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6話 ふりつむ雪こんこんと

 窓の外は吹雪だ。湿度の低い細かな雪粒が、硝子に張り付き覆う。煽られてしなる枝葉がそこに打ち付けられ、白を剥ぎ取っていく。その繰り返しだ。  ――あんたたち、運が良いんだか、悪いんだか。  花の街を出て、北上していた最中だった。この季節、この地域では、春先に思い出したように大雪が降る。  春が来る合図さ、と、宿の女主人は笑って言った。  ――この雪が溶けると、一斉に芽吹くんだよ。まるで、朝、冷たい水で顔を洗うようさね。それで、みんな残らずしゃっきり起きるのさ。  春告雪、というものらしい。――そんなほんの数日間の大雪の時期に、僕たちはやってきてしまった。  吹雪いている。こんこんと静かに降るのではなく、激しく吹きすさぶ。屋根も窓も、時々軋む。造りは頑丈だから安心しな、と女主人は笑った。なんといっても、毎年この吹雪を凌いできた歴戦の宿なのだ。  こんな天気だから、外に出ることもない。僕たちはひたすら宿にいた。  部屋には本棚があったので、僕は退屈することはなかった。小説、詩、旅行記、レシピ。魔術書も少し。このあたりの地理と文化をまとめたものが面白かった。  一階は定食屋兼酒場で、ルチアは酒を飲みながら他の客たちと話をしていた。出される食事は、どれも美味しい。せっかく来たのにどこにも出られない僕らのために、腕によりをかけてくれた。吹雪のなか、こんなにも温かく美味しいものを摂れることは、まったくの幸福だ、と思える食事だった。  ルチアの車は宿の納屋に避難させてもらっている。吹雪のなか、僕たちも車もじっと引き籠もっていた。急ぐ旅でもないから、焦ることもない。衣食住が十全に守られた空間で、僕たちは実に平和な暇を享受した。  ……じっとは、していないか。  先程までルチアと行っていた行為についてだ。じっとはしていなかった。むしろ、真逆ではないだろうか。激しい運動、といっても過言ではないのだ。  外はぼうぼうと五月蝿く、魔術の効きも申し分ない。ベッドは頑丈で、念のために強化魔術もかけたから、軋んでも壊れない。そのフレームとスプリングの上で、僕たちは暴れた。外は凍てついているのに、裸で。全身を汗みずくにしてまで。  窓を眺める。窓枠には補強板が施され、隙間もない。それは熱を逃がさないし、展開した術を洩らさない。硝子は、むこう側は雪で、こちら側は結露でびしょびしょだ。飽和した水滴がひとすじ細く流れる。僕たちの立てた音も声も、なにひとつ洩れ出ていない証だと思った。……さっきまでの自分たちのようだとも。  辺りはぼんやりと白い、雪がすべてを反射するからだ。きょうは午前中から、僕たちは行為に至った。他にすることもないからだ。  隣で眠るひとを見る。ルチアは、深く眠っている。薄いレースのような日差しが、髪も頬も、肌もシーツも、淡く包む。少し前まで赤々と火照っていた頬は、いまは白い。剥き出しの肩が、ゆっくりと上下する。  眠る彼をみたのは、この旅をはじめて、そして、彼とこういった行為をするようになってからだ。  彼はいつだって僕より遅寝で早起きだった。眠りがあまり必要のないひとなのだと思っていた。少なくとも、僕のようには長く眠らない。いつも焚き火の番も見張り役もこなしていたし、よって敵襲にいち早く気づき、応戦し、撃退した。彼のそれらの活躍を、僕はいつも朝になってから聞いた。夜、僕は深く長く眠ってしまうから。仮眠する姿は見たことがあったが、横になって熟睡する姿を僕は知らないでいた。  そのルチアが眠っている。僕の隣でこんこんと。  行為のあと、ルチアは深く眠る。手足を投げだし、少しの物音にも目を覚まさない。起きても、忌々しげに唸っては、瞼がすぐに閉じる。手足が僕に巻き付く。絡んで離れない。それらは今、僕にとっては珍しくもなんともない。いっしょくたになった体温も。触れる吐息も。すう、と静かにすいこむ。ふう、とゆっくり吐き出す。  ……窓を打つ枝や雪より、そのひそやかな寝息ばかり耳は拾う。  額のうえで乱れた前髪を見る。汗を吸い込んで束になっている。僕の背中に回った腕は思いのほか力強い。先程まで行っていたもののことを思う。 「…………」  性行為を、僕は彼に教えられるまま彼に行った。  いちばんはじめ、いま思ってもむごたらしかったそれからすれば、ルチア曰く、「レベルアップ」したようだった。喜ばしいことだと思う。事実、彼が受ける苦痛は減ってきたように見える。背と首を仰け反らせる彼には、高揚の色があった。上がる声は、単なる呻きや唸りでないことを知った。僕を褒める彼は愉しげだ。瞳が爛々として僕を映した。  ――そうだ。じょうずじゃないか、ヴァル。  褒められて、嫌な気持ちになることはない。なので僕は覚えた。彼の教える彼の身体を。彼が悦ぶことを。  そうだ。そう。彼が悦ぶならいいと思っていたんだ。  僕は、内側から発作が湧き上がる。堪えきれずに、排出される。ルチアは内部まで震わせながら、僕自身、よくわかっていないそれを、受け入れる。僕の張り詰めた性器と、そこから押し出されるもの。出せ、という。低く苛立ったような声で。  ――そのまま、なかに、奥に、だせよ、いいから出せよ、ヴァル。   いま、僕にしがみつきながら眠るルチアの、その身体のなかには、僕から分泌された一部がある(この後、洗浄するつもりでいる。彼はどうしてか嫌がるが、身体を思えば当然の行為だ。)人間が生み出す、生殖のための分泌液。精液。  どうして、この人は僕なのだろう。どうして、そこまで? 「…………ぅ……ん」  触れる身体が、みじろいだ。短く唸って、僕の鎖骨に額を押し付ける。彼の細くすべらかな髪がくすぐったい。再び穏やかな呼吸に戻る。ぐっすりと眠る。  実際、疲労は相当だろうと思う。呼吸は荒く、滝のように発汗し、全身の筋肉を強張らせる。魔物を討伐するときよりも、彼はへとへとになる。……両者はまったく異なるものだけれども。  彼はいつだって冷静で、敵と己の体力の残量を正しく見極め、狙いを定めた。旅を続けるためだ。安全を確保するには、体力が切れてはいけない。動けなくなることが最も恐ろしい。  いまの彼は、抑制しない。体力を0にする。すべてを出し惜しまずに、行う。彼が尊ぶ冷静さもなげうっている。瞳には、僕だけを映している。まるで、僕のために彼を使う。あますところもなく。こんなにも眠るほどに。 「…………」  わからない、と彼は言った。困惑しきった表情で、顔を伏せて、弱々しい声で。  それで、本当にわからないのだ、と思った。本人がわからないことを、他人である僕がわかるはずがなかった。わからないなら、しかたがない。そういうものであるなら、そうであると認めるしかない。  好き、という感情。  僕は、彼女に向けていたものを思った。「好意」だった。そう分類し、そう表現せざるをえないものだった。僕は彼女を好いていた。好きだった。  それは、あの朗らかで優しい、花が咲くような明るさ。彼女の纏う、春の日差しに似た空気。それでいて、真っ先に魔物に飛び込んでいく勇猛さ。体力作りに関して妥協がないところ。照れると下がる眉。自分にも周囲にも、真っ直ぐで誠実なところ……。  僕は満足だった。この気持ちを伝えたいわけでも、結ばれたいわけでもなかったように思う。……思う、というのは、想像したこともなかったからだ。彼女が僕に同じものを向けること。思い合うこと。俗にいう、「恋人同士」になるということ。その先のことも。……それらが現実になることはないと、分かっていた。  第一、彼女の心は勇者に向いていた。僕が彼らに出会ってからずっとだ。彼女の視線は、いつだって勇者を映していた。その曇りのなさを、明るさを、僕は好いていたんだ。……それでも、僕は彼女を好いていた。思いを寄せていた。  誰かを好くということ。  ルチアは、わからないと言う。困り切っていた彼に、僕だってわからないでいた、と思った。彼女に向く僕の感情をはかりかねた。それが「そういうもの」であることに気づくまで、僕なりに随分かかった。  恋、と名前がつくもの。  本当にどうしようもないものなのだ。どんな呪いより、厄介だ。彼女が勇者を好いていると知りながら、僕の心が彼女に向かい続けたように。だから。否定はしたくないと思った。彼の、ルチアの気持ちを。僕が好きだという、ルチアのこころを。 「…………」  いま、僕とルチアは触れあって、体温までまざりあっている。俯けば、彼の筋張った首筋と、浮き出る鎖骨が見える。鼻先に、彼の匂いが触れていた。彼が好んでつけている香水(小さな小瓶で、銀色の蓋、磨りガラスのからだを持つ)の、颯爽とした香り。そこに、好む煙草が混ざり、彼の薄い体臭と汗に浸みだして、火照った肌の上で香り立つ。清涼として、すこし煙たい。苦くて、それから、ほのかに甘い。僕とは異なるものの匂い。呼吸するたびに、鼻腔を満たす。  嫌ではなかった。彼に触れることも、触れられることも。肉体が混ざり合うような行いにも。繰り返しても、やはり、嫌悪はなかった。  快楽という、畏ろしい波のなかで、彼は僕の手を引く。軽々と。そして打ち寄せる満ち潮のなかを、泳いで、味わってみせる。僕にひとつひとつを教えながら、僕に明け渡す。言葉はすこしも素直でない彼の、その身体には嘘はひとつもない。前後不覚に、錐揉みのような白い濁流のなかで、ルチアは僕のすべてを肯定する。 『――ヴァル。すきだ』  彼の甘い声は、僕に告げた。僕の術を打ち破り、自由になった声と言葉。 『――ヴァル。すきだ。すき。好き』  わからない。わからないんだ。わからない。  ……いや、わかりすぎてる。思い知っている。  近頃の僕は、なまけている。その自覚は大いにあった。けど、術の練度は落ちていない。落としていない。僕は僕の扱う術に、自負がある。これまでの積み重ねであり、経験で、「レベル」。簡単には破られない。  あの時、ルチアの声に僕の術は、間違いなく掛かっていた。手応えを感じた。――だからあの時、術が砕かれルチアの声が漏れたこと。それは僕の問題ではないことを、僕は知っている。  目の当たりにした。僕の術を彼が打ち破るのを。……それがどういうことなのか、きっと彼は知らない。魔王でさえ解けなかった僕の術を。  畏ろしいと、思った。畏ろしい。それから……。 「――――」  あれ以来、ルチアからその言葉を聞いていない。……だというのに、いつまでも鮮明だ。真っ直ぐに僕に向かう、瞳と、声と。その言葉。 『ヴァル。すきだ』  しらない。  彼は、ルチアはこんこんと眠っている。僕が彼を見つめると、「なんだよ、何見てんだ」と言い、行為中には官能的に笑う。なのにいまは、僕のまなざしに気づかず、瞼で瞳を隠したまま、無反応に眠る。 「......」  その瞼が下りていることが、おもしろくない。はやく、開いて欲しい。開かれなくていい。伏せられた睫に静かに触れたい。……どちらも、僕は思っている。矛盾するどちらのことも、僕は知らない。僕に巻き付く裸の腕を、ひきはがしてしまいたい。そのままにしておきたい。まるで知らない。どちらも自分のなかに湧いた欲だとは思えない。――欲?  僕が知る、どの感情とも違う。彼女に向けていたものと異なっている。そのことははっきりと理解できる。なんなんだろう。この、皮膚の下を、心臓の内側を、這い回るような落ち着かなさは。風の強い日みたいだ。木々がざわめいて、みなもが揺らぐ。――それよりも、もっと激しい。まるで吹雪。ふきあれる嵐。降り積もる。うねる。窓を激しく叩く。僕は目を開けていられなくて、細める。喉が不意に詰まるよう。呼吸が浅くなる。彼の首筋で、息を吸い込み、吐く。  僕は、つまるところ困っている。  例えば。僕は魚が好きだ。けど彼は肉が好きで、パスタとグラタンがメニューにあったとしたら、迷わずパスタを選ぶ(僕は断然グラタンを選ぶのに)。ジャムはマーマレードかりんごジャム。紅茶は、僕は少しも判別できないが、ダージリンが好きで。ハーブはミントやレモングラス、ラベンダーなど。  ……そんなことばかり、覚えている。  詠唱呪文ではないのに、僕の頭は意欲的にそれらの情報を頭に残す。それは彼との旅が楽しいからだと思った。好ましい経験は、より記憶に残りやすいから。  ルチアは大事な仲間だ。頼りになる仲間。口が悪いけど、でも情に熱くて、良い奴なんだ。そう思ってた。そう思ってる。今も。  その彼の身体を僕は知っている。どこを触られるのが好いのか、どこが弱いのか。僕はひとつひとつ、それらを実行できるし、した。ついさっきも。耽った甘い声を上げた。快感を受けている証拠だ。僕を褒めた。 (魚のなかではサーモンが特に好物であったこと。グラタンが好きなこと。紅茶はミルクを混ぜるのが美味しいと感じること。ライラックの香りが好ましく思えること。春の賑わいを嬉しく捉えること。湯を注いだしゅんかん、硝子ポットのなかのミントの鮮やかなみどり。みかんジャム)  ……それらは僕が知らなかった自分だ。僕が知らなかった僕を、最近の僕は知る。ルチアの「弱点」を知るように、ひとつずつ。 「――――」  出かかった息を飲み込む。さっきから、自分の思考が散らかっているのを感じる。まとまりというものがちっともない。まるで背表紙が割れた魔術書だ。呪文が散り散りになって、いったいどれから唱えたらいいかわからない。その効能さえわからない。  僕は狼狽える。 「……」  ――そんなのわからない。俺だって知らない。知らない。分からない。教えて欲しいくらいだ。  ルチアが言った言葉だ。このひとも、こんな気持ちなのだろうか。こんなにも確かで不確かなものに、胸のあたりを圧迫されているんだろうか。でも、同じかどうかもわからない。違うかもしれない。それさえ、不明瞭。  だってはじめてだ、こんなことは。あんなにまっすぐな言葉も、感情も。自分に、自分だけに向けられること。僕の術を、破るほどの。 『ヴァル。すきだ』  なのに、彼は再びそれを発さない。それどころか、意地悪なことばかり言う。視線ばかり熱を帯びて。こんなふうに、僕を掴んで離さないのに。  窓が軋んだ。なぶられた枝が暴れて硝子を叩く。ぼうぼうと音が響く。吹雪は続いている。ピークは今夜までで、明日は晴れるらしい。ひとつぶひとつぶは小さく軽いというのに、降り積もればあっというまに世界を覆う。 (ルチアの感情を、僕は知っている。けど、それは知った気になっていただけかもしれない。僕が見ていたのはただの表面であり、すべてではなかった、と。彼のすべてではなかったと。それはこんなにも……)  その雪のつくる白につつまれながらルチアは眠る。僕を抱きしめたまま。  はやく起きればいい。そしてその言葉を、また僕に浴びせればいい。そんなに僕のことを思っているなら。こんなにも混乱と痛みを僕に与えるのだから。  思うのに、僕は彼の髪を撫でている。ただじっと、彼の呼吸をを数えるように聞いている。剥き出しの白い肩。新雪の煌めきを見入るの似ている。木漏れ日の揺らめき。みなものさざなみ。それを目に浸したまま、小さく息を飲み、深く細く吐き出す。目が離せない。  わからない。むずがゆい。  僕は目を閉じる。きつくつむったせいで、瞼の内側に光の模様が浮かぶ。寝息がより明瞭に聞こえる。触れあった肌と体温を感じる。はやくおきればいい。まだおきなくていい。  まったくもってしようがなくなった僕は、目の前の形のよい肩に、くちびるを押し付けた。

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