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第36話
それからの柴田は、気力だけで乗り越える日々を過ごした。
「戻ってくるから」と言っても、信じる気持ちはあっても心のどこかで『本当だろうか』と思ってしまうのだ。
しばらく会えないと言われて、光輝のいない日々をどう過ごせば良いというのだろう。
離婚までしたのに、光輝と過ごせないのは想像以上に辛い。
ゴールデンウイークの直前頃に、柴田は所用でとある都心の街を訪れた。
午後三時頃に用事を終えて街中を歩いていると、前方から見知った顔の男が歩いてくるのを見かけた。
『えっ?』
まさか彼がここにいるとは思わなかった柴田は、意表を突かれた。
バーで出くわして以来会っていなかった彼に。
柴田は、帰り際の悲し気な顔を思い出した。
『元気にしていたのか……』
そんなことを思いながら歩いていると、その相手はどんどんと近付いてくるが、なかなか柴田の存在に気付かない。
柴田が相手に声をかけるべきか試案していたところ、すれ違う瞬間に相手がこちらに目を向けた。
「龍ニ?」
すれ違いざまに声をかけてきたのは、しばらく連絡もしていなかった陽葵だった。
「陽葵……」
「何だ、偶然だな。元気だったか?」
陽葵はいつぞやのバーでの出来事など忘れているかのように、朗らかな表情をしている。
「あ、あぁ……」
「お前、今時間あるか?」
そう問う陽葵に、柴田は困惑した。
本来なら、自分には会いたくないはずではないかと思われるからだ。
「あるけれど……どうしたんだ?」
柴田が訝し気な表情を見せると、陽葵は困ったように苦笑した。
「いや、お前と茶でもしたいと思っただけだよ」
「そうか……。いいよ。どこかに行こう」
「そうだな……それじゃ、少し行ったところにあるカフェに入るか」
「あぁ。分かった」
二人が入ったのは、チェーン店ではなく個人経営であるものの洗練されたおしゃれなカフェだった。
中は大変に広く、大勢の客で賑わっていた。
「都心なのに凄い広いな」
「あぁ。良くこんな場所でカフェ開けたと思うよ」
そんなことを言い合いながら、それぞれにドリンクを注文する。
陽葵はアイスキャラメルマキアートを頼んだので、柴田は『昔と変わらないんだな』と何だ
か安心した。
「お前、今も甘いもの好きなようだな」
ドリンクを受け取り、席を探しながら陽葵に尋ねる。
「俺が甘い物好きだってこと、覚えてくれてたのか」
「ま、まぁな。いつも甘いの飲んでたから、良く太らないなって思ってたよ」
「ははは。代謝良かったからな。あの頃は」
「今でも、なかなかにスタイル良いよな」
柴田が褒めると、陽葵は「そうでもないよ」と謙遜した。
「で?お前は今どうしてるんだ?ネットに記事出てたろ?」
陽葵は柴田を心配をしていたそうだが、何となく躊躇していたことと忙しさがあり、連絡できなかったという。
「あ、あぁ……YTを出て他で働き始めたよ」
「え?もしかして、離婚したのか?」
「察しが良いな。その通りだよ」
離婚までの過程を思い出すと気分が重苦しくなるが、それを流すようにコーヒーのグラスを口に運んだ。
「そうか……光輝は?アイツはどうしてるんだ?」
どうやら、陽葵は光輝とほぼ関わっていないようだ。
「お前も、連絡取っていないんだな。俺も、知らないよ」
「え、会ってないのか?てっきり、仲良くやってると……」
柴田は陽葵に、光輝から来た電話について説明した。
「そうだったのか……アイツは何考えてるんだ?最近はあまりテレビとかで見かけないし……」
仲は良くなくても、離れているたった一人の弟のことは気になるだろう。
「俺にも分からないよ。何処かで生きているだろうけど」
「まぁな……実は、俺にも変化があったんだ」
陽葵が徐(おもむ)ろに切り出したので、柴田は目を丸くした。
「一体、何があったんだ?」
そう問うと、陽葵は照れ臭そうにしながらも口を開いた。
「俺、恋人ができたんだ。同棲も始めた」
そう話す陽葵の顔は幸せそうだった。
「え、あ、そうなのか……。一体、どんなヤツなんだ?」
陽葵が長く柴田に想いを寄せていたことを知っているが、幸せを手に入れたというなら正直ホッとする。
「バーのオーナーだよ。ほら、お前や光輝と出くわしたバーにいた……」
「あっ、あのバーテンダーか?」
柴田は普段クールな性格をしているが、この時ばかりは驚いた。
人生何が起こるか分からないというのは、このことだろうか。
柴田の問いに、陽葵は首を縦に振り肯定した。
「そう、その人だ」
「どういった経緯で、そういうことになったんだ?」
「お前と光輝が付き合ってるって知って、俺、相当落ち込んだんだ……。それで、あの人に相談してたら、そういうことになった」
「へぇ……」
「前から、知り合いだったんだよ。凄く優しくて……癒してくれる」
そう惚気る姿を見て、柴田は『良かった』と心底思った。
「そうか……良かったな。幸せになれよ」
「サンキュ。あと俺さ、光輝と仲良くはないけど……やっぱり弟だし、心配はしてるんだ」
「うん」
電話でもしたら良いだろうとも思うが、陽葵としては意地でなかなかできないのだという。
「光輝のこと……頼むぞ……」
そう言われて、柴田は「分かった」としか言えなかった。
これから先、何とかなるものだろうか。
光輝は戻ってくると言っているのだから、その日が来ることを支えにして日々を生きるしかない。
それから三か月後の真夏、柴田は新たな職場での仕事にも慣れてきた。
医院にMR(医薬情報担当者)が度々訪れており、段々と話をするようになっていた。
クリニックに来ているのは細谷という男性のMRで、二十五歳なのだという。
雰囲気は、従順そうなワンコタイプといった感じだろうか。
細谷とは医療業界の話で盛り上がり、来るたびに良く話すようになった。
「細谷さん、色々と詳しいですよね」
「いえ、そんなことないですよ。柴田先生に教えていただくことが多いです」
「はは。俺なんてまだまだですよ」
「そんな、謙遜ですよ先生。そうだ……」
細谷が何かを言いたそうにしているので、何だろうと不思議に感じた。
「どうしたんですか?」
「おこがましいんですけど……先生とご飯でもご一緒したいなと思いまして……」
恥ずかしそうにしている細谷に、柴田は目を丸くした。
しかし年下からの希望に可愛いなとも感じる。
「あ、じゃあ今度行きましょうよ」
柴田が賛成すると、細谷は分かりやすく目を輝かせた。
「え、本当ですか!?」
「はい。俺が奢りますよ」
別に飯を一緒に食べるくらい、どうってことはないと柴田は思っていた。
「嬉しいです!本当は医師の方たちにはそういったことを言ってはいけないのかと思ってたので」
「そんなことはないんじゃないですか?」
「それならいいんですけど。あっ、では、そろそろ失礼いたします」
「あぁ。分かりました。今度連絡しますね」
「はい。よろしくお願いします。お待ちしています」
細谷は笑顔でクリニックから帰っていった。
柴田からしたら、これまでにあまり出会ったことのないタイプで、親しみやすいなと思う。
弟のような点は光輝と重なるかもしれないが、ワンコ系は初めてなのだ。
『可愛いな』
今日のやり取りを思い出しただけでも、柴田はクスっと笑ってしまう。
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