色い日差しがまぶしくねぶっている。俺は、ああ、と頷いた。皮肉も揶揄もなく、言った。
「ほんとうに、そうだな」
そうしてしばらくとろんでいた。打ち寄せる白波をいたずらに踏んであるくように、夢の縁をたゆたった。カーテンがゆらめいている。光を遮り、瞬かせる。笑い声が、やわい風と共にレースの裾を膨らませ、曳いていく。さまざまな匂いを内包して風が香る。やっと訪れた春をむさぼっている。
眠気と日差しに濁る視界のなかで、ヴァルもまた俺と似たような様子でいた。胸が、ゆっくりと上下している。瞼は薄く開かれている。天井に照るひかりのなみを眺めている。水面を見上げるようだと俺は思う。
「――――」
人間は欲深い生き物だ。ひとつ欲を叶えれば、満足はいっしゅんで、すぐに次の欲を求めて飢える。これで終い、なんてことにはならない。底がない。上限もない。どれだけ満たされたところで、欲求は消えない。煩悩。欲望。
いま俺は、これ以上なく、それを悟っている。持ち上げることすら億劫な怠い頭で、辟易するほど強烈に。
無防備に投げ出された、ヴァルの太く長い腕。脱力した指のかたち、短い爪先。力気なく眼球を覆う瞼。その縁で影を落とす睫。鼻筋の傾斜。たらふく食べたくちびる。太い喉仏。
弛緩しきっている男の、ひとつひとつを視線でなぞりながら俺は、ひどく乱暴な気分が沸いてくる。同時に、ガラスや絹を触れる気分にもなる。さしずめ貴く脆いもの。指の腹を滑らせたい。思い切り叩き割りたい。火薬が焦げ付くのに似ている。指先が疼く。枕に押し付けた耳の内で、鼓動が忙しく鳴っている。指先をシーツに立てる。古いが糊のきいた生地に爪先が引っかかる。
ああそうだ、つまりは、うはうはなんだ。
好いた男が、すぐ隣に無防備にいた。俺は、その男のくちびるの柔さも、舌の熱さも、唾液の味も、もう知っている。指先の堅さも、体温も、汗も、――長さも形も硬さも、吹き上がるものの熱量も。
どこまでもぬるく、とろんだ空気。すべてがぼやけている。そのくせ五感は冴え冴えして、肌の下がむずがゆい。内側に留めていたものが流れ出す。溶けた氷が、堰を切って湧き上がる。
だって、春だ。春。春は、そういう季節だろ。
俺は、重い身体が起き上がった。肺からため息が出た。思うより先に、脚と腕が動く。ヴァルが俺を見上げた。焦点が合わない。ぼんやりしている。俺は顔が緩んだ。可笑しい。あは。あはは。その間抜けな顔の横に、俺は両腕を付いた。男ふたりぶんの体重に、ベッドがぎしりと鳴った。
「ルチア……?」
「うん」
俺は頷いた。なにが、うん、なのかは分からなかった。右足を持ち上げ、ヴァルの胴を跨ぐ。俺の影が落ちて、ヴァルの顔も身体も薄暗くなる。気怠い視線が、俺を捉えた。おそらく焦点を定めるためのまばたきの、ひたりと閉じた瞬間に、俺はそいつに向けて顔を近づける。それだけのこと。こんなにいとも容易い。この男に触れること。ヴァルにキスすることは、今、こんなにも簡単だ。
「ん……、む」
俺はいますぐにでも、この男に抱かれることができる。
動きの鈍いくちびると舌だ。それを吸い上げてやりながら、俺の右手は目的地にたどり着く。見なくとも、迷うことはない。近頃の俺は、ベルト外しのレベルばかり上がっている。翡翠色が揺れた。己の身に起こった、そしてこれから起こることを察知していた。俄に強張った頬を、左手でなぞってやる。両腕が、俺の肩に触れた。触れるだけで、押しかえすことも、引き寄せることも、なかった。俺の右手はそいつの下着を寛げきった。
「つきあえよ、腹ごなしだ」
胸も腹も通過し、俺はそこに向けて、まっすぐに顔を伏せた。なんだか勇者の使う瞬間移動魔術を思った。目的地まで最短距離でひといきに飛ぶのだ。
「……いいだろ、ヴァル」
回答を、待たずに俺はしゃぶりついた。
「う、ぁ……!」
濃厚な肌と汗の匂いがした。顔を顰めるより先に、俺は鼻先を毛深い茂みに突っ込む。その場所で大きく息を吸って、吐く。陰毛を揺らす。――あは、脳に、ぐらぐらくる。
「ヴァル……」
俺は、くちにだらだらと溢れた唾液を、擦り付ける。
「ルチア……あ、ッ」
呻いた声が、俺をいい気にさせた。いやらしい。掠れて、だから甘い。唾液がもっと出た。じゅる、と音がした。わざと続けて、音を立てる。竿にくちびると舌を擦りつける。肉っぽい。角度を何度も変えながら、舌で舐め回す。張り出てきた先端を咥えて、しゃぶる。
「ん……く……、ふ」
――お前はほんとうに、ソレが好きだよな。
頭の隅で、俺が俺に呆れた。俺は、浮き上がって斜め上から俺を眺めている俺を意識する。侮蔑のまなざし。
(そんなふうに男を襲いやがって)(淫乱。色狂い)
――煩い。春だ。春なんだ。耽って盛って、何がいけない。
(無理矢理勃起させて抱かせてそれで満足なのか? お前のことを、好きでもないのに)
満足? ああ満足だね。――だって、したいんだ。
「るち……あ……」
広い手のひらが、俺の肩に触れた。あぐねている。困っている。安心させるために、俺は咥えたまま、なだめる。緊張しだした腹筋を擦ってやる。
「いひはら、だまっへろ」
隙間から唾液が溢れて、汚い水音になった。この男と、セックスしたい。抱かれたい。ヴァルに抱かれたい。いますぐ。こいつが俺のことを、すきでなくとも。(はは、どうかしてる)ああそうだ、どうかしてる。どうかしてるから、こんなことをしてる。ひややかに嗤う俺を黙らせるために、俺はくちのなかのそれを、喉奥に深く突っ込んだ。
行為をするには、軋みすぎるベッドだった。宿のベッドフレームやスプリングをイカれさせるのは、心苦しい。……そう、別に、ところ構わずサカっているわけではないのだ。そのくらいの分別はある。セックスを止める、という選択肢がないだけで。
「ふ……んぅ……」
背は壁に凭れて、腕をヴァルの首に回した。ヴァルは、俺の教えた通りに俺のくちを吸っている。へたくそだったそれは、少しずつ熟 れてきた。レベル1だったのが、5くらいには上がったんじゃないかと思う。
「ん……、っ、は……」
くちを離すと、濁った唾液の糸が引いた。それを互いの息で揺らしながら、みつめる。目の前の、これからセックスする相手を。
「は……、ぁ」
首が仰け反った。ヴァルの手のひらが、俺のシャツの下から入り込んだから。それも、俺が教えた。セックスにおける前戯の必要性とその効果。強化魔法のようなもんだよ。ヴァレリウスくんはおりこうに俺の教えを聞いた。そうか、と重々しく頷いた。
ヴァルは真摯に理解に努め、そして会得していった。弱点を見極める能力は長けていた。なので、わけもなかった。技術。スキル。そういったもの、こいつは得意だ。的確に、ついてくる。弱点。弱点。弱点。ぜんぶ、俺が教えた。ぜんぶ、こいつは覚えて、地道に実践してみせる。
「――あっ、あ、はっ!」
俺は声が出る。手のひらがすべり、掠め、捏ねるたびに。目の前の、肩口を噛む。けど、すぐに耐えられない。そくそくと肌が粟立つ。悪寒に似た震えが背骨を走り回る。
「んんン……! っは、んあっ……あっ」
惚けながら、開けたままの窓を見た。カーテンが揺れている。俺は仕方なく、俺の上を動き回る腕を掴んで制止させた。行動は、ぴたりと止んだ。
声をふさぐには、いくつか方法がある。部屋に陣を張るもの。肉体に直接作用させるもの。
この部屋では、前者は構造的に難しいらしい。ヴァルが言うには、古いために隙間が多いのと、部屋と部屋、廊下との距離が近い。そのため術が漏れ出す。完全防音にならない。
「後者はおすすめしない。身体の負担になる」
別にそれでもいいと思ったが、ヴァルは首を縦に振らなかった。
「だから、声に術をかける」
「声?」
「声は抽象的なものだから、範囲と条件を定めてかける」
俺は、いらいらしてきた。首に巻き付けた腕で、その身体を引き寄せる。下唇から顎にかけて歯を立てる。
「なんでもいい……早くしろ」
「……ほんとうに、せっかちだなお前は」
耳元で、低い声が呆れて詰る。
「前の旅では知らなかった」
鼓膜が捉えた振動に、背骨が痺れた。膝から力が抜けそうになったが、耐える。脱ぐ暇なかったブーツのなかで、つま先を丸めて、堪える。あぶなかった。
「……うるさい」
うるさい、うるさい。お前が、知らなかっただけだ。その文句は思うだけになった。注意深く息をすることのほうが先決だった。でないと、溢れそうで。イきそうで。
俺は腕を回した首筋に、爪を立てる。触れた皮膚は熱く、薄く汗ばんでいる。
「なあいいから、早く。早く抱けよ」
とろい男を急かした。俺は剥き出しのペニスの先が、もっと張り詰めている。
壁に腕を突いて、後ろからいれさせた。食い過ぎたためにすでに苦しい腹が、さらに苦しくなる。思わず呻いたが、俺の喉は何も音を発しない。吐き出す息の塊も、静かだ。術は完璧に作用しているらしい。俺の尻に、ヴァルの堅い下腹が触れた。熱い。熱い。触れあう場所が、腹の中も、すべて。汗が混ざり合う。
「……は……ぁ……っ」
うなじが熱い。ヴァルの乱れた息に浸されているから。荒い呼吸が髪を揺らしていく。獣のようだ。興奮した男の吐息だ。いつもは俺の呼吸音と声に邪魔されるそれが、しっかり聞こえる。
「……平気か……?」
ヴァルの声が、実にクリアに鼓膜を揺らす。俺は、ああ、と応えてから、それが聞こえないことを思い出し、首を縦に振った。それを合図に、ヴァルの指先が動き始めた。
指は、緩慢だった。いつも精確に俺の「弱点」を擦り上げるくせに、妙におずおずとしている。戸惑い、困惑しながら、手探るようにたどたどしく。もどかしいそれに呼吸を整えながら、俺は「そうか」と気づいた。
いつもある、俺からの指示がない。
与えられていたヒントも、アドバイスも、今はない。俺のガイドなしで、ヴァルは俺を抱いてみなければならない。さながらテスト。試験。
俺は、首を捻って、振り返った。目が合った。ヴァルの、太い眉が下がっている。道が分からない子供のように困り果てている。
「……ルチア、……その」
目は煌々と、欲情を湛えてるというのに。獣のような呼吸を、俺に吹きかけているくせに。――俺は、じりじりと軋む、灼けて焦げる。指先が疼く。ふつふつと沸いて止めどない。憤りに似た、別のなにか。
……そんなことは、思ってやらない。お前に対して、思ってやらない。だって、それは腹が立つ。むかつくから。むかつく。
俺は、むかつく男のくちびるを吸ってやった。ヴァルは、それなら知っているというふうに、俺の舌に舌を絡める。角度を変え、上顎をねぶろうとするのを、顔を動かすことで、がぱりと外した。唾液の糸が口元に降る。くちびるにくちびるをつけたまま、俺は舌を動かして、言った。
さわれ。うごけ。がんばれ。
最後の四文字は、正しく伝わったかどうかわからない。くちを離したヴァルは、頼りなく、しかしどうにか気合いをいれるように、「うん」と頷いた。その息だ、ヴァルくん。ふふん。俺は鼻を鳴らした。壁に両手を突き直し、息を整える。ナビしてやらない。ガイドしてやらない。もうレベル1じゃない。童貞じゃなんだから。育てた成長を信じて、大人しく、男の行動を待つ。
声だけでなく、こっちも防いだほうがいいかもしれない。濡れた肉と肉がぶつかりあっている。その度に、音が鳴る。いかにも、いま事情中です、という音。いつもは俺の声がいちばんにうるさくでかいから、気に留めてなかったけど、うるさい。やっぱりけっこう、うるさいなあ、これ。ひどい効果音だ。
「はあっ……はあっ……はあ」
ヴァルくんは、恐らくこのことに気づいていない。今とっても必死だからだ。なんといっても俺の教えを、たったひとりで実行している最中なんだから。
「っ……ふ、ぅ……、はあ……、はぁっ……」
サカった男の吐息が続く。腰を俺に向けてピストンする。音を立てる。なんて、いやらしい。俺は尻を突きだす。レベル5のヴァルくんの動きに合わせ、腰を振る。だから、もっと効果音を鳴らす始末だ。
「んっ……く……、はっ……は……ッ」
よいこのヴァレリウスくんは、非常にがんばっている。俺の腰に指を食い込ませ、がくがくと揺らす。とてもじょうずに、俺を犯す。
――――あ、あっ、あっ、あっ。
俺のくちはずっと開いているが、吐息ひとつ聞こえない。しっかりと術が封じている。さすが魔術師ヴァルさまの術だ。
――――んうああああああぁぁ……!
きっと鼓膜が破れそうな、遠吠えじみた長いよがり声も、空気を震わせない。
――~~ぁ、ああっ……、あ、あ、あ!
俺は、良い気分になった。実に、爽快な。
――あ……あはっ……あっ、はっ、あ、はん。
「っ……う……、く……、はぁっ……」
あは、いい、さいこう。実に好い。爽快。ヴァルが、俺を抱く音が、吐息が、何にも邪魔されずに俺の鼓膜に届く。
―――あ、あ、イく! イく! んぁ、ああああ!
俺は、堪える暇なく、存分に叫びながら絶頂した。気持ちよかった。きもちいい。きもちいい。ああもう、たまんない。俺のオーガズムに気づかず、ヴァルは掘りこむ動きを続ける。
――あうう! あ、あ! あ! ああ! ああ!
イってる最中なのにガン掘りされて、俺は尻たぶが痙攣する。びしゃびしゃと水っぽい精液を撒き散らす。
――いく! いってる! いまイってる! あああ! それ! あああああ!
きがくるったようによがる、空気はいっこうに震えない。はは、あは。ああすごい、これは喘ぎたい放題だ。
――ふああっ! やぁ! あん! あん! あん!
発情した猫のような、はしたない俺の声は、誰の耳にもとどかない。窓の外にも。壁の向こうにも。俺をいま犯すヴァルにも。俺にも、聞こえない。あは、はは、ははは、あは。はあん。喘ぎながら、俺は笑う。良い気分だ。爽快だ。いいきぶん。
いいきぶんになった俺は、うかれた。うかれて、だから、口が緩んだ。だって、どうせきこえないから。それでも少し、注意深く、くちびるを動かした。
――ヴァル……きもちいい。
聞こえるのは、相変わらずヴァルの弾む吐息と、ばちばちというひどい効果音だけだ。俺は、安堵した。なので、続ける。
――ヴァル、あん、きもちい。そこ、それ、好い。
吐き出す。くちの動きもみえないからと、娼婦のような文句を。透明によがりまくる俺の、絶頂に気づかないヴァルが重いピストンをする。
――ぁああ! そんなに、ああっ。好い。すげえ好い。ヴァル。ひあ、あ、あ、だめ。ヴァル。あん。
合図を、決めておきたい。
声を封じる前、急かす俺を宥め押さえつけながら、ヴァルは言った。
「お前の言葉が僕にも聞こえなくなる。意思疎通が難しくなる」
そんな難しい話だろうかこれは。思ったが、ヴァルにとってはそうらしい。どこまでも真面目な男だ。
「痛みを感じたときや、中断したいときにする合図を」
仕方なく決めたそれを、忘れてはいない。
――はあっ、あん、あんん! ああっ! ヴァル!
おかしくなる。ばかになる。切れ目なく絶頂に痙攣する俺の腹の内側を、太くて固いものがずぼずぼ蹂躙し続ける。弱点。弱点弱点。ぜんぶ、よわいとこなのに。最初あんなに、自信なさそうだった、くせに。どれもこれも、かいしんのいちげき。
――んああっ、ああっううう……!
こわい。ぞくぞくキすぎる。全身が粟立つ。震えが止まらない。脚も腰もとっくに砕けてて、けど俺を貫くヴァルのペニスと、両腕が、俺をがっぷりと支えているから、崩れ落ちない。
ばつばつと肉が打ち合う。俺は、何度目かも分からないオーガズムに延々と灼かれながら、イきすぎてばかになった尿道から、だらしない射精を行う。粗相のように、脚をぬるく伝う。
――おかしく、なる。
…………痛みを感じたときや、中断したいときにする合図。人差し指だけを立てて、壁を二回、引っ掻く。
――あっ、あっ、あう、ぅ……あ、ああ!
震える指が勝手に丸まる。それだけ伸ばした人差し指が、壁に触れる。首の後ろで、ヴァルが小さく息を呑むのが聞こえた。
本能が、そうしようとしたのを、理性が止めた。だって。だって、だ。だって、それをしたら、やめるだろ。ヴァルはこれをやめるだろ。こんなに必死に、俺に向かって腰を振るのを。俺を抱くのを、止める。……せっか、く、こんな。
俺は手を、壁の前できつく握る。人差し指を、親指で押さえ込む。
だから、俺は、理性で……理性? 本能? ああ、ええと、どっち、だろう。もう、ぐちゃぐちゃだ。いまヴァルが掻き混ぜて掘りこんでるところと同じくらいぐちゃぐちゃだ。ああ、イく、イくイいく。あ、あ! イった。いま、イってる。あ、あ、イきっぱだ。ああ、ああん、きもちい、きもちいい、ヴァル、ヴァル。あ。あ。あ。も、う。
――…………す、き。
それは当然、音にならなかった。ヴァルには届かず、俺にも聞こえず。くちびるが、ただ動いただけ。ヴァルは、黙って腰を振り続ける。
俺はほっとし、わくわくと、悦び、勇んだ。だから、なので、完全に調子に乗った。
――すき。すきだ、ヴァル。
くりかえす。存分に。だってきこえないから。だれにもきこえないから。
――好き。好き。あ、あ! ヴァル! 好き! 好き! ああっ!
可笑しくて、笑う。気持ちよくて笑う。腰をくねらせる。締め付ける。またイく。もう射精もしない。
「~~ッ、ぅ……あっ!」
ヴァルが呻いた。あえぐ。あえいでる。くるしそう。きもちよさそう。俺によって、くるしくきもちよくなってる。こんなに堅くしたちんこで、俺の尻から腹を突き上げる。犯している。ヴァルが、俺を抱いてる。抱かれている、俺が、ヴァルに。
――あは、あ、あ、ヴァル、ふふ、うは、はは、あ、あ、すき。好き好き。
好きなだけ、すきを浴びせる。ずっと、俺は。お前とこうしたくて、抱いてもらいたくて。だって。――だって。
「…………き、」
ヴァルくんが必死なように、俺は夢中だった。少しも気づかなかった。
「――――――」
喉が、掠れたこと。封じられていたはずの声から、溢れたこと。
「っ……ルチア……?」
「――ヴァル。すきだ。すき。好き。あ、あっ」
音になったこと、気づかなかった。
「――――んがっ」
身体の痙攣で、起きた。目を開く。辺りは薄暗い。閉められた窓のカーテンが白い。くちのまわりがべたべたしていて、指で触れる。涎だ。腹の底から息が出た。
完全に、爆睡してた。夢すら見なかった。胃の容量いっぱいに食った後の大運動は、さすがに堪えた。全身を濁った薄い膜が張っているようだ。怠い。重い。そのくせ、すかすかだ。精も根も、というところ。――嫌な感覚ではなかった。充足感さえあった。好きなだけ泳いだ後に似ている。
「……起きたか」
低い声が響いた。ヴァルは机にいた。手元には本がある。読書。真面目かよ。
「ああ……」
俺は、一度大きく伸びをして起き上がった。素肌にシーツがくすぐったい。「水を飲むか」とヴァルが椅子から立ち上がる。水差しからコップに注がれる。気が利く。受け取って礼を言い、ひと息に飲み干した。腹の底からため息が出た。ややぬるい水は、干からびた身体にうまかった。もう一杯煽った。くちを拭って、ヴァルからの視線に気が付いた。俺を、見ている。
「……んあ、何?」
いや、と、ヴァルは視線を外した。飲んだ後のため息がじじくさいってか? それともだらしがないって? 思ったが、どちらも違ったようだ。
「喉は平気か?」
「喉?」
手のひらで擦る。痛みはないが、怠さはそこにもある。軽く咳払いをしてみたが、変わらない。まあ、聞こえないからといって、あれだけ好き勝手に発声したら疲れもする。俺は「なんともない」とだけ答えた。
「……そうか」
答えて、しかしヴァルはまだ俺を見下ろしている。デスクのランプが逆光になっている。俺の視界はまだ寝起きで濁っていて、なのでそいつの顔が、うまくみえない。
ヴァルは、妙に所在なさげにデスクの椅子に腰を戻した。開いていた本に栞を挟み、閉じる。身体は俺を向いている。
「……声にかけられた呪文を、打ち破る方法がある」
「うちやぶるほうほう?」
なんだ? 急に。わからず復唱する俺に、ヴァルは静かに頷いた。指先が、本の表紙をなぞっている。ヴァルがいつだって持ち歩く魔術書。
「ことばの、そこに込められたものの強さによっては、術は崩壊する」
こめられたもの? 理解が遅い俺に、「そうだ」とヴァルは頷く。強固で頑丈で、揺らがないもの。
そんな、抽象的なモノ。いったいなんだよ。言いかけて、ひとつ、思い当たるものが、それも、特大に強力なものがあったことに思い至った。俺は合点した。俺は、俺たちはそれを目の当たりにしてきたじゃないか。
勇者の意志。とこしえの呪いさえ、それを侵すことはできなかった。
奇跡、と呼ばれるだろうもの、謂われ語られ継がれていくだろうもの。実際は、奇跡なんかではなかった。あれは、ささやかで、穏やかで、そして誰よりも強欲な意志だった。せかいを救う……みなが涙を流さずに生きられる「今」をつくる。鈍い光りを宿した剣の切っ先。まさにそのような、鋭く眩い、思い。
「強固なそれは、術の膜を打ち破るんだ」
弾丸のように、とヴァルは言った。実に分かりやすい例えだと思った。一点を、真っ直ぐに打ち抜かれ、貫かれ、粉々に砕ける硝子。
「……まさか僕の術が破られるなんて」
「で? なんで今更その話なんだ?」
「え?」
「あ?」
声が、被った。ヴァルが何か言ったが聞こえなかった。
「何?」
「……いや」
声がこごる。まごついている。それに。
「……なんだその、ヘンな顔」
眉もくちも、ヴァルは妙に歪んだ。はじめてみた、そんな表情。なんだそれ。どんな感情?
「…………なんでもない」
それだけ言って、ヴァルは黙ってしまった。
いつもの俺であれば、このヴァルの違和感を気に留めた。そして追求したはずだ。観察し、起因するものを顕かにしようとしたはずだった。
けど、その時の――つまり今の俺は、怠く、眠く、なにより、浮かれていたんだ。うはうはだった。疲労に身を委ねきって、気の抜けた欠伸を吐き出していた。
「あぁ……ねみい」
「……眠ると良い」
「けど……腹も減ったわ」
あんなに食ったのに。あんなに動いたからだ。人間の身体というのは、本当に強欲に出来ている。際限がない。果てがない。末恐ろしい。しかし俺はだるくて、空気はぬるくて、だからなのか、すべてが、愉快。
「誰かサンが、俺がイってもイっても腰振り続けるからな」
翠の目が見開かれた。ヘンだった顔が、分かりやすく間抜けになる。
「そ……そう、だったのか?」
「そうだよ」
「……そんな……すまない、気づかなかった。苦しかっただろ」
俺は、うん、と、うーん、の間の音を、鼻から吐いて答えた。
「……我慢せずに、合図を、してくれれば……」
反省。後悔。狼狽する男に、俺は喉がくつくつ鳴った。
こういうの、なんていうんだろうな。……爽快、でもいいけど、もう少し、別の。満足。愉快。くすぐったさ。……いや。
――――すき。
「ふふ」
俺は、ひとりにやけた。
ベッド横の窓を開けた。滑り込んでくる夕闇の気温に、カーテンがゆるくたわんで翻る。春の夜闇の、とろみある匂い。空気。それを、のんきに吸い込んで吐いた。喧噪がさわさわと聞こえてくる。灯ったランプが明るい。まだ熱が残る心地のする肌に、宵風が心地良い。
「ま、最初よりはレベルアップしたんじゃないか? まだまだ低レベルだけどな」
「…………そう、か」
うん、と俺は頷いた。窓辺に凭れて、賑わう町を眺めた。昼間よりは減ったが、それでも賑わいでいる。春。春の夜だ。空気が水気を含んで、光をぼんやりとまるくする。
ヴァルが、椅子から立ち上がった。
「――夕食を、なにか買ってくる」
「なら俺のも頼むわ」
「わかった。……何が良いんだ」
明かりと、賑わいと、出店と、それらのつくる影を見下ろしながら、なにがいいかな、と思う。……なんでもいい、と思う。
「なんでもいい」
きっと、なんでも美味い気がするから。このくたくたの身体に、どれも染み渡る気がする。
窓枠に凭れる俺の後ろで、ローブが擦れる音がした。
「いってくる」
そのとき、俺が振り返っていれば、いつも平らかな湖色の瞳に、微かな揺らぎを認めたかもしれなかった。妙なかたちに歪む顔に、仄かな赤みを見たかも知れなかった。
俺は男を振り返らずに、「おう。きをつけろよ」とだけ投げた。そいつが丹念に掘りこんだから、まだ形が戻りきらない腹の内に、気を取られていたから。
ドアの開閉音がして、足音は出て行った。めずらしく、急いでいたふうだと思った。腹が空いているんだろうか。そりゃあ、あんだけ動いて射精したら、さすがのヴァルもそうなるか。それなら先に食ってればよかったのに……。
……思考が全て、欠伸になって溶けていく。
目に勝手に浮いた涙によって滲みながら、宿からヴァルが飛び出していく。右を見、左を見て、また右を向いた。どちらに向かおうかあぐねている。その様に……俺は笑った。そして機嫌がいいので、思ってやった。かわいい、と。
「――――ヴァル!」
俺は上半身を乗り出して、そいつを呼んだ。封じられていない声は、届く。ヴァルは振り返り、宿の二階の窓を見上げた。その目が真っ直ぐ、俺を捉えた。
「やっぱ、肉!」
ヴァルははじめ無反応だったが、はっとして、腕を上げた。わかった、の合図だ。
「あは。……ふふっ」
ひとりで笑いながら俺は、ヴァルの言っていたことを思い出した。平和とねむたいは似ているのかもしれない。……それは、ほんとうのことかもしれないなと、思う。
ヴァルはぐるりと通りの方に身体を向け、歩いて行った。そいつ特有の大股で、のしのしと。長い襟足が夜の色に紛れ、ランプの色に照っていく。それに目をこらしながら俺は、くちずさんだ。きょう、もう何度目かわからないそれを、声には出さずに。そうして揺らめく黒いローブが、人波に紛れて見えなくなるまで、眺めていた。
春。一斉に咲いた花の、のびのびうかれた歓びがにおいたつ。
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