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1章-2
望月は、夜中に目を覚ました。
ごうごうひゅうひゅう……雨風が粗末な小屋を叩く音がする。
「■■■■、」
ふと、友人である少女の顔が浮かんだ。
アネモネの花畑で可憐に笑う少女の顔。
シャンソン人形の歌。
それらが望月の脳裏を過る。
「もしかして……」
望月は、あの少女がどこに暮らしているのか知らない。
まさか、こんな嵐の夜に、あの花畑にいないと思う。
だが、嫌な胸騒ぎがした。
「行かなきゃ……だって、あの子は――」
望月は、手早く着替えると、ひとりで暮らしている小屋をこっそりと抜け出した。
「■■■■、■■■■」
望月は叫んだ。
だが、その声は、強い雨風にかき消されてしまう。
「■■■■……」
夜目に、アネモネの赤黒い花の色が浮かぶ。
暴力的な夏の嵐に花々は、蹂躙され、なおも抵抗するように揺れていた。
「■■■■、いる……?」
何度か、彼女の名前を呼ぶが、返答はない。
(そうだよね……こんな嵐の夜に、出歩くわけないか……僕が心配しすぎているだけだったらよかった……)
望月は、ほっと息をついた。
思わず、天を仰ぐ。
ぼたぼたと大量の雨粒が、望月の白いかんばせを濡らした。
「魔王様……」
ぽつり、と望月はこの世界の創造神の名前を呼んだ。
今、この世界では良くないことが起こっている。
この嵐も、魔王様のご意思なのかとたまゆら、頭に過ったからだ。
「もちっ」
「えっ――あ……」
いきなり、背後から何者かに抱きつかれた。
氷のように冷たい体温。
小さな身体。
振り向かずとも、誰か、分かった。
「無事だったんだね。良かった。君のことを探していたんだ」
「……そう、なの」
「ねえ、■■■■、けがはしていない? 僕に顔を見せてくれないかな。君が無事なのを確かめたい」
「それは、だめ。このまま、振り向かないで……」
背後から、抱擁してくる華奢な腕に力がこもる。
「■■■■は、早く家に帰らないと。この嵐がやむまでは外に出ちゃだめ」
望月は、諭すように小さな女の子の友達に言った。
「…………」
彼女は、答えなかった。
それでも、望月は、続ける。
「きっと、嵐は去るよ。そうしたら、またアネモネの花畑で遊ぼう」
「……もう、そんなことは……ない……」
そのとき、ごうっと強い風がふたりを襲った。
「え、雨と風のせいかな……今、なんて言ったの?」
「もちっ!」
ぎゅっと彼女が強く抱きついてきた。
「わたしのそばに、いて……お願いだから……ずっと、ずっとよ……」
切実だが、甘ったるい響きの言葉尻に、違和感を覚える。
望月は、続けた。
「いいから、家に帰り。あぶないよ」
「いやぁ……わたし、もちのそばにいる……」
「また、会えるから。ごめんね。僕、コロニーに帰らないとみんなが心配だから――」
ふと、背中越しに強い震えが伝わってきた。
ややあって、彼女は哀願した。
「行かないで! 行っちゃだめ――」
望月は、その言葉の強さに驚いて、目を見開いた。
「でも、仲間が困っているかもしれない。君も大切だよ。でも、コロニーのみんなは、僕の家族だから」
「だって、もう行っても……ううん……あのね、もち」
背後から、■■■■が、言葉をかけてくる。
「■■■■、君の顔が見たい。今、すごく怖いんでしょう? 震え、伝わってきてる」
「それは、だめ。それだけは……わたし、耐えられない……」
少女の言葉には怯えが滲んでいた。
感情の機微は、分からない。
だが、強い恐れが――望月に顔を見られることへの抵抗は汲み取れたので、少女に背中を委ねたまま、耳を傾ける。
「……ねえ、もち。あなた、外の世界に憧れてたでしょ……」
彼女が口にしたのは、思いもよらない言葉だった。
「……うん。ずっと昔からね」
平静を保って望月は、そう応じる。
「……わたしと一緒にコロニーの外で生きていかない? ふたりで、そう、あのジプシーの女性みたいに旅をしてみたい!」
望月は、息を呑んだ。
同時に、その提案をした■■■■自身も、外の世界で生きていくという自身の言葉に恐れているようだった。
厳密には、望月の返事を、だろうか。
望月は、薄く笑った。
――きっと、このコロニーで生きていくかぎり、望月には叶わない夢だと知っていた。
「この嵐が止んだらね」
望月は、力弱く笑うと、するりと少女の腕から抜けた。
「ごめんね。コロニーのみんなが心配だから、今は帰らなくちゃ。ね、お願いだから、■■■■も早く家に帰ってね……」
待って、と耳をつんざくような■■■■の悲鳴が背後から聞こえる。
望月は、泥濘を踏みしめ、走り出した。
「もう行っても、お、そ、い、の……ああっ!?」
そのとき、どおん、という轟音がした。
望月の白髪が、ぶわりと舞い上がる。
コロニーの方から火の手があがっているのが見えた。
「そんな、」
激しい焔の勢いに、怖じてしまう。
少女じみた白い手が震える。
だが――望月は、逡巡を呑み込んで、前を向く。
赤い双眸は、強い眼差しを湛えていた。
「■■■■、もうだめだ。ここでお別れだ。お行き。二度とこの場所に戻ってきたらだめだよ」
ドクドクと心臓が脈打っている。
――コロニーに“何か“があった。
それは間違いない。
きっと、今、行けばまだ間に合う。
しかし、事態が解決すれば、長老は、安全な場所に居を移すと判断するだろう。
彼女とはここでお別れだ。
望月は、おかしくないのに、薄く笑った。
危険の近いこの場所に友達を留めておくことなんて、できない。
「いや、いやっ、いやよおっ!」
背後で、■■■■が慟哭する。
背に雨ではなく、温かい濡れた感触がする。
彼女が、何度も望月の背を叩く。
聞き分けのないこどものように。
「ここは危険なんだ。君まで巻き込まれてほしくないよ。今、すぐお行き。もうここに帰ってきちゃだめだ」
「なんで、そんなことをいうのよおっ! もちのばか!」
「わ、わたしね……」
■■■■が、望月から離れまいと服の裾を掴む。
それから、震えた声色で言葉を紡ぐ。
「わたし、ずっと、もちが、すきだった……あなたと出会った頃から……それが、わたしのゆいいつの、ほんもの。大切なきもち」
甘えるような、縋るような物言いだった。
その言葉に、望月は、覚悟を決める。
胸がずきっと痛んだが、結果的にこの少女を守るためのうそならば、構わない――そう言い聞かせる。
「僕は君のことなんて嫌いだ」
「え?」
■■■■の声が戸惑いに揺れる。
「僕は、君が嫌いだよ」
彼女に言い聞かせるように、もう一度、繰り返す。
「もち、なんで、そんなひどいこと言うの……?」
「きみのわがままにはうんざりしていた。話し相手をしたのも仕方なくだよ」
――うそだ。彼女の笑顔が見たくて、一生懸命、話をしていた。笑ってくれると嬉しかった。
「無知なところも面倒臭いと思っていた」
――うそだ。できれば、彼女の記憶を取り戻したかった。本当の彼女を知りたかった。
「やめて、やめて……」
少女が、懇願する。
それでも、望月は、彼女を傷つけるための『うそ』を演じる。
「それに、あんな歌、大嫌いだ」
――うそだ。また、あの歌が聞きたかった。
「アネモネの花も! 大嫌いだ!」
――うそだ。アネモネは一番好きな花だ。
「ひどい、望月なんてだいっきらい! きらい、きらいっ、きらい」
少女は、しゃくりあげ、どこかに走っていってしまった。
望月の口唇が歪な弧を描く。
あは、と小さな自嘲的な笑みがこぼれていた。
「これでいいんだ……僕は、コロニーに戻らなくちゃ……」
頬を生温かいものが伝う。
望月は、濡れねずみ然とした姿でよろよろとコロニーへの道を戻った。
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