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第2話 仕事の相性がよすぎる男とは、身体まで合いすぎる
客室のデスクに置いたノートPCの画面には、二人で打ち込んだ仮タイトルが残っていた。
松川温泉街OS。
高柳は、画面を閉じたばかりのPCを見下ろした。
隣には神合のタブレットがある。北辰商事のスライドと、高柳の提案書を写した資料が並び、さっきまで二人は肩が触れる距離で画面を覗き込んでいた。
部屋の灯りは落としていない。
けれど、PCの画面が消えたぶん、神合の顔がよく見えた。
緩んだネクタイ。
少し開いた襟元。
涼しい目の奥に残る、議論の熱。
仕事の話は、一区切りついた。
少なくとも、資料の上では。
高柳は神合のネクタイに指をかけたまま、低く言った。
「この勝負、仕事だけじゃ済まなくなってきた」
神合は逃げなかった。
むしろ、高柳の袖をつかむ指に少しだけ力を込めた。
「済ませる気があるなら、同じ部屋になった時点で帰ってるよ」
「帰る部屋、あったのか」
「なくても作る。僕はそういう男だよ」
「それでも残った」
「君がいたからね」
高柳の指が止まった。
神合は、さらりと言った。
けれど、目だけは逸らさない。
この男は、言葉で相手の足元を崩すのがうまい。
高柳はネクタイの結び目を引いた。
するりと布が緩む。
神合の喉が動いた。
「……乱暴だね」
「固すぎる」
「ネクタイが?」
「お前が」
神合は小さく笑った。
「君に言われると、かなり腹が立つね」
「その顔、前から見てみたかった」
「どの顔?」
「余裕ぶってるくせに、内側で反応してる顔」
神合の笑みが、ほんの少しだけ揺れた。
高柳はそれを見逃さなかった。
前に壇上で見た時から、気になっていた。
綺麗な資料を出し、涼しい声で場を制し、質疑を自分の流れに変える男。
高柳の荒い言葉を、面白そうに受け止めた男。
あの余裕が崩れたらどうなるのか。
ずっと、見たかった。
「高柳」
「何だ」
「君、今かなり仕事の顔じゃないよ」
「お前もだろ」
「僕はいつも通りだよ」
「嘘つけ。さっきから返事が遅い」
神合は一拍黙った。
そして、笑った。
「よく見てるね」
「仕事で相手の反応を見るのは基本だ」
「じゃあ、今は仕事?」
「最初はな」
神合の目が細くなる。
高柳は、その顔を近くで見た。
デスクのすぐ横。
ベッドは数歩先。
ソファは窓際。
ベッド争奪戦のはずだった。
だが、神合はもうソファの方を見ていない。
高柳も見ていない。
「神合」
「何?」
「ベッドで検証するんだったな」
「君が、検証で済ませる気はないと言った」
「覚えてるなら早い」
「早いのは好きだよ。君の判断も、手もね」
高柳は低く笑った。
「煽るな」
「煽ってるんだよ。君がどう来るか見たいから」
「お前、本当に受け身で済ませる気がないな」
「済ませたら、君が退屈するだろ」
「退屈はしねえ」
「じゃあ、もっと面白くする」
神合はそう言って、高柳のネクタイを引いた。
仕事用の結び目が、あっさり崩れる。
引かれるままに、高柳は神合へ近づいた。
唇が触れる直前、神合が笑う。
「近いね」
「資料が小さかったからな」
「まだその言い訳を使うの?」
「使えるものは使う」
「君らしい」
高柳は、神合の言葉ごと唇を奪った。
最初のキスは、噛み合うようだった。
甘く確かめるより先に、互いの出方を読む。高柳が踏み込むと、神合はすぐに応えた。肩へ手をかけ、距離を取るどころか自分から近づいてくる。
高柳は神合の腰を抱いた。
細い。
けれど、弱くはない。
神合は高柳の腕の中で、ただ受け止められるだけの男ではなかった。呼吸を合わせ、指を立て、こちらの熱を試すように押し返してくる。
高柳は唇を離した。
「お前、本当に面白いな」
神合は少し息を乱しながら笑った。
「それ、僕の台詞なんだけど」
「譲る気はねえ」
「じゃあ、奪い合いだね」
神合の指が、高柳のシャツの襟元にかかった。
ボタンが一つ外れる。
高柳はその手首を押さえた。
「積極的だな」
「君が止めない男だと分かったからね」
「止めてほしいのか」
「止めたら、君を引き戻すよ」
高柳の喉の奥で、笑いが漏れた。
「いいな。そうやって来るところが、かなりいい」
「高柳」
「何だ」
「褒めるなら、手も動かしてよ」
その言葉で、高柳は神合を抱き寄せた。
デスクの椅子が小さく鳴る。タブレットが座卓の方へ滑りそうになり、神合が片手で押さえた。
「資料を守る余裕はあるんだな」
「明日の本番資料だからね」
「じゃあ、そっちは無事でいい」
「そっちは?」
「お前は知らねえ」
神合が笑おうとした。
その口を、高柳がまた塞いだ。
今度のキスは、さっきより深かった。
ビールの苦み。
地酒の香り。
近すぎる呼吸。
神合が息を逃がし、高柳の胸元をつかむ。高柳はそのまま神合を立たせ、ベッドの方へ歩かせた。
神合は足を止めない。
ベッドの端に膝が触れたところで、逆に高柳のシャツを引いた。
高柳が覆いかぶさるように近づく。
神合は下から見上げてくる。
余裕の笑み。
挑発する目。
少し乱れた息。
高柳は、胸の奥がぞくりとした。
仕事と同じだ。
この男は、こちらの提案を受け止めるだけでは終わらない。足りないところへ入り込み、煽り、もっと先へ引っ張ってくる。
ベッドでも同じことをしてくる。
腹が立つ。
それ以上に、熱い。
「高柳」
「何だ」
「僕を退屈させないでよ」
「お前こそ、途中で大人しくなるなよ」
「それは君次第だね」
「言ったな」
高柳は神合をベッドへ押し倒した。
スプリングが軽く沈む。
神合は笑っていた。だが、高柳の手がシャツの上から身体の線をたどると、その笑いが息に変わる。
「……っ」
「余裕があるふりをしてるけど、さっきより返事が遅いぞ」
「君の手つきが、思ったよりずるいんだよ」
「ずるいのは、お前の方だろ。煽るだけ煽って、その顔をする」
「何、その言い方。僕がもう崩れかけてるみたいじゃないか」
「違うのか」
「……違わないから、腹が立つんだよ」
神合が高柳の首へ腕を回した。
キスは神合からだった。
高柳はその積極性を受け止め、さらに深く返した。神合は一度息を逃がし、それでも離れず、高柳の背に指を立てる。
服が乱れていく。
ネクタイがベッドの端へ落ちる。
ジャケットは椅子にかかったまま。
シャツのボタンが外れ、肌に夜の空気が触れる。
高柳が少し体を離すと、神合はすぐにその距離を詰めた。
自分から膝を寄せ、腰を浮かせ、高柳の身体を引き戻す。
「離れるのが早いんじゃない?」
「お前、さっきから遠慮がねえな」
「遠慮してほしいの?」
「するな。そんな顔で引かれた方が困る」
「じゃあ、ちゃんと応えてよ」
神合の声は、まだ余裕を残していた。
だが、その手は正直だった。
高柳の肩に回り、背中に滑り、逃がさないように引き寄せる。高柳が少し深く踏み込むたびに、神合の指が強くなる。
高柳は神合の膝の間へ入った。
神合の呼吸が跳ねた。
「あっ……♡」
短い声。
高柳は、それだけで煽られた。
「いい声出すじゃねえか」
「君が、出させてるんだろ……っ」
「まだ言い返せるなら、余裕だな」
「余裕……ある、よ」
「嘘つけ」
高柳は、神合の身体をベッドの中央へ押し戻した。
神合は抵抗しない。むしろ、片足を絡めるようにして高柳を逃がさない。
その動きに、高柳の息も一瞬乱れた。
神合は見逃さなかった。
「今、君の方が反応した」
「お前が、こっちへ来るからだ」
「受け止めるだけじゃつまらないだろ」
「そういうところが、かなりいい」
高柳は神合の手を一度ベッドへ押さえた。
神合は笑った。
押さえられているのに、負けた顔をしていない。高柳を見上げて、むしろ誘うように息を吐く。
「押さえたくらいで、僕が大人しくなると思ってる?」
「大人しくされたら困る」
「じゃあ、何のために押さえたの」
「お前が、どこまで煽り返してくるか見たかった」
「高柳、君もだいぶ性格が悪いね」
「お前に言われたくねえ」
高柳がさらに深く身体を近づけると、神合の笑みが途切れた。
「あっ……♡」
今度の声は、さっきより甘かった。
神合はすぐに唇を噛んだ。だが、高柳はその変化を見ている。
仕事で相手の反応を読むように、神合の息、肩の揺れ、指の力を読む。
神合も、それを分かっていた。
読まれている。
それなのに、嫌ではない。
むしろ、ぞくぞくする。
高柳は乱暴に見える。だが、こちらを見ている。神合が煽れば、熱く返す。神合がわずかに息を詰めれば、その瞬間を逃さない。
まるで、議論の続きだった。
こちらが出した一手に、すぐ次の手を置いてくる。
こちらが逃げ道を作る前に、欲しい場所へ踏み込んでくる。
高柳の熱が、さらに近づく。
ホテルのベッド。
空調の低い音。
座卓に置かれたままのタブレット。
その全部が、今の二人らしかった。
高柳は、神合と深く繋がった。
神合の背が、びくりとしなった。
「あっ♡」
声が跳ねる。
神合の指が、高柳の背へ食い込む。逃げるための手ではなかった。もっと近くへ引き込むための手だった。
高柳は息を詰めた。
まずい。
合う。
想定より、ずっと合う。
神合も、同じことを思っていた。
仕事で噛み合う相手だとは分かっていた。
けれど、身体の呼吸までこうなるとは思っていなかった。
高柳が腰を引き寄せるたび、神合の身体がベッドの上で揺れる。深く届くたびに、言葉が短くなる。擦れる熱に、神合の理屈が少しずつ削られていく。
「神合」
「何……っ」
「さっきまでの余裕はどこへ行った」
「まだ、ある……っ」
「じゃあ、見せろよ」
神合は一瞬だけ笑った。
それから、自分から高柳の首を引き寄せた。
キスをする。
乱れたキスだった。神合の呼吸が混ざる。余裕を装うには近すぎる距離で、神合はそれでも高柳を求め返した。
高柳が突き上げるたび、神合の声が途切れる。
「あっ♡」
「神合」
「ん……っ、待っ……」
「待てねえな。お前が、そんなふうに来るからだ」
「仕方、ないだろ……君とだと、調子が……っ♡」
そこで神合は言葉を切った。
言いすぎるところだった。
明日はコンペ本番だ。
二人はライバルだ。
会社も違う。
神合は、そう自分に言い聞かせようとした。
だが、高柳が奥へ届くたび、その考えがほどけていく。
高柳も同じだった。
神合の声、手、息、求め返す強さ。どれも想定を超えてくる。
ただ抱くだけの相手ではない。
抱き返してくる。
こちらを試し、煽り、追い込んでくる。
そして、そのくせ、崩れる時の声が妙に甘い。
「お前、本当に面白いな」
「それ、何度目……っ」
「何度でも言う。面白いもんは面白い」
「君のそういうところ……ほんと、腹が立つ……っ♡」
高柳が動くたび、神合の言葉は削られていった。
最初はまだ、理屈で返そうとしていた。
君の手つきがずるい。
君の判断が早すぎる。
君は僕を読んでくる。
けれど、熱が深くなるほど、言葉は短くなった。
「あっ♡」
「待っ……」
「高柳……っ」
「むり……っ」
「だめ、そこ……っ♡」
高柳も、余裕ではいられなかった。
神合が声を漏らすたび、神合が自分から腰を寄せるたび、高柳の中で何かが削られていく。
まずい。
これは、ただの一夜の相手として処理できる熱ではない。
仕事でも、夜でも、こちらの先を読んでくる。
こちらを煽り、こちらを受け止め、こちらを本気にさせる。
こんな男、そうはいない。
「神合」
「なに……っ」
「もう余裕ねえだろ」
「君も……ない、だろ……っ♡」
「あると思うか」
「ない、なら……もっと……っ」
その言葉に、高柳の理性が一段、音を立てて外れた。
神合は自分で言っておきながら、次の瞬間には声を飲み込めなくなった。
「あっ♡ 高柳……っ」
高柳は神合を抱き込むようにして、さらに深く突き上げた。
ベッドが小さく軋む。
神合の指が、高柳の背へ食い込む。
逃げるためではない。
もっと近くに引き留めるための手だった。
神合の呼吸がばらばらになる。
高柳の声も低く乱れる。
「煽るな」
「煽って、ない……っ♡」
「嘘つけ」
「ほんと、に……っ、もう……」
そこで神合は言葉をなくした。
余裕の笑みも、講義めいた分析も、相手を試す目も、全部がほどけていく。
「あっ♡」
「むり……っ」
「高柳……っ」
「もう、だめ……っ♡」
高柳は、その声を聞きながら、神合を強く抱きしめた。
限界が近づく。
神合の身体が震える。
高柳も呼吸を乱す。
二人の熱が重なり、最後の一線を越える直前、神合が高柳の名前を呼んだ。
「高柳……っ♡」
それだけだった。
理屈も、煽りも、勝ち負けもなかった。
高柳は神合を抱いたまま、深く息を吐いた。
****
しばらく、二人はベッドの上で動かなかった。
空調の音が戻ってくる。
窓の外には、松川温泉街の灯りが静かに揺れている。
神合は、高柳の腕の中で息を整えていた。
高柳も黙っていた。
デスクには、閉じたPCとタブレット。
画面の中には、さっきまで二人で作っていた仮タイトルが残っている。
松川温泉街OS。
仕事で噛み合った熱が、身体にまで来た。
その事実だけが、妙に鮮明だった。
神合が小さく息を吐いた。
「……高柳」
「何だ」
「君、仕事の時より遠慮がなかった」
「お前が煽るからだ」
「君が乗るからだよ」
「またやってもいいぜ」
神合は一拍置いて、笑った。
「それは、こっちの台詞だよ」
言ったあと、二人は同時に少し黙った。
気まずさではない。
なかったことにするつもりが、どちらにもない沈黙だった。
高柳は神合の髪に触れた。
「寝るぞ。明日、本番だ」
「その判断は正しいね」
「お前、今から資料を開く気だったろ」
「少しだけ」
「寝ろ」
「命令?」
「提案だ」
神合は笑った。
「採用」
高柳はベッドサイドの灯りを落とした。
部屋が暗くなる。
窓の外の灯りだけが、薄く残る。
神合が、高柳の腕の中で少しだけ身じろぎした。
「高柳
「何だ」
「ソファ、空いてるよ」
「今さら行くか」
「だよね」
神合は満足そうに目を閉じた。
高柳は、その横顔を見てから、短い眠りに落ちた。
****
眠ったのは、ほんの数時間だった。
カーテンの隙間から朝の光が差し込む頃、高柳は先に目を覚ました。
空調の音が、昨夜よりはっきり聞こえる。
窓の外では、松川温泉街がまだ静かに朝を迎えている。
神合は隣で眠っていた。
乱れていた髪は少し落ち着き、顔にはいつもの涼しさが戻りかけている。それでも、高柳は知ってしまった。
この顔が、どんなふうに崩れるかを。
高柳が起き上がると、神合も目を開けた。
「……早いね」
「本番だ」
「切り替えが早いな」
「お前も起きろ」
「君、寝起きから仕事の声だね」
「昨日の続きを持ち込むと、またベッドから出られねえ」
神合は、布団の中で小さく笑った。
「それはそれで、かなり魅力的だけど」
「本番を飛ばすほど馬鹿じゃねえ」
「そこは安心したよ」
神合は起き上がり、眼鏡をかけた。
その動きだけで、いつもの神合へ戻っていく。
だが、高柳は知っている。
その眼鏡の奥で、昨夜の熱がまだ消えていないことを。
高柳はシャツを羽織った。
「ところで、本番だが」
神合は髪をかき上げた。
「本当に切り替えが早いな。だけど、その判断の速さは嫌いじゃない」
「お前の質疑想定、もう一度見せろ」
「僕も君の現場側の数字は見ない。ただ、想定問答の順番は直した方がいい」
「言うと思った」
「君が詰まる場所は、だいたい分かった」
「勝手に決めるな」
「さっき、君の呼吸はだいぶ読んだからね」
高柳はシャツのボタンを留める手を止めた。
神合は、涼しい顔でタブレットを開いている。
さっきの声が嘘のように、いつもの神合だった。
いや、嘘ではない。
高柳は知ってしまった。
この涼しい顔の奥で、神合がどんなふうに熱を持つかを。
そして、神合も高柳を見ていた。
スーツを着直す手。
袖をまくる癖。
首元に残るわずかな熱。
神合はタブレットを手に取った。
「高柳」
「何だ」
「今日、君が現場の話に寄りすぎたら、僕が戻す」
「お前が仕組みへ飛びすぎたら、俺が地面へ落とす」
「いいね。昨日より勝てそうだ」
「俺たちは別会社だぞ」
「分かってるよ」
神合は笑った。
「でも、松川に必要な答えは、もう見えてる」
高柳はネクタイを締め直した。
神合がほどいたネクタイだ。
指先に、その感触が残っている気がした。
「勝つぞ」
「どっちが?」
「松川がだ」
神合は少し驚いたように目を開き、それから楽しそうに笑った。
「面白い。君がそう言うなら、僕も乗るよ」
「乗るのは得意だろ」
「朝から混ぜるのは、かなり性格が悪いよ」
「効いてるだろ」
「かなりね」
二人は、それぞれの資料を持った。
高柳のPC。
神合のタブレット。
提出済みの正式資料。
そして、二人だけが知っている仮タイトル。
松川温泉街OS。
高柳は部屋の扉を開けた。
「行くぞ、神合」
「もちろん、高柳」
二人はライバルとして、松川グランドホテルの廊下へ出た。
廊下の先には、コンペ会場へ向かう朝の光が差していた。
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