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第34話

そして三月の末日、光輝との音信が途絶えたまま柴田がYTメンズクリニックでの業務を終える日がやってきた。 最終日とはいえ、診療時間が終わるまでは普段通りに診療を行った。 光輝との報道が医院にまた影響を及ぼすかと心配をしたが、それは杞憂に終わったのだ。 それは、光輝が会見で「医院とは関係がない」と言ったことも理由かもしれない。 診療が終わり帰ろうとすると、看護師の横田や町田は泣きそうな顔をしていた。 「先生……もっと一緒に働きたかったです」 横田は目に涙を溜めていた。 「俺もです。今までありがとうございました」 横田は若いが気が利いて良く働いてくれる。 これからも頑張って欲しいという気持ちを込めて、握手を交わした。 「町田さんも、ありがとうございました」 町田とは色々とあったが、多くの場面で助けてもらった。 「こちらこそ、今までお世話になりました。私も、先生のおかげで目が覚めたんですよ」 町田の言わんとすることを、柴田は理解した。 会長との関係を清算したのだろう。 横田はキョトンとして聞いていたが、柴田には分かった。 そういえば、最近は何か吹っ切れたようだったのを思い出す。 会長との関係を断ってもここで働いているのは、医院での仕事が好きだからなのだろうか。  「そうでしたか。これからも、医院の支えとなってください」 「はい。お任せください」 町田は目に涙を滲ませながらも、笑顔を見せた。  それから柴田は、新任の槙田などにも挨拶を済ませ、会長室を訪れた。 会長に挨拶をしなければ、去ることはできない。 「実に残念だな。君ほどの実力がある医師がいるなら、我がクリニックも安泰だと思っていたんだがな」 会長は、がっかりしたように呟いた。 「恐縮です。しかし、他にも優秀な先生がいますので……」 「まぁ……院長となる寺田先生は安心して任せられると思うが。それで、君はこの先どうするのか決まっているのか?」 「えぇ。ここから離れたところにある、クリニックで明日から働けることになりました」 この一カ月ほどの間に、仕事と並行しながら次の働き先を探し回ったのだ。 すると、家からは遠くなるものの、受け入れてくれる病院が運よく見つかった。 医大の頃に面倒を見てくれた先輩のお陰だった。 やはり人脈は大事なものだと、つくづく思う。 「そうか……」 「はい。僕には医療の道しかありませんから」 「そうだな。君なら、どこででも活躍できるはずだ。頑張れ」 八嶋家の婿だった身として、裏切った自分に対してそんな風に言ってくれることは、嬉しいが心苦しくもあった。 「はい。ありがとうございます」 何とかこれから頑張っていかなければいけないと、柴田は心に誓った。   新たな柴田の勤務先は都心からは少し離れていて、車で三十分ほどの場所にある。 通うのにも時間がかかりそうだが、引っ越してからさほど間がないことから、再度引っ越すわけにはいかなかった。 ただ、そちらもメンズクリニックなので医師としての仕事には慣れている。 職場を移ってから一週間、ちょうど桜の綺麗な季節で、車での道中にある桜の木を眺めることは、心が和む。 『きれいだなぁ、桜……。割りと暖かいし散歩したいな』 そんなことを考えると、少しテンションが上がった。 『アイツ……どうしてるのかな……』 車を走らせながら、ふと光輝の顔が思い浮かぶ。 まさか、このまま永遠に自分の前から消える気なのか……。 運転中だというのに、悪い方向に考えてしまう。 これから仕事をしなければいけないし、柴田は何とか気持ちを落ち着かせた。 その日の業務をこなし、三人目の患者のカウンセリングに入った時だった。 「先生って、YTメンズクリニックにいたんだろう?」 三十代くらいの患者が、欲望を隠そうともしないギラギラとした目で問う。 初対面にも関わらず不躾な態度に、柴田は思わず眉をひそめた。 先日も患者から気付かれたようではあったが、別に『YTメンズクリニックにいた柴田』かどうか聞かれるケースはなかった。 これまで多くの患者を診てきた柴田だが、こういったデリカシーのなさそうなタイプにはほぼ出会ったことがない。 「前に患者の男を食ってたって読んだけど、本当かよ」 「あー、週刊誌お読みになったんですね?」 『まだあのことを言ってるのか』と思いながら、柴田は飄々(ひょうひょう)と応じた。 「そうだよ。俺もそっちだからさ、今度どうだ?」 「どう、というのは?私は患者さんの施術をするだけなので」 今は光輝もいるのだし、前のようなことをするわけがない。柴田は毅然とした態度で答える。 「あぁ、そうか。そうだよな。先生にはスターの彼氏がいるんだっけか」 その患者は下卑た笑いを見せたので、柴田は心底不快になった。 これは、さっさと終えて退出願うことが得策だろう。 「はは。こういったことにはお答えできませんね。さて、どこの施術をご希望ですか?」 この患者は顔の整形よりも、性根を直す必要があるのではないかと内心思う。 「あ、あぁ……。シミを消して欲しいんだ」 「そうですか。分かりました。それなら……ちょっと目立つこことここを取りましょう」 「い、痛くないのか?」 チンピラみたいなのに、痛さには弱いらしい。 「痛みは一瞬だけですよ。輪ゴムで弾かれた感じですかね」 淡々と返すと、不躾な患者は「そうか」と言って静かになった。 「では、施術日はいつがよろしいですか?」 「じゃあ、来週の土曜は……」  「土曜ですか……あぁ、二時か三時辺りに空いてます」 「……三時にしてくれ」 「分かりました。土曜の三時にお待ちしております」 そう言うと、柴田は患者を帰した。

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