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第10話

それから二日後、閉院後に建物を出ると光輝が待ち受けていた。 「何だ、お前。良く飽きもせずにここに来るな」 「聞きたいことがあるんだ」 「何だよ。言ってみろ」 光輝はバッグの中から雑誌を取り出し、柴田の前に突き出した。 ご丁寧に、付箋まで張り用意していたようだ。 「これ、本当なのか?アンタが、結婚してるって……」 光輝が突き出した雑誌は、柴田のことが取り上げられているものだった。 そういえば、光輝は柴田が既婚者であることをまだ知らないのだ。 「そうだ。俺には妻がいる」 「……そうだったのかよ……」 暗がりだが、光輝の顔が酷く落ち込んだことは分かった。 「ここじゃ人通りがあるから、ちょっと場所を変えよう」 「うん……」 柴田は、光輝を近くにカフェへと連れていった。 向かい合わせに着席すると、光輝の腹が鳴った。 「腹減ってるのか?もう八時だもんな」 「……うん、まぁ」 「分かったよ。ちょっと待ってて」 そう告げると柴田は席を立ち、カウンターに注文しに行った。 数分後、二人分のコーヒーを手にして光輝の元に戻った。 彼の前にコーヒーを置くと、「ありがとう」と言って手を伸ばす。 「それで……龍二さん、いつ結婚したの?」 「三年ほど前だ」 「へぇ……会長の娘だとか……」 光輝は淡々と言っているが、少々嫉妬が透けて見えた。 それには柴田も気付く。 「まぁ、な。凄く美人だよ。女優みたいにな」 「そ、そうかよ……」 「でも、仮面夫婦だよ。向こうも好きにやってるからな」   そう言ったところで、二人分のパスタが運ばれてきた。 「お待たせいたしました。ペペロンチーノとトマトクリームパスタです」   大好きなトマトクリームパスタを目の前にして、腹を空かせた光輝は目を輝かせる。 やはり、昔と変わっていない。 「俺が好きなの、覚えていてくれたのか?」 「まぁな。いつも飯っていうとそれ頼んでたからな」 「あ、ありがとう……俺、アンタが好きなんだ」 この状況で何を言い出すんだと、柴田は思った。 「何だ、お前……。こんなタイミングで」 柴田は交わそうとするが、光輝は本気のようだ。 「俺は、高校生の頃から龍二さんが好きだったんだ。だから、あの時もこの間も……本当はう、嬉しい気持ちもあった」   光輝は顔を真っ赤にして俯いた。 「アンタへの気持ちは、今も変わってない。やっぱりアンタが好きだ」 「光輝……。気持ちは嬉しいよ。でも俺は、院長の座を結婚で得たんだ。そんな男だ」   『止めておけ』そう言いたかった。 「龍二さんが結婚してることを知った時は、正直愕然としたけど……。アンタじゃないとダメなんだ」 そう言われても、結婚している身だし困る。 『どうしたらいい……』 「アンタの近くにいたいんだ」と言う光輝に、どうするべきか柴田は悩んでしまう。 「ありがとう。お前の気持ちは嬉しいよ。まさか、昔から思ってくれていたなんて、気付かなかった。ごめん」 「いいよ、それは。俺も必死で隠してたし」 光輝は、柴田が兄と付き合っていることを承知で、密かに想いを寄せていた。 どれだけイケメンな俳優などと共演しても、心はずっと柴田に向いていたという。 会えなくても、何年も何年も柴田がどうしているか、気になっていたのだ。 「俺は、お前と飯を食ったりすることくらいなら、できる」 「まぁ、そう、だよな。うん、分かった」 光輝は少し残念そうだったが、頷いた。 「パスタが冷めるから、早く食え」 そう促すと、光輝は黙々と大好きな人の前で大好きなパスタを食べ始めた。 その夜は、柴田にとって驚くばかりだった。 昔から光輝が慕ってくれているようには感じていたが、まさか恋心を抱かれているとは、微塵も思わなかったから。 その後、大分気温も高くなってきた初夏に、柴田の医院に町田悠紀子という看護士が復帰してきた。 五十代に差し掛かろうという年齢の町田は、家庭の事情により一年ほど前から休職していたのだ。 しかし、仕事に出られる状況になったからということで、復帰することになった。 「柴田先生、またよろしくお願いしますね」 挨拶をしてきた町田だったが、柴田はどことなく険のある感じを受けた。 「お元気でしたか。こちらこそ、またよろしくお願いします」 当たり障りのない挨拶をする柴田だが、町田のことを警戒していた。 以前から、折り合いが悪かったから。   柴田と折り合いが悪いのに、なぜこの医院で働き、復帰までしたのか......。 「あなたは、会長と不倫しているそうですね」   単刀直入に柴田は町田に問いかけた。 「あぁ……先生はご存じだったんですね」 町田は慌てるでもなく、薄く笑んだ。 「えぇ。前から気付いていましたよ。お二人が外で一緒にいるところも、見たことがあったんで」 「あら、そうだったんですか。まぁ、バレてるならしょうがないですね。5年くらいになりますかね、会長とは」 「……別に他に洩らそうとは思っていませんが、気を付けた方がいいですよ」 「ご忠告ありがとうございます、院・長・先・生」 棘のある言い方をした町田は、鋭い眼差しを残して「では」と言いその場を去った。 きっと、町田が復帰したのは会長がいるから、なのだろうか。 町田優悠紀子の復帰により、暗雲が垂れ込めてくる……。    町田は看護師としては優秀であり、そつなく業務をこなしている。 表向きは、柴田との間柄も険悪には見えないように振る舞う。 町田が復帰してから一週間後、柴田は久しぶりに陽葵から連絡を受けた。 話があるから来てくれという呼び出しだった。 『今度は陽葵か……一体何の用だ?』 少し前には光輝からアプローチを受け、今度はその兄から呼び出しを受ける。 この兄弟たちとはなかなか縁が切れないのだろうか。 陽葵に呼ばれたのは、柴田の職場に近い場所にあるバーだった。 約束の時間五分ほど前に店に入ると、既に陽葵は席に座って酒を飲んでいた。 「もう、来てたのか」 「あぁ……」 陽葵の表情は沈んでいるというか、雲っているようだ。 「バーボン、ロックで……」 バーテンダーに酒を注文すると、柴田は陽葵の隣に座った。 「何だ、どうしたんだよ……」 「お前、患者に手を出してるのか?」 意表を突く陽葵の質問に、柴田は蒼ざめた。 「何で、お前がそのことを知っているんだ?」 まさか、陽葵からそんなことを聞かれるなんて、思いもしなかった。 「悪いな。情報を聞いたんだよ。他の記者から」 一体、どこから漏れたのだろう。 「あぁ。そうだよ」 嘘を吐いても仕方ないかと思った。 柴田が肯定すると、陽葵はあからさまに愕然とした。 「やめろよ、そんなの!自分を大事にしろ! 何で陽葵は、ここまで怒っているのだろか。 「俺の勝手だろ」 投げやりな気持ちで柴田が呟くと、陽葵は切なげな表情を見せた。 「正直、俺はお前に未練がある。だから、見過ごせるわけないだろ」 「最近は、そういうことはしてない……」 事実を告げて柴田はハッとした。 そういえば、確かにここ最近は好みの患者に迫ったり手を出すことはしていなかった。 それは、このところは光輝に会う日が多かったからかもしれない。 「そうなのか?」 「あぁ。まぁ、最近は光輝と飯食ったりしてる」 すると、陽葵の顔があからさまに曇った。 「アイツと?」 「光輝が飯行こうとかって誘ってくるから、会ってるだけだ。何も、ない」 「そうかよ……まぁ、気を付けろよお前。週刊誌に書かれたら大変だぞ」 「分かってるって。実際、そろそろ飽きてきたと思ってたところだしな」 光輝と会うようになって、柴田は別に患者の男たちと関係を持ちたいという気にはならなくなっていた。 不思議なものだ。 「なぁ。もう一度、俺に振り向いてくれないのか?」 「俺には、お前への罪悪感はずっとあったけど、もう過去なんだよ。お前は」 「そうか……」 淋し気に呟いた陽葵は、ウィスキーに口をつけた。

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