4 / 9

幕間 望月は夢の中をたゆたう①

幕間 望月は、夢の中をたゆたう①  よく望月は、不思議な夢を見る。  夢にしては、やけに奇妙なリアリティを持っている。  起きたときには、夢と現の境目がひどく曖昧になってしまう。  そんな不思議な夢――。  夢の中で望月は、感覚だけの存在として、夢の中で起こる事象を俯瞰していた。 「たぶん、これは、僕の生まれる前の出来事なんだけど……そう遠い昔の話じゃあない」  静かに語り始めた望月の言葉を、■■■■は静かに聞く。  まるで、絵本の読み聞かせを楽しむこどものように、一切の言葉を挟むことなく。  ただ、望月が語るのを待っていた。 「あるとき、ジプシー……人間の流浪の民だよ。そう、ジプシーの女性が太古の森を旅していたんだ」 「どうして、その女性は、旅をしていたの? なぜ、太古の森なんてとおったのかしら。あぶないのに」 「その女性は、旅芸人っていうのかな。あちこちを放浪しながら、歌と踊りを披露して生活していたんだ。太古の森は旅路だった」 「……そうなのね。すてきなお仕事だわ」  すっかり、■■■■は、望月の語る夢の世界にうっとりとしていた。  とろんと目が夢見がちに蕩けている。 「女性は、野生の亜人種たちを警戒しながら、太古の森を進んでいた。幸いにも亜人種に襲われることはなかったけれど、彼女にとって予想外のことが起こったんだ」  女性は、太古の森の巨木の下で途方に暮れていた。  急に、雨が降ってきたのだ。  最初、一滴の雨粒が降っただけだった。  しかし、それは一瞬にして雨脚は強くなり、ざあざあ降りに変わった。  冷たい雨と風が、疲弊した旅人を嬲る。  容赦なく彼女の体温を奪う。  水気を含んだ赤みがかったダークブラウンの髪。 それらが、野生の蔦のようにオリーブがかったかんばせにへばりつく。 (このまま嵐になったら、) 女性は、ほぞを噛んだ。  見る間に視界が豪雨で霞んでいく。  このままでは、危険な森の中で立ち往生してしまう。  そのときだった。 「お嬢さん、迷子かな。こんな森の中で危ないよ」  唐突に、目の前に手が差し出された。  女性が、顔をあげると、そこには異形がいた。  白うさぎの紳士がそこにいた。  目の前の異形にあっけにとられたジプシーを気にする様子もなく、紳士はやさしく微笑した。 「さあ、僕についておいで」 「……どういうこと?」 「お嬢さんに、温かいスープとパン、お茶をご馳走しよう。雨風をしのぐ程度の小屋だが、ここよりはマシだろう。温かい寝床もある」  ジプシーの女性は、外套を目深にかぶると紳士についていった。  彼が連れていったのは、森の奥にある小さな小屋だった。  申し訳ない程度の広さだが、彼は言うとおりに夕餉と着替え、暖かい寝床を提供した。 「困ったわ」  翌日、ジプシーが目覚めるとまだ、強い雨風が降っていた。  夏の嵐だった。  紳士は、肩を竦めた。 「流浪の旅人よ。きみが望むまでここにいればいいさ」と紳士はこともなげに言う。 「ええ。私は、流浪の旅人よ。旅をしながら、踊りをしているの……」  女性は、窓に貼りつきながら、そう告げた。  翌日もまだごうごうと嵐が荒れ狂っていた。 「今日も嵐ね。いつになったら、この嵐は終わるのかしら」 「流浪の旅人よ。昨日、きみは確か、踊り子だと言ったね。良ければ、踊りを披露してくれないかい?」  紳士の言葉に、彼女はひどく驚いた。 「構わないけれど。亜人種の殿方も踊りに興味があって? ねえ、歌って。あなたの声、とても心地いいわ。やわらかくて――」  流浪の民の黒の双眸と紳士の赤い瞳が交わる。 「……私、あなたの歌にあわせて、踊りたいわ」  紳士が薄く笑う。  そして、やわらかい声色でハミングした。  少し不器用だが、やさしい歌だった。  それにあわせて、ジプシーの女性がふうわりと舞う。  外は嵐だというのに、紳士は、歌い、女性は踊った。  室内には笑い声が絶えない。   さて、夏の嵐は、十日ほど続いた。  久しく、晴天に恵まれ――木々から雨水が滴る頃、女性は言った。 「ああ、紳士よ。名残惜しいけれど、私は再び、旅に出ねば。しかし、あなたと別れる定め(さだめ)がこんなに苦しいとは」  ああ、と女性は呻いた。  夏の嵐の間に、女性と白うさぎの紳士は、蜜月を過ごし、愛し合うようになっていた。  嵐の日々で、男女は睦あうようになっていた。  幾度となく、口唇をあわせ、褥で身体をあわせた……そんな日々が続いていた。  紳士は、そっと女性を抱き寄せた。 「ああ、愛おしい人よ。僕は言っただろう。きみが望むまでここにいればいいと」  紳士は、とろおりと蜜が滴るような甘い声でそう囁いた。  そして、ジプシーのオリーブの姿態を抱き寄せた。 「そうだった。そうだったわね。私、まだ、あなたのそばにいたいわ……」  ジプシーは、男性の腕にすがりついた。  そして、十月十日――次の春が、めぐるとひとつの命を産み落とした。  赤子は、紳士によく似ていた。 「ああ、私の夫よ。私のこどもは、あなたによく似ているわ。だから、私はこの子を外の世界には連れていけない」  紳士……彼女の夫は、静かに頷いた。 「それに、私は、流浪の旅人。旅の先々で踊りを披露しながら生きていく身。私は、もう行かなければ」 「そうだね。それがきみの運命だ。どうかお行き、きみのティンブクツーまで!」 「ええ、私は、私のティンブクツーを見つけるわ! そのこどもは、私が確かにこの場所に留まった証……私たちの愛の結晶よ!」  最後に、夫婦は抱き合った。  そして、紳士の手に抱かれた白髪赤目(アルビノ)の赤子を愛おしそうに眺めると――。 「さようなら、」 「さようなら、」  ふたりは、手と手を振って別れた。  ジプシーは、外套を目深にかぶり、太古の森を後にした。  彼女は、彼女のティンブクツーを目指して、再び、旅に出た。  何もしらない純粋な目をした赤子は、遠ざかる背中をじっと見ていた。  女性は、太古の森を振り返るどころか、出るまで顔をあげようとしなかった。  

ともだちにシェアしよう!